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第12章 終焉

202:落城(2)

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 屈強な男達が担ぐ輿の上に身を横たえたまま、聖者は辺り一帯を感無量の面持ちで見回していた。

 文明の発達していないハヌマーンにとって、周囲に立ち並ぶ石造りの構造物は奇異極まりなく、だがその大きさに思わず目を瞠る。特に聖者の目の前にそびえ立つ構造物はひと際大きく、何本もの尖塔が建ち並び、まるで山脈を切り取った様な印象を受ける。周囲を同胞達が闊歩し、時折周囲の構造物から人族の死体が引き摺り出されるのを横目に見ながら、聖者が呟いた。

「〇×□÷& #$$▽□ 〇△+〇 ××%\\〇 サーリア〇$ □〇%%…」

 まるで山をなぞらえたような建物。この中に、サーリア様が閉じ込められているやも知れん。

 聖者は視線を下ろし、眼下に居並ぶ有力者達に伝える。

「〇×□%% ×□□##$ □〇×@ **〇%\▽ サーリア〇$ △〇&&□…!」
「%%〇 #$!」
「%%〇 #$!」

 この建物を包囲せよ。この中にサーリア様がいらっしゃるかも知れん。

 聖者の言葉に有力者達は一斉に唱和し、次々に各々の部族へと伝令を走らせる。

 やがて、制御の効かない多くのロックドラゴンが囮のハヌマーンや人族を追いかけ回して縦横無尽に歩き回る中、32,000のハヌマーンと5頭のロックドラゴンが山を模した建物を包囲し、突撃を敢行した。



 ***

「何をもたもたしているっ!な、何故、兵士達が救援に駆け付けて来ないのだ!?」

 ヴェルツブルグの北西部に位置し、ハヌマーンに真っ先に包囲された王城の中では、王太子のクリストフが髪の毛を振り乱し、喚き散らしていた。彼は、日頃の丁寧な口調をかなぐり捨て、焦燥を露わにして重臣達に詰問する。王城の中はすでに混乱の極みにあり、侍女たちは悲鳴を上げ、近侍や使用人達でさえもクリストフと重臣達を無視して逃げ惑う。

「王城は、ハヌマーンどもによって完全に包囲されました。外部ではきっと、兵士達が王城を救うべく、懸命にハヌマーンどもへ攻撃を続けているはずです!今しばらくのご辛抱を!」
「待てるか!王城には、ほとんど兵がいないのだぞ!こ、このままでは我が国は滅亡してしまう!女子供にも武器を持たせろ!何としてでも外部と連絡を取り、この包囲網から脱出するのだ!」

 宰相であるゲラルトの報告を聞いたクリストフは、血走った目で怒鳴りつける。リヒャルトとの戦いとその後の西部、北部への派兵によって首都の兵は激減し、王城には僅か1,500の兵しか居らず、侍女や使用人達を含めても5,000にも満たない。首都の南部に駐屯している7,000の兵がこの包囲網を突破してクリストフ達を救出するか、首都の異変を知って近隣の領主が救援に駆け付けるまで王城を守り抜くという、荒唐無稽な夢物語を期待するしかない。だが、クリストフ達には、夢想するためのベッドに潜り込む時間さえも与えられなかった。

「た、大変です!西門が、ロックドラゴンのブレスによって崩壊!ハヌマーンどもが雪崩れ込んで来ています!」
「止、止めろ!何としてでも、ハヌマーンどもを撃退しろ!」
「で、殿下!?」

 重臣達は、西方向を指差してがなり立てた後、東へと逃げ出したクリストフの姿に愕然とし、我先にその後を追う。

 怒声と喚き声が飛び交っていた謁見の間にやがて静寂が訪れ、その後、人族とは異なる言語を話す生き物が、悲鳴と断末魔を伴いながら押し寄せて来た。



 ***

「………! ……!」
「……、………、……!」
「…随分と騒々しいのぉ…」

 廊下から伝わる物音に眠りを妨げられ、国王ヘンリック2世は白く濁った意識のまま重い瞼を開いた。この半年で視力が急速に衰え、視界は霞み、天井に描かれた華麗な模様も判別がつかない。

 1年前に西誅軍の敗退とリヒャルトの抑留を知ったヘンリックは卒倒し、以来ずっと寝たきりとなっていたが、半年前にクリストフの立太子を決めて以降、彼は急速に衰えていった。クリストフが王太子となって国内の権力をほぼ完全に掌握すると、ヘンリックはコルネリウスをはじめとするごく一部の忠臣を除き、全くかえりみられない存在となってしまった。今や彼の手足はほとんど動かず、目は霞み耳は遠く、近侍達はただ彼がまだ生きているからという理由だけで食事を与え、彼はそれを食み、じきに迎えに来るであろう死を待つだけの毎日を送っていた。

 喉の渇きを覚えたヘンリックは辺りを見渡すが、霞む視界に人と思しき影は映らない。彼は覚束ない動きで手を伸ばし、サイドテーブルに置かれたハンドベルを掴んでゆっくりと振った。耳元で遠くの方から鐘の音が聞こえて来る。

 暫くそのままの状態で待っていたヘンリックだが、近侍達は来る様子がない。聞こえなかったか?ヘンリックがもう一度ベルを鳴らすと、扉が開け放たれ、誰かが入ってきた。

「…やっと来たか…喉が渇いた…水を持て…」

 視界の隅で蠢く茶色い影を認め、彼はハンドベルを元の位置に戻す気力もなく、手に持ったまま目を閉じる。水を飲んだ後に、近侍達に元の位置に戻してもらおう。暗転した視界の中、彼はベッド越しに伝わる床の振動を感じながら、ぼんやりと考える。

 こうしてエーデルシュタイン第63代国王ヘンリック2世にその日、唐突に死が訪れた。



 ***

「げ、猊下、私達は、人族は…このままハヌマーンの前に潰えてしまうのでしょうか?」

 ロザリア教の修道士マルコが、他の修道士達と共に暗い部屋の隅に貼り付く様に身を寄せ合って蹲り、声を震わせながら尋ねる。ヴェルツブルグの東部中央付近に位置するロザリア教会は、混乱の中で王城を包囲するハヌマーン本軍からはぐれた支隊に襲い掛かられ、瞬く間に蹂躙された。教会の持つ戦力は微弱でハヌマーン達に抵抗する術はなく、すでに教会内部の至る所を、ハヌマーンが血濡れた武器を手に闊歩している。辛うじて難を逃れたロザリア教皇フランチェスコは、僅かな供回りとともに教会奥の宝物殿へと逃げ込み、息を潜めていた。

 怯えた声を上げるマルコに対し、フランチェスコは血走った目を向け、怒鳴りつけた。

「その様な事は、決してありません!この危急存亡の秋、ロザリア様はきっと我々の前に降臨され、邪悪なるガリエルの尖兵どもを駆逐されます。聖遺物は、皆さんの手に行き渡りましたね?」
「は、はい、確かに!」

 フランチェスコの言葉にマルコは勢い良く頷き、胸元にある金属の箱をしっかりと両手で抱え込む。修道士となってまだ13年。その間ずっと写本と言う形で聖遺物に関わってきたが、本来であればまだ触れる事さえも許されないであろう聖遺物を、緊急時とは言え抱え込む機会を得て、マルコは恐怖と感動に打ち震える。

 フランチェスコは、部屋の片隅に寄せ集まる十数人の修道士達を見渡して、口を開く。

「宝物殿を奪われずに済んだのは、幸いでした。此処には、ヴェルツブルグが保有する聖遺物が全て納められています。良いですか、皆さん。私が声を掛けたら、皆一斉に聖遺物をハヌマーンに向かって翳すのです。さすれば、聖遺物から放たれる聖なる光がハヌマーンを討ち、滅する事でしょう」

 ヴェルツブルグに遺されている聖遺物は、全部で10基。ロザリア様より祝福を授かる際に手を翳す金属製の箱と、祝福によって齎された素質が表示される金属製の板の、2種5対の聖遺物である。フランチェスコの言葉を聞いた修道士達は神妙に頷き、各々の胸に抱いた「せんさー」「たぶれっと」と呼ばれる聖遺物に祈りを籠め、来たるべき最終戦争ハルマゲドンに備える。

 やがて、宝物殿を守る扉が外部から激しく叩きつけられ、堅い樫の扉が軋みを上げた。扉が悲鳴を上げてその身を擦り減らし、外部から小さな光が幾つも射し込んで来たのを認めたフランチェスコは、修道士達に厳かに命ずる。

「さあ、皆さん、聖遺物を掲げ、ロザリア様に祈りなさい。この聖遺物から放たれる聖なる一撃が、悪しき存在たるハヌマーンを討ち滅ぼす端緒となり、人族の栄光へと繋がるのです。祈りなさい!」
「ロザリア様、今こそ我らを守護したもう…」

 フランチェスコの命令に、マルコと9人の修道士達が手元にある聖遺物を掲げ、その他の修道士達は跪いて天に祈りを捧げる。そのままの姿で修道士達が動きを止める中、宝物殿の扉がついに破られ、茶色い毛に覆われた異形の生き物が次々と飛び込んでくる。

「〇×△%% 〇□\\$ +□△ %%&□!」
「×〇&& #□□◇ 〇@△!」

 十数人の修道士達が傅く中、フランチェスコは右腕を上げ、瞬く間に距離を詰めるハヌマーン達に向かって勢い良く腕を振り下ろした。

「ロザリア様!今こそ聖なる一撃をもって、ハヌマーンどもを討ち滅ぼしたまええええええええええ!」
「△□÷$$ 〇\\△ %%$〇□ ◇〇&&〇\!」
「〇〇×□ $&〇 □$$$& ×□!」
「%%〇 #$!」
「%%〇 #$!」



 ***

「はぁ…はぁ…はぁ…」

 暗い、かび臭い狭い部屋の中で、クリストフは膝に手をつき、息を荒げていた。部屋の中はまるで物置の様に荷物が乱雑に積み上げられ、粗末な椅子と机、ベッドが置かれている。此処には、この部屋と隣接するトイレ兼洗い場以外には何もなく、王城へと架かる粗末な吊り橋は、つい今しがたクリストフ自身の手によって落とされた。

 クリストフは、王城に連なる数ある尖塔の中で、一つ爪弾きにされる様に孤立した尖塔の天辺に潜んでいた。そこは過去に、政争に敗れたり、重い疾患を抱えた王族達を何人も幽閉し、隔離していた部屋だった。

 謁見の間を飛び出したクリストフは、背後から聞こえるゲラルト達の悲鳴に耳を塞いで一目散に王城を駆け上がり、王城の中で最も孤立したこの尖塔へと駆け込んでいた。数万にも及ぶハヌマーンに完全包囲され、この王城の命運は尽きた。最早この王城に安全な場所は、存在しない…この部屋を除いて。

 幽閉を目的として設えてあるだけあり、この部屋に通ずる階段は存在しない。そして、唯一この部屋へと通ずる吊り橋は、先ほど自身の手で落とした。これでもう、ハヌマーンの手に襲われる事はない。

「…はは…はははは…」

 やがてクリストフは乾いた笑い声を上げながら、粗末な床の上に座り込む。この部屋は長きに渡って使用されておらず、飲食に耐えうる物は何一つないであろう。しかも、この部屋から逃れるための道は自身の手で断ち、此処にクリストフが居る事は誰も知らない。ハヌマーンがいつ撃退されるかもわからないまま、水も食料も無しに何日も此処に閉じ込められなければ、ならない。

 だが、少なくともハヌマーンからは、逃れられた。これでもう、あの醜悪な生き物に捕らわれ、文字通り身を引き裂かれる恐れは、無くなった。クリストフは安堵の息を吐き、床の上にへたり込んだまま、ささやかな幸福に浸る。

 だが、ささやかな幸福の時間は、あっという間に終わりを告げる。

「っ!?…げほっ、げほっ!…な、何だっ!?」

 突然部屋が大きく揺れ、乱雑に積み上げられた荷物が床に落ちて、埃が盛大に舞った。クリストフは慌てて跳ね起き、激しく咳き込みながら辺りの様子を窺う。橋を落とした王城の方角を見るが、ハヌマーン達の姿は見えず、異常は見当たらない。先ほどの大きな揺れは一度きりだったが、その後からずっと、風に揺られるような緩慢な揺れが続いていた。クリストフは塔の狭い窓から顔を出し、恐る恐る下を覗き見る。

 遥か下に見える地上に、1頭のロックドラゴンが居座っていた。ロックドラゴンは、クリストフの居る塔を見つめたまま動きを止めている。やがてロックドラゴンは大きな口を開け、その口の前に礫が撒き上がって大きな岩塊へと成長していく。

「…や、止めろ、止めろっ!止めろおおおおおおおおおおおっ!」

 クリストフの悲愴な叫びは風に遮られ、ロックドラゴンには届かない。ロックドラゴンはクリストフの存在に気づかないまま、目の前に立ちはだかる石の壁に向けてロックブレスを射出する。

 そうして王城の一廓に高くそびえ立つ一本の尖塔が、ロックドラゴンに覆い被さるように倒れ、盛大な地響きと土埃を上げて崩れ去っていった。
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