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第3章 初陣

32:揺らぐ自身

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「汝に命ずる。炎を纏いし球となり、巴を成せ。我に従って三条の弧を描き、彼の者を打ち据えよ」

 詠唱に応じて、美香の頭上に3つの火球が現れ、螺旋を描くように案山子へと飛翔する。3つの火球はいずれも案山子には当たらず、背後の石壁に着弾すると3つの篝火を灯しだした。

「ああ、また全部外した…」
「いえ、それで良いのです、ミカ様。複数射出するのは、相手が多数か、巨大な場合です。この場合は、攻撃範囲の拡大を優先すべきなので、的に命中しなくとも方向と距離が合っていれば問題ありません」

 嘆く美香に対し、壮年の男がフォローをする。男は痩せぎすで、もし彼がローブを着て杖を持っていたら、日本のファンタジーにおける典型的な魔術師に見えただろう。

 彼、ニコラウス・シラーはディークマイアー家に仕える魔術師で、元々レティシアの魔術の家庭教師である。レティシアは「地を知る者」を持ち、地の魔術師の素質を持つ。レティシアがロザリアの祝福を授かった時、それを知ったフリッツは、ニコラウスに娘の教育を託し、今日に至っている。ニコラウス自身は「地を知る者」「火を知る者」を持ち、本人は地の魔法を好んで使っているが火についても一通りこなせるため、今回レティシアと並行して美香の家庭教師を務める事になった。ニコラウスの素質は平凡で特筆すべきものはないが、その分自身の技量でカバーしようとした結果、彼の魔法は家庭教師に相応しい技量に達していた。

 ハーデンブルグに着いて2日後、美香はレティシアに魔法の練習再開を希望し、レティシアの意を酌んだフリッツがニコラウスに指示して実現した。元々、フリッツが国王に静養を申し立てた時にも美香の魔術の師のアテがあると伝えていた通り、当初からニコラウスを充てる予定ではあったが、到着後わずか2日で再開するとは思っていなかった。

 ただ、美香やレティシアから見れば、当然と言える。ハーデンブルグへ来たのは、傷心を癒すためではない。柊也が謀略を逃れておそらくは無事だとわかったため、静養と称したのは単なる便宜上でしかなかった。リーデンドルフの謀略以降、2ヶ月に渡り美香は魔法を唱えておらず、更にここ1ヶ月間はほとんど馬車に缶詰めであった。まだ20歳にもなっていない彼女にとってはフラストレーションが溜まる一方の2ヶ月であり、ハーデンブルグでようやく羽を伸ばせた彼女は、鬱憤を晴らすが如く魔法に飛びついた次第である。

 美香の隣で、左手を添えた右手を前に突き出したまま、レティシアは美香の魔法詠唱をずっと眺めていた。「火を極めし者」だけあって、その火力と連射は「地を知る者」のレティシアの比ではない。しかし、それを踏まえても、美香の詠唱の量は、尋常ではなかった。

「ミカ、あなた大丈夫?」
「大丈夫よ、レティシア。これ、くらいで、へたばるわけ、ないじゃない」

 美香は、荒い息をつきながら、レティシアに気丈に返答する。

 美香は、召喚によって失われた「土台」を魔法に求めようとしていた。「目的」を見い出せなかっため、「手段」に見い出そうとしていた。彼女自身は自覚していなかったが、彼女は明らかに焦っていた。

 しかし、焦りの色を濃くするの彼女に、別の方向からストップがかかる。

「ミカ様、今日はそろそろ終わりにしましょう」
「え、でも、ニコラウスさん、まだ私行けます」
「お気持ちはわかります。しかし、今日は2ヶ月ぶりの詠唱ですからね。急な魔力消費で体が驚くと、2~3日寝込む場合があります。体が温まった辺りで今日は終わりにした方がよろしいでしょう」
「…わかりました。ニコラウスさん、本日はありがとうございました」

 ニコラウスに深々と頭を下げた美香は、水を飲みに水汲み場へ歩いていく。その後ろ姿を見ながら、レティシアがニコラウスに尋ねた。

「ニコラウス、急な魔力消費でそんな事が起きるの?」
「さあ?私は寡聞にして存じませんが、魔法の世界は奥が深いですから。そういう事があってもおかしくないですね」
「…あなたも言うようになったのね。でも、ありがとう。ミカの事、気遣ってくれて」
「そういうレティシア様は、まだ気遣う必要はなさそうですね。先ほどからずっと手が止まっていましたし」
「わ、私は、今日はいいのですよ。ミカが心配だから、私も行きますわ」

 そうニコラウスに言い放つと、レティシアは返事を待たずに美香の許へと駆け出して行く。そのレティシアの後ろ姿を見ながら、ニコラウスは笑みを浮かべ、修練場の後片づけを始めた。



 ***

「ねぇ、ミカ。明日、私と一緒に街に行かない?」

 その日の夜、いつものパジャマパーティで、唐突にレティシアが美香に提案した。美香は、カルラの淹れてくれた紅茶を手に持ったまま、顔を上げた。

「え、レティシア、勝手に街へ出かけていいの?」
「まあ、ヴェルツブルグでは流石にお淑やかにしてないと駄目だけれども、地元では大目に見られているわ。お父様も、領民との交流も領主の務めだと言っているし。領内全ては無理だけど、ハーデンブルグ内なら問題ないわ」

 そう言うと、レティシアは体を乗り出し、美香の目を真っすぐに見つめる。

「ミカ、あなた、この世界に来てから、何処にも行ってないでしょう?この世界で、自分がどうあろうかといくら考えても、そもそもこの世界がどうなっているか知らなければ、答えは出ないわ。焦らなくていいの。この世界で自分は何なのか、自分が何をしたいのか、しっかりと考えてほしいの。時間は気にしなくていい、好きなだけここに居ていいのよ」
「でも、そんな、いつになるかわからないのに…」
「遠慮しないで。ウチはみんな、あなたの事を気に入っているのよ?そんなにウチの事が気になるのなら、いっその事、私があなたを娶ってあげる。そしたら、堂々とウチに居られるし、お母様も娘が増えたと喜ぶわ」
「…」

 レティシアの、冗談ともつかない真剣な眼差しを受け、美香は押し黙る。レティシアの指摘の通り、この世界に召喚されてから、美香はほとんど何処にも行っていなかった。教会から王城へと移り、日々王城内での修練に明け暮れていた。リーデンドルフへの訪問は柊也の捜索のためだったし、その後はディークマイアー邸からハーデンブルグまで、ずっと馬車の中だ。全て侍女や使用人にかしずかれ、全く不自由のない日々であったが、その一方で、自分で考え自分の足で歩いた日は、一日もなかったと言えよう。

 この世界の農民は、どうやって生活しているんだろう。街の生活はどの様なものなのだろう。どういったしきたりがあって、どういうルールで世の中が動いているだろうか。そもそも、自分が学んできたような政治形態や法律はあるのか?

 考えるにつれ、今まで気づきもしなかった疑問が、頭の中に次から次へと湧いてくる。それを目の当たりにした美香は、自分がこの世界を何一つ知らない事を改めて知り、それを知る事の重要性を再認識した。自分の土台がない今、とりあえず何かを地面に突き刺さして体の支えとしなければならないが、そもそも地面がどうなっているのか知らないのだ。まずは地面を調べなければならない。その事実に思い至らず、これまでの自分が地上で土台を探して右往左往している様を思い浮かべ、美香は内心で苦笑した。

 結論は出ないが方向性を見つけ出せた美香は、気持ちが軽くなる。五里霧中の自分の手を引き、霧の中から連れ出してくれたレティシアに対し、美香は笑顔を浮かべ、感謝の言葉を贈った。

「レティシア、私の事をこんなに想ってくれて、ありがとう。あなたの言う通りにするわ。これからも色々と迷惑をかけると思うけど、ずっと一緒にいてね」

 美香の突然の感謝を受けたレティシアは、素っ頓狂な顔で目を瞬かせると、やがて顔を赤くして下を向く。膝の上で指を世話しなく動かしながら、感謝に満ちた美香の顔を上目遣いで見つめ、ボソボソと返事を返した。



「ほ、本当にお嫁に来てくれる?」
「いや、そっちにかかる言葉じゃないから」
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