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第12章 終焉

220:追撃

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「ミカ殿、明日、リーデンドルフに軍を進める事になった。申し訳ないが、同行してもらえないか?」

 美香が目を覚ましたその日の夜、再びディークマイアー家を訪れたコルネリウスが、美香に要請した。

「え、リーデンドルフですか?」

 コルネリウスに両手を取られた美香は、それまで茹蛸のように顔を赤らめ俯いていたが、コルネリウスの言葉に顔を上げる。

 前日、レティシアの口から当分の間美香は寝たきりとなると聞き、心を痛めていたコルネリウスだったが、陣頭指揮から戻って来ると美香は快復し、いつも通り動き回っていた。それを見たコルネリウスは美香の手を取って我が事の様に喜んだが、コルネリウスが治療法を尋ねると美香は顔を赤らめ俯いてしまう。コルネリウスとしては美香が再び同じ状況に陥った時のために対処法を知りたかっただけなのだが、自覚のないセクハラと言うものは、得てしてこの様に生じる。男性諸君は、努々ゆめゆめ肝に銘じていただきたい。

 コルネリウスの押しに負けた美香は羞恥と興奮に胸を躍らせ、高鳴る鼓動を抑えきれず危うく口を割るところだったが、突然の話題変更敵から送られた塩を前にして我に返り、慌てて新しい話題に飛びつく。コルネリウスは頷き、事情を説明する。

「ああ。実は斥候からの報告で、ハヌマーンの残党がリーデンドルフに潜んでいるらしい。あの狭隘な土地ならロックドラゴンは居ないと思うが、万が一という事もある。士気の面も含め、貴方が同行してくれると、非常に心強いのだ」
「分かりました。そう言う事であれば、喜んで同行させていただきます」
「かたじけない、ミカ殿」
「そんな!頭をお上げ下さい、コルネリウス様!どうせ私は、座っているだけなんですから!」

 美香の答えを聞いたコルネリウスが深々と頭を下げ、美香は慌てて宥める。その、日を追う事に親密さを増す二人の姿を見てオズワルドは穏やかな笑みを浮かべ、美香の赤面の理由を知っていたレティシアとゲルダは薄笑いを浮かべていた。



 ***

 話は、その日の早朝まで遡る。



「…あいつらの影も形も見えやしないな。もしかして、一目散に逃げ帰るつもりか?」

 土砂降りの雨の中、ボクサーの上部ハッチから顔を出し、傘をさして双眼鏡を覗いていた柊也が呟く。隣のハッチから同じく身を乗り出したセレーネが、傘をクルクル回しながら答えた。

「ほとんど雨に流されて見分けがつきませんけど、どうもガリエルの地に逃げちゃったみたいですよ」
「一晩中、一睡もせずに逃げているのかね?タフな連中だなぁ」
「ちょっと、セレーネ、傘を回すな。冷たいんだから」

 同じく後ろのハッチから身を乗り出し、傘をさしたシモンが、降りかかる雫に顔を顰める。色とりどりの3本の傘はまるでボクサーの上に咲いた花を思わせ、厳ついはずの軍事車両にシュールな光景が映し出されていた。

 昨夜、自重の「じ」の字も存在しない怒涛の攻撃を繰り広げた柊也だったが、入り組んだ大都市での市街戦という事もあり、見た目の派手さとは裏腹に、思ったほどハヌマーン達に損害を与える事はできなかった。それでもヴェルツブルグ内で20,000以上のハヌマーンを殺し、北西門から叩き出す事に成功した柊也達は、近場でボクサーを取り出すと追撃を止め、夜襲を警戒してボクサーの中に閉じ籠り、夜を過ごした。

 翌朝、土砂降りの雨の中で行動を開始した柊也達だったが、予想に反してハヌマーンの姿は見当たらず、追撃は空振りに終わる。柊也は双眼鏡を下ろし、南に広がるリーデンドルフを背にして、二人に声を掛けた。

「まあ、このまま逃げ帰ってくれるのであれば、目くじらを立てて追う事もないだろう。どうせ、カエリアと方向が同じだし、じきに追いつくはずだ。雨のせいで視界も悪いし、のんびり行こうか」
「トウヤさん、そろそろご飯にしましょうよぉ。お腹が空いちゃったよぉ」
「トウヤ、おにくが食べたい」
「わかったわかった」

 二人に食事をねだられた柊也は頷き、三人は車内で朝食を済ませるとボクサーに乗って西進を再開する。一行はやがてラディナ湖に沿って北へと逃げ戻るハヌマーンの集団を見つけ、蹴散らしながらカエリアの許へと向かった。



 ***

 降りしきる豪雨の中で、複数のハヌマーン達が藪に隠れ、東西に伸びる道の真ん中に佇む「ロザリア」を眺めていた。「ロザリア」の上から顔を出した「三種族」は、やがて「ロザリア」の中へと隠れ、ロックドラゴンと見紛う威容を放つ「ロザリア」は、恐るべき速度で西へと走り去り、見えなくなった。

 ハヌマーン達は暫くの間西の方角を眺めていたが、「ロザリア」が戻って来る様子は見られない。やがてハヌマーン達は安堵の息をついて森の中へと分け入り、多くの同胞達に囲まれた聖者に向かって跪いた。

「◇%%#& 〇◇\\× ロザリア \&%%▽□* □$$ 〇\@□## □△$$…」

 聖者様、「三種族」とロザリアが同胞達を追い、西へと向かいました。

 屈強な男達が身を寄せ合って暖を取り、その中でほとんど埋もれながら報告を聞いた聖者は、歯を鳴らしながら答える。

「&&%〇 □×##@ \%&&〇 □△ 〇△ %$$〇□ サーリア〇$ &□〇…」

 最後だ。これが、本当に最後だ。此処に残る決死隊をもって、今度こそサーリア様をお救いするぞ。

 降りしきる雨に体温を奪われ、寒さに震えながら呟く聖者の言葉に、男達は皆頷き、悲壮な覚悟を決めた。



「三種族」を伴ったロザリアに襲い掛かられ、ハヌマーン49,000とロックドラゴン17頭を誇った南征軍は、崩壊した。

 ロザリアの放つ巨大な黒槍は最強の魔物であるはずのロックドラゴンを容易く貫き、歴戦の戦士であるはずの同胞達を、まるで地面を這いまわる蟻の様に踏み潰していく。絶える事のない黒槍の嵐の前に同胞達は恐慌をきたし、歴代最高と言って差し支えないはずの聖者の徳をもってしても流れを押し留める事ができず、男達はロザリアに背を向け、我先に逃げ出していく。その男達の背中にロザリアは容赦なく黒槍を構え、男達は次々に血祭りにあげられていった。

 結局、人族の本拠地から命からがら脱出できたのは、僅かに27,000。22,000にも上る同胞達と、17頭にも上ったロックドラゴンの全てが、ロザリアによって討ち取られた。しかも追撃の手を緩めないロザリアを前に、恐怖に駆られた同胞達はもはや聖者の言葉を聞かず、己の才覚だけを頼りに遁走を続け、散り散りになってしまう。

 だが、この期に及んでも、聖者は諦めなかった。彼は、辛うじて糾合する事のできた3,000の同胞達とともに、人族の本拠地の南西に広がる森の中に潜み、その機会を窺う。あのロザリアの前では、同胞達を何万人揃えても、勝てない。ならば、せめて同胞達を囮にして、ロザリアを出し抜いて見せる。ロザリアが逃げ惑う同胞達を追い駆け、血祭りにあげている間に決死隊をもって敵の本拠地へと乗り込み、サーリア様をお救いする他ない。すでに万策尽きた聖者は3,000の同胞と共に、最後の奇跡に全てを賭ける。

 だが、彼の全てをベットした最後の賭けは、成立しなかった。激しい雨の前に虚弱な彼は耐えられず、彼は高熱を発し倒れてしまう。ハヌマーンにとって希望の光でもある彼の突然の変調に、つき従うハヌマーン達は狼狽し、3,000のともがらは異邦の森の中で為す術もなく立ち往生する。

 そして、その喧騒は人族に察知され、コルネリウスの許へと届けられた。



 ***

 翌、ロザリアの第1月23日早朝。コルネリウスは2,000の兵に救出活動の続くヴェルツブルグを託すと、ユリウスとともに5,000の兵を率い、リーデンドルフへと向けて出立した。

 コルネリウスは美香の乗る馬車を中心に据え、周囲を警戒しながらリーデンドルフへと向かう。昨日までの雨は止んでいたが、空には分厚い雲が立ち込めており、また激しい雨が降り出しかねない雰囲気が感じられた。

 一行がやがてリーデンドルフ湖畔へと到着すると、コルネリウスは斥候を放ち、周辺の様子を窺う。すでにロザリアの季節に入り、リーデンドルフに生い茂る樹々は新緑に満ち溢れ、これで天候が良ければ暗青色の湖面が光を反射して瞬く絶景となったであろうが、昨日の豪雨が土砂を運んで湖は茶色に濁り、分厚い雲と相まって重苦しい空気を漂わせていた。

 陰鬱な様相を見せるリーデンドルフの光景を眺めていたコルネリウスの許に騎士が駆け寄り、右腕を胸に添えて報告する。

「湖畔入口には、ハヌマーンどもの姿は確認できませんでした。ただ、相当数の足跡が確認されており、奥へと続いております。湖の奥に潜んでいる可能性が高いと、推察されます」
「…」

 報告を受けたコルネリウスの顔が、厳しくなる。リーデンドルフ周辺は森に覆われており、周辺を通る道は、自然に侵食されかけた馬車道が一本あるだけである。必然的に軍は細長く伸び、攻撃を受けたら柔軟な対応ができない。だが、だからと言ってヴェルツブルグの裏庭に位置するリーデンドルフをハヌマーンに占拠されたまま、放置するわけにもいかない。すでに廃れた街道ではあるが、この道は王国の南部へも通じているのだ。コルネリウスは犠牲を甘受し、進軍を決意する。

「全軍、最大限警戒せよ。我が軍はこれより、リーデンドルフへと進入する」



 重苦しい、湿った空気の漂う一本の馬車道を、兵士達が長い行列を組んで進んでいた。馬車道は山の崖に沿って張り出した岩棚を縫うように走り、右手の岩棚から身を乗り出すと、7~8mほど下を濁った水が流れている。すでにリーデンドルフへ進入して2時間近くが経過し、一行は湖を過ぎ、湖へと流れ込む比較的大きな川に沿って進軍していた。

 かつては南部への裏道として使われていた時期もあり、道幅は狭くはなかったが、長年に渡る自然の侵食によってあちらこちらに木々が張り出しており、その状態は決して良くはない。そもそも5,000人にも及ぶ行軍を想定した道でもないため、コルネリウスは軍を恐ろしく引き伸ばさざるを得なかった。左に広がる鬱蒼とした森の中から奇襲を受けようものならひとたまりもなく、コルネリウスは神経質に斥候を森へと放ったが、生い茂る木々と藪に阻まれ、ほとんど索敵する事もできない。一帯には再び雨が降り始め、敵情察知が更に困難になる。

 やがて、一行の進む先に朽ちた丸太小屋が点在し始め、ほとんど緑に覆われた集落が現れた。崖に張り出した岩棚と山の間に挟まれ、鬱蒼と茂る森に抗うかのように左手にせり出した廃村にはすでに人の気配はなく、並び立つ家屋は崩落し、丈の高い草の間から顔を覗かせている。狭隘な道の真ん中で横撃を食らうよりマシ、相手が潜むなら此処。先頭を指揮するユリウスはそう判断し、待ち伏せされている事を覚悟の上で集落へと足を踏み入れ、何はともあれ、軍を横へと展開させる。

 そして、ユリウスの読みは、的中する。

「×〇□%% △××÷ \&&〇$$□ ×△!」
「□\\& 〇\$$〇 △▽%!」

 降りしきる雨の中、次第に厚みを増すユリウス隊の前から雄叫びが上がり、草を掻き分けてハヌマーンが襲い掛かって来た。
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