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第10章 エミリア

174:ただいま

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『まもなく、エミリアの管轄地を脱し、サーリアの管轄地へと入ります。…3…2…1…』
「น้าトウヤ, พระเจ้าサーリア คุณトกำลัッテるんですか?」
『ただ今、サーリアの管轄地へと入りました。お帰りなさい、マイ・マスター』
「ああ、ただいま、シルフ」
「…あ…」

 後部座席で柊也とシルフの会話の内容を尋ねていたセレーネが、突然の環境の変化に呆然とする。口を開けたまま動かなくなったセレーネに、柊也が労りの声をかけた。

「お疲れ、セレーネ。久しぶりだな。2ヶ月もの間、よく我慢してくれた。ありがとう」
「…トウヤさん…」

 久しぶりの柊也との会話が信じられないのか、セレーネは柊也の目を見たまま、動きを止める。すると、突然セレーネが席を立ち、操縦席へと駆け込んだ。

「シ、シモンさん!こ、言葉が通じるようになりましたよ!…きゃぁ!?」
「おわぁっ!」

 セレーネの叫び声にも似た報告に、突如ボクサーが急ブレーキをかけ、柊也とセレーネがバランスを崩す。危うく座席から落ちるところだった柊也が姿勢を直す中、操縦席からシモンが駆け込んで来た。

「シモン、急にブレーキをかけるな。怪我をしたらどうするんだ」
「トウヤ、愛してる!」
「あ?」

 脈絡のない言葉に柊也が顔を上げると、シモンが眼前に立ち塞がり、目を見開いたまま一心不乱に柊也の顔を見つめている。

「な、何だ?シモン?急に」
「トウヤ、愛してる!」
「いや、だから急にどうしたんだ?」
「愛してるって言って!」
「あ、ああ。愛しているよ、シモン」

 柊也は、その鬼気迫る表情に気圧されるまま、シモンに答える。するとシモンは唇を戦慄かせ、目に涙を浮かべながら柊也に覆い被さった。

「私も愛している!パパ、寂しかったよぉ…うわああああん!」
「お、おい、シモン?…悪かったよ、ごめんな」
「シモンさんったら…」

 柊也に圧し掛かったまま子供の様に泣き出してしまったシモンに、柊也は驚きの声を上げながらも背中を擦って優しくあやす。そうして後部座席に折り重なったまま動かなくなった二人の姿を見て、セレーネは目に浮かんだ涙を指で拭いながら、笑みを浮かべていた。



 ***

「それじゃ、エミリア様とは特に問題なく、無事に管理者に就任できたんですか?」
「ああ。あの時見た通り、何のトラブルもなく管理者手続きは終了したよ。これが、エミリアのガイドコンソール・ノームだ」
『はい。システム・エミリアへのご用件は、全てガイドコンソール・ノームにお申し付け下さい、マイ・マスター』
「よろしくお願いします、エミリア様」

 ちゃぶ台の上で柊也にお辞儀をする小人に対し、セレーネが挨拶をする。シルフにせよ、ノームにせよ、基本的に柊也以外には全く反応しないが、相手は神話の三姉妹の分身である。疎かにすべきではないし、自分が無視されるのも仕方のない事だと思うセレーネだった。

 結局、あの後シモンは柊也から離れず、一行はその場所で夜を迎える事になった。ちゃぶ台の上にはビーフシチューとバケットが並び、中央にはローストターキーが一羽丸々鎮座している。その他にチーズ、海老とオリーブのマリネ、シャンパン、ケーキ等が並び、2ヶ月ぶりの会話を祝う、豪勢な料理に埋め尽くされていた。

「結局、エミリア様のセーフ・モードは、解除されなかったんですね?」
「ああ。エミリアもサーリアと同じく、解除すると寒冷化が進むからな。自動翻訳くらいは回復させようかとも考えたんだが、不自由しているのは俺達三人だけだからな、危険もなかったからそのまま我慢したんだ。…はい、あーん」
「あーん」

 柊也はセレーネとの会話を続けながら、スプーンでビーフシチューを掬い、隣で枝垂れかかるシモンへと持って行く。シモンは柊也の左腕にしがみ付き、柊也の言われるままに口を開いてシチューを頬張ると、幸せそうな笑みを浮かべる。2ヶ月もの間柊也とのコミュニケーションに餓えていたシモンは、これまでの鬱憤を晴らすかのように、片時も柊也の傍から離れようとしなかった。

 シモンは柊也の腕にしがみ付いたまま、手元のシチューにバケットを浸し、柊也の口へと運ぶ。

「はい、パパもあーん」
「あーん」
「美味しい?」
「ああ、美味いぞ」
「えへへへ。…パパ、大好き」
「…何て言うか、凄まじい絵面ですね…」

 これまで見た事のないシモンのデレっぷりに、セレーネは口から砂糖を吐き出す。そして、口直しとばかりに海老とオリーブを放り込みながら、柊也に尋ねた。

「トウヤさん、…エミリア様をお救いする事は、できませんか?」
「ん?どういう意味だ?」

 柊也から訝しげな目を向けられたセレーネは、フォークを置いて居住まいを正す。セレーネは目の前のシチューを見つめ、思い詰めたような表情で口を開く。

「エミリア様は自然を愛し、身を賭して森と動物達を生み出された御方です。そのエミリア様の御座所が、あの様な灼熱の太陽と砂に塗れ、うらぶれたままだなんて…。あのままでは、エミリア様のご快復は、到底叶いません。トウヤさん、何とかしてエミリア様をお救いいただけませんでしょうか?」
「セレーネ…」

 柊也は、セレーネの真摯な眼差しを前に、沈黙する。セレーネの願いは、三姉妹のシステムを知る者からすれば一見筋違いの様に見えるが、実は本質を捉えていた。三姉妹のシステムは、環境保護の側面を備えている。セレーネの発言は順序が逆なだけであり、エミリアのセーフ・モードを解除する事さえできれば、荒れた大地を回復させる可能性があるのだ。柊也は、セレーネに諭すように答えた。

「セレーネ。寒冷化の問題があるから、今すぐにサーリアやエミリアを目覚めさせる事はできない。だが、その打開策は今の我々が知らないだけであって、きっと存在していると俺は考えている。それを見つけるためにも、ロザリアと会う必要があるんだ。…セレーネ、大変だろうが、その旅に付き合ってくれ」
「勿論ですよ、トウヤさん」

 セレーネは柊也の言葉に頷くと横座りしたまま柊也の右隣に擦り寄り、頬を染めながら、胡坐をかく柊也の膝の上にそっと手を添える。

「私はあなたに一生を捧げ、あなたの神々との対話に何処までもついていくと、誓ったんです。私も一緒に連れて行って下さい、マイ・マスター」
「セレーネ…」

 柊也は、膝に手を置いたまま上を向くセレーネのエメラルドの瞳に吸い込まれ、二人はそのまま動きを止める。やがてセレーネがゆっくりと目を閉じ、珊瑚の様に色鮮やかな唇が言葉を紡ぐ。

「トウヤさん…」
「はい。パパ、あーん」
「いででで」
「…え?」

 セレーネの唇に吸い寄せられた柊也だったが、下から突き出されたしなやかな指に顎を掴まれ、嫌な音を立てて強引に横を向かされる。目の前にはスプーンに横たわるビーフシチューの肉の塊、そして不貞腐れ口を窄めたシモンの顔があった。柊也の異音を聞いて目を開け、呆然とするセレーネの前で、柊也の口にスプーンが強引に捻じ込まれる。

「パパ、美味しい?」
「…ああ、美味いぞ」
「えへへへ。パパ、大好き」
「シモンさん!少しは私にも良い目を見させて下さいよ!もぉぉぉ!」

 奥歯に角肉が挟まった様な物言いで柊也が感想を述べ、シモンが機嫌を直す。反対にシモンの不機嫌が移ったかのようにむくれたセレーネだったが、その眼前にフォークに刺さった海老が突き出された。

「はい。お姉ちゃんも、あーん」
「そういう意味じゃなくて!…もごごご」
「お姉ちゃん、美味しい?」
「…うん」
「えへへへ、お姉ちゃんも大好き」

 不満を口の端に乗せたセレーネだったが、シモンのあどけない笑顔に阻まれ、海老とともに口の中に押し戻される。頬を染め、観念した様に海老と不満を口の中で噛み砕いたセレーネを見て、シモンは満面の笑みを浮かべていた。



 ***

「…ええと、セレーネ。昨晩はすまなかった。君の言いたい事は、良く分かる。私が全て悪かった。…だから、これは勘弁してくれないか?」

 次第に周囲が明るさを増して気温が上がる中、テントの端に追い詰められたシモンが、気温に負けじとばかりに体温を上げる。シモンの目の前にはスプーンに並々と盛られたコーンフレークが波打ち、その先には目の座ったセレーネが、薄笑いを浮かべていた。

「あれ?シモンさん、あなたのだぁい好きなお姉ちゃんが、わざわざ食べさせてあげるんだよ?シモンさんなら、喜んであーんしてくれるよね?」
「ちょ、ちょっと、トウヤ!セ、セレーネを何とかしてくれないか!?」

 スプーンを突き付けられ動けなくなったシモンが、柊也に助けを求める。それに対し、素知らぬ顔で目玉焼きを食べていた柊也だったが、添え物のソーセージをフォークに突き刺すと席を立ち、シモンへとにじり寄った。

「トウヤ…?」
「シモン。君の大好きなパパが、食べさせてくれるんだ。君なら喜んで、あーんしてくれるよな?」
「ト、トウヤぁ!?」

 狼狽するシモンの目の前にソーセージが突き出され、涙目のシモンに柊也が意地の悪い笑みを浮かべる。

「はい。シモンさん、あーん」
「あ、ぁぁぁぁ…ん…」
「シモンさん、美味しい?」
「…うん…」
「えへへ。お姉ちゃんもシモンさんの事、大好きだよ」
「うぅぅ…」

 観念したシモンがスプーンを咥え、顔を真っ赤にしながらもごもごと頷くと、セレーネが頬を染めながら満面の笑みを浮かべる。その無垢な笑顔に吸い込まれ、味の分からない朝食を摂るシモンだった。



「…それで、パパのソーセージはいつ食べてくれるんだい?シモン」
「その誤解を招く言い回しは止めろぉ!」
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