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第1章 召喚
13:みんな〇〇
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王城を出てディークマイアー邸に身を寄せた直後の美香は、まるで人形の様だった。カルラに支えられ、レティシアの部屋に通された美香は、誘導されるままソファに座ると、そのまま身じろぎもせず、俯いていた。寝室の鏡台に置かれた封書を手に取り戻ってきたレティシアは、美香の虚ろな表情を見て、泣きそうになった。これから自分が行う事により、どれだけ美香が取り乱すかを想像すると、この場にあの男がいたら、すぐさま頬を引っぱたきたい思いだった。
「ミカ」
レティシアは美香の隣に座ると、美香の腰に右手を回し、身を寄せる。そして左手に持つ封書を、美香の目の前に差し出す。
「ミカ、これをお読みになって」
「…これは?」
美香が感情の抜け落ちた顔で、レティシアを見る。レティシアは一瞬声を詰まらせるが、深呼吸をすると、言葉を続ける。
「シュウヤ殿からの預かり物です」
レティシアの言葉を聞いても、しばらく美香は放心したままだったが、やがてその瞳に焦点が戻ると、ゆっくりと封書に視線を戻す。そして恐る恐る封書を開け、そこに収められている一枚の紙を取り出した。
そこには非常に覚束ない、稚拙な文字が並んでいた。その文字は全て片仮名で書き殴られており、今どき幼稚園児でさえ、遥かに読みやすい文章を書くであろうと思われた。
―――
ミノキケンガ セマッタ
シバラク ミヲ カクス
ダマッテキエテ スマン
レティシアヲ タヨレ
ジブンノ オモウミチヲ ススメ
マタ アオウ
―――
「シュウヤ殿から、ミカが此処に身を寄せるまで渡すなと、固く言い含められていました。今まで黙っていて、本当にごめんなさい」
レティシアが罪悪感からぎゅっと目を瞑り、頭を下げるのも気づかず、美香は手紙を凝視し続ける。
「…何よ、これ…」
「ミカ」
美香の手紙を持つ手が震え、呟きを発する。それを聞いたレティシアは、この後の行動を憂い、美香を力いっぱい抱きしめる。
「…何?先輩。これで私が安心すると思ったの?こ、こんな紙切れ一枚で、私が安心すると…。ふ、ふざけないでよっ!わ、わた、私がどれだけ心配したと思って…、う…ひ、酷いよ、先輩…ぇう、これだけ私に、辛い思いを…ぐす…させて…うぅ」
「ミカ…っ!」
滞留していた感情がかき乱され、大きなうねりをあげる。それは美香の躰を駆け巡り、溢れ出た飛沫が大きな雫となって手紙の上に落ちる。
「うぅ、…知らない。も、もう先輩なんか知らないっ!帰ってきたって、ご褒美だって、私の大事なモノだって、もうあげてなんかやんないっ!帰ってきたらビンタよ、ビンタっ!」
「ミカっ!ごめんなさいっ!」
「だ、大体、先輩酷いよっ!うぅ…、自分で『現代チート』とか言っておきながら、やってる事が思いっきり『孔明』じゃないのよっ!う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!先輩っ!先輩っ!」
「ミカっ!ミカっ!うぇぇぇぇ!」
ついに涙腺が決壊し、レティシアに抱き着いて号泣する美香。つられてレティシアも号泣し、カルラも気持ちが昂るあまり、二人を抱きしめ、一筋の涙を漏らした。
柊也が行方不明になってから7日間。美香はその間鬱積した感情を全て洗い流すが如く泣き続け、レティシアの服に大きな染みを作る。レティシアも負けじと美香の服を濡らし、二人の顔と服は、互いの涙でぐしゃぐしゃになった。
やがて、ようやく泣き止んだ美香が、照れくさそうにレティシアの服の中から顔を出す。一足先に落ち着きを取り戻していたレティシアは、もぞもぞと服をかき分ける美香の姿を、愛おし気に見つめた。カルラが二人の着替えを取りに、席を立つ。
「…ごめんね、レティシア。服、汚しちゃって」
「気にしないで、ミカ。あなたが元気になる方が、よほど嬉しいわ」
羞恥のあまり、再び服の中に首を引っ込める美香を見て、思わず頭をなでるレティシア。服の中で溺れかける美香をなでながら、レティシアは言葉を続けた。
「ミカ。二つほど提案があるのだけど。落ち着いて聞いてくれる?」
「うん。何?」
「私、シュウヤ殿の葬儀を挙げるべきだと思うの」
「…え、先輩の葬儀を?どうして?」
「理由は四つあるの。それはね」
そう続けたレティシアは、柊也の葬儀を行うで齎される効果を、美香に説明する。
「一つ、葬儀を執り行う事で、シュウヤ殿の『死』が確定するわ。それは、シュウヤ殿を過去の人物へと追いやり、周囲は彼に対し注意を向けなくなる。つまり、シュウヤ殿が行動の自由を得る事に繋がるの」
「なるほど」
「二つ、葬儀を執り行う事で、ミカ、あなたは一種の『ワイルドカード』を持てるの」
「え、私が?」
「そう。周囲は今、あなたの心痛ぶりを、あなた以上に気にしているわ。ここで葬儀を行うと、あなたを想うあまり周囲は思考停止に陥る。この時ならば、あなたの大抵の要望は叶うはずよ。この『ワイルドカード』で、今後のあなたの立場を切り開くの。
三つめは、ミカの心の整理のためね。あなた、まだ踏ん切りが着いてないでしょう?」
「うぅ…」
「葬儀を行う事で、きっとけじめがつくと思う。これは、シュウヤ殿に頼らず、独り立ちするための儀式よ」
「そっか…、けじめか…」
美香は、レティシアの言葉をひとつひとつ、ゆっくりと噛みしめる。それはレティシアの思いやりが十分に含まれており、美香の心に潤いと安らぎを齎した。
「四つめは?」
最後の理由を美香に問われるレティシア。すると、彼女は突然、美香の目を見つめ、人の悪い笑みを浮かべる。
「え、レ、レティシア?」
「四つめは、明快ですわ。シュウヤ殿への嫌がらせよ」
「へ?」
「だって当然じゃない。あの男、これだけミカの事泣かせたのよ?そんな性悪男、そのままにして良いと思って?墓穴に蹴り落とさないと、気が済みませんわっ」
拳を振り上げ、宙に向かって不満をぶつけるレティシア。それを見た美香は、何だか可笑しくなり、レティシアに同調する。
「そうよねっ!あんな甲斐性なし、こっちから捨ててやるっ!ポイっよ、ポイっ」
「そうよっ!ポイっよ、ポイっ」
まるでパジャマパーティーの様に、きゃいきゃい言い合う二人。やがて、美香は、にへらぁ~と笑みを浮かべると、再び服の中に顔を埋める。
「えへへ~、でも私、レティシアと友達になれて、ホント良かった。…ありがと、レティシア」
「う…」
無防備な美香の笑顔を目の前にして、レティシアは顔を赤くする。思わず、再び美香を抱きしめると、耳元で囁いた。
「…ねぇ、ミカ。もう一つの提案なんだけど…。私と一緒に、ディークマイアー領に行かない?」
***
「ロザリア様、あなたの御許にのぼるかの御霊に、安らぎを与えられんことを。そして幾多の安寧の後、再びこの世に生を賜らんことを」
司教の唱える聖句が墓地に響き渡り、葬儀は厳かに進められる。美香は喪主として棺の傍らに立ち、ベールで顔を隠したまま、ただ静かに佇んでいた。式は、リヒャルトとディークマイアー親娘の他には数家が参列したのみの、寂しいものだった。
リヒャルトは式の後に美香の下に来たが、儀礼的な挨拶を交わしたのみで、すぐにその場を辞した。実は、リヒャルトが美香の見舞いに来たのはレティシアから真実を知らされた翌日であり、外見はともかく、美香の内心はかなりすっきりしていた。そのため、美香は来訪したリヒャルトに笑みを浮かべるという失策を犯したのだが、リヒャルトはそれを深読みし、結果、周囲に美香の悲嘆ぶりがより大げさに伝わる事になる。
式が終わり、人々が墓地を去った後も、美香はしばらくその場に佇んでいた。美香は柊也の墓石に対し、最後の言葉を紡ぐ。
「先輩、今度会った時は、往復ビンタ10回ですからね。甘んじて受けて下さい。そしたら、ご褒美の事、考えてあげてもいいですよ」
そう言葉を交わすと、美香は墓石に背を向け、少し離れて見守るレティシアの下へと向かった。
***
葬儀から3週間余り。美香は、ディークマイアー領に向かう馬車の中にいた。すでにヴェルツブルグの城門を抜け、一行は田園地帯を進んでいる。左手を見ると遠くにラディナ湖が広がり、青と緑の綺麗な境界線を描いていた。一行は、複数の馬車と護衛の騎馬で構成され、美香の馬車にはレティシアとカルラが同乗している。
しばらくの間、ラディナ湖が描く雄大な景色を眺めていた美香だったが、ふと隣を見ると、疲れたのかレティシアが静かに寝息を立てていた。その閉じた目には、美しく整った長いまつげが並び、どちらかというと子供っぽさが残る顔立ちにも拘らず、艶めかしささえ感じられる。
美香は、レティシアの無防備な寝顔を眺めつつ、その時の会話を思い出す。
「ミカ、あなたをディークマイアー領に連れていきたいのは、もちろん私が一緒に居たいからでもあるのだけれども、あなたを取り巻く環境のせいもあるの。ミカ、このままでは、あなたは近いうちにこの国の政争に巻き込まれるわ」
「え、それってどういう事?」
「今までは、ある意味シュウヤ殿があなたの保護者みたいな立場だったから、誰も手を出さなかったけど、シュウヤ殿がいなくなった事で、あなたは何の後ろ盾も持たない事になるわ。もちろん王家がいるからすぐにどうこうというわけではないけど、喪が明ける頃には、貴族同士の駆け引きが激しくなるでしょうね。教会からも王家からも覚えが良く、しかも若くて未婚の女性ですもの。嫁の貰い手に事欠かないでしょうね」
「ううぅ…、それは嫌だ」
「だから、ここでディークマイアー領に行けば、その政争から物理的に逃れる事ができるの。ディークマイアー領は、この国の最北端。辺境だから、早々来ることもないわ。また、一緒に来る事でお父様の庇護に入る事にもなるから、他家の介入もなくなるわ。ウチは兄上も含めて皆片付いてるし、誰もあなたに迫ったりしないしね。私ぐらいのものよ」
「え、ちょっと、レティシア?」
「冗談よ。何、赤くなってるの。それと、ヴェルツブルグには、まだシュウヤ殿に危害を加えた者が残っているわ。その者からも逃れる必要があるわ」
「あ、そうだった!一体誰なの?」
「魔族の犯行だと言われてるけど、違うと思う。魔族だったら、シュウヤ殿が察知できないでしょうから。そうとなると、おそらく動機はシュウヤ殿への嫉妬でしょう。ミカには手を出さないわ」
「え…、私のせいだったの?」
「そう思い詰めないで。シュウヤ殿もあなたのせいだとは、思っていないわ。だから、あなたに黙って身を隠したんだもの。ただ、だからと言ってその者と同じ街に居ても、良い事は何もないわ。そのためにもヴェルツブルグからは、離れた方がいいわ」
「そうだね。でもそうなると、この町から簡単に出してくれないんじゃない?」
「そこで、さっきの『ワイルドカード』が活きてくるの。全てあなたの傷心のためと言えば、誰も文句は言えないわ」
「なるほどねー」
「ミカ様、如何しましたか?」
正面に座るカルラから声をかけられ、美香は現実に引き戻される。
「大丈夫。ちょっと物思いに耽っていただけだから。ありがとう」
「左様でございましたか。失礼しました」
カルラに返事をした美香は、再びラディナ湖畔を眺め、そして小さく呟いた。
「なんか私の周り、みんな『孔明』だわ」
「ミカ」
レティシアは美香の隣に座ると、美香の腰に右手を回し、身を寄せる。そして左手に持つ封書を、美香の目の前に差し出す。
「ミカ、これをお読みになって」
「…これは?」
美香が感情の抜け落ちた顔で、レティシアを見る。レティシアは一瞬声を詰まらせるが、深呼吸をすると、言葉を続ける。
「シュウヤ殿からの預かり物です」
レティシアの言葉を聞いても、しばらく美香は放心したままだったが、やがてその瞳に焦点が戻ると、ゆっくりと封書に視線を戻す。そして恐る恐る封書を開け、そこに収められている一枚の紙を取り出した。
そこには非常に覚束ない、稚拙な文字が並んでいた。その文字は全て片仮名で書き殴られており、今どき幼稚園児でさえ、遥かに読みやすい文章を書くであろうと思われた。
―――
ミノキケンガ セマッタ
シバラク ミヲ カクス
ダマッテキエテ スマン
レティシアヲ タヨレ
ジブンノ オモウミチヲ ススメ
マタ アオウ
―――
「シュウヤ殿から、ミカが此処に身を寄せるまで渡すなと、固く言い含められていました。今まで黙っていて、本当にごめんなさい」
レティシアが罪悪感からぎゅっと目を瞑り、頭を下げるのも気づかず、美香は手紙を凝視し続ける。
「…何よ、これ…」
「ミカ」
美香の手紙を持つ手が震え、呟きを発する。それを聞いたレティシアは、この後の行動を憂い、美香を力いっぱい抱きしめる。
「…何?先輩。これで私が安心すると思ったの?こ、こんな紙切れ一枚で、私が安心すると…。ふ、ふざけないでよっ!わ、わた、私がどれだけ心配したと思って…、う…ひ、酷いよ、先輩…ぇう、これだけ私に、辛い思いを…ぐす…させて…うぅ」
「ミカ…っ!」
滞留していた感情がかき乱され、大きなうねりをあげる。それは美香の躰を駆け巡り、溢れ出た飛沫が大きな雫となって手紙の上に落ちる。
「うぅ、…知らない。も、もう先輩なんか知らないっ!帰ってきたって、ご褒美だって、私の大事なモノだって、もうあげてなんかやんないっ!帰ってきたらビンタよ、ビンタっ!」
「ミカっ!ごめんなさいっ!」
「だ、大体、先輩酷いよっ!うぅ…、自分で『現代チート』とか言っておきながら、やってる事が思いっきり『孔明』じゃないのよっ!う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!先輩っ!先輩っ!」
「ミカっ!ミカっ!うぇぇぇぇ!」
ついに涙腺が決壊し、レティシアに抱き着いて号泣する美香。つられてレティシアも号泣し、カルラも気持ちが昂るあまり、二人を抱きしめ、一筋の涙を漏らした。
柊也が行方不明になってから7日間。美香はその間鬱積した感情を全て洗い流すが如く泣き続け、レティシアの服に大きな染みを作る。レティシアも負けじと美香の服を濡らし、二人の顔と服は、互いの涙でぐしゃぐしゃになった。
やがて、ようやく泣き止んだ美香が、照れくさそうにレティシアの服の中から顔を出す。一足先に落ち着きを取り戻していたレティシアは、もぞもぞと服をかき分ける美香の姿を、愛おし気に見つめた。カルラが二人の着替えを取りに、席を立つ。
「…ごめんね、レティシア。服、汚しちゃって」
「気にしないで、ミカ。あなたが元気になる方が、よほど嬉しいわ」
羞恥のあまり、再び服の中に首を引っ込める美香を見て、思わず頭をなでるレティシア。服の中で溺れかける美香をなでながら、レティシアは言葉を続けた。
「ミカ。二つほど提案があるのだけど。落ち着いて聞いてくれる?」
「うん。何?」
「私、シュウヤ殿の葬儀を挙げるべきだと思うの」
「…え、先輩の葬儀を?どうして?」
「理由は四つあるの。それはね」
そう続けたレティシアは、柊也の葬儀を行うで齎される効果を、美香に説明する。
「一つ、葬儀を執り行う事で、シュウヤ殿の『死』が確定するわ。それは、シュウヤ殿を過去の人物へと追いやり、周囲は彼に対し注意を向けなくなる。つまり、シュウヤ殿が行動の自由を得る事に繋がるの」
「なるほど」
「二つ、葬儀を執り行う事で、ミカ、あなたは一種の『ワイルドカード』を持てるの」
「え、私が?」
「そう。周囲は今、あなたの心痛ぶりを、あなた以上に気にしているわ。ここで葬儀を行うと、あなたを想うあまり周囲は思考停止に陥る。この時ならば、あなたの大抵の要望は叶うはずよ。この『ワイルドカード』で、今後のあなたの立場を切り開くの。
三つめは、ミカの心の整理のためね。あなた、まだ踏ん切りが着いてないでしょう?」
「うぅ…」
「葬儀を行う事で、きっとけじめがつくと思う。これは、シュウヤ殿に頼らず、独り立ちするための儀式よ」
「そっか…、けじめか…」
美香は、レティシアの言葉をひとつひとつ、ゆっくりと噛みしめる。それはレティシアの思いやりが十分に含まれており、美香の心に潤いと安らぎを齎した。
「四つめは?」
最後の理由を美香に問われるレティシア。すると、彼女は突然、美香の目を見つめ、人の悪い笑みを浮かべる。
「え、レ、レティシア?」
「四つめは、明快ですわ。シュウヤ殿への嫌がらせよ」
「へ?」
「だって当然じゃない。あの男、これだけミカの事泣かせたのよ?そんな性悪男、そのままにして良いと思って?墓穴に蹴り落とさないと、気が済みませんわっ」
拳を振り上げ、宙に向かって不満をぶつけるレティシア。それを見た美香は、何だか可笑しくなり、レティシアに同調する。
「そうよねっ!あんな甲斐性なし、こっちから捨ててやるっ!ポイっよ、ポイっ」
「そうよっ!ポイっよ、ポイっ」
まるでパジャマパーティーの様に、きゃいきゃい言い合う二人。やがて、美香は、にへらぁ~と笑みを浮かべると、再び服の中に顔を埋める。
「えへへ~、でも私、レティシアと友達になれて、ホント良かった。…ありがと、レティシア」
「う…」
無防備な美香の笑顔を目の前にして、レティシアは顔を赤くする。思わず、再び美香を抱きしめると、耳元で囁いた。
「…ねぇ、ミカ。もう一つの提案なんだけど…。私と一緒に、ディークマイアー領に行かない?」
***
「ロザリア様、あなたの御許にのぼるかの御霊に、安らぎを与えられんことを。そして幾多の安寧の後、再びこの世に生を賜らんことを」
司教の唱える聖句が墓地に響き渡り、葬儀は厳かに進められる。美香は喪主として棺の傍らに立ち、ベールで顔を隠したまま、ただ静かに佇んでいた。式は、リヒャルトとディークマイアー親娘の他には数家が参列したのみの、寂しいものだった。
リヒャルトは式の後に美香の下に来たが、儀礼的な挨拶を交わしたのみで、すぐにその場を辞した。実は、リヒャルトが美香の見舞いに来たのはレティシアから真実を知らされた翌日であり、外見はともかく、美香の内心はかなりすっきりしていた。そのため、美香は来訪したリヒャルトに笑みを浮かべるという失策を犯したのだが、リヒャルトはそれを深読みし、結果、周囲に美香の悲嘆ぶりがより大げさに伝わる事になる。
式が終わり、人々が墓地を去った後も、美香はしばらくその場に佇んでいた。美香は柊也の墓石に対し、最後の言葉を紡ぐ。
「先輩、今度会った時は、往復ビンタ10回ですからね。甘んじて受けて下さい。そしたら、ご褒美の事、考えてあげてもいいですよ」
そう言葉を交わすと、美香は墓石に背を向け、少し離れて見守るレティシアの下へと向かった。
***
葬儀から3週間余り。美香は、ディークマイアー領に向かう馬車の中にいた。すでにヴェルツブルグの城門を抜け、一行は田園地帯を進んでいる。左手を見ると遠くにラディナ湖が広がり、青と緑の綺麗な境界線を描いていた。一行は、複数の馬車と護衛の騎馬で構成され、美香の馬車にはレティシアとカルラが同乗している。
しばらくの間、ラディナ湖が描く雄大な景色を眺めていた美香だったが、ふと隣を見ると、疲れたのかレティシアが静かに寝息を立てていた。その閉じた目には、美しく整った長いまつげが並び、どちらかというと子供っぽさが残る顔立ちにも拘らず、艶めかしささえ感じられる。
美香は、レティシアの無防備な寝顔を眺めつつ、その時の会話を思い出す。
「ミカ、あなたをディークマイアー領に連れていきたいのは、もちろん私が一緒に居たいからでもあるのだけれども、あなたを取り巻く環境のせいもあるの。ミカ、このままでは、あなたは近いうちにこの国の政争に巻き込まれるわ」
「え、それってどういう事?」
「今までは、ある意味シュウヤ殿があなたの保護者みたいな立場だったから、誰も手を出さなかったけど、シュウヤ殿がいなくなった事で、あなたは何の後ろ盾も持たない事になるわ。もちろん王家がいるからすぐにどうこうというわけではないけど、喪が明ける頃には、貴族同士の駆け引きが激しくなるでしょうね。教会からも王家からも覚えが良く、しかも若くて未婚の女性ですもの。嫁の貰い手に事欠かないでしょうね」
「ううぅ…、それは嫌だ」
「だから、ここでディークマイアー領に行けば、その政争から物理的に逃れる事ができるの。ディークマイアー領は、この国の最北端。辺境だから、早々来ることもないわ。また、一緒に来る事でお父様の庇護に入る事にもなるから、他家の介入もなくなるわ。ウチは兄上も含めて皆片付いてるし、誰もあなたに迫ったりしないしね。私ぐらいのものよ」
「え、ちょっと、レティシア?」
「冗談よ。何、赤くなってるの。それと、ヴェルツブルグには、まだシュウヤ殿に危害を加えた者が残っているわ。その者からも逃れる必要があるわ」
「あ、そうだった!一体誰なの?」
「魔族の犯行だと言われてるけど、違うと思う。魔族だったら、シュウヤ殿が察知できないでしょうから。そうとなると、おそらく動機はシュウヤ殿への嫉妬でしょう。ミカには手を出さないわ」
「え…、私のせいだったの?」
「そう思い詰めないで。シュウヤ殿もあなたのせいだとは、思っていないわ。だから、あなたに黙って身を隠したんだもの。ただ、だからと言ってその者と同じ街に居ても、良い事は何もないわ。そのためにもヴェルツブルグからは、離れた方がいいわ」
「そうだね。でもそうなると、この町から簡単に出してくれないんじゃない?」
「そこで、さっきの『ワイルドカード』が活きてくるの。全てあなたの傷心のためと言えば、誰も文句は言えないわ」
「なるほどねー」
「ミカ様、如何しましたか?」
正面に座るカルラから声をかけられ、美香は現実に引き戻される。
「大丈夫。ちょっと物思いに耽っていただけだから。ありがとう」
「左様でございましたか。失礼しました」
カルラに返事をした美香は、再びラディナ湖畔を眺め、そして小さく呟いた。
「なんか私の周り、みんな『孔明』だわ」
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