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第2章 ハンター

22:瓦解

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 結局、その夜の追撃は、断念せざるを得なかった。

 身体的には10人が行動できたが、その一方で、最も戦力となるシモンが行動不能に陥っており、またイレーヌは未だショックから立ち直っておらず、戦力外となっている。この2人に護衛を割くと、追撃に回せる戦力はせいぜい5名。完全に日が落ちた状態での分派行動は、自殺行為にしかならなかった。

 イレーヌが立ち直らないため、シモンの手当はフルールが行った。満身創痍のシモンを目にしたフルールは動揺し、治療を行う手は終始震えっぱなしだったが、それでも何とかクリエイトウォーターで傷口を洗い流し治癒魔法をかけ続けた結果、2時間後には概ね傷が塞がり、不完全ながらシモンも戦力復帰を果たすことができた。その間、ジルとチック、柊也の3人は支援物資について話し合い、脱落した人数に比例する分を投棄して削減を図る事で合意した。2人の戦士とコレット、ドナは4人の埋葬を行い、イレーヌはレオとともに、ソレーヌの墓の前に立ったまま動かなかった。

 話し合いの最後に、ジルが柊也に質問をする。

「ところでトウヤ、君のあの魔法は一体何だ?私も初めて見るものだったのだが」

 質問される事を予想していた柊也は、予め用意しておいた回答を返す。

「『ロザリアの気まぐれ』を利用した、一族の秘術だ。次は撃てないと思ってくれ」

 回答を聞いたジルは、残念そうに笑う。

「そうか。もし次までに『ロザリア』が戻ったら、また頼む。君の『別料金』については、ローランから聞いている。戻ったら、私が責任を持って彼に報告するから、安心してくれ」

 そう言うとジルは踵を返し、シモン達の許へと向かう。残されたチックと柊也は、戻ってきたドナ達とともに、支援物資の再配分に取り掛かった。



 ***

 翌朝、早々に出発の準備を整えた一行は、ケルベロスの追撃を開始する。一晩中泣き腫らしたのか、イレーヌの顔は酷いものだったが、それでも何とか立ち直ったようで、一言も喋らず一行についてくる。その胸元には小さな麻の袋がかけられ、おそらくは故人の縁の物が仕舞われていると思われた。

 ケルベロスの痕跡は真っすぐにコルカ山脈へと伸びており、彼の余裕の無さを垣間見る事ができた。草木のあちらこちらに乾いた血がこびりついており、相手の痕跡はあまりにも目立っていた。これであれば、雨でも降らない限り、見失う事はないだろう。逆に言えば、雨が降るまでに追い付かなければならない。この時期は雨が少ないとは言え、山の天気はいつ変わるかわからなかった。



 ***

「全く、あたしも焼きが回ったよ。毒を持って来てないなんて。これじゃぁ、若い連中に小言を言える立場なんて、ありゃしないねぇ」

 コレットが、行軍の途中で摘んでおいた野草をすり鉢で潰しながら、苦虫を噛み潰す。素質を封じられた現状、彼女の弓は明らかな火力不足に陥っていた。確かに一発一発の攻撃が致死に繋がる魔物との戦いは必然的に短期決戦となり、毒という悠長な手段はほとんど役に立つ事がないが、それでも現在の無力感を考えれば、あるに越したことはなかった。

 やがて、すり潰した草の汁を小さな器に移し替えたコレットは立ち上がり、「ストーンウォール」に背中を預けて座るシモンの下へ向かう。

「ほらシモン、飲みなよ。少しは熱が引くと思うよ」
「ああ、コレット、悪いな」
「気にしなくていいよ。アンタが頼りなんだから」

 器を受け取ったシモンは、すぐにそれを呷り、その苦みに顔を顰める。隣ではフルールが申し訳なさそうにシモンを見つめていた。

 傷が塞がったはずのシモンの左腕は、赤く腫れあがっていた。ケルベロスによって引き裂かれたレザーレギンスの隙間からも、赤みを帯びた足が顔を覗かせている。治癒の時の消毒が十分ではなく、雑菌が入ってしまったようだ。治癒魔法は傷の回復に効果がある一方、解毒や消毒といった効果はない。そのため、解毒、消毒といった処置が不十分だった場合、こういった事態に陥る事は珍しい事ではなかった。

「仕方ないさ、フルール。あれだけの戦いの後での治療だったからな。だから、思い詰めるな」
「すみません、シモンさん」

 ついにこの日は、ケルベロスに追い付くことができなかった。相手も相当必死のようで、あれだけの怪我を負っておきながらこれだけの距離を稼ぐとは、驚嘆すべき事だった。おそらく「ライトウェイト」がかなり助けになっているのだろう。しかし、ダメージは深く、しかも悪化の一途を辿っていると予想される。宿営地に立てた「ストーンウォール」の下で、ジルとドナがお互いの意見を交換する。

「ここまで来ても、未だに血が止まってないですからねぇ。奴さん、相当消耗しているでしょうね」
「それは良いんだが、何処まで行っても血が乾いている。どれだけ引き離されているのかが、全く予想がつかないな」
「ここまで来たら、我慢比べかもしれませんねぇ。雨だけは、勘弁願いたいですな」
「食料の問題もある。できれば3日以内に決着をつけたい」
「アレに止めを刺せるのであれば、この際、ヘルハウンドだって我慢して喰いますよ」



 ***

 結局、一行が目標に追い付くのに4日を要した。目標の残した痕跡は、日を追う事に凄惨なものとなる。2日目には、巨体が寄り掛かったのであろう幹に、大量の血が付着しているのが発見された。3日目には右後ろ足を常に引きずるようになり、随所でのた打ち回った痕跡が確認された。そして、4日目の朝には、壊死して脱落した右後ろ足が発見される。

 目標が徐々に死に瀕していく証拠を見つけるたびに、一行は気持ちを奮い立たせ後を追い続けていたが、その間、討伐隊にも問題が発生していた。シモンの容体が悪化していた。腫れが引かず、発熱した体を押して一行とともに行軍を続けていたが、次第に体の動きが悪くなっていき、後ろ足が発見される頃には本隊から落伍し、ドナに肩を借りて支援隊と行動をともにするまで、体力が衰えていた。ケルベロスが死ねば、この山にはヘルハウンドが戻ってくる。ここまで来て分派行動を取るのは、見殺しするのにも等しい以上、体に鞭打ってでも同行させる他になかった。

 そしてついに、一行は目標に遭遇する。彼は、後ろ半身をすでに死神に持っていかれた後だった。右後ろ足は存在せず、背中から腰にかけて皮膚が存在せず、爛れた肉の海に背骨が白い列島を形成していた。討伐隊を背にしても彼は向き直る事ができず、わずかに左と中央の頭が、左側から後ろを見据える事しかできなかった。右の頭は地に伏して動かず、左と中央の動きに引きずられている。

 本隊は、彼の惨状を見ても意に介さず、復讐を果たしに突撃する。向き直れない彼の後ろを取り、背中から後頭部にかけて、繰り返し武器を突き刺した。この期に及んでも火と風のレジストは有効であったが、肉に食い込む鋼を防ぐ術はない。ブレスも吐けず、蜂のように群がる人族に対して、彼は前足をばたつかせ、首を振る事しかできなかった。そしてついに左の首が絶命し、彼の風への抵抗が無くなった事を知った一行は、イレーヌに断頭の綱を託す。

「汝に命ずる。風を纏いし茨の槍となり、我に従え。螺旋を描く線条となり、彼の者を割き、抉り、その身を貫け」

 イレーヌの詠唱とともに中央の頭の後頭部に放たれた透明の槍は、獣毛を捩じり皮膚を割くと、そのまま肉を抉って螺旋状の孔を描く。そして孔が回転し、深く大きくなるにつれ血飛沫が舞い始めると、中央の頭は前を向き、口を開き、そのまま痙攣を始めた。やがて、喉元の獣毛が捻じれ始めた頃、突如首の中で破裂音がすると、彼の頭は大きく前に振れて地面に打ち付けられ、そのまま動かなくなった。

 誰も声を発しなかった。イレーヌも顔に跳ねた返り血を拭う事なく、彼の後頭部を見つめていた。その姿を、シモンは少し離れた所で、ドナに肩を借りたまま眺めていた。

 こうして討伐隊は、ついにケルベロスを斃すことに成功した。そして一行は、その後、



 ――― 襲い掛かってきた本当の恐怖の前に、瓦解する事になる。



 ***

 ケルベロスを斃した夜、ついにシモンが動けなくなった。翌日、一行は即席の担架を拵えてシモンを寝かせ、本隊が二人交代で運搬する事になった。シモンの顔は強張り、口も上手く動かせなくなり、物を食べる事ができなくなった。その日の夕方、討伐に出発してから初めて雨に遭遇した一行は、近くで見つけた洞窟に身を寄せ、一夜を過ごした。



 ――― そして、洞窟に朝日が射し込む頃、「それ」がやってきた。



「ぎぃぃぃいぃいいいいぃぃっ!いいいいいぃっ!いいいぃぃぃぃぃっ!」

 洞窟の中に突如鳴り響いた、悲鳴ともつかない絶叫に、一行は飛び起きた。臨戦態勢を取って辺りを見渡し、ヘルハウンドの襲撃ではないと知ると、音の発生源を探す。その音は洞窟の外ではなく、中から響いていた。洞窟の一番奥、突き当りに寝ていた一人の女性が、発していた。

 シモンだった。彼女が、舌を噛み切ろうとしていた。彼女は仰向けに寝たまま、頭と踵だけを地に付け、体を大きく弓形に反り返し、形の整った豊かな胸を天井に突き出していた。両腕は、脇をきつく締めて肩に拳を添え固く縮こまったまま、全く動かない。彼女の端正で美しい顔は、今や恐怖で大きく歪み、しかしその口は噛みしめられ、自身の舌を強く圧迫している。白い歯はすでに血が滲み、赤い線が走り始めていた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「悪魔だっ!シモンに悪魔が憑いたっ!」
「急げっ!悪魔が孵化する前に、逃げろっ!早く逃げるんだぁっ!」

 討伐隊は壊乱状態となり、皆、取るものも取り敢えず、這う這うの体で洞窟から逃げ出した。その顔は恐怖に染まり、仲間を気遣う余裕もない。ドナも、レオやイレーヌも、コレットも、ジルでさえも、我先に一歩でも遠くその場から離れようと、一心不乱に駆け出して行った。



 悪魔憑き。

 この世界において最も恐ろしいとされる呪いである。呪われた者は悪魔に心臓を差し出し、自ら舌を噛み切ってその身を捧げる。悪魔はその身を受け取ると自身を宿し、やがてその体を割いて孵化すると、周辺を闊歩して人族を平らげ、腹を満たした悪魔はその場を去り、ガリエルの下に向かうとされていた。そしてその身を捧げた者は、悪魔の体内にある地獄に落ち、報酬として未来永劫の苦痛を賜るとされていた。

 悪魔憑きが発生すると、人々はその者から少しでも離れようとした。人里離れた所で発生した場合は、その場に置き去りにし、街中で発生した場合は、その者を馬車や船に乗せて遠くへ連れて行き、捨ててきた。人々が悪魔に憑かれた者を殺すことはなかった。孵化が早まり、自身が悪魔に喰われるからである。そして置き去りにした地域には、悪魔が闊歩している間、最低1ヶ月間は誰も立ち入らなかった。



 シモンを置き去りにして三々五々となった一行は、やがてジルの許へと集まってくるが、その数は半減していた。チックとトウヤ、支援隊の両名とはぐれた一行は餓えに苦しんだが、フルールの持っていたわずかな食料と「クリエイトウォーター」が齎す水を分け合い、カマタの滝にたどり着くと、投棄されていた食料で腹を満たした。

 結局、ラ・セリエに辿り着いたのは、ジル、コレット、レオ、イレーヌ、フルールの5名だけだった。ラ・セリエに到着したジルは、真っ先にローランの下へ向かうと、悪魔の孵化を報告した。ローランはその報告をラ・セリエの代官に伝えると、ハンター達に対し、カマタの滝から北東方向を封鎖すると告げた。理由が悪魔憑きだと知ると、誰も文句は言わなかった。

 1ヶ月後、ラ・セリエの北の山地で聞いた事もない音がするとの報告を受けたローランは、悪魔がラ・セリエの北を西へ向かって歩いていると判断し、封鎖範囲を西に拡大、その上で、悪魔が立ち去ったカマタ方面に捜索隊を派遣した。捜索隊はジルの先導の下、シモンが遺棄された洞窟まで向かう途中、ヘルハウンドに喰われて原型を留めないほど損壊した遺体を発見、所持品よりチックと判明した。

 1週間後、シモンの洞窟まで到達した捜索隊は、洞窟内に飛び散った無数の血痕と散乱する荷物、そして入口に炭化した2頭のヘルハウンドを発見する。捜索隊は、シモンは悪魔の依り代になったと判断して捜索を打ち切り、ラ・セリエへの帰路についた。二人の戦士とドナ、トウヤはついに発見されず、悪魔またはヘルハウンドの餌食になったものと判断された。

 こうして、コルカ山脈の南で展開された合同クエストは、悪魔の降臨という、予想もしなかった結末で幕を閉じる事となった。
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