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第11章 劫火

199:一家団欒(2)

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「ああ、極楽極楽…」
「…」

 湯に首まで浸かり大きな溜息をつく柊也の向かいで、オズワルドは同じく湯に身を浸かりながら、何とも言えない表情でテントの中を見回していた。自分の知る野営とは、雲泥の差。一般市民や兵士達であれば湯に浸かるという事さえも贅沢なのに、それを野営地で行ってしまっているのだ。浴室は見た事もない薄く滑らかな生地で覆われており、でありながら外の空気は流れ込まず、飛び跳ねる湯水を弾いている。美香の生まれた世界の高度な文明にオズワルドが感嘆していると、柊也が声をかけて来た。

「オズワルドさん、これまで古城の事を支えてくれて、ありがとう。あの時、俺も自分の身を最優先に考えていて余裕がなかったから、あいつをレティシア様に託した以外は気が回らなくってな。結局、ここまでずっと放ったらかしだった。風の便りで『ロザリアの御使い』などと言う御大層な名を付けられたと聞いて、まあ何とか上手くやっているんだろうとは思ってはいたが、今日、オズワルドさんやゲルダさんを目にして安心したよ。レティシア様ともより一層親密になっているし、あいつがここまで慕われていると知って、肩の荷が下りた。本当に、ありがとう」
「いや…、そこまで礼を言われる事はしていないよ、シュウヤ殿。頭を上げてくれ」

 オズワルドは、湯船に顔を浸けるかのように頭を下げる柊也を制し、溜息をつく。

「…むしろ、この2年半の間、我々は彼女に助けられっぱなしだったよ。レティシア様の命を救い、我々の手に負えない規模のハヌマーンの攻撃を、幾度となく単身で退けた。我々はただ、魔法を撃ち、死に瀕した彼女の看病をしただけだ。我々は彼女に対し、一生を懸けても返す事のできない恩義と感謝しか、持ち合わせていないんだ」
「そうじゃないんだよ、オズワルドさん」
「…え?」

 予想外の言葉を投げかけられ、思わず顔を上げたオズワルドの視線の先で、柊也が顔をタオルで拭いながら答える。

「…今日出会った古城は、3年前と変わっていなかったよ。向こうに居た時と同じ、明るく闊達に笑い、喜怒哀楽を素直に表す、表情豊かな古城だった。あいつがこの3年、そのままで居られたのは、紛れもなく、あんた達が傍で支えてくれたおかげだ。だから俺は、あんた達に感謝しているんだ。まあ、外見までほとんど変わっていなかったのは、思わず笑いそうになったけどな」
「…」

 冗談めいた柊也の言葉に、オズワルドはすぐには答えず、タオルに隠れた柊也を見つめる。やがてオズワルドは、彼にしては珍しく、躊躇いがちに口を開いた。

「…シュウヤ殿。一つ、尋ねても良いか?」
「何だい?オズワルドさん」
「…君は、ミカの許嫁だったのか?」

 オズワルドの言葉に、一瞬、柊也の顔を拭う手が止まる。だが、すぐに手の動きが再開され、柊也はタオルから顔を上げて答えた。

「いや、あいつとは、単なる大学…学舎の先輩と後輩という間柄だ。同じ趣味の集会に参加していたというだけで、正直に言って、向こうではそんなに親しかったわけではないよ」
「そうか…」

 柊也の答えを聞いたオズワルドは、小さく息を吐き、湯船に身を沈める。その姿を見た柊也が、小さく口の端を上げた。

「オズワルドさん、あんた…あいつの事が、好きなのか?」
「なっ!?そう言うわけでは!…いや…」

 柊也の指摘に、オズワルドは思わず腰を浮かし、湯船が大きく波打つ。彼は慌てて否定しようとしたが、その言葉は途中で急停止し、やがて彼は湯船に座り直しながら、柊也の目を真っすぐに見据えた。

「…そうだ。私は、彼女の事が好きだ。私は、彼女に剣を捧げた。これから一生、私が彼女の傍らに立ち、彼女を支えていく」
「…そうか」

 オズワルドが発する威嚇にも似た強固な意思を身に受け、柊也は意地の悪い笑みを和らげ穏やかに頷き、そして断言する。

「一つ、敢えて酷い表現で言わせてもらおう」
「…何だ?」



「俺にはすでに、古城より大切な仲間がいる。だから、はっきり言えば、古城は二の次だ」



「何!?」

 思わず再び腰を浮かせたオズワルドを、柊也は目で制しながら言葉を続ける。

「シモン、セレーネ。俺は、あの二人の事が何よりも大事だ。だから、俺はこれから先、あの二人を第一に考えて行動する。…ああ、勿論、だからと言って古城の事を無下にすると言っているわけではないよ。あいつは向こうの世界から来た唯二人の仲間だし、同じ境遇にいる者として、先輩として、可能な限り力になろう。だが、究極的な話、シモンとセレーネの二人と古城、どちらかを選択しなければならないとなれば、俺は迷わず二人を取る。つまりは、そういう事だ」
「…」



「だから、古城にとっての仲間とは、俺ではないんだ。あいつにとっての仲間とは、あんたやレティシア様、ゲルダさんの事なんだ。オズワルドさん、俺の事は気にしないでいい。あいつの事だけを考えて、行動してくれ」
「…わかった」

 再び腰を下ろしたオズワルドは、柊也の目を見て重々しく宣言する。

「このオズワルド・アイヒベルガー、我が主君コジョウ・ミカを愛し、私の一生を懸けて彼女を支えていく事を誓おう。シュウヤ殿、私に任せてくれ」
「…ああ、頼んだよ、オズワルドさん」

 オズワルドの宣言を聞いた柊也は肩の力を抜き、茹だった体から熱を逃がすかの様に顔を上げ、大きく息を吐いた。



 ***

 ゆっくりと湯に浸かり、疲れを癒したオズワルドは柊也の後に続き、浴室テントを出る。温まった体に一陣の風が吹き、オズワルドが清涼感を感じていると、隣接する大テントの下で円陣を組んで座っていた女性達と目が合った。

「…?」

 オズワルドは、女性達が皆一様にオズワルドの顔を見つめているのに気がつき、眉を上げる。美香はビニールシートの上で膝を抱えて膝の上に頭を乗せ、顔を真っ赤にしたまま口先を尖らせていた。レティシアは薄笑いを浮かべ、ゲルダがニヤついている。体の中から嫌な予感がせり上がって来たオズワルドの視界の端で、シモンが腰を下ろしたまま柊也に腕を伸ばし、腰を屈めた柊也の耳元で甘く囁いた。

「…ありがとう、トウヤ。私もあなたの事を、誰よりも愛している」
「ああ、俺も愛しているよ、シモン」

 真相を知り、「湯あたり」という名の真っ赤な彫像と化したオズワルドを見て、柊也は意地の悪い笑みを浮かべ、激励した。

「オズワルドさん、頑張れ」



 ***

「さて、古城、何が食べたい?」

 柊也は彫像の前に立って、美香に声をかける。それまで美香は膝に頭を乗せたまま、赤い顔をして剥れていたが、柊也の言葉を聞いた途端、頭を跳ね上げた。

「お寿司!お寿司が食べたいです!」



 という事で、美香のリクエストに応え、その日の夕食は寿司食べ放題となった。柊也はグルメ雑誌を取り出し、有名な寿司屋を選ぶと、様々な寿司が並ぶ寿司下駄を美香の前に並べる。美香は目の前に並ぶ握り寿司に目を輝かせ、次々と口の中に放り込んでいく。

「先輩!次は、大トロ、ハマチ、イクラ、アワビ、タコをお願いします!」
「あいよ」
「トウヤさん、私は車海老、甘えび、ボタン海老。あと、伊勢海老のお造りもお願いします」
「お前は、海老以外も食べろ」

 美香とセレーネがオーダーを重ね、柊也が二人の前に寿司下駄を並べる。その傍らでは、シモンとゲルダが30貫くらい並べられた肉寿司を片っ端から平らげていた。柊也は対照的に箸の進まないレティシアとオズワルドに目を向ける。

「レティシア様、オズワルドさん、口に合わなければ別の料理を用意するぞ」
「…え?あ、いえ、大丈夫ですわ。向こうのお食事を召し上がる機会なんて、二度とありませんし」

 そう言いながら、レティシアは茶碗蒸しに逃避しつつ、美香の前に並べられた寿司を怖いもの見たさで眺めている。美香を挟んで反対側に座るオズワルドは、ワサビが効いたのだろう、鼻を摘まんでいた。やがて涙を浮かべながら目を開いたオズワルドの耳に、レティシアの声が聞こえてくる。

「ミカ!それ、もしかして、デビルフィッシュ!?」
「うん、そうだよ」
「「「え!?」」」

 オズワルド、ゲルダ、レティシアが目をまん丸にして注目する中、タコの握りが美香の口の中に吸い込まれる。あんぐりと口を開け呆然とする一同の目の前で、美香は顎を動かしながら頬を緩める。

「ああ…この歯ごたえ、久しぶり…こっちじゃ全く食べられないからなぁ…」
「古城、酢ダコも出そうか?」
「ええ!是非!」
「「「うわぁ…」」」

 テーブルの中心に出された小皿を見て、レティシア達が頬を引きつらせる。小皿の中には、この世界で忌み嫌われるデビルフィッシュの触腕が、とぐろを巻いていた。唖然とする一同の前で、柊也と美香の箸が伸び、次々と触腕が摘まみ上げられる。

「…なんか、面白い歯ごたえですね。癖になりそう…」
「ここで手を出さないと、女が廃るねぇ…」
「「…」」

 海産物と縁がなく先入観のないセレーネが手を出し、プライドをくすぐられたゲルダが続く。四人が思い思いのペースで箸を伸ばす様子を、オズワルド、レティシアの二人が、眉間に皴を寄せて眺めていた。我関せず、一人で肉寿司に走っていたシモンが、指を舐めながら顔を上げる。

「トウヤ、チョコレートパフェ」
「あいよ」
「え?」

 懐かしい甘味の響きに美香が振り向くと、シモンの目の前に置かれたチョコレートパフェが、まるで尖塔のように天へと伸びていた。美香は勢い良く手を挙げ、柊也にねだる。

「先輩!私、フルーツパフェ!特大で!」
「へい、お待ち」
「シュ、シュウヤ殿、私にも『ぱふぇ』なるものを、いただけませんこと?」
「どうぞどうぞ」

 おずおずとしたレティシアの声に柊也が気前よく頷き、ブルーベリーパフェを並べる。そして、求めに応じてセレーネにメロンパフェ、ゲルダにマンゴーパフェを出した柊也は、自分の前に抹茶パフェを置くと、オズワルドに尋ねた。

「オズワルドさん、あんたも要るかい?」
「…いただこう」

 やがて、渋い表情を浮かべ、筋肉質の太い腕を組んだ大男の前に、乳白色の綺麗な螺旋がそびえ立ち、真っ赤な果実に彩られたイチゴパフェが、並べられたのだった。
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