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第9章 孤立する北

150:第二波(2)

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「…」

 日が傾き始めて次第に橙色を帯び始めた頃、半日に渡る田園地帯の散策を終えた美香は、ディークマイアーの館へと向かう馬車の中で、眉を顰める。彼女は道を行き交う人の様子をまじまじと眺め、顎に手を当てて物思いに沈んだ。

「どうしたの?ミカ」
「うん…」

 傍らに座るレティシアが声をかけるも、美香は浮かない顔のまま、生返事を返す。

 やがて、美香は顔を上げると、向かいに座るカルラへと声をかけた。

「カルラさん、御者さんに行先の変更を伝えて下さい」
「どちらへでしょうか?ミカ様」

 美香は、内心の動揺を押し殺したカルラに構わず、行先を示す。

「第3大隊。ウォルターさんの所に向かって下さい」
「ミカ、急にどうしたの?」

 美香の口から飛び出した意外な名前に、レティシアが驚きの声を上げる。それに対し、美香はレティシアの方を向いて説明する。

「うん、警邏の騎士さんが、いつもより全然少ないんだよね。それによく考えたら、イザークさんが第2大隊とともに出立して、まだ戻って来ていないじゃない?それなのに、オズワルドさんが偵察に出るだなんて、何かあったんだと思うんだよね」
「ミカ…」

 レティシアは、僅かな違和感から真実を手繰り寄せようとする美香の洞察力に、瞠目する。美香の顔を見つめたまま動かなくなったレティシアの前で、美香は馬車の窓にもたれかけ、小さく呟いた。

「…みんな、私に気を遣っているんだね…」



「すみませーん、ウォルターさんは、こちらに居ますか?」

 馬車を降りた美香は、呼び止めるレティシア達を置いてきぼりにして、騎士達の詰所へと駆け込む。美香と顔見知りの第4大隊の騎士が顔を上げ、驚きの声を上げた。

「あれ?ミカ様、どうしたんですか?こんな所に何の御用で?」
「ウォルターさんを探しているんですけど、どちらに居るか、知りませんか?」

 美香に問い掛けられた騎士は、バツが悪そうに言葉を濁す。

「ウォルター隊長、今、席外しちゃって、いないんですよ」
「え?どちらへ?」
「それが、ちょっと口止めされてて…」
「じゃあ、サムエルさんは居ます?」
「ウチの隊長も一緒に出ちゃっているんです…」
「…そうですか」

 そのまま沈黙する美香の眼差しを受け、騎士はきまり悪そうに視線を逸らす。詰所の前で立ち止まった美香にゲルダが追い付き、肩に手をかけて促した。

「ミカ、急にどうしたんだい?ほら、館に帰るよ」
「ゲルダさん、皆何処に行ったか、知ってますよね?何があったか、教えて下さい」

 ゲルダに肩を掴まれた美香は、振り返ってゲルダの目を見つめる。その、一切の虚偽を許さない真っすぐな瞳を身に受けたゲルダは内心でたじろぎ、彼女に似つかわしくない論法で美香の追及を躱そうとする。

「駄目だ、ミカ。これは、軍の機密事項なんだ。いくらミカでも、教えるわけにはいかないよ」
「そう…」

 美香の瞳が輝きを失い、ゲルダから視線を外すと静かに俯く。下を向いたまま動かなくなった美香を見ながら、ゲルダは心の中で謝った。

 スマンな、ミカ。いくらアンタの頼みでも、答えるわけにはいかないんだ。アンタはこうでもしないと、すぐ突っ走ってしまう。皆、アンタの事が心配なんだよ。頼むから、引き下がってくれ。

 ゲルダの心の願いは叶わず、美香がゆっくりと顔を上げた。その身が発するただならぬ気配に、ゲルダは気を引き締め、仁王立ちしたまま、丹田に力を籠める。

「ゲルダさん…」
「何だい?ミカ」

 アタシを脅そうったって無駄だよ。アタシは決して口を割りゃしない。



「…今すぐに白状しないと、もう二度とお尻触らせないから」
「これはオズワルドに固く口止めされていたんだが、実は―――」



 ***

「フリッツ様、話は伺いました。私もすぐに出撃します」
「ミカ殿!?」

 執務室に入るや否や美香の口から飛び出した言葉にフリッツは驚き、後に続いたゲルダへ顔を向ける。

「ゲルダ、お前、喋ったのか!?」
「いやぁ、フリッツ様、参ったよ。まさかミカが、あんな脅迫をしてくるとは思いもしなかった。あまりにも恐ろしくて、アタシには到底耐えられなかった」

 フリッツの非難めいた視線を受け、ゲルダは頭を掻きながら悔しそうに呟く。そんなゲルダの脇にはレティシアが並び、ゲルダにジト目を向けていた。

 フリッツは、役立たずのゲルダから視線を外すと、美香の説得を試みる。

「ミカ殿、それは危険だ。出戦の許可は出せない」
「いいえ、そうではありません、フリッツ様」
「何?」

 驚いたフリッツの目を美香は真っすぐに見つめ、口を開く。



「私は、出戦の許可をいただきに参ったのではありません。出戦の宣言をしに参ったのです」



「…何故、そこまで出戦に拘る?そもそもこの戦いは、あなたが負うべき戦いではないのだぞ?」

 フリッツが苦渋にも似た面持ちで、美香へ問う。この戦いは、決して美香が責任を負うべきものではない。例え戦いの結果が回復不可能なほどの惨敗であったとしても、それはフリッツやオズワルドの責任であり、美香に責任を負わせるつもりは毛頭なかった。にも拘らず、何故目の前の少女は、ここまで戦いに関わろうとするのだ?

 フリッツの、真意を探る眼差しを受け、美香の端正な唇が答えを紡ぎ出した。

「私は、この世界で大きな力を授かりました。それは決して私の望んだものではありませんが、私にできる事が大きく広がったのは、事実です。そしてこの世界には私に良くしてくれる人が沢山いて、私の大切な人も沢山できました。
 私は、何もかも私一人で全てできるとは、思っていません。しかし、その時その時に、私だけができると思う時があります。それは得てして、私の大切な人達を救えるか否かの瀬戸際に立っている時なのです。



 ――― 私はその時、自分で決断して、後悔したい。その場におらず、結果だけを押し付けられて後悔するのは、真っ平御免です」



「…ふぅ…」

 張り詰めた空気に負けたかの様に、フリッツが大きな息をつく。この音をかわぎりに、美香が言葉を続けた。

「ゲルダさんから、話を伺いました。ハヌマーンの数は2,000、対するこちらは2,500と」
「輜重も加えれば、その通りだ」

 美香の言葉に、フリッツが首肯する。



「何故、ハヌマーンの数が2,000だと決めつけるのですか?」



「何!?」

 美香の口から飛び出した予想外の言葉に、フリッツは腰を浮かせ、背後に立つゲルダに視線を向ける。そのゲルダも予想していなかったのか、驚いた表情を見せたまま、動きを止めていた。フリッツは急いで美香へと視線を戻し、理由を促す。

「ミカ殿は、ハヌマーンがそれ以上の勢力で来ていると、考えているのか!?」
「それは、私にもわかりません」

 またも期待を裏切られ、フリッツは適当な言葉が浮かばず、ただ口を開閉させる。美香はフリッツの目を射込む様に見据え、自分の考えを口にした。

「実際のハヌマーンの数は、私にもわかりません。本当に2,000かも知れない。ですが、2,000を前提にして行動を起こしては、それ以上いた時に対処する事ができません。2,000以上いた時の保険、それが私なのです」
「…」
「ハヌマーンの数が予想通り2,000であれば、皆さんにお任せし、帰還します。…できれば、無駄足になって欲しいんですけどね」

 そう締めくくった美香は、フリッツに向けて困った様に笑みを浮かべた。



「…ゲルダ」
「何だい、フリッツ様」

 ソファに深く座り直し、上を向いたフリッツの口から、噴水のように言葉が噴き上がる。

「…残存の1個中隊、全部持って行け。こちらは予備役を招集して、何とかしよう」
「了解だよ」
「ありがとうございます、フリッツ様」

 フリッツの言葉にゲルダが右拳を上げ、美香が深々とお辞儀する。ソファに座ったまま前を向いたフリッツは、下を向いて滝の様に流れる美香の黒髪を眺め、しかめ面を浮かべた。

「ミカ殿、くれぐれも無茶はせんでくれよ。アデーレが知ったら、また大目玉だぞ?」
「そうしたいのはやまやまなんですが、何せ私の場合は、手足の麻痺が確定なもので…。フリッツ様からアデーレ様に、大目に見ていただけるよう、お伝え下さい」
「お、おい!?」

 余計な置き土産を受け取ったフリッツは慌てて呼び止めるも、美香は聞かず、ゲルダ達とともにフリッツの執務室を出て行ってしまう。美香達の姿が消え、閉ざされた扉を眺めながら、フリッツは置き土産を脇に放り投げ、観念したように呟いた。



「…アレが、オズワルドの言っていた、『母』…か…」
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