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第7章 サーリア

116:新たな力

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 その日、人里から遠く離れた猫獣人ワーキャットの村デグは、混乱の極みにあった。

 男達は、剣や弓は勿論、農機具である鋤や鍬さえも手に取って村を飛び出し、女達は幼い子供達を1箇所に集め、いつでも逃げ出せるように準備を整えていた。

「クロ!ヒドラの状況を教えろ!」
「あ、長!」

「長」と呼ばれた、大きな男の前で、黒毛の若い男が頭を上げる。大きいと言っても猫獣人の中での話であり、背丈はせいぜい150cm程度しかない。名を呼ばれた黒毛の男を含む他の男達はせいぜい130cmくらいだった。

「ヒドラは、真っすぐ村に向かっています!このままでは、後1時間もすれば村に到着します!」
「畜生!やはり味を占められていたか!」

 クロの報告を聞いた長は、牙を剥き出しにして歯ぎしりをする。昨年の秋に突如デグを襲ったヒドラは、村を縦横無尽に這いまわり、幼い子供ばかり5人を平らげると悠々と巣穴に戻って行った。それに対し、日中で男手が不在だったデグの村人は抵抗する事もできず、ただ逃げ惑うばかりだった。その後、ヒドラの襲撃はパッタリと止んでいたが、ガリエルの力が弱まり暖かくなった今頃になって、再びデグの村を襲おうとしていた。

 ヒドラは、蛇の胴体と9つの頭部を持つ、全長7m程の魔物である。ロザリアの管轄地であれば「再生」を持つ厄介極まりない魔物だが、ここサーリアの管轄地に生息する個体は素質が機能しない。それでも、7mという大きさと9つの頭部が繰り出す同時攻撃は強力で、人族よりも小柄な猫獣人には到底太刀打ちできるものではなかった。

 それでも、男達は立ち向かわなければならなかった。自分達で抑えられなければ、村に厄災が再び訪れてしまう。すでに、ヒドラに味を占められており、此処で食い止められなければ村は何度も厄災に襲われ、やがて村を捨てなければならないだろう。長をはじめ200人の男達は、決死の覚悟をもって、ヒドラに立ち向かおうとしていた。

 ヒドラを発見したクロの先導の下、男達は思い思いの武器を手に森の中を走って行く。やがて、木々の向こうに明るい光が射し込んでいるのを見たクロが叫んだ。

「あそこです!森の切れた先に、ヒドラがいます!」

 クロの声を聞いた男達は、悲愴の表情で顔を引きつらせる。自分達の中で何人が生きて帰れるかわからない。しかし、やらなければならない。ここでヒドラを撃退しなければ、自分の妻や子供達が飲み込まれるかも知れない。男達は押し寄せる恐怖に歯を鳴らしながらも、誰一人欠ける事なく、森の端へと駆け出す。男達は次々に森を飛び出し、草原へと躍り出た。

 ヒドラは、男達の前で、その巨体を大きく広げていた。

 9つある頭はいずれも大きく口を開け、狂ったかのように暴れ回り、辺り構わず襲いかかろうとしていた。その防御本能に従った行動は、まるでヒドラが命の危険を悟ったかのようであり、死から逃れようと必死に抵抗する姿であった。いくつかの頭は男達を一歩も近づけまいと、威嚇し、襲いかかろうと首を伸ばす。

 そのヒドラの直径1mにも届くとも思える太い胴体は、2箇所で大きく轢き潰され、圧迫された腹が破裂して内臓が飛び出し、赤い染みが広がっている。後部は中央で引き千切られ、尾部は別の生き物の様に独りでのた打ち回っていた。そして地面には、ヒドラの2箇所の凹みに沿うように2本の太い溝が刻まれ、南東から北西方向の地平の彼方まで並行して伸びている。

 そして、200人の男達が呆然と見守る中で、ヒドラの動きが次第に鈍くなり、やがて痙攣して動かなくなった。



 ***

「やっべ、何か轢いた」

 柊也は座席から落ちないよう踏ん張り、操縦桿を握りしめながら、後ろへと振り返る。しかし、後部窓の存在しない車内から背後を窺い知る事はできず、ただ暗い車内と分厚い後部ハッチが見えるだけだった。

 セレーネが上部ハッチから身を乗り出し、後ろを見て柊也に伝えた。

「あー、ヒドラ轢いちゃってますね。胴体がこれ以上ないってくらい、見事に潰れちゃってます」
「…トウヤ、私と運転を代われ。君はセンスが無さ過ぎる」

 頭にできたコブをさすりながら、シモンがしかめっ面で操縦席へと歩み寄る。それに対し、柊也は慌てて弁解した。

「いや、もうちょっと待ってくれ、シモン。もう少しでコツが掴めそうなんだ」

 そう自分のあるじから懇願を受けたシモンだったが、願いを聞き入れず、切れ長の美しい眉を逆立てて言い返す。

「君がそう言ったのは何回目だ!?しかも、君は自分がこれまでに何頭轢いているか、覚えているのか!?私が知っているだけでも、ヘルハウンド2頭、ガルム5頭、木が9本。おまけにアースドラゴンが1!」

 シモンがこめかみに青筋を浮き上がらせながら、勢いよく右手指を曲げたり伸ばしたりしている。そして、上部ハッチから降りてきたセレーネが止めを刺す。

「…極め付きが、オーク43」
「…」

 セレーネの声を聞いた柊也が、力なく項垂れる。確かに日本で運転免許を取得した後、ペーパードライバーのまま召喚されたわけだが、それにしてもこの戦果は文句なしの免許取り消しものである。

「後は私とセレーネがやるから、君は大人しくそこに座っていてくれ」
「そうですよ。トウヤさんは、ここでゆっくり休んでいて下さい」

 シモンが獣人の膂力にものを言わせて、柊也を操縦席から引き剥がす。後部座席に座らされ、いじける柊也の隣にセレーネが座り、柊也を慰める。

 こうして、三人が乗った8輪装甲車は、操縦者を代えて再び北西へと動き出した。



 ***

 遡る事3週間前。

 イレオンの森を出発して約50日が経過した頃、柊也達三人は大きな問題に直面していた。

「…うーん、これ、どうすればいいんだ?」

 顎に手を当て、顔を顰める柊也の目の前には、滔々と流れる大河が横たわっていた。川の流れは緩やかではあったが、水深が深く、歩いて渡る事はできない。右腕を使って舟で渡るしかなさそうだが…。

「…」

 柊也は後ろを向いて黙り込む。そこには、これまで乗ってきた馬達が、草を食んでいた。

 馬を対岸に連れて行く方法が、思いつかなかった。右腕の制限の中で取り出せるのはせいぜいゴムボートだが、馬を乗せるのには無理がある。もしかしたら乗馬したまま渡河もできるのではないかと書物を漁ってみたが、確証のある情報を得る事ができない。シモンやセレーネの命を賭けてまで挑戦するわけにも、いかなかった。

 結局その日は妙案が出ず、一行はそのまま川沿いにテントを張って一夜を過ごす事になった。



 夜になっても、柊也は渡河の方法について考えを募らせていた。風呂上がりのシモンとセレーネに何種類かのメニューを渡すと、夕飯を何にするか白熱した議論を始める二人をそのままにして、柊也はテントを出る。そして、目の前に広がる大河をぼんやりと眺めていた。この時、柊也の頭の中は、夕食の料理と渡河の方法が入り混じっていた。

 やがて、熾烈なじゃんけんの末、勝利を収めたシモンが、テントから顔を出す。

「トウヤ、今晩はトンカツにしてくれ。…トウヤ?」
「シモンさん、せめてエビフライを付けて下さい。シモンさぁん」

 セレーネの妥協案を無視して自分の望みを口にしたシモンだったが、柊也は二人に気づかず、背を向けたまま大河を眺めている。それを見たシモンは笑みを浮かべると、音を立てずに柊也の背後に忍び寄り、柊也の耳元で甘え声を上げた。

「…ごはぁぁぁん…」
「おおぅ!?」

 耳元に暖かい吐息を吹きかけられた柊也は飛び上がり、脳内に駆け巡っていた夕食の料理が、右腕から雪崩を打つ。ハンバーグやらピザやらラーメンやらが右腕から落ち、地面でけたたましい音を立てる。

「あ…」
「…」

 シモンが焦った顔で手を口元に当て、柊也が地面に散らばった料理を呆然と見ている。その柊也の表情をシモンが窺いながら、恐る恐る謝罪の言葉を口にした。

「あ、あの、すまない、トウヤ」
「…」

 まるで躾に怯える子犬の様に首を垂れるシモン。しかし、柊也はそんなシモンに目もくれず、じっと地面を見ている。

「…トウヤ?」
「…」

 シモンの問いかけに応えず、柊也は地面を見つめたまま数歩、前に進む。そして再び柊也の右腕から、新たな物体が地面に落ちる。鈍い音を立てて地面に転がった物は、シモンが初めて見る重い球体、ボーリングの球だった。

「トウヤ?どうしたんだ?」
「トウヤさん?」

 小首を傾げるシモンとセレーネの前で、柊也はさらに数歩ほど前に進む。そして今度は突然、右腕から、柊也の胴体ほどもある太い鉄骨が出現し、地面に突き立った。

「…あああ?」
「ト、トウヤ!?」

 慌てて駆けよろうとするシモンの目の前で、柊也は鉄骨と寄り添うようにして仰向けに倒れ込む。驚くシモンの足元で地面に寝転がった柊也が、シモンを見上げながら口を開いた。

「シモン、すまん。引っ張り上げてくれ」
「え?ああ、わかった…ちょっと、これ、重…」

 シモンは腰を屈めて柊也を引き上げようとするが、獣人の膂力をもってしても柊也の体が重く、起き上がらせる事ができない。四苦八苦の末、後ろに引き摺って、右腕に引っ掛かっていた鉄骨を全て取り出す事で、ようやく柊也を起こす事ができた。

 三人の目の前には、長さ2mはあろうかという、太い鉄骨が横たわっていた。柊也は勿論、シモンでさえも一人で持ち上げられないほどの重量がある。

「…これで、どうにかなりそうだ」
「トウヤ?」
「トウヤさん?」

 鉄骨を前にして安堵の声を上げる柊也を、シモンとセレーネは訝し気に眺めていた。



 ***

 翌日、一行は野営した場所から3kmほど進んだ場所に移動していた。そこには小高い丘があり、一方は崖のような急な斜面となっていた。

 柊也は、丘から離れた所に馬を置き、セレーネに馬の面倒を頼むと、シモンと二人で丘へと登って行く。

「トウヤさぁん、お腹が空いちゃうよぉ…」
「すまん、セレーネ。今回は我慢してくれ。後でまた朝食を出してやるから」

 2m以上離れる事を知ったセレーネが情けない声を上げるが、今回に限ってはセレーネに我慢してもらう。こうして丘に登った柊也は、シモンへと振り向き、自分の身を託す。

「シモン。俺が丘から落ちないように、しっかりと掴まえていてくれ」
「わかった」

 そうシモンへ伝えると、柊也はシモンに支えられたまま、切り立った斜面から身を乗り出し、右腕を斜面の下へと向けた。



 途端、凄まじい地響きとともに、巨大な物体が右腕から飛び出し、斜面を削りながら滑り落ちていく。

「どわああああ!」
「トウヤ!危ない!」

 そのあまりの振動に柊也がバランスを崩し、シモンが力いっぱい柊也を引っ張って、二人はシモンが下敷きになる形で地面に尻餅をついた。地上では馬が暴れ、セレーネが慌てて馬達を宥めまわった。

「痛たたた…、トウヤ、大丈夫か?」
「な、何とか。すまんな、シモン。それより、急いで地面に戻りたい。5分以内に戻らないと、せっかく出した物が消えてしまう」
「わかった。トウヤ、しっかり掴まってくれ」

 そう答えると、シモンはトウヤを横抱きに抱え上げ、獣人の運動能力をフル活用して丘を駆け下りる。そして斜面の麓に滑り落ちた物体に駆け寄り、柊也を下ろした。

「これは、一体…」

 目の前に出現した巨大な物体を見上げ、シモンが呆然と呟く。それは、大きさで言えば、尻尾のないアースドラゴン並みの、巨大な鉄の塊だった。強いて言えば馬車の様な形状をしているが、四方が全て分厚い鉄の塊で覆われており、車輪が8個も付いている。どう転んでも、馬で引ける大きさではなかった。口を開けて見上げていたシモンの隣で、柊也が答えた。

「これは、装甲車と呼ばれる、向こうの軍事兵器だ。これからは、これで移動しよう」
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