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第8章 引き裂かれた翼
140:引き裂かれた翼
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「…よりにもよって、貴国がその様な申し出をされるとは、思いもよりませんでした」
オストラの戦いから2ヶ月近くが経過した、中原暦6626年ガリエルの第5月。ヴェルツブルグの王城において、クリストフは謁見したカラディナの特使に対し殺意を込め、言外に批判する。そのクリストフの、氷点下に達する氷柱にも似た視線を真っ向から受けた特使セドリックだが、何ら痛痒を覚えず、にこやかな笑みを浮かべた。
「我が国は、此度の殿下とリヒャルト殿下との間に生じた諍いに対し、非常に心を痛めております。エーデルシュタインの輝かしい両翼と呼ばれるお二方が互いにいがみ合い、血みどろの争いを繰り広げる事は、エーデルシュタイン王国と言う体を縦に引き裂くにも等しい、悲しむべき事です。我が国は、信頼する隣国の不幸を座視する事に我慢がならず、何とかして貴国の不幸を回避する事ができないか、我が事のように腐心しておりました。その甲斐もなく、昨年末、事態は決定的な一歩を踏み出してしまいましたが、その後我が国は落魄したリヒャルト殿下とお会いする事ができ、リヒャルト殿下の身をお預かりする事となりました。
両殿下の争いには我が国も巻き込まれ、リヒャルト殿下の身辺警護に随伴した我が軍も、大きな被害を受けました。我が国は、両殿下の争いに本来は無関係であるはずの、巻き込まれた被害者であります」
「いけしゃあしゃあと、どの口が言うのだ!」
セドリックのあまりにも厚顔な台詞に、グレゴールが堪らず口を挟む。セドリックは、そのグレゴールを無視し、言葉を続ける。
「しかし、我が国はその様な不幸に直面した現在も中原全体の融和を願い、平和への努力を続けております。今此処に私が居ります事が、何よりもその証左であります。
リヒャルト殿下は現在、我が国において失意の身を癒しつつ、殿下との対話の機会を待ち望んでおります。我が国は、西誅に尽力され、西方に平和を齎したリヒャルト殿下に多大な恩義があり、何とかしてあの方と殿下の間を取り持ち、お二方の行き違いを正し、再び貴国の輝かしい両翼として大きく羽ばたく日を取り戻すべく、腐心しているのです」
セドリックは俯き、ハンカチを取り出すと、これ見よがしに目元を拭く。そして頭を上げると、一転して強硬な発言を口にした。
「我が国の要求は、次の2点に集約されます。一つ、『オストラの戦い』において、何ら関係のない我が軍へ攻撃を行って損害を与えた事について、貴国の弁明と誠意を求めます。二つ、それとは別に我が国は貴国における両殿下の争いに対する仲裁者としての立場を表明し、国境での両殿下の会談を提案いたします」
「貴国は、あの戦いにおいて我が軍に刃を向けておきながら、被害者と強弁するのか!?」
グレゴールが再び、口を荒げる。それに対しセドリックは目を細め、横目でグレゴールを見据えたまま、静かに言葉を発する。
「我が軍は、西誅の盟主であり恩義あるリヒャルト殿下をヴェルツブルグまで無事に送り届けるために、随伴しただけであります。その、教会の命を受け粉骨砕身された殿下に対し、貴国は慰労されるどころか、あろう事か討伐の刃を向けた。我が軍は自らの命を守るために、止むを得ず剣を抜いたのであります。そして後続の軍につきましては、リヒャルト殿下の要請に応じ、長い戦いに従事した我が軍の交代要員であり、偶然あの惨劇を目にし、友軍の救援に駆け付けたのであります。我が軍には、何の落ち度もござませぬ」
「言わせておけば!」
「グレゴール!控えなさい!」
激高するあまり、剣の柄に手を伸ばしたグレゴールを、クリストフが制する。急停止したグレゴールを余所に、クリストフが口を開いた。
「セドリック殿、貴国の言い分は、良く理解いたしました。セント=ヌーヴェルの事と言い、中原の中央に坐する貴国は、隣人との付き合いに随分と苦労されているようで」
「これはこれは。殿下に我が国の心労をご理解いただけるとは、感謝の念に堪えませぬ」
クリストフの皮肉に、セドリックは厚かましくも礼を述べる。この態度の差が、両国の力関係を雄弁に物語っていた。
頭を上げたセドリックは、嘲笑の光を目に浮かべながら、にこやかな笑顔で答える。
「それでは殿下、貴国の誠意あるご回答を、お待ち申し上げております。できれば、実りある答えを期待しておりますぞ。それと陛下のご快復を、心よりお祈り申し上げます」
「お気遣い、痛み入ります。道中、くれぐれも身を案じ召されよ。西は今、不穏ですから」
「ありがとうございます。それでは、失礼いたします」
クリストフの嫌味にセドリックは深々と頭を下げると、謁見場から堂々と退出して行く。クリストフ達は、そのセドリックの背中に殺意の篭った視線を突き刺す事しかできなかった。
「…カラディナのヒキガエルめ…」
謁見場から退出し執務室へと移動したクリストフは、ソファに座るや否や、セドリックの悪口を並べ立てる。実質エーデルシュタインのトップであるクリストフでさえも陰口を叩く事しかできないほど、事態は悪化していた。
クリストフは険の取れなくなった目でグレゴールと宰相ゲラルトを一瞥し、報告を求めた。
「グレゴール、ゲラルト、現状の報告を」
「はっ」
「はい」
クリストフの視線を受け、グレゴールとゲラルトは頭を下げ、現状の報告をする。
「まずリヒャルト軍ですが、ギヴンの東に駐屯している模様です。西をギヴン、南東をカラディナの正規軍に囲われた状態でガリエル側に突出しており、いわばギヴンの出城にされているようですな。その分、南東のカラディナ正規軍はリヒャルト軍に背を預け、こちらに主力を向け、我が国の侵攻に備えております」
「越境して、リヒャルト軍のみ撃破する事は、叶いませんか…」
「はい。カラディナ正規軍と事を構えないと、リヒャルト軍に手が届きませぬ」
グレゴールの報告を聞いたクリストフは、嘆息する。
「それとリヒャルト軍は駐屯地に拘束されてはおりますが、カラディナ政府から物資の供給を受けており、扱いは決してぞんざいではありません。個人単位であればギヴンでの慰労も許されており、自壊の兆候は見受けられません」
「そうですか…」
この辺りは、カラディナの思考が手に取るように分かる。兵力に余裕のない彼らにとって、リヒャルト軍はギヴンの防衛を担ってくれる大切な傭兵である。ギヴンの防衛に釣り合う報酬は支払って然るべきであり、それでガリエルとエーデルシュタインの両方を扼してくれるのだから、安いものである。
今のカラディナには手が出せない事を思い知らされたクリストフは、舌打ちをしながら国内へと目を向けた。
「ゲラルト、対する我が国の状況は?」
「率直に申し上げると、危機的状況です」
クリストフの質問を受けたゲラルトが、沈痛な面持ちで答える。
「国の至る所で徴兵に取り掛かったばかりで、兵力は全く回復しておりません。また、今後数だけは揃っても、兵の技量が以前の水準に戻るには更に3年はかかろうかと存じます。
特にラディナ湖西部の防衛は破綻しており、現在は東半分に兵力を集中し、カラディナへと通ずる西半分は東からの偵察に留めております。また国内西部については、廃墟と化したオストラを中心に山賊が跋扈しており、権力の空白地帯ができております。カラディナに備えようとしても、この空白地帯が背後を脅かすため、カラディナに備えて急遽編成した兵10,000は国境に張り付く事ができず、オストラの南東まで後退しております」
「…」
「またオストラの戦いでの損害、並びに対カラディナの10,000に兵を引き抜いたため、国内の中南部の治安、及び各領主の領地経営に深刻な影響が出ております。オストラへの参戦に対する恩賞も出せておらず、鞍替えして日が浅い領主ほど、王家への不信感が募っております」
「…兄上め、何処まで我が国の足を引っ張るつもりですか!」
リヒャルトさえいなければ、不満分子を粛清して見せしめにすれば済む話であるが、今粛清を行うと反クリストフがリヒャルトの下で糾合し、内乱の恐れさえ出てくる。国内は政情不安に陥り、兵力も回復せず、権力の及ばない西部は下手をすると治安維持の名の下にカラディナに接収されかねない。
こうしてリヒャルト対クリストフの権力争いはエーデルシュタインの国力を大きく削ぎ、カラディナの掌の上に載ったまま膠着状態に陥る。首都ヴェルツブルグは中南部の不穏分子への対処と西の動静に忙殺され、目が離せなくなる。
北は、忘れ去られていた。
オストラの戦いから2ヶ月近くが経過した、中原暦6626年ガリエルの第5月。ヴェルツブルグの王城において、クリストフは謁見したカラディナの特使に対し殺意を込め、言外に批判する。そのクリストフの、氷点下に達する氷柱にも似た視線を真っ向から受けた特使セドリックだが、何ら痛痒を覚えず、にこやかな笑みを浮かべた。
「我が国は、此度の殿下とリヒャルト殿下との間に生じた諍いに対し、非常に心を痛めております。エーデルシュタインの輝かしい両翼と呼ばれるお二方が互いにいがみ合い、血みどろの争いを繰り広げる事は、エーデルシュタイン王国と言う体を縦に引き裂くにも等しい、悲しむべき事です。我が国は、信頼する隣国の不幸を座視する事に我慢がならず、何とかして貴国の不幸を回避する事ができないか、我が事のように腐心しておりました。その甲斐もなく、昨年末、事態は決定的な一歩を踏み出してしまいましたが、その後我が国は落魄したリヒャルト殿下とお会いする事ができ、リヒャルト殿下の身をお預かりする事となりました。
両殿下の争いには我が国も巻き込まれ、リヒャルト殿下の身辺警護に随伴した我が軍も、大きな被害を受けました。我が国は、両殿下の争いに本来は無関係であるはずの、巻き込まれた被害者であります」
「いけしゃあしゃあと、どの口が言うのだ!」
セドリックのあまりにも厚顔な台詞に、グレゴールが堪らず口を挟む。セドリックは、そのグレゴールを無視し、言葉を続ける。
「しかし、我が国はその様な不幸に直面した現在も中原全体の融和を願い、平和への努力を続けております。今此処に私が居ります事が、何よりもその証左であります。
リヒャルト殿下は現在、我が国において失意の身を癒しつつ、殿下との対話の機会を待ち望んでおります。我が国は、西誅に尽力され、西方に平和を齎したリヒャルト殿下に多大な恩義があり、何とかしてあの方と殿下の間を取り持ち、お二方の行き違いを正し、再び貴国の輝かしい両翼として大きく羽ばたく日を取り戻すべく、腐心しているのです」
セドリックは俯き、ハンカチを取り出すと、これ見よがしに目元を拭く。そして頭を上げると、一転して強硬な発言を口にした。
「我が国の要求は、次の2点に集約されます。一つ、『オストラの戦い』において、何ら関係のない我が軍へ攻撃を行って損害を与えた事について、貴国の弁明と誠意を求めます。二つ、それとは別に我が国は貴国における両殿下の争いに対する仲裁者としての立場を表明し、国境での両殿下の会談を提案いたします」
「貴国は、あの戦いにおいて我が軍に刃を向けておきながら、被害者と強弁するのか!?」
グレゴールが再び、口を荒げる。それに対しセドリックは目を細め、横目でグレゴールを見据えたまま、静かに言葉を発する。
「我が軍は、西誅の盟主であり恩義あるリヒャルト殿下をヴェルツブルグまで無事に送り届けるために、随伴しただけであります。その、教会の命を受け粉骨砕身された殿下に対し、貴国は慰労されるどころか、あろう事か討伐の刃を向けた。我が軍は自らの命を守るために、止むを得ず剣を抜いたのであります。そして後続の軍につきましては、リヒャルト殿下の要請に応じ、長い戦いに従事した我が軍の交代要員であり、偶然あの惨劇を目にし、友軍の救援に駆け付けたのであります。我が軍には、何の落ち度もござませぬ」
「言わせておけば!」
「グレゴール!控えなさい!」
激高するあまり、剣の柄に手を伸ばしたグレゴールを、クリストフが制する。急停止したグレゴールを余所に、クリストフが口を開いた。
「セドリック殿、貴国の言い分は、良く理解いたしました。セント=ヌーヴェルの事と言い、中原の中央に坐する貴国は、隣人との付き合いに随分と苦労されているようで」
「これはこれは。殿下に我が国の心労をご理解いただけるとは、感謝の念に堪えませぬ」
クリストフの皮肉に、セドリックは厚かましくも礼を述べる。この態度の差が、両国の力関係を雄弁に物語っていた。
頭を上げたセドリックは、嘲笑の光を目に浮かべながら、にこやかな笑顔で答える。
「それでは殿下、貴国の誠意あるご回答を、お待ち申し上げております。できれば、実りある答えを期待しておりますぞ。それと陛下のご快復を、心よりお祈り申し上げます」
「お気遣い、痛み入ります。道中、くれぐれも身を案じ召されよ。西は今、不穏ですから」
「ありがとうございます。それでは、失礼いたします」
クリストフの嫌味にセドリックは深々と頭を下げると、謁見場から堂々と退出して行く。クリストフ達は、そのセドリックの背中に殺意の篭った視線を突き刺す事しかできなかった。
「…カラディナのヒキガエルめ…」
謁見場から退出し執務室へと移動したクリストフは、ソファに座るや否や、セドリックの悪口を並べ立てる。実質エーデルシュタインのトップであるクリストフでさえも陰口を叩く事しかできないほど、事態は悪化していた。
クリストフは険の取れなくなった目でグレゴールと宰相ゲラルトを一瞥し、報告を求めた。
「グレゴール、ゲラルト、現状の報告を」
「はっ」
「はい」
クリストフの視線を受け、グレゴールとゲラルトは頭を下げ、現状の報告をする。
「まずリヒャルト軍ですが、ギヴンの東に駐屯している模様です。西をギヴン、南東をカラディナの正規軍に囲われた状態でガリエル側に突出しており、いわばギヴンの出城にされているようですな。その分、南東のカラディナ正規軍はリヒャルト軍に背を預け、こちらに主力を向け、我が国の侵攻に備えております」
「越境して、リヒャルト軍のみ撃破する事は、叶いませんか…」
「はい。カラディナ正規軍と事を構えないと、リヒャルト軍に手が届きませぬ」
グレゴールの報告を聞いたクリストフは、嘆息する。
「それとリヒャルト軍は駐屯地に拘束されてはおりますが、カラディナ政府から物資の供給を受けており、扱いは決してぞんざいではありません。個人単位であればギヴンでの慰労も許されており、自壊の兆候は見受けられません」
「そうですか…」
この辺りは、カラディナの思考が手に取るように分かる。兵力に余裕のない彼らにとって、リヒャルト軍はギヴンの防衛を担ってくれる大切な傭兵である。ギヴンの防衛に釣り合う報酬は支払って然るべきであり、それでガリエルとエーデルシュタインの両方を扼してくれるのだから、安いものである。
今のカラディナには手が出せない事を思い知らされたクリストフは、舌打ちをしながら国内へと目を向けた。
「ゲラルト、対する我が国の状況は?」
「率直に申し上げると、危機的状況です」
クリストフの質問を受けたゲラルトが、沈痛な面持ちで答える。
「国の至る所で徴兵に取り掛かったばかりで、兵力は全く回復しておりません。また、今後数だけは揃っても、兵の技量が以前の水準に戻るには更に3年はかかろうかと存じます。
特にラディナ湖西部の防衛は破綻しており、現在は東半分に兵力を集中し、カラディナへと通ずる西半分は東からの偵察に留めております。また国内西部については、廃墟と化したオストラを中心に山賊が跋扈しており、権力の空白地帯ができております。カラディナに備えようとしても、この空白地帯が背後を脅かすため、カラディナに備えて急遽編成した兵10,000は国境に張り付く事ができず、オストラの南東まで後退しております」
「…」
「またオストラの戦いでの損害、並びに対カラディナの10,000に兵を引き抜いたため、国内の中南部の治安、及び各領主の領地経営に深刻な影響が出ております。オストラへの参戦に対する恩賞も出せておらず、鞍替えして日が浅い領主ほど、王家への不信感が募っております」
「…兄上め、何処まで我が国の足を引っ張るつもりですか!」
リヒャルトさえいなければ、不満分子を粛清して見せしめにすれば済む話であるが、今粛清を行うと反クリストフがリヒャルトの下で糾合し、内乱の恐れさえ出てくる。国内は政情不安に陥り、兵力も回復せず、権力の及ばない西部は下手をすると治安維持の名の下にカラディナに接収されかねない。
こうしてリヒャルト対クリストフの権力争いはエーデルシュタインの国力を大きく削ぎ、カラディナの掌の上に載ったまま膠着状態に陥る。首都ヴェルツブルグは中南部の不穏分子への対処と西の動静に忙殺され、目が離せなくなる。
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