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第3章 初陣
36:初陣
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第1大隊の出撃は、出撃中の第4大隊の帰投後、おおよそ5日後と決まった。
その日、美香は騎士団用の修練場の隅に座り、第1大隊の騎士達の修練を眺めていた。数十人の騎士達は革鎧に木刀という姿で、しかし、緊迫感は些かも手を抜く事なく、各々自身の手練に努めていた。
その中で、オズワルドは仁王立ちして、部下達の修練を見守り続ける。木刀ではなく、真っすぐな棒を体の前に立て、上から両手で押さえつけたまま、部下たちを睥睨していた。
「エルマーさん、オズワルドさんは、剣を使わないんですか?」
オズワルドの持つ棒に興味を持った美香は、自分の傍らに立つオズワルドの副官に質問する。
「ええ。隊長は剣ではなく、短槍を使います。隊長は『茨の手』と『癒しの手』の二つの素質をお持ちです。この『茨の手』を最大限活用するために、短槍を好んで使っています」
「エルマー、勝手に人の素質を漏らすな」
「はっ、失礼しました」
オズワルドに睨みつけられ、エルマーが襟を正す。しかし、その目は半眼のままで口元には笑みが浮かんでおり、体が示すほど堪えてはいないようだ。
エルマーを一瞥したオズワルドは、やがて壁際に歩み寄ると、案山子の前に立ち、右腕一本で棒を構える。動きを止めたオズワルドの右腕だけが音もなく軋み、血管が浮き出る。
「フンっ!」
やがて案山子に向かって、やや右肩を下げ、下から刺し上げるように棒を突き出す。棒は案山子には当たらず、脇をすり抜けていく。が、次の瞬間。
案山子に、縦方向に何本もの亀裂が走り、木片が飛び散る。やがて棒を中心にして、案山子が円を描くように撓み、胴体から引き千切れた。
「あれが『茨の手』です。あの素質は攻防に役立ちます。攻撃は今見た通り、防御の時は盾等に展開する事で攻撃者の手を傷つける、というわけです。言うなれば、近接限定の『エアジャベリン』ですね」
懲りもせず、エルマーが素質の解説をする。そのエルマーをオズワルドは睨みつけたが、今度は口には出さず、元の場所に戻ると、再び仁王立ちした。その姿を見て美香は思った。この人、不愛想で威圧感半端ないけど、案外お人好しなんだな、と。
***
「何故ですの?お父様。何故、私は許可いただけないのですかっ!?」
フリッツの執務室で、レティシアはフリッツに詰め寄る。その顔には、焦燥の色がありありと浮かんでいる。
「私はもうすぐ20歳になります。ミカや、兄上が初陣を飾った時よりも年上です。地の魔法も一通り使えます。なのに、何故ミカや兄上だけが行軍の許可をいただけ、私は駄目なのですかっ!?」
レティシアの兄マティアスは、17歳の時に初陣を飾っていた。この世界の貴族は、家ごとにしきたりが異なるが、女性が前線に出る事も皆無ではない。他家でも一部で女性騎士として活躍する者がおり、またディークマイアー家においても過去に先例がある。しかし、レティシアの追求を受けたフリッツは、動ずる事無く、拒絶の意志を示す。
「お前は、駄目だ」
「何故ですのっ!お父様!?」
「お前は、アデーレと同じだ。将にも兵にも、なれない」
絶句するレティシアに対し、フリッツは言葉を続ける。
「オズワルドからの報告で、ミカ殿は将としての片鱗があると聞いた。マティアスも、次期当主という理由もあるが、将としての素養もあった。だが、お前を見る限り、将の素養はないと私は見ている。将でも兵でもない者が軍に随行するのは、役に立たないどころか、足を引っ張るだけだ」
フリッツに突き放されたレティシアは、それでも必死に食い下がる。
「そんな事はありません。確かに私は兵になれておりませんし、将の素養があるかどうか、自分でも結論は出ておりません。しかし、私は地の魔術師です。仮に将でも兵でもなくとも、ポーターとして彼女の役に立てます」
「貶めるわけではないが、貴族の身でありながら、ポーターを務めるというのか?」
「はい、私は彼女の傍らに立ち、彼女の役に立ちたいのです」
レティシアの迷いのない眼差しを見て、フリッツが問いかけを続ける。
「…アデーレの生き方を否定するのか?」
「そうではありません。お母様が行う、お父様や当家に対する献身は、私も尊敬しております。ただ、献身の仕方が違うのです。私は、大切な人を遠くから支えたくはない。彼女の傍らに居て、苦楽を共にし、身をもって支えたいのです」
「…」
押し黙る二人。やがて、沈黙に負けたかのように、フリッツが口を開く。
「…オズワルドに伝えよう。もし部隊が危機に陥った時には、部隊を最優先に考え、迷わずお前を見捨てろ、と。それならば、同行を許そう」
「ありがとうございます、お父様」
***
5日後、予定通り第4大隊が帰投し、第1大隊の出立する日が来た。
「ミカ様、しっかり私に捕まっていて下さいね」
「はい。しかし、これ、またお尻痛くなりそう…」
馬上でニコラウスにしがみ付きながら、美香は1ヶ月前の悪夢を思い出す。一方のレティシアは、別の騎士の背中にしがみ付いていた。レティシアは一応乗馬の経験があるが、行軍や不測の事態について行けるほどの技術は有していないため、便乗となった。
今回の出撃部隊は小隊規模の抽出で、総勢60名ほど。40名が本隊、10名が荷馬車での輜重に就き、美香とレティシア、及び輜重隊の護衛が10名である。うち、魔術師は総勢10名ほど。一行の先頭で、オズワルドが声を張り上げる。
「それでは出立する。そろそろガリエルの力が強くなり、魔物達が活発になる時期だ。皆、気を引き締めて行け」
「はっ!」
オズワルドの宣誓が終わり、一行はハーデンブルグの北西側の3つの城門のうち、一番北に位置する城門から出撃する。本隊の40人が先頭、その後ろに輜重が続き、最後が護衛隊。美香とニコラウス、レティシアは、輜重と護衛隊に挟まれて移動した。
道は、城門を抜けたすぐの辺りは、踏み固められ、一部は石畳になっていたが、30分もしないうちに草木に埋め尽くされ、踏み進む馬の脚が見えなくなる。辺りは一面草に覆われ、所々島の様に石柱が直立し、周囲に森が群がっている。進行方向を見ると、草原が潰え、地平の彼方に森が広がっていた。
「ニコラウスさん、この辺りは、どういう魔物がいるんですか?」
馬上で美香が、ニコラウスに尋ねる。一行は早駆けしておらず、ゆっくりと進んでいるため、馬上での会話が可能だった。
「この草原地帯は、事実上の緩衝地帯です。そのため、ここにはあまり魔物がいません。魔物が出没するのは、あの奥に広がる森の中からです」
ニコラウスが、進行方向の森を指し示しながら、言葉を続ける。
「あの森の中には、様々な魔物がいます。もっともよく知られているのが、ハヌマーンと呼ばれる、猿に似た魔物です。ミカ様は、ロザリア様の神話をご存じですか?」
「はい、ヴェルツブルグにいた時に伺いました」
「あの神話に出てくる、ガリエルの白い魔物が、ハヌマーンだと言われています。もっともこの辺りに生息するハヌマーンの毛は白くなく、もっぱら茶色になりますが。その他には、豚の頭と人間と同じ様な体を持つオークや、ガルムと呼ばれる犬に似た魔物、その他にはバシリスクと呼ばれる8本足のトカゲの様な魔物がいます」
「え、バシリスクって、あの石化を使う魔物ですか?」
「石化?ミカ様の世界では、その様な恐ろしい能力があるのですか?こちらの世界のバシリスクはロックバレットこそ撃ちますが、そう恐ろしい魔物ではありません」
美香が日本で聞いた事のあるモンスター名がいくつも並ぶが、能力的には些か違いがあるようだ。
「それと、この時期を境にガリエルの力が強くなるのですが、それに比例して、北から強力な魔物が南下してくる場合があります。この後、ハヌマーンを中心とした多数の魔物がハーデンブルグに押し寄せる時期があるのですが、これは、その強力な魔物に率いられている、あるいは押し出されて行われていると考えられています。我々が定期的に討伐を行っているのは、森に広がるガリエルの魔物を討伐する事も理由の一つですが、最大の目的は、そういった南下してくる強力な魔物を早期に発見し、できれば撃退する事にあるのです」
ニコラウスは森から視線を外し、美香を見やる。
「今日はおそらく、森の手前で野営となるでしょう。今日はそう大きな戦いは起きないはずです。明日以降、緊張の続く日が続くと思いますので、しっかりと休んで下さい」
その日、美香は騎士団用の修練場の隅に座り、第1大隊の騎士達の修練を眺めていた。数十人の騎士達は革鎧に木刀という姿で、しかし、緊迫感は些かも手を抜く事なく、各々自身の手練に努めていた。
その中で、オズワルドは仁王立ちして、部下達の修練を見守り続ける。木刀ではなく、真っすぐな棒を体の前に立て、上から両手で押さえつけたまま、部下たちを睥睨していた。
「エルマーさん、オズワルドさんは、剣を使わないんですか?」
オズワルドの持つ棒に興味を持った美香は、自分の傍らに立つオズワルドの副官に質問する。
「ええ。隊長は剣ではなく、短槍を使います。隊長は『茨の手』と『癒しの手』の二つの素質をお持ちです。この『茨の手』を最大限活用するために、短槍を好んで使っています」
「エルマー、勝手に人の素質を漏らすな」
「はっ、失礼しました」
オズワルドに睨みつけられ、エルマーが襟を正す。しかし、その目は半眼のままで口元には笑みが浮かんでおり、体が示すほど堪えてはいないようだ。
エルマーを一瞥したオズワルドは、やがて壁際に歩み寄ると、案山子の前に立ち、右腕一本で棒を構える。動きを止めたオズワルドの右腕だけが音もなく軋み、血管が浮き出る。
「フンっ!」
やがて案山子に向かって、やや右肩を下げ、下から刺し上げるように棒を突き出す。棒は案山子には当たらず、脇をすり抜けていく。が、次の瞬間。
案山子に、縦方向に何本もの亀裂が走り、木片が飛び散る。やがて棒を中心にして、案山子が円を描くように撓み、胴体から引き千切れた。
「あれが『茨の手』です。あの素質は攻防に役立ちます。攻撃は今見た通り、防御の時は盾等に展開する事で攻撃者の手を傷つける、というわけです。言うなれば、近接限定の『エアジャベリン』ですね」
懲りもせず、エルマーが素質の解説をする。そのエルマーをオズワルドは睨みつけたが、今度は口には出さず、元の場所に戻ると、再び仁王立ちした。その姿を見て美香は思った。この人、不愛想で威圧感半端ないけど、案外お人好しなんだな、と。
***
「何故ですの?お父様。何故、私は許可いただけないのですかっ!?」
フリッツの執務室で、レティシアはフリッツに詰め寄る。その顔には、焦燥の色がありありと浮かんでいる。
「私はもうすぐ20歳になります。ミカや、兄上が初陣を飾った時よりも年上です。地の魔法も一通り使えます。なのに、何故ミカや兄上だけが行軍の許可をいただけ、私は駄目なのですかっ!?」
レティシアの兄マティアスは、17歳の時に初陣を飾っていた。この世界の貴族は、家ごとにしきたりが異なるが、女性が前線に出る事も皆無ではない。他家でも一部で女性騎士として活躍する者がおり、またディークマイアー家においても過去に先例がある。しかし、レティシアの追求を受けたフリッツは、動ずる事無く、拒絶の意志を示す。
「お前は、駄目だ」
「何故ですのっ!お父様!?」
「お前は、アデーレと同じだ。将にも兵にも、なれない」
絶句するレティシアに対し、フリッツは言葉を続ける。
「オズワルドからの報告で、ミカ殿は将としての片鱗があると聞いた。マティアスも、次期当主という理由もあるが、将としての素養もあった。だが、お前を見る限り、将の素養はないと私は見ている。将でも兵でもない者が軍に随行するのは、役に立たないどころか、足を引っ張るだけだ」
フリッツに突き放されたレティシアは、それでも必死に食い下がる。
「そんな事はありません。確かに私は兵になれておりませんし、将の素養があるかどうか、自分でも結論は出ておりません。しかし、私は地の魔術師です。仮に将でも兵でもなくとも、ポーターとして彼女の役に立てます」
「貶めるわけではないが、貴族の身でありながら、ポーターを務めるというのか?」
「はい、私は彼女の傍らに立ち、彼女の役に立ちたいのです」
レティシアの迷いのない眼差しを見て、フリッツが問いかけを続ける。
「…アデーレの生き方を否定するのか?」
「そうではありません。お母様が行う、お父様や当家に対する献身は、私も尊敬しております。ただ、献身の仕方が違うのです。私は、大切な人を遠くから支えたくはない。彼女の傍らに居て、苦楽を共にし、身をもって支えたいのです」
「…」
押し黙る二人。やがて、沈黙に負けたかのように、フリッツが口を開く。
「…オズワルドに伝えよう。もし部隊が危機に陥った時には、部隊を最優先に考え、迷わずお前を見捨てろ、と。それならば、同行を許そう」
「ありがとうございます、お父様」
***
5日後、予定通り第4大隊が帰投し、第1大隊の出立する日が来た。
「ミカ様、しっかり私に捕まっていて下さいね」
「はい。しかし、これ、またお尻痛くなりそう…」
馬上でニコラウスにしがみ付きながら、美香は1ヶ月前の悪夢を思い出す。一方のレティシアは、別の騎士の背中にしがみ付いていた。レティシアは一応乗馬の経験があるが、行軍や不測の事態について行けるほどの技術は有していないため、便乗となった。
今回の出撃部隊は小隊規模の抽出で、総勢60名ほど。40名が本隊、10名が荷馬車での輜重に就き、美香とレティシア、及び輜重隊の護衛が10名である。うち、魔術師は総勢10名ほど。一行の先頭で、オズワルドが声を張り上げる。
「それでは出立する。そろそろガリエルの力が強くなり、魔物達が活発になる時期だ。皆、気を引き締めて行け」
「はっ!」
オズワルドの宣誓が終わり、一行はハーデンブルグの北西側の3つの城門のうち、一番北に位置する城門から出撃する。本隊の40人が先頭、その後ろに輜重が続き、最後が護衛隊。美香とニコラウス、レティシアは、輜重と護衛隊に挟まれて移動した。
道は、城門を抜けたすぐの辺りは、踏み固められ、一部は石畳になっていたが、30分もしないうちに草木に埋め尽くされ、踏み進む馬の脚が見えなくなる。辺りは一面草に覆われ、所々島の様に石柱が直立し、周囲に森が群がっている。進行方向を見ると、草原が潰え、地平の彼方に森が広がっていた。
「ニコラウスさん、この辺りは、どういう魔物がいるんですか?」
馬上で美香が、ニコラウスに尋ねる。一行は早駆けしておらず、ゆっくりと進んでいるため、馬上での会話が可能だった。
「この草原地帯は、事実上の緩衝地帯です。そのため、ここにはあまり魔物がいません。魔物が出没するのは、あの奥に広がる森の中からです」
ニコラウスが、進行方向の森を指し示しながら、言葉を続ける。
「あの森の中には、様々な魔物がいます。もっともよく知られているのが、ハヌマーンと呼ばれる、猿に似た魔物です。ミカ様は、ロザリア様の神話をご存じですか?」
「はい、ヴェルツブルグにいた時に伺いました」
「あの神話に出てくる、ガリエルの白い魔物が、ハヌマーンだと言われています。もっともこの辺りに生息するハヌマーンの毛は白くなく、もっぱら茶色になりますが。その他には、豚の頭と人間と同じ様な体を持つオークや、ガルムと呼ばれる犬に似た魔物、その他にはバシリスクと呼ばれる8本足のトカゲの様な魔物がいます」
「え、バシリスクって、あの石化を使う魔物ですか?」
「石化?ミカ様の世界では、その様な恐ろしい能力があるのですか?こちらの世界のバシリスクはロックバレットこそ撃ちますが、そう恐ろしい魔物ではありません」
美香が日本で聞いた事のあるモンスター名がいくつも並ぶが、能力的には些か違いがあるようだ。
「それと、この時期を境にガリエルの力が強くなるのですが、それに比例して、北から強力な魔物が南下してくる場合があります。この後、ハヌマーンを中心とした多数の魔物がハーデンブルグに押し寄せる時期があるのですが、これは、その強力な魔物に率いられている、あるいは押し出されて行われていると考えられています。我々が定期的に討伐を行っているのは、森に広がるガリエルの魔物を討伐する事も理由の一つですが、最大の目的は、そういった南下してくる強力な魔物を早期に発見し、できれば撃退する事にあるのです」
ニコラウスは森から視線を外し、美香を見やる。
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