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第10章 エミリア

165:福音

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 暗く、冷たい、窓一つない金属質の部屋の中で、ただ二つ据え置かれた篝火が、周囲の闇を振り払うかのように揺らめいている。二つの篝火が発する光は絶えず揺れ動き、間に挟まれて直立する御神柱の影が篝火の光に乱打され、硬い床の上を逃げ惑っていた。

 御神柱の前には、二人の若いエルフの男女が佇み、御神柱の前に広がる壁を見つめていた。やがて、男女はお互いの顔を見て小さく頷くと、順番に御神柱の上に手を翳し、横切る青い線を掌で感じながら、誓いの言葉を紡ぎ出す。

「私、ピトの息子 セリオは、プリニオの娘 ルシアを妻と定め、生涯変わらぬ愛を捧げる事を、サーリア様に誓います」
「私、プリニオの娘 ルシアは、ピトの息子 セリオを夫と定め、生涯変わらぬ愛を捧げる事を、サーリア様に誓います」

 二人の男女は誓いの言葉を終えると、互いの顔を見てはにかむ様に笑みを浮かべる。そして二人は、手を繋いで御神柱の前に広がる壁に向かうと、深く一礼した。

 すると突然、前方の壁が軋みを上げ、壁の至る所から光が射し込み始める。光は瞬く間に四方に伝播し、薄暗かった部屋の中が燦々と輝き始めた。

「…あ…あ…ああああ…」

 二人は手を繋いだまま、初めて見る光景に我を忘れ、辺りを見渡す。周囲の壁には赤と青の光の線が忙しなく動き、まるで二人の門出を祝うかのように、周囲を走り回っている。呆然と、光り輝く線を目で追いかけていた二人に、前方の壁から神の声が降り注いだ。



『…あーあー、テステス、あー、テステス。ただ今、マイクのテスト中。ア、エ、イ、ウ、エ、オ、ア、オ』



「「…サーリア様!」」

 二人は、生まれて初めて聞く神の声に感動し、その場で膝をつき、涙を流す。

「ああ!サーリア様!私達二人の愛の門出に降臨いただけるとは、このプリニオの娘 ルシアは、大草原一の果報者でございます!」
『え!?ちょっと、誰か居るの!?』
「はい!サーリア様!私めは、カバロ族のエルフ ピトの息子 セリオ!隣に居りますのは、妻のルシアでございます!本日、私達はサーリア様のご加護の元、晴れて夫婦となりました!その栄えある日に、サーリア様のご降臨という栄誉を賜り、私達二人、万感の思いでいっぱいでございます!」
『え、あ、うん。ご結婚おめでとう。末永くお幸せに』
「「ありがとうございます!サーリア様!」」

 セリオとルシアの二人は、神話の姿に似つかわしくない、男らしいサーリアの声にも気にもせず、膝をついたまま両手を組み、感謝の祈りを捧げる。そんな二人に、壁から第三の声が割り込んだ。

『ちょっとトウヤさん、一体何やっているんですか、もぉぉぉ!マイク貸して下さい!…あーあー。すみません、セリオさんとルシアさんと言いましたっけ?』
「「はい!サーリア様!」」

 一転して壁から降り注ぐ、二人より若そうに思える女性の問い掛けに、二人は万感を込めて答える。二人の反応に、若い女性はまるで壁の向こうで仰け反っている様な雰囲気で、言葉を続ける。

『あ、あの、晴れのご成婚の日にお願いするのも申し訳ないのですが、これからティグリの森に赴いて、族長のグラシアノを連れて来ていただけませんでしょうか?トウヤ様がお呼びだとお伝えいただければ、飛んでくると思います』
「はい!喜んで!ティグリ族 族長のグラシアノ様ですね!」

 サーリアの声にセリオは勢いよく首肯し、即座に部屋から飛び出そうとするのを、サーリアが慌てて呼び止める。

『あ!あの、何日後くらいになりますか?』
「そうですね、往復で10日ですが、余裕を見て半月後で如何でしょうか、サーリア様?」
『半月後ですね、わかりました。その頃にまた、連絡します』
「畏まりました!」
「それではサーリア様、行って参ります!」
『はい、お願いします。道中気を付けて下さい』
「「はい!お任せ下さい!」」

 セリオとルシアは深く一礼すると、手を繋いだまま、次第に光度の減少する部屋から駆け出して行った。



 ***

 半月後。

 サーリアの社の暗い部屋の中で、複数の男女が思い思いの体勢で床に座り、静かにその時を待っていた。ティグリ族 族長のグラシアノとその妻ナディア、そしてティグリ族の有力者が数名。グラシアノを呼びに行った、セリオとルシアの姿もある。

 誰も一言も喋らず、闇と沈黙だけが漂っていた部屋の中が突然輝き出し、周囲の壁を赤や青の光が縦横無尽に走り始める。人々は慌ただしく居住まいを正し、前方の壁を見つめた。この光景を初めて見る有力者達から、感動の声が漏れる。

 一同が片時も目を離さず、前方の壁を注視する中、やがて壁から待望の聖言が聞こえて来た。

『…誰か、いる?』
「「「トウヤ様!」」」

 壁から降り注ぐ声に人々は腰を浮かし、グラシアノを先頭に男達が大声を上げる。ナディアが頬に手を当て、おろそろとしたまま、悲痛な声を上げた。

「トウヤ様!セレーネの母、ナディアでございます!トウヤ様、御身はご無事でございますか!?まさか、サーリア様の壁の中に閉じ込められ、出られなくなったのでしょうか!?それとも、サーリア様と契りを結ばれた結果、一心同体となられたとか…!?」
『え?…あ、そこから説明しなきゃ、いけないのか…。大丈夫です、ナディアさん。私は勿論、セレーネもシモンも無事です。これはサーリアの力を借りて、遠くの声を社まで届けているだけなので。我々は壁の中に居るわけではありません』
「そうでしたか…トウヤ様…良かった…」

 壁から響き渡る柊也の声に、ナディアが安堵の笑みを浮かべ、胸を撫で下ろす。代わってグラシアノが口を開いた。

「それで、トウヤ様、如何なされましたか?この様な手段でご連絡いただけたという事は、サーリア様と無事に契りを結ばれたという事でしょうか?」
『契りと言われると、語弊があるんですが…。グラシアノ殿、その認識で結構です。おかげで、無事サーリアと誼を結び、私はサーリアの望んでいた管理者に就任する事ができました』
「それは良うございました!サーリア様の管理者へのご就任、誠におめでとうございます!トウヤ様、万歳!管理者様、万歳!」
『え、ちょっと、万歳三唱はよして!』

 柊也の切実な願いは叶わず、グラシアノ達が壁の前で盛大な万歳三唱を執り行う。身悶えが聞こえて来る壁に向かい、グラシアノが再び問いかけた。

「それでトウヤ様、この後どのくらいで、お戻りになられそうですか?」
『その事で、連絡したんです。実は、管理者に就任した際、エミリアとロザリアの管理者にも就任できる事が判明しました。そのため、我々はこのまま、エミリアの許に向かいます。大草原に戻るのは、その後、ロザリアに向かう途中になると思います』
「何ですと!?トウヤ様!あなた様が、神話の三姉妹全てを統べられる貴き御方だったとは!」
『いや、単なる管理者権限だから…』
「トウヤ様、万歳!神々を統べるいと貴き御方、万歳!」
「「「万歳!万歳!万歳!」」」
『だから、万歳三唱は止めてぇぇぇ!』

 柊也の願いは叶わず、社の中で盛大な万歳唱和が繰り返される。ナディアはルシアと手を取り合い、童心に戻ったかの様に、はしゃぎ回っていた。

「そういう事であれば、畏まりました!トウヤ様の思う道を、遠慮なくお進み下さい。その間、大草原は我々がお預かりし、しっかりとお守りいたします!ご安心召されよ!」
『え?いや、大草原は元々、私の物じゃないから…』

 グラシアノが壁に向かって自信を持って宣言し、引き締まった胸を張って握り拳を打ち付ける。背後に居並ぶ有力者達も、自信満々の表情で頷いていた。



「…トウヤ様、最後に一つだけ、お願いをお聞きいただけませんでしょうか」

 ルシアと二人ではしゃぎまわっていたナディアが、ルシアと両手を繋いだまま、壁に振り返る。

『はい、何でしょう?ナディアさん』
「少しの間、セレーネと二人でお話しさせていただけませんか?」

 ナディアはルシアの手を離すと、グラシアノの隣に並び立ち、壁に訴えかける。ナディアはグラシアノの手を取り、二人はしっかりと手を繋いだまま、壁を見据える。

『ああ、全然構いませんよ。ちょっと待って下さいね…セレーネ、ナディアさんが二人で話したいって。俺達は向こうに居るから、終わったら呼んでくれ』
『あ、はい。トウヤさん、ありがとうございます』

 壁の向こうで柊也とセレーネの言葉が交わされ、やがてセレーネの声だけが聞こえて来る。グラシアノ達の後ろにはティグリの有力者やセリオ、ルシアも並び、エルフだけの会話が始まった。

『…お母さん?』
「セレーネ、久しぶりね。元気にしている?」

 壁の向こう側から聞こえて来る愛娘の声に、ナディアは目を潤ませながら、優しく問いかける。

『うん、元気だよ。トウヤさんにも、シモンさんにも良くしてもらっている。旅も、トウヤさんの力で途中から凄い楽になって。これが、サーリア様に続く苦難とは思えないほど、快適な旅だったよ』

 壁の向こうのセレーネの声に段々と弾みがつき、ナディアが顔を綻ばせる。

「サーリア様とのご対面は、どうだったの?」
『それが、凄いの!サーリア様のお部屋は円形で、お社よりずっと大きくて!トウヤさんが声をかけたら、すぐにお目覚めになられた。サーリア様、トウヤさんにとてもお会いしたかったみたいで、失礼ながら、まるで子供の様にはしゃいでいらっしゃったの!』

 セレーネの声が、次第に熱を帯び始める。自分が見て来た事を父と母に一言も漏らさず伝えようと、セレーネの口調は早まり、抑揚が激しくなった。グラシアノとセレーネは、壁の向こうに居るセレーネのボディジェスチャーを想像し、可笑しくなる。グラシアノが笑いを噛み殺しながら、セレーネに尋ねた。

「そうか。サーリア様もお喜びになられて、重畳だ。その続きは、戻った時に大いに聞かせてもらおう。ところでセレーネ、もう一つ、聞いておきたい。…トウヤ様とは、添い遂げる事ができたか?」
『…うん』

 グラシアノの問いに、壁の向こうから、躊躇いがちなセレーネの答えが返ってくる。グラシアノは父親としての葛藤をねじ伏せ、努めて明るく振る舞った。

「そうか、でかしたぞ、セレーネ。これからもトウヤ様の寵愛を賜り、立派な御子を授かるのだぞ」
『ちょ、ちょっと、お父さん!恥ずかしいから、そんな事言わないでよ、もう!』

 グラシアノの激励に、壁の向こうから慌てふためく声が聞こえてくる。愛娘の赤面ぶりが頭に浮かび、ナディアが微笑んだ。

「トウヤ様は、お優しい?」
『…元気過ぎる』
「え?」

 娘からの意外な感想に、ナディアは思わず聞き返してしまう。

『それがお母さん、聞いてよ!トウヤさんとシモンさん、二人がかりで私ばっかり攻めるの!そりゃぁ、私だって、トウヤさんから求められたら、嬉しいけどさ…。だからって、代わり番こにエンドレスとかって、限度ってものがあるでしょぉぉぉ!?』
「あらあら、懐かしいわねぇ。お父さんの若い頃を思い出すわぁ…」
「ナ、ナディア!?お、お前、一体、何を暴露して…!」

 娘の赤裸々な告白に母親が昔を懐かしみ、挟撃を受けた父親が致命傷を負う。背後に並ぶ男達が行儀良くそっぽを向く中、ルシアだけが熱心に壁を見つめ、ふんふんと頷いていた。

『とは言っても、二人の元気の良さにはびっくりよ。コレ、きっと私達エルフとの寿命の違いも影響しているんじゃないかと…え、ちょっと?…きゃああああ!?ちょっと待ってぇぇぇ!?』
「な、何!?どうしたの、セレーネ?あなた、大丈夫!?」
「セレーネ!?どうした!?何があった!?」

 突然、壁の向こうから聞こえて来るセレーネの悲鳴に、グラシアノとナディアが顔色を変える。

『な、何でもない!大丈夫だから、お父さん、お母さん!トウヤさんも来なくていいから!あっち行ってて!しっ!しっ!』
「駄目よ、セレーネ。トウヤ様を邪険に扱っちゃ」

 愛娘の身を案じた二人だったが、その後の会話で命の危険がない事を知ると、胸を撫で下ろす。ナディアは壁の向こうで繰り広げられるドタバタ劇を思い、穏やかな笑みを浮かべた。

「でも、良かった…楽しそうで。ねぇ、セレーネ。あなた、今、幸せ?」
『…うん…幸せだと…思う』

 壁の向こうから漂う、小さな呟きを聞き、ナディアはグラシアノの手を握りしめる。

「なら良いの。あなたの人生なんだから。あなたが一番幸せになる道を、歩むのよ?」
「…そうだな。セレーネ、大草原の事は、気にするな。思う存分、トウヤ様に甘えてこい」
『うん…ありがとう。お父さん、お母さん』

 壁を見つめる二人の許に小さな感謝の声が降り注ぎ、やがて、壁は少しずつ輝きを失い、暗くなっていった。



 ***

「…セレーネ、大丈夫か?」
「トウヤさん…」

 グラシアノ達との会話が終わったと見た柊也が、地面に座り込み、目の前のシルフを見つめるセレーネへと近づく。足音を聞いたセレーネは振り返り、最愛の男の姿を認めると目に涙を浮かべ、思いの丈をぶつけた。



「…何で、ボクサーの向こうに行っちゃうんですか!トウヤさんの馬鹿ぁぁぁ!」

 柊也に背を向けたまま、一糸まとわぬ姿でへたり込むセレーネに、柊也は服を取り出しながら、そっぽを向く。

「…スマン。ついうっかり」
「ついうっかり、じゃ、ありません!全裸で親子の対面とか、どんな羞恥プレイですか!トウヤさん、絶対わざと…シモンさん?あなた、何、悶えているんですか!?」
「ち、違う!これは、決して催しているわけでは…!」

 視線を逸らしたままの柊也に、手渡された服を胸に抱えたセレーネが噛み付き、傍らではシモンが必死に深呼吸を繰り返していた。



 余談だが、この年カバロの森からは、夫婦の契りを交わそうと例年の10倍もの男女がサーリアの社に押し寄せ、ルシアは結婚して早々に懐妊した。
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