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第3章 初陣

43:北伐

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 美香がロックドラゴンを撃破したとの報を耳にした教皇フランチェスコは、驚喜した。5ヶ月前に美香が悲しみに暮れ、ヴェルツブルグから逃げるようにハーデンブルグへ旅立つと知った時、フランチェスコは、これで年内はこれ以上の動きはないだろうと諦めていたのだ。しかし予想は大きく覆され、年の瀬までまだ1ヶ月も残しての、ロックドラゴン討伐の報である。王太子リヒャルトからの報告では未だ完全復調していないとの事だが、逆に言えば復調していない中でロックドラゴンを単独撃破できてしまうのだから、フランチェスコの中で彼女の評価が天井知らずになってしまう事も致し方なかった。

「それで、ミカ殿のご様子は?」
「通称『ロザリアの槍』を放った後は流石に動けなくなったようですが、後遺症もなく、翌日にはご自身で行動されていたそうです。発動条件がどうなっているか未だ解明できておりませんが、今後も発動できる可能性は十分にあります」
「そうですか、それは良かった。前回の北伐でも、ロックドラゴンに匹敵する魔物は多数確認されており、遠征軍は多大な損害を被りました。その全てが無理であっても、文字通り彼女が遠征軍の槍となってS級の何体かを撃破してくれれば遠征軍は発奮し、ロザリア様の加護の下、きっと遠征は成功する事でしょう。今度こそ失われたエミリア様の森を奪還し、人族の繁栄を取り戻すのです」

 フランチェスコはそう述べ、芯から湧き上がる歓喜の念に体を震わせる。ロザリア教の知る限り、S級を単独撃破した者は、過去に一人もいない。その者と巡り合う事ができた自身の幸運を、フランチェスコはロザリア様に感謝し、この幸運こそが北伐成功の福音であると信じていた。

 北伐には、そもそも2つの意義があった。1つはガリエルを討伐し、人族の繁栄を取り戻す事。もう1つが失われたエミリアの森を奪還する事である。

 実は人族は、昔は現在よりももっと北方の豊かな土地「エミリアの森」で生活していた。しかし7,000年ほど前から始まった寒冷化及び魔物の南下によって、人族は土地を追われ、流浪の民となる。その後数百年に渡り北部からの圧力に押される形で人族は南下を続けていたが、現在のヴェルツブルグでロザリアの聖遺物と出会い、聖遺物が齎す素質の恩恵により、ようやく魔物を跳ね返す事ができるようになったのだ。魔物を跳ね返し安住の地を得た人族は新たに中原暦を創設し、「中原」と呼ぶようになった一帯にいくつかの国を建国して、以来共同で北との対決に当たってきた。ロザリア教も、聖遺物を元に同時期に勃興した宗教である。

 フランチェスコは教会幹部を集め、北伐の実施時期について協議を行う。現在は、ガリエルの第2月(日本の11月に相当)である。年内には特使を各所に派遣し、ガリエルの第4月(感謝祭明け、日本の1月に相当)のうちに各国首脳部の同意を取り付け、準備を開始する。民衆への北伐の発表はロザリアの第1月(日本の4月に相当)となり、北伐はロザリアの第2月から第3月(日本の5~6月に相当)にかけ準備ができた国から順次出立する事で決まった。

 代々、北伐は人族の共同の遠征として行われていたが、同時期に各国が遠征軍をエミリアの森に向け国毎に派遣するという手法を繰り返している。文明が地球で言う中世レベルで交通、情報伝達に難がある事と、中原三国が目的地であるエミリアの森から見て横に広がり過ぎており、1箇所に集合してから出立するという手法が取れないからである。エミリアの森は、エーデルシュタインから見ればほぼ真北にあるが、カラディナからだと北東、セント=ヌーヴェルやエルフの生活圏から行く場合は、山脈の関係で一度東南東に進み、弧を描きながら東北東に進むことになる。そのため、各国とも独自の進路を通って独立行動を行う事になっていた。なお、南方の小国家群については、兵は出さずに物資や資金を提供する事になる。

 フランチェスコの特使は、お膝元であるヴェルツブルグのエーデルシュタイン王家にはガリエルの第2月中に到着し、早々に王家より同意を得た。この2者については、同じ場所にある事もあり、阿吽の呼吸ができている。残りの国々についても、これまで北伐の実施で反対が出た事はない。時間がかかる事だけの問題であった。



 ***

 ロザリア教の特使を迎えたカラディナ共和国では、感謝祭が数日後に迫る中、「六柱」と呼ばれる共和国の有力6家が一堂に集まり、2日間に渡って協議を行っていた。カラディナ共和国は一院制の議会政治であるが、その議員達はほぼ全員が「六柱」のいずれかに属しており、事実上の寡頭制となっていた。

「さて、そろそろ結論をまとめよう」

「六柱」の中で筆頭格に当たるジェローム・バスチェが、一同を見回して口を開く。

「今回の北伐には、我が国は総勢12,000名の兵を派遣する。内訳は正規兵が8,000名、ハンターが4,000名だ。出立は、ロザリアの第3月10日としよう」

 ジェロームの発言に、一同は頷く。2日間に渡った協議が功を奏し、異論は何処からも挙がらなかった。ジェロームが言葉を続ける。

「教会から兵の少なさを指摘されるだろうが、南部の魔物の蠢動に兵を割かれていると弁明する。代わりに我が国から物資の拠出を申し出れば、おそらく収まるはずだ。民衆から戦時徴税を行う特別法を議会に提出し可決させるので、方々、物資の供給をよろしく頼む」

 これにも一同から異論は出ない。徴税で集まった資金を、「六柱」が持つ物資と引き換えに分配する方便だった。

 今回カラディナが派遣する兵の数は、国力に比べるとかなり少ない。今回エーデルシュタインが決定した派兵数は、正規兵21,000名、ハンターが4,000名の合計25,000名。エーデルシュタインと比べ国力が8割と言われているカラディナだが、ハンターの数はともかく、正規兵はエーデルシュタインの4割しか用意していなかった。

 カラディナは共和国であったが、それは「六柱」が互いの利益を守るために作り上げた政治形態だった。カラディナにおいては、「六柱」の利益が最優先される。北伐については、人族が一致団結してあたる共同事業であるため、カラディナももちろん参加するが、その中においても「六柱」の利益を追求し続ける。

 戦時徴税の分配だけでは足らない。「六柱」はこの後も北伐を利用して更なる利益を追求すべく、蠢動する事になる。



 ***

 セント=ヌーヴェル王国の宮廷においても、ロザリア教の特使を迎え、国王が派兵への快諾を伝えていた。

「特使殿、遠路はるばるご苦労だった。此度の北伐、我が国も喜んで参加しよう」

 セント=ヌーヴェルの国王パトリシオ3世が端正な顔に笑みを浮かべ、気前よく返事をする。パトリシオ3世は27歳。中原3国の指導者の中で最も若い。3年前に早世した父に代わって王座に就き、以来、親孝行とばかりに父王がやり残した課題に精力的に取り組み、政務をこなしていた。

「ありがとうございます。ロザリア様もその言葉を聞いて、さぞお喜びになられるでしょう」
「当然の事だ。『北伐』の成功は人族の悲願だからな。立場が許されるなら、私も従軍したいくらいだ」

 そう言うと、パトリシオ3世は闊達に笑った。特使も社交辞令ではあるが、笑みを浮かべる。

「その志、良き事でございます。して、派兵にあたって、貴国はいかほどの兵力となりますでしょうか」
「そうだな…、エーデルシュタイン王国はどの程度を予定されている?」
「私が伺ったところでは、正規兵・ハンター合わせて25,000と聞いております」
「25,000か…。よかろう、我が国は18,000だな。正規兵15,000、ハンター3,000としよう」

 パトリシオ3世は、即断する。重臣に一言も断りなく回答する辺り未熟さが見えるが、重臣達もその場では諫めなかった。国王がすでに口に出した事を引っ込めるのは極力避けるべきだし、兵数としても桁外れというわけではなく、重臣を交えて協議してもその辺りで落ち着くと予想された。特使が帰った後、今後は国王に重要な決定は即答しないよう、釘を刺せば良い程度である。

「ロザリアの第2月1日には出立できるよう、努力しよう」
「ありがとうございます。陛下の信心深さには、猊下もお喜びになられるでしょう」

 パトリシオ3世は景気よく特使に伝え、重臣達は国王に刺す釘をもう1本用意した。



 ***

 エーデルシュタインから最も遠い、エルフの生活圏に特使が到着したのは、ガリエルの第4月の最終週だった。応対したエルフの一氏族、モノ族の族長は、特使に対し3週間後の回答を約束し、その間一族に歓待を命ずる。そして他の七氏族に使いを走らせ、自身は八氏族との協議のため、歩いて5日はかかる会場へと向かった。

 エルフは現在八氏族に分かれており、こういったエルフ全体で取り決めるべき事は族長同士の合議で決定される。合議会場は各氏族の居住地から大体等距離にあり、全氏族の族長が集まったのは2週間後だった。

 集まるのには2週間かかったが、結論を出すには、3時間もかからなかった。

「前回の北伐は、モノ、ガトー、イレオンの三氏族だったからな。今回は、ラトン、ティグリ、セルピェンだな」
「人数は、各々1,000で。残りの氏族で物資は用意しよう」
「率いるのは誰だ?」
「我々ラトンは、ミゲルだ」
「我々ティグリは、セレーネが率いる。そろそろ、あれも人の上に立って行動すべきだろう」
「ならばセルピェンからは、チコを出そう。チコならば、ラトンやティグリが苦境に立っても、皆を救い出せるだろう」
「おお、チコ殿が同行してくれるのか、それは頼もしい。何かあった時は、よろしくお願いする」
「ああ、任せてくれ」

 八氏族の族長達は互いに肩を叩き、気さくに話し合っている。エルフの氏族は血筋や居住地が離れているだけで、互いがいがみ合っているわけではない。エルフという種族は、一枚岩で存在していた。

「ここは遠方だからな、ガリエルの第6月には出立しよう。モノの居住地に、ガリエルの第6月の頭に集合でどうだ?」
「了解した。残余の五氏族は、それまでにモノに物資を届けておいてくれ」

 セルピェンの族長が、話を持ってきたモノの族長に声をかける。

「ガスパル殿、特使殿に伝言を依頼したい。セント=ヌーヴェルの王家に、ロザリアの第1月の末には集合場所へ到着すると言付をお願いしてくれ」
「了解した。セント=ヌーヴェルの国王、ええと、今は何という名だったか?」
「確かロドリゴ5世じゃなかったか?」
「違うぞ、ガトーの。ロドリゴ5世は4代前の国王だ」
「何と、もうそんなに代替わりしているのか。人族は短命すぎて名前を覚える頃には代が替わっているから、かなわないな」
「まったく」

 そう言うと、族長達は笑い合った。実際は3年前にも代替わりしているので、ロドリゴ5世は5代前の国王である。

「現在の国王の名は、特使殿に聞いておくとしよう。さて、話もまとまった事だし、サーリア様にご挨拶に参ろうか」
「そうだな」

 ガスパルが音頭を取ると、族長達は神妙な顔をして立ち上がる。一行は合議会場を後にし、少し離れた社へと向かう。どの氏族の居住地からも5日ほどの行程が必要なほど遠隔地にあるにもかかわらず、飾り気のない、しかし重厚な石造りの建物が、そこには建っていた。

 建物の中は窓もなく金属質の壁で囲われ、十数人程度入れる部屋が一つだけあり、族長達の腰の高さほどの1本の黒い四角い柱が、床から直立している。族長達は黒い柱の前に一列に並ぶと、一人ひとり柱の先端に掌を翳していく。族長達が掌を翳す毎に、青い一本の光が柱の先端に走った。族長達はその線を見て、サーリアの鼓動を肌で感じ取る。

 神話では、サーリアは亡くなっている。しかし、エルフの伝承では未だサーリアは生きていた。その証拠がここにある。エルフ達がサーリア様に掌を翳すと、青い光が走る。これがサーリア様の鼓動だ。サーリア様は亡くなっていない。ただ眠っておられるだけなのだ。エルフは一丸となって、ガリエルからサーリア様の御霊を救い出し、サーリア様のお体にお戻しする。さすればサーリア様は復活し、再びエルフを守護して下さるだろう。それがエルフの北伐に参加する最大の動機であり、種族の悲願であった。

 全員がサーリアの鼓動を確認すると、一行は柱の前に横一列に並ぶ。一行を代表して、ガスパルが声を上げる。

「サーリア様、此度の北伐において、今度こそ御霊を御身にお届けいたします。御霊をお迎えに行く勇士達に、何卒御加護をお与え下さい」

 ガスパルの声に応じて、柱に向かい、皆一斉に頭を下げる。族長達の一礼に黒い柱は何も発せず、ただそこに佇むのみであった。
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