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第5章 西誅
92:届かぬ声
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「…ちっ。思い切りが良いな…」
「トウヤ?」
遥か地平の彼方に立ち昇る複数の黒煙を見て、柊也が舌打ちした。
柊也の舌打ちに気づいたシモンが声をかけるが、柊也は返事をせず、グラシアノの下へと向かう。シモンが、その後を慌てて追いかけた。
「グラシアノ殿」
「おお、どうした?トウヤ殿」
駆け寄ってきた柊也の姿を見て、グラシアノが声をかける。そのグラシアノに対し、柊也はすぐに指示を出す。
「グラシアノ殿、全軍、すぐにティグリの森へと向かう。奴ら、モノへ撤退するつもりだ」
「何!?」
グラシアノは慌てて柊也に真意を尋ねる。つい先ほどの斥候の報告では、まだ西誅軍が森に入ったという事しかわかっていなかった。
「何故、奴らが撤退するとわかったのだ?トウヤ殿」
グラシアノの問いに、柊也は左手を上げて、地平の彼方に上がる複数の黒煙を指差す。
「あの煙だ。あれは、おそらく奴らがティグリの森に火を放ったものだ」
「何だと!?」
柊也の説明を聞いて、グラシアノが目を剥き、眉が逆立つ。自分達の揺り籠である森に火を放つという暴挙に、一瞬で堪忍袋の緒が吹き飛んだ。
「奴らは、罠に掛かった。ただ、その場で留まろうとせず、即座に撤退を決断したのだろう。あの黒煙は、我々に対する腹いせだ。まんまと引っかかって頭に血が上ったのだろうよ。でなければ、火をつける理由がない」
何も問題が起きていなければ、わざわざ自らの補給地を焼き討ちする必要がない。占領できなくなったから、腹いせに火をつけたのだ。そして、火をつけたのであれば、撤退する他に選択肢はなかった。柊也は、怒りに身を震わせるグラシアノを労わるように声をかける。
「グラシアノ殿、ティグリのエルフ達の無念は、良くわかる。しかし、今は堪えてくれ。今は森の事より、奴らとの決着を優先してくれ」
「…わかった、トウヤ殿」
グラシアノは暫く黒煙を睨みつけていたが、やがて大きく溜息をつくと、柊也に向かって頷く。そして、周囲のエルフ達に出立の準備を命じた。
「トウヤ、乗ってくれ」
馬を引いてきたシモンに促され、柊也が馬に跨る。右腕のない柊也は一人で馬には乗れず、ほとんどシモンが柊也を抱え上げるようにして、柊也を跨らせていた。柊也が鞍の後部に無事に腰を落とした事を見届けたシモンは、鐙に左足を引っかけると右足を蹴り上げ、大きな弧を描いて馬に跨る。こちらは柊也とは異なり、華麗で非常にさまになっていた。あまりの華麗さに、柊也は思わず、目の前を大胆に通り過ぎ、その後も前のめりとなって腰を浮かし柊也を挑発する、シモンの張りのある尻をまじまじと眺めてしまう。
「トウヤ。ベルトを腰に回してくれ」
「あ?ああ、わかった」
シモンが後ろを振り向き、右手を伸ばす。遅れて気づいた柊也は、慌てて右肩を突き出し、シモンは柊也の右肩に括り付けられた革ベルトを自分の腰へと回し、そのまま柊也の左手に握らせる。柊也は左手で革ベルトを手繰り寄せ、シモンの腰にしっかりとしがみ付いた。
「トウヤ殿、本隊の準備が完了したぞ」
グラシアノが馬を駆って柊也へと近づき、声をかけた。柊也は、シモンの背中に頬ずりしたまま、グラシアノに顔を向けて頷く。
「了解した。ティグリの森をかすめる様に進み、敵の本隊を捕捉してくれ」
「わかった」
グラシアノの掛け声とともに、ティグリの本隊4,500が、ティグリの森へと一斉に駆け出した。
3日後、ティグリの本隊は、ついに西誅軍を捕捉した。
出立した翌日、一行はティグリの森の脇を通過する。未だ多くの煙が立ち上り、辺りに焼け焦げた臭いが漂う自分達の故郷を前にティグリのエルフ達は、皆顔を歪め、後ろ髪を引かれる思いで森を見続けていたが、一度も立ち止まらないまま森を通り過ぎる。そして、その翌々日の朝、一行は地平の彼方に大勢の人影を見つけた。
「セレーネ、どうだ?あれが西誅軍か?」
柊也が、並走するセレーネに尋ねる。セレーネは馬を駆けながら身を乗り出し、前方を凝視していたが、やがて柊也の方を向いて頷いた。
「はい。あれは、人族の集団です。西誅軍に間違いありません」
「数は?」
「少なく見積もっても3万以上いますね」
「了解した。セレーネ、グラシアノ殿に軍を停止させるよう伝えてくれ」
「わかりました」
柊也の依頼にセレーネは頷くと、馬を駆ってグラシアノの下へと向かう。やがて、一行は地平の彼方に西誅軍の姿を捉えたまま、進軍を停止した。
馬を駆って近づいて来るグラシアノに、柊也が口を開く。
「グラシアノ殿。100名程ここに残して、奴らを追跡させてくれ。残りは、先回りして別動隊と合流する」
「奴らを此処で叩かなくて良いのか?」
グラシアノの問いに、柊也は頭を振る。
「放っておけ。放っておけばそのうちに死ぬ」
「…」
「奴ら、だいぶ消耗している。こちらが全員騎馬とは言え、奴ら3日かけながら2日分の行程しか進んでいない。このまま行けば、更に消耗する。あれだけ頑張って帰ろうとしているんだ。せめてモノに辿り着くまでは、希望を持たせてやれ」
「…わかった」
柊也の発言の恐ろしさに、グラシアノは内心で身震いをしながら頷いた。グラシアノの内心の葛藤を無視して、柊也は言葉を続ける。
「一旦、奴らの視界から離れ、迂回する。そして別動隊と合流するぞ。モノに罠を仕込めたか、まだわかっていないからな。一刻も早く確認したい」
「了解した」
やがて、100名程の偵察隊を残置した一行は、北西に大きく進路を変えると西誅軍から離れて身を隠す。そして再び南西へと進路を変え、一目散にモノへと向かった。
3日後、グラシアノ率いる本隊とヘルマン率いる別動隊は、モノの北西で無事合流を果たした。
「族長、ご無事で」
「ヘルマン、よくぞ任務を成功させてくれた」
駆け寄ってきたヘルマンの肩をグラシアノは叩き、任務の遂行を労う。それに対し、ヘルマンは苦笑しながら言葉を返した。グラシアノの後ろから、柊也とシモン、セレーネがついて来る。
「いえ、我々の功績ではありません。ラトンのエルフ達が、モノを奪還してくれたおかげです」
「何?ラトンが?…そうか、いずれ礼に伺わないといかんな」
グラシアノはラトンの森の方角を向き、目を細めた。
「それで、モノの被害はどうだ?どれだけ生き残っている?」
グラシアノの問いに、ヘルマンは一転して顔を歪め、俯く。
「酷い有様です。辛うじて女子供3,000弱が生き残っていましたが、そのほとんどが人族の暴行を受け、生きる望みを失っています」
「何という事だ、…人族の悪魔どもが!」
ヘルマンの報告を聞いて、グラシアノは目を剥き、固く握りしめた拳に更なる力を籠める。その姿を視界の隅に捉えながら、柊也はヘルマンに問いかけた。
「ヘルマン殿、奴らに関する新たな情報は、ありますか?」
柊也の問いに、ヘルマンは首肯する。ヘルマンと無事に再会できた事で緊張がほぐれ、柊也の口調はいつの間にか丁寧語に戻っていた。
「ああ、捕虜から少しだけ情報を得る事ができた。奴らはエーデルシュタインとカラディナの混成軍で、モノ襲撃時の数は、およそ50,000。総指揮は、エーデルシュタインの王太子だそうだ」
「王太子?…リヒャルト殿下か…」
総指揮官の名を聞いて呟いた柊也を、グラシアノが訝し気に見る。
「トウヤ殿、エーデルシュタインの王太子を知っているのか?」
「え?ああ。実は少しだけ面識があります。おそらくあちらは、すでに忘れているでしょうが」
グラシアノの問いに、柊也は苦笑しながら答える。覚えているわけがない。向こうからすれば、自分は死んだ身なのだから。…しかし。
柊也は真顔になり、考えに沈む。相手がリヒャルトとなると、自分の正体を明かすわけにはいかない。自分が生きている事を知られたら最後、リヒャルトは憎悪を剥き出しにして、再び大草原に軍を送るだろう。成算は二の次で、とにかく感情に身を任せる事になる。大草原に余計な厄災を招く事に他ならず、それは避けなければならない。
二人の前で暫く俯いて考えていた柊也だったが、やがて頷いて、独り言ちた。
「…ま、それは、生きて捕らえた時に考えればいいか」
柊也は一人で納得すると、ヘルマンに尋ねる。
「捕虜は何処にいますか?少し話してみたいのですが」
そう尋ねられたヘルマンは、頭を振った。
「すまない。捕虜はラトンに連れて行ってしまったんだ。こうなるのであれば、引き留めておけば良かったな」
「ああ、いいですよ。ちょっと話してみようと思っただけなので。いなければ、別に構いません」
ヘルマンの謝罪に柊也は左手を振り、困ったように笑みを浮かべる。そして、グラシアノの方を向き、口を開く。
「さて、とりあえず罠は完成しましたし、あちらさんが来るのを待ちましょう。我々は一旦モノから離れ、偵察の報告を待ちます」
「わかった」
柊也の言葉に、グラシアノが頷く。そこにヘルマンが口を挟んだ。
「トウヤ殿、奴らがモノに入った後は、どうするのだ?」
ヘルマンの問いに、柊也は笑みを浮かべる。
「とりあえずモノの南に回り、森が見えるギリギリの所に陣を張り、そのまま待ちます」
「…それで?」
ヘルマンの追求に、柊也は笑みを浮かべたまま、答える。
「何もしません」
「…何!?」
「トウヤ殿!?」
ヘルマンはもちろん、グラシアノまで、柊也に縋るように尋ねる。それに対し、柊也はあくまで笑みを浮かべたまま、説明を続ける。
「放っておけば、奴らは死にます。であれば、わざわざあなた方が手を出す必要はない。遠巻きに様子を見ているだけで十分です」
「し、しかし…」
狼狽えるヘルマンに、柊也はあくまで丁寧な口調で説明をする。
「私は、あなた方の命を、奴らの命と等価で交換するつもりはありません。時間が経てば、あちらの値段は暴落します。そんなのを相手にしては、あなた方の命が勿体ない」
「では、奴らが討って出てきたら、どうするのだ!?」
思わず、ヘルマンが声を張り上げる。しかし。
「逃げて下さい」
「な!?」
何処までも丁寧な言葉が、ヘルマンの前に立ちはだかる。
「奴らが討って出てきたら、迷わず逃げて下さい。…ああ、馬だけは射殺して下さい。後は逃げるだけで結構です」
「奴らがそのまま、セント=ヌーヴェルへ向かってもか!?」
「ええ。どうせ、途中で力尽きます」
「…」
最早、柊也が自分の声の届かない所にいるような感覚を覚え、ヘルマンは力なく俯く。そんなヘルマンを、グラシアノは沈痛な面持ちで見つめている。
そして、何処までも笑みを浮かべている柊也の横顔を、セレーネは呆然と、シモンは目に涙を浮かべたまま、じっと眺めていた。
「トウヤ?」
遥か地平の彼方に立ち昇る複数の黒煙を見て、柊也が舌打ちした。
柊也の舌打ちに気づいたシモンが声をかけるが、柊也は返事をせず、グラシアノの下へと向かう。シモンが、その後を慌てて追いかけた。
「グラシアノ殿」
「おお、どうした?トウヤ殿」
駆け寄ってきた柊也の姿を見て、グラシアノが声をかける。そのグラシアノに対し、柊也はすぐに指示を出す。
「グラシアノ殿、全軍、すぐにティグリの森へと向かう。奴ら、モノへ撤退するつもりだ」
「何!?」
グラシアノは慌てて柊也に真意を尋ねる。つい先ほどの斥候の報告では、まだ西誅軍が森に入ったという事しかわかっていなかった。
「何故、奴らが撤退するとわかったのだ?トウヤ殿」
グラシアノの問いに、柊也は左手を上げて、地平の彼方に上がる複数の黒煙を指差す。
「あの煙だ。あれは、おそらく奴らがティグリの森に火を放ったものだ」
「何だと!?」
柊也の説明を聞いて、グラシアノが目を剥き、眉が逆立つ。自分達の揺り籠である森に火を放つという暴挙に、一瞬で堪忍袋の緒が吹き飛んだ。
「奴らは、罠に掛かった。ただ、その場で留まろうとせず、即座に撤退を決断したのだろう。あの黒煙は、我々に対する腹いせだ。まんまと引っかかって頭に血が上ったのだろうよ。でなければ、火をつける理由がない」
何も問題が起きていなければ、わざわざ自らの補給地を焼き討ちする必要がない。占領できなくなったから、腹いせに火をつけたのだ。そして、火をつけたのであれば、撤退する他に選択肢はなかった。柊也は、怒りに身を震わせるグラシアノを労わるように声をかける。
「グラシアノ殿、ティグリのエルフ達の無念は、良くわかる。しかし、今は堪えてくれ。今は森の事より、奴らとの決着を優先してくれ」
「…わかった、トウヤ殿」
グラシアノは暫く黒煙を睨みつけていたが、やがて大きく溜息をつくと、柊也に向かって頷く。そして、周囲のエルフ達に出立の準備を命じた。
「トウヤ、乗ってくれ」
馬を引いてきたシモンに促され、柊也が馬に跨る。右腕のない柊也は一人で馬には乗れず、ほとんどシモンが柊也を抱え上げるようにして、柊也を跨らせていた。柊也が鞍の後部に無事に腰を落とした事を見届けたシモンは、鐙に左足を引っかけると右足を蹴り上げ、大きな弧を描いて馬に跨る。こちらは柊也とは異なり、華麗で非常にさまになっていた。あまりの華麗さに、柊也は思わず、目の前を大胆に通り過ぎ、その後も前のめりとなって腰を浮かし柊也を挑発する、シモンの張りのある尻をまじまじと眺めてしまう。
「トウヤ。ベルトを腰に回してくれ」
「あ?ああ、わかった」
シモンが後ろを振り向き、右手を伸ばす。遅れて気づいた柊也は、慌てて右肩を突き出し、シモンは柊也の右肩に括り付けられた革ベルトを自分の腰へと回し、そのまま柊也の左手に握らせる。柊也は左手で革ベルトを手繰り寄せ、シモンの腰にしっかりとしがみ付いた。
「トウヤ殿、本隊の準備が完了したぞ」
グラシアノが馬を駆って柊也へと近づき、声をかけた。柊也は、シモンの背中に頬ずりしたまま、グラシアノに顔を向けて頷く。
「了解した。ティグリの森をかすめる様に進み、敵の本隊を捕捉してくれ」
「わかった」
グラシアノの掛け声とともに、ティグリの本隊4,500が、ティグリの森へと一斉に駆け出した。
3日後、ティグリの本隊は、ついに西誅軍を捕捉した。
出立した翌日、一行はティグリの森の脇を通過する。未だ多くの煙が立ち上り、辺りに焼け焦げた臭いが漂う自分達の故郷を前にティグリのエルフ達は、皆顔を歪め、後ろ髪を引かれる思いで森を見続けていたが、一度も立ち止まらないまま森を通り過ぎる。そして、その翌々日の朝、一行は地平の彼方に大勢の人影を見つけた。
「セレーネ、どうだ?あれが西誅軍か?」
柊也が、並走するセレーネに尋ねる。セレーネは馬を駆けながら身を乗り出し、前方を凝視していたが、やがて柊也の方を向いて頷いた。
「はい。あれは、人族の集団です。西誅軍に間違いありません」
「数は?」
「少なく見積もっても3万以上いますね」
「了解した。セレーネ、グラシアノ殿に軍を停止させるよう伝えてくれ」
「わかりました」
柊也の依頼にセレーネは頷くと、馬を駆ってグラシアノの下へと向かう。やがて、一行は地平の彼方に西誅軍の姿を捉えたまま、進軍を停止した。
馬を駆って近づいて来るグラシアノに、柊也が口を開く。
「グラシアノ殿。100名程ここに残して、奴らを追跡させてくれ。残りは、先回りして別動隊と合流する」
「奴らを此処で叩かなくて良いのか?」
グラシアノの問いに、柊也は頭を振る。
「放っておけ。放っておけばそのうちに死ぬ」
「…」
「奴ら、だいぶ消耗している。こちらが全員騎馬とは言え、奴ら3日かけながら2日分の行程しか進んでいない。このまま行けば、更に消耗する。あれだけ頑張って帰ろうとしているんだ。せめてモノに辿り着くまでは、希望を持たせてやれ」
「…わかった」
柊也の発言の恐ろしさに、グラシアノは内心で身震いをしながら頷いた。グラシアノの内心の葛藤を無視して、柊也は言葉を続ける。
「一旦、奴らの視界から離れ、迂回する。そして別動隊と合流するぞ。モノに罠を仕込めたか、まだわかっていないからな。一刻も早く確認したい」
「了解した」
やがて、100名程の偵察隊を残置した一行は、北西に大きく進路を変えると西誅軍から離れて身を隠す。そして再び南西へと進路を変え、一目散にモノへと向かった。
3日後、グラシアノ率いる本隊とヘルマン率いる別動隊は、モノの北西で無事合流を果たした。
「族長、ご無事で」
「ヘルマン、よくぞ任務を成功させてくれた」
駆け寄ってきたヘルマンの肩をグラシアノは叩き、任務の遂行を労う。それに対し、ヘルマンは苦笑しながら言葉を返した。グラシアノの後ろから、柊也とシモン、セレーネがついて来る。
「いえ、我々の功績ではありません。ラトンのエルフ達が、モノを奪還してくれたおかげです」
「何?ラトンが?…そうか、いずれ礼に伺わないといかんな」
グラシアノはラトンの森の方角を向き、目を細めた。
「それで、モノの被害はどうだ?どれだけ生き残っている?」
グラシアノの問いに、ヘルマンは一転して顔を歪め、俯く。
「酷い有様です。辛うじて女子供3,000弱が生き残っていましたが、そのほとんどが人族の暴行を受け、生きる望みを失っています」
「何という事だ、…人族の悪魔どもが!」
ヘルマンの報告を聞いて、グラシアノは目を剥き、固く握りしめた拳に更なる力を籠める。その姿を視界の隅に捉えながら、柊也はヘルマンに問いかけた。
「ヘルマン殿、奴らに関する新たな情報は、ありますか?」
柊也の問いに、ヘルマンは首肯する。ヘルマンと無事に再会できた事で緊張がほぐれ、柊也の口調はいつの間にか丁寧語に戻っていた。
「ああ、捕虜から少しだけ情報を得る事ができた。奴らはエーデルシュタインとカラディナの混成軍で、モノ襲撃時の数は、およそ50,000。総指揮は、エーデルシュタインの王太子だそうだ」
「王太子?…リヒャルト殿下か…」
総指揮官の名を聞いて呟いた柊也を、グラシアノが訝し気に見る。
「トウヤ殿、エーデルシュタインの王太子を知っているのか?」
「え?ああ。実は少しだけ面識があります。おそらくあちらは、すでに忘れているでしょうが」
グラシアノの問いに、柊也は苦笑しながら答える。覚えているわけがない。向こうからすれば、自分は死んだ身なのだから。…しかし。
柊也は真顔になり、考えに沈む。相手がリヒャルトとなると、自分の正体を明かすわけにはいかない。自分が生きている事を知られたら最後、リヒャルトは憎悪を剥き出しにして、再び大草原に軍を送るだろう。成算は二の次で、とにかく感情に身を任せる事になる。大草原に余計な厄災を招く事に他ならず、それは避けなければならない。
二人の前で暫く俯いて考えていた柊也だったが、やがて頷いて、独り言ちた。
「…ま、それは、生きて捕らえた時に考えればいいか」
柊也は一人で納得すると、ヘルマンに尋ねる。
「捕虜は何処にいますか?少し話してみたいのですが」
そう尋ねられたヘルマンは、頭を振った。
「すまない。捕虜はラトンに連れて行ってしまったんだ。こうなるのであれば、引き留めておけば良かったな」
「ああ、いいですよ。ちょっと話してみようと思っただけなので。いなければ、別に構いません」
ヘルマンの謝罪に柊也は左手を振り、困ったように笑みを浮かべる。そして、グラシアノの方を向き、口を開く。
「さて、とりあえず罠は完成しましたし、あちらさんが来るのを待ちましょう。我々は一旦モノから離れ、偵察の報告を待ちます」
「わかった」
柊也の言葉に、グラシアノが頷く。そこにヘルマンが口を挟んだ。
「トウヤ殿、奴らがモノに入った後は、どうするのだ?」
ヘルマンの問いに、柊也は笑みを浮かべる。
「とりあえずモノの南に回り、森が見えるギリギリの所に陣を張り、そのまま待ちます」
「…それで?」
ヘルマンの追求に、柊也は笑みを浮かべたまま、答える。
「何もしません」
「…何!?」
「トウヤ殿!?」
ヘルマンはもちろん、グラシアノまで、柊也に縋るように尋ねる。それに対し、柊也はあくまで笑みを浮かべたまま、説明を続ける。
「放っておけば、奴らは死にます。であれば、わざわざあなた方が手を出す必要はない。遠巻きに様子を見ているだけで十分です」
「し、しかし…」
狼狽えるヘルマンに、柊也はあくまで丁寧な口調で説明をする。
「私は、あなた方の命を、奴らの命と等価で交換するつもりはありません。時間が経てば、あちらの値段は暴落します。そんなのを相手にしては、あなた方の命が勿体ない」
「では、奴らが討って出てきたら、どうするのだ!?」
思わず、ヘルマンが声を張り上げる。しかし。
「逃げて下さい」
「な!?」
何処までも丁寧な言葉が、ヘルマンの前に立ちはだかる。
「奴らが討って出てきたら、迷わず逃げて下さい。…ああ、馬だけは射殺して下さい。後は逃げるだけで結構です」
「奴らがそのまま、セント=ヌーヴェルへ向かってもか!?」
「ええ。どうせ、途中で力尽きます」
「…」
最早、柊也が自分の声の届かない所にいるような感覚を覚え、ヘルマンは力なく俯く。そんなヘルマンを、グラシアノは沈痛な面持ちで見つめている。
そして、何処までも笑みを浮かべている柊也の横顔を、セレーネは呆然と、シモンは目に涙を浮かべたまま、じっと眺めていた。
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