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第15章 巡り廻って

274:勇者誕生

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 勇者。

 武力を持たず、戦いには積極的に関わらない教会における、数少ない戦時職の最高位である。



 現在は完全に非武装組織として機能している教会であるが、過去、中原が戦乱を迎えていた時代には自衛のための武力を有し、ロザリア様の御旗の下、他国へ攻め入る時もあった。その際、教会は指揮官に「聖騎士」、魔術師に「賢者」の称号を与え、指揮権を付与していた。

 一方、勇者は、聖騎士、賢者などと同じ戦時職でありながら、その意が全く異なる。聖騎士と賢者の権限が単なる部隊の指揮官に留まっているのに対し、勇者はその戦時における教会の姿勢を体現する者として、教皇の代弁者の地位も有しているからである。過去の戦いにおいても、教皇から勇者の称号を賜った者が聖騎士・賢者を伴って教皇軍を率い、総督として攻め落とした国の占領政策を行った事もあった。

 非武装組織となった今では勇者にその様な支配者権限はなくなったが、「教皇の代弁者」としての威厳は健在であり、教会が撤回しない限り、勇者の発言は教会の発言と受け止められる。特に、中原が曲がりなりにも一枚岩となり、ロザリア教が中原唯一の宗教となった現在では、その権限はより強大になったと言えよう。本来、勇者の任命権は教皇に限られているが、教皇が職務を執れない緊急時に限り、枢機卿にも認められていた。

 位階は司教を上回って枢機卿に次ぎ、徳を積めば枢機卿への途も開けている。そして、勇者の地位は終身制で、終生、教会から騎士階級相当の報奨が支払われる。

 日々のクエストが報酬の全てで、将来の保障が全くないハンターから見れば、破格の待遇と言えた。



 ***

「ジャ、ジャクリーヌさん!?いくら何でも、俺はそんな器では!」
「そ、そうですよ、ジャクリーヌ様!」

 突如降りかかった言葉にアインは仰天し、アインを睨みつけていたミリーも慌てて同調する。

 確かに近年のアインは成長が著しく、ジャクリーヌ救出の功績を認められてA級ハンターへと昇格した。ついに師匠でもあるレオの勇名をも抜いてラ・セリエを代表するハンターとなり、カラディナ共和国最強のハンターとなるのも時間の問題と噂されているのは事実だ。

 だが、それはあくまでハンター業界に限っての事。ハンターそのものは社会的地位が高い訳でもなく、カラディナ政府は勿論、ラ・セリエの代官にさえ何の影響力も持たない、ただ腕っぷしの強い一介の若者に過ぎない。

 にもかかわらず、決して敬虔な信者とは言えないアインに、教会が突然一軍の将にも及ぶ称号を与えるというのだ。いや、一軍どころではない。中原諸国全てに影響力を及ぼす唯一神の代弁者としての発言力を考えれば、国家権力にも匹敵すると言えよう。しかも、勇者の称号は中原が一枚岩となって以降授けられた事はなく、最後の勇者は900年以上前、エーデルシュタイン勃興期まで遡る。それだけの空白期間を経て勇者が誕生したとなると、世間に対するインパクトは甚大であろう。

 周章狼狽する二人に対し、ジャクリーヌはアインの目を見て冷静に断言する。

「アイン様が仰られる通り、勇者の称号は、アイン様にはあまりにも過分です」



「「…え?」」

 想定外の肯定を聞いて、二人が硬直する。石像と化した二人の脇を、ジャクリーヌの言葉が通り過ぎる。

「…ですが、今や中原は滅亡の縁に立たされています。三大国の最大の一角が崩れてロザリア教の聖地が奪われ、人々は浮足立っております。今此処にハヌマーンが押し寄せたら、中原は間違いなく崩壊します。私達は今此処で踏み止まり、反撃の狼煙を上げなければ、なりません。



 ――― それには、『英雄』が必要です。希望の松明を掲げ、浮足立つ私達を鼓舞し、先頭を切って人々を導く、『英雄』が必要なのです」



「っ!ジャクリーヌ様!?」
「アイン様!」

 ミリーが再び悲鳴めいた声を上げる中、ジャクリーヌは身を乗り出し、自分の谷間に沈み込んだ右手を決して離すまいと力を籠めながら嘆願する。

「お願いします、アイン様!どうか私達のために『勇者』を名乗り、中原をお導き下さい!絶望に覆われ、死を待つ他ないと嘆く人々に希望の光を灯し、奮い立たせていただきたいのです!それはアイン様を置いて、他にございません!この先、きっと多くの苦難が待ち受けている事でしょう。ですが、この私が!カラディナ、セント=ヌーヴェル両教会の総力を挙げて、あなた様を支えて参ります!今はまだ及ばなくとも、私はあなた様こそ『勇者』に相応しい御方だと信じております!ですから、どうか!どうか!…『勇者』の称号を、お受け取り下さい!」

 そう心の叫びを放ったジャクリーヌは、アインの手を抱き締めたまま蹲るように頭を下げ、ソファの上で震え続けていた。



「…ずるいよなぁ、ジャクリーヌさん」
「…え?」

 目を瞑り震えていたジャクリーヌの耳にアインの呟き声が聞こえ、彼女は思わず顔を上げる。ジャクリーヌの視線の先でアインは目を逸らし、自由の利く左手で頬を掻きながらぶっきらぼうに答えた。

「ジャクリーヌさんにそこまで言われたら、断われないじゃないか」
「アーイーンー?」
「…あ、ありがとうございます!ありがとうございます!」

 アインの言葉にミリーが半眼を浮かべ、ジャクリーヌが喜色を露わにする。アインは諦めた表情で、眉間に皴を寄せるミリーを説得する。

「ミリー、乗りかかった船だ。しかも、この『中原』という船からは、誰も降りる事ができないんだ。悪いけど、諦めて最後まで付き合ってくれ」
「あー、ハイハイ。そぉですかぁー」

 ミリーが後頭部で手を組み、そっぽを向いて不貞腐れる。ミリーの性格を知るアインは、その姿を見て彼女が何だかんだ言いながら自分に付き合ってくれる事を知り、顔を綻ばせた。そのアインの耳に、ジャクリーヌの声が聞こえて来る。

「…それでは、アイン様にもう一つお渡ししたい物が…」

 アインが前を向くと、ジャクリーヌが左手でアインの右手を押さえたまま横を向き、脇に置いた木箱に右手を伸ばしている。ジャクリーヌが姿勢を変えた事でアインの右手がずれ、彼女の豊かな左胸を思いっ切り鷲掴んでいた。ミリーとジャクリーヌの二人に気づかれないよう硬直するアインを余所に、ジャクリーヌは気づかない振りをして木箱から紐に包まれた一枚の羊皮紙を取り出すと、アインの右掌を上にして、両手で包み込むように手渡した。

「アイン様、こちらをどうぞ」
「あ、はい」

 ジャクリーヌの柔らかな手触りにアインはどぎまぎしながら、羊皮紙を開く。そしてミリーと二人で羊皮紙に記された文章を読むと目を見開き、一斉に顔を上げた。二人の視線の先で、ジャクリーヌがニコニコしている。

「…こ、これ…」

 やっとの事で口を開いたアインに、ジャクリーヌはまるで息子の栄達を喜ぶ母親のような、親愛に満ち溢れた笑顔を浮かべた。



「カラディナ政府からのお預かり物です。――― アイン様、S級ハンターへの昇格、おめでとうございます!」



 ***

「…そうか…そんな事になっているのか…」
「はい、師匠」

 アインの視線の先で、レオがエールのジョッキをテーブルに置き、酒精混じりの息を吐いている。アインの見立てでは、いつもであればそろそろ酩酊する酒量に届いているはずだが、今日のレオはその素振りが見られなかった。

 教会を辞した二人はそのままレオの家を訪れ、夕食を挟みながら事の顛末を話していく。この日はフルールもレオの家を訪れており、アイン、ミリー、レオ、イレーヌ、フルールの五人が食卓を囲んでいた。ジョッキを傾け、中に残ったエールの量を確かめていたレオが、尋ねた。

「…で、俺に言いたいのは、それだけじゃないだろう?」
「ええ、師匠」

 ジョッキの底を覗き込み、視線を外したままのレオを見て、アインが口を開く。

「師匠、俺の敵陣への斬り込みを、支援して下さい」



 ジョッキの底を覗き込む姿勢のまま、視線だけをアインに向けたレオに対し、アインが説明を続ける。

「師匠、最終的には俺単独での斬り込みになるでしょうが、コジョウ・ミカを視野に入れるまでは、仲間の協力が必要です。東滅軍は囮となり、コジョウ・ミカを誘き出します。『ロザリアの槍』の直撃を被るリスクを考えれば、東滅軍とは別働の独立部隊が必要です」
「…」
「師匠、俺はそれを、あなたに託したいんです。俺の『発射台』となる後背を預け、帰還するまでの間、敵の猛攻を支え続けられるのは、師匠しか居ないと考えています。俺はこれまで、ハンターとしか肩を並べた事がない。だから、今回も自分の背中は、ハンター仲間に任せたいんだ」
「…」

 アインの言葉を聞き、レオは再びジョッキの底を眺め、沈黙する。

 レオとアインの付き合いは、それほど長くはない。レオの参加した討伐クエストがケルベロスと相討ちになった後なので、3年しか経っていなかった。

 だが、アインはその3年の間レオに鍛えられ、二人は驚くほど息の合うコンビとなっていた。アインは「雷を司る者」「疾風」を持つ機動・攻撃特化であるのに対し、レオは重厚・堅固の防御特化であり、素質は全く嚙み合っていない。だがフルール達後衛をレオが守り、それを基点にアインが機動攻撃を繰り返すのが、彼らの常勝スタイルだった。

 レオは顔を上げ、はす向かいに座り澄ました顔でパンを口に含むフルールに尋ねる。

「…フルール、お前はどうする?」
「どうもこうもないかと思いますけど、レオ?この戦いに勝たないと、世界の終りなのですから」

 フルールがパンを飲み込みながら、当然の如く答える。3年前のクエストでは経験不足から醜態を晒したが、その挫折が彼女を成長させ、今ではラ・セリエでも有数のB級ハンターとして名を馳せていた。フルールの答えを得て頷いたレオの耳に、女性の声が割り込んだ。

「レオ、今回は私も参加するわよ?」
「イレーヌ?」

 レオが目を剥いて片眉を上げるも、彼の妻は臆する事無く、夫の目を見つめて断言する。

「私だけ除け者にするなんて、ないんじゃない?姉さんの時みたいに、独りで遺るつもりはないわ」
「ソレーヌは、どうするんだ?」
「母に頼むわよ。二人も娘を喪って、母に祟られたくなければ、私をきっちり生きて帰す事ね」
「フン…」

 妻の言葉に夫は鼻息を荒げ溜息をつくと、アインの目を見てぶっきらぼうに答える。

「…数を揃えても見つかりやすくなるだけで、意味はないな。後はポーター役の地の魔術師が2人と、護衛のハンターが3人で、10人ってトコか」
「助かります、師匠」
「ありがとうございます、レオさん」

 大工の親方の如く不愛想に答えるレオに、アインとミリーが頭を下げた。



 こうして、「東滅」の檄と共に「勇者アイン」の名が教会の手によって掲げられ、たちまち西方諸国へと広がっていく。人々は千年振りの勇者誕生の報を耳にして興奮に湧き、東方から忍び寄る破滅に打ち勝つべく、一つに纏まろうとしていた。
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