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第12章 終焉

211:目覚める陰

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「…物凄かった…このまま、もう、どうにでもしてって感じだった…」
「赤裸々に語らないでよっ!もう!」

 床にへたり込み、呆けた顔を浮かべるレティシアの手を引いた美香は、顔を真っ赤にしながらレティシアを急き立て、立ち上がらせようとする。まるで散歩を嫌がる犬を引き摺るような二人の姿を大人達が生暖かい目で見守っているが、ついさっきまで周りの目も気にせず、キスに夢中になっていた美香に言い返す余裕はない。そもそも美香は大人達の視線に気づいておらず、気を抜くとすぐに吸い寄せられてしまう自分の視線を制御するのに手一杯だった。

 落ち着け、落ち着きなさいって!レティシアに気づかれたら、どうするのっ!

 美香は己を叱咤し、右往左往する瞳に喝を入れる。だが、左右に揺れ動く視界に、緩く開いた珊瑚色の艶やかな唇を認めた途端、美香の意識は吸い寄せられ、唇の間から顔を覗かせる口腔に胸が高鳴る。

「レ、レティシア、早く立ちなさいって!みんな待ってるんだから!」
「…え?…あ…そ、そうね。申し訳ありません、皆さん。つい、我を忘れてしまって…」

 美香は、自然とレティシアに近づいてしまう顔を無理矢理引き剥がし、レティシアに背を向けて腕を引く。ようやく我に返ったレティシアがゆるゆると立ち上がるのを腕越しに感じていた美香の視線の先では、柊也がカービンを肩に担いだまま、意地の悪い笑みを浮かべていた。チクショー、先輩、後で覚えてやがれ。

 プイと柊也から顔を背けた美香だったが、背けた先でオズワルドと目が合った。オズワルドはすぐに視線を逸らしたが、幾分顔を赤らめ、口角が下がっている。

 ああ、もう!男の人って何でこう、肝心な時に意気地がないの!?

「オズワルドさん」

 美香はぷりぷりしながらレティシアの手を引き、オズワルドの前に立つ。そして唇を窄めながらオズワルドの顔を見上げ、人差し指を立ててチョイチョイと手前に引いた。釣針に引っ掛かった魚のように、オズワルドの顔が引き寄せられる。美香は、そのオズワルドの後頭部に片腕を回すと、つま先立ちして唇を重ねる。

「ん…」
「おー」

 うっさい、黙れ。

 隣で感嘆の声を上げる柊也出刃亀を無視し、二人は少しの間その体勢で動きを止める。やがて美香は唇を離すと、顔を真っ赤にして硬直するオズワルドを真っすぐに見つめ、想いを口にした。

「レティシアだけじゃないですよ。私は、オズワルドさんも愛しています。だから、そんな顔しないで下さいね?」
「なっ!?わ、私はそんなつもりでは…!?」
「じゃ、いいんですか?」
「…」

 ぎこちない動きで両手を広げ横に振っていたオズワルドだったが、美香が追及するとその手が急停止する。まったく、もう。素直じゃないんだから。美香は溜息をつくと姿勢を正し、一同に向かって深々と頭を下げる。

「みんな、心配かけて、ごめんなさい。もう大丈夫です。復活しました」
「ああ、お帰り」
「お帰りなさい、ミカさん」

 美香のお辞儀を見た柊也は穏やかな笑みを浮かべ、シモンとセレーネが労りの言葉をかけた。



「ミカ」
「ごめんなさい、ゲルダさん。心配かけちゃって」

 頭を上げた美香は、近づいて来たゲルダに顔を向け、笑みを浮かべる。ゲルダは美香の前に佇むと、日頃の人懐っこい笑みを消し、真剣な表情で自分の胸元までしかない少女の顔を見下ろす。

「…ミカ、良く立ち直った。良く頑張った。…アンタは、強いな」
「そんな事ないですよ、一度は滅茶苦茶凹みましたし。レティシアやオズワルドさん、ゲルダさんが居なかったら、立ち直れませんでした」

 美香はゲルダの評価に苦笑すると、もう一度深々と頭を下げる。すると、その姿を見下ろしていたゲルダが、美香が頭を上げるのと入れ違う形で片膝をつき、美香の目の前で縮こまった。驚きの表情を浮かべる美香の前で頭を下げ、口を開く。



「…この王虎ゲルダ・へリング、これより人族の母コジョウ・ミカを、主君と定める。アタシの生ある限りアンタの爪となり牙となり、アンタの乳と尻を不埒者の手から守り抜く事を、この牙に誓おう」



「ちょ、ちょっと、ゲルダさん!?何で、胸とお尻だけなの!?」

 ゲルダの牙の誓いを受けた美香は、顔を赤らめながら両手で胸を隠し、ゲルダを問い詰める。ゲルダは、片膝をついたまま顔を上げ、人懐っこい笑みを浮かべる。

「お望みなら、もう1箇所、付け加えるけど?」
「…いや、いい。どうせ、ろくでもない事を言い出すのが、目に見えているから」

 美香は赤面したまま膨れっ面を浮かべ、胸を隠していた両手を下に降ろし、ゲルダの視線を遮った。ゲルダは正面を向き、美香の股の前に立ちはだかる両手を見て、舌なめずりをしている。

「…マ」
「だから言うな!」



「さぁて、散々待たせて、お客さんが痺れを切らしている。いい加減、歓迎の準備をしないとな」
「×〇□%% 〇#\□ \&& 〇□$%$!」
「$□〇×□\\ 〇△△& %%▽〇 \+◇!」

 ゲルダが立ち上がるのを横目で見ながら柊也は後ろを向き、繰り返し打ち鳴らされる扉を眺めた。

「…ゲルダ。お前、何で私の前に立ちはだかっているんだ?」
「さっきのアタシの誓い、アンタも聞いただろ?」
「え!?オズワルドさんも入っちゃうの!?」
「古城」

 目の前で睨み合いを始めたオズワルドとゲルダを眺める美香を柊也が呼び止め、歩み寄る。そして、美香の額を左人差し指で指差すと、口を開いた。

「これは餞別だ。貰っておけ。――― ロザリア、管理者権限をもって命ずる。古城美香に対し、ナノシステムの全操作権限を付与しろ」
『はい、マスター。管理者命令を受託。個体名コジョウ・ミカに対し、ナノシステム全操作権限を付与…完了いたしました』
「先輩!?」

 額の上に掲げられた人差し指を見ながら、美香が驚きの声を上げる。柊也は左手を引っ込めながら、口の端を釣り上げた。

「古城、これでお前も全ての魔法が使えるようになった。これで、だいぶ楽になるんじゃないか?」
「あ、はい!先輩、ありがとうございます!」

 美香は喜びを露わにして、頭を下げる。これまでの美香は、火属性以外は一日に一度しか発動できないという制約があり、それ故に己を犠牲にして一撃で決着をつけなければならなかった。その制約が撤廃され、繰り返し発動できるようになったのは、非常に大きい。勿論、魔法の発動による体力の消耗は変わらないので、火力そのものが上がったわけではないが、これで複数の局面にも対応できる。

 美香が頭を下げると柊也は一つ頷き、美香に背を向けて扉へと向く。そして、腰を据えて見えない右手を力強く引いた。何もない空間からブローニングM2、そして三脚銃架が姿を現わす。

「シモン、設営してくれ」
「わかった」

 シモンはブローニングと三脚銃架を受け取ると、部屋の中央付近に設営する。そして、銃口を扉へと向けると、床の上に足を投げ出して座り、ハンドルを掴んだ。

「セレーネ、お前は側面に回って、横合いから狙撃してくれ」
「はい、わかりました、トウヤさん」
「古城とレティシア様は、後ろに下がっていてくれ。オズワルドさんとゲルダさんは、俺達の両脇で待機。詰め寄られたら頼む。射線には飛び出すなよ」
「わかりましたわ」
「了解した」

 セレーネが柊也の指示に従って一同から離れ、四人が所定の位置に佇む。柊也はシモンの右脇に立ち、M4カービンを扉に向けて構えると、詠唱を開始した。

「汝に命ずる。汝は螺旋を描く、炎の舞踊者なり。その四肢をもって彼の者の手を取り、抱き、共に舞え。さすれば彼の者は汝の熱き抱擁に心惑い、身を焦がすであろう」

 扉の手前にファイアストームが湧き上がり、扉を熱く焦がす。扉の前で踊り狂う炎の渦を見て、柊也が獰猛な笑みを浮かべた。

「さぁて、始めようか。――― ロザリア、扉を開けてくれ」
『畏まりました、マスター。メインシステムのゲートを開きます』

 途端、入口の扉が開き、ブローニングM2とM4カービンが火を噴き、咆哮した。



「〇×□## %%& 〇□&&&&&&&&&&&&!」
「□\\〇\ 〇□%%&…×□&&…&&&…」
「〇□×× $$▽! 〇□+@@% 〇□$$!」
「う…」

 扉の前で沸き起こった惨劇に、レティシアが青ざめ、口元を抑える。扉が開いたと同時に雪崩れ込もうとしたハヌマーン達だったが、目の前に立ちはだかるファイアストームに驚き硬直する。しかし、後続に押し出され、燃え上がる炎の上で将棋倒しになった。全身を覆う長い毛が燃え上がり、肉の焼け臭いが立ち込める。折り重なり、火達磨になったハヌマーン達にセレーネが次々にヘッドショットを決め、物言わぬ焦げた障壁へと作り替える。

 その障壁の上を2種類の銃弾が飛び越え、炎と同胞の死体に進路を阻まれ通路の中で立ち往生するハヌマーン達に次々と襲い掛かった。ハヌマーン達は、炎の向こうから押し寄せる敵の正体がわからぬまま次々と体に穴が空き、血と肉を飛び散らして、通路へと折り重なっていく。

「えぐいわぁ…」
「アンタ達、容赦がないねぇ…」

 やがて、5分も経たずして一変した光景に、流石に美香も血の気が引き、結局傍観に終始したゲルダも口の端が引き攣る。ファイアストームの消えた通路はどす黒い赤に染まり、茶色と赤に彩られた肉の絨毯が敷き詰められていた。

「レティシア様、目を瞑っていて下さい」
「ご、ごめんなさい、オズワルド…」
「うわ…これは流石にキッツいわ…」

 オズワルドに横抱きに抱え上げられたレティシアはオズワルドにしがみ付いて身を震わせ、美香はオズワルドの腕を掴みながら、足元から伝わる生肉の感触に辟易する。一行は、柊也とシモンが先頭を切り、横たわるハヌマーンにカービンで止めを刺しながら、立ち塞がる者の居なくなった通路を進んで行った。



 ***

「ありがとう、オズワルド。そろそろ降ろして下さる?」

 大聖堂の入口まで来たところで横抱きにされたレティシアが頬を染めながら乞い、オズワルドは膝をついてレティシアを下ろす。血の海と慣れないシチュエーションからやっと解放され、レティシアは些か熱の籠もった息をついた。

 メインシステムから脱出した一行は、出会い頭にハヌマーン達を蜂の巣にしながら、大聖堂を駆け抜けて行く。大聖堂の中に居たハヌマーンの数は多かったが、絶え間なくばら撒かれる弾幕の前に次々と斃れ、一行は危なげなく大聖堂を走破し、外へと躍り出た。しかし大聖堂を出た所で、オズワルドとゲルダの顔が苦渋に歪む。

「な、何て数だ…」
「これは、太刀打ちできない…」

 大聖堂の入口から西に向かって貫く幅の広い広場の向こうから、夥しい数のハヌマーンが姿を現わしていた。万を超えるハヌマーンが広場の石畳を埋め尽くし、その後ろでは何頭ものロックドラゴンが地響きを立てている。

「シュウヤ殿!あの路地から南に逃れられます!此処から南部へと脱出し、再起を図りましょう!」

 レティシアが左手に見える路地を指差し、脱出を促す。そのレティシアの言葉を聞いた柊也は、刹那の間思考した後、広場を侵食する茶色の絨毯に目を向けたまま、宣言した。

「古城」
「何ですか、先輩?」



「此処は、俺が叩く。お前は南部に逃れた兵を集め、糾合しろ」



「先輩!?」
「シュウヤ殿!?」

 柊也の言葉に美香達は仰天し、思わず柊也の顔を見る。だが、柊也の表情は厳しくはあったが、決して悲壮なものでも覚悟したものでもなかった。美香はそれを見て、恐る恐る尋ねる。

「…もしかして、アレも、どうにかなっちゃうの?」
「多分」
「…えええええ!?」

 語彙こそ確証が持てないものの、その抑揚には自信さえ窺い知れ、美香は思わずハヌマーン達を眺め見る。自分であれば、第一波はどうにかなる。ロザリアの槍を横一列に並べて斉射すれば、ハヌマーンを鏖殺できる。しかし、後続は無理だ。ハヌマーンの数は、明らかにハーデンブルグに押し寄せた第三波に匹敵しており、ロックドラゴンもいる以上、流石の美香も槍の一発では撃滅する事ができない。柊也によってリミットが外れたが、詠唱に伴う体力消費は変わっておらず、この規模となると一発が限界だ。ヴェルツブルグを犠牲にして、地母神の鉄槌メテオストライクを放つか。そう思考する美香に、柊也が声を掛けた。

「古城…3年前に言ったろ?」
「…え?…3年前…?」

 顔を上げた美香に、柊也が笑みを浮かべる。

「…光と陰、表と裏。古城、お前はこの3年間、変わらなかった。3年前に俺が言った通り、いや、それ以上に明るく輝いた」
「この国は死に瀕している。すでに王家の行方は知れず、皆が絶望に打ちひしがれている。彼らを明るく照らし、希望と力を与えられる存在は、最早お前しかいない」
「先輩!?」
「シュウヤ殿!」

 驚きの声を上げる美香に、レティシアがしがみ付き、柊也に向かって力強く頷く。柊也はレティシアに頷きを返すと後ろを向き、声を掛ける。

「シモン、セレーネ、行くぞ」
「ああ」
「はい!トウヤさん!」

 今や柊也に絶対の信頼と愛を寄せる二人が駆け寄り、三人は美香達を置いて、大聖堂の入口へと通ずる石造りの階段を下り、押し寄せるハヌマーン達へと立ちはだかる。美香は、背中を向けた隻腕の男に向けて声を張り上げた。

「先輩!」

 呼び止められた男は、ハヌマーンの方へ体を向けたまま、後ろへと振り返る。

「古城。俺は、お前の陰だ。陰は、光があって初めて存在できる。そして、陰は決して自ら輝く事はない。だから、此処の戦果は、全てお前のものだ。お前がより強く光り輝くために、この戦果を存分にむさぼれ」

 そして男は前を向き、雲霞の如きハヌマーンに向けて歯を剥き出し、傲慢に嗤った。



「猿共よ、思い知るがいい。――― これが、『管理者』だ」
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