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13:愛する妹のために
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「…『ろぐあうと』後にお会いするのは、初めてですね。改めまして、エレナです。姉がいつもお世話になっております。先ほどは、ありがとうございました」
「改めまして、赤兎です。こちらこそ、『ろぐいん』中は大変お世話になりました」
急いで正面へと向き直った私の背後で板張りの床と靴の合わさる音が繰り返し鳴り響き、私の視界の正面に佇むエレナが姿勢を正し、私の背後に向かって頭を下げた。背後から透き通った男の声が返り、エレナが掌を開いて私の左隣を指し示し、男を誘う。
「どうぞ、お座りになられて?…何かお飲みになります?」
「それじゃ、ウォッカをいただけます?ロックで」
「はい」
男は私の隣に腰を下ろしながらエレナに注文を入れる。下を向き、カウンターの木目を凝視する私に、エレナの声が降りかかった。
「姉さんも、何か飲む?」
「…ジン・ライム」
「はいはい」
視界の外でグラスと氷が衝突し、ボトルから液体の注がれる音が聞こえる。やがて、氷と透明の液体で満たされたグラスが、視界の上部から差し込まれた。液体の中に浮かぶライムが薄緑色の半月と化して、透明の夜の中で輝いている。
「…それでは、今日もお疲れ様でした」
「お疲れ様です。いただきます」
チン。
視界の外でグラスを重ねる音が聞こえ、グラスが傾き、氷が転がる音が聞こえる。私の目の前に置かれたグラスは、何一つ動いていない。
私の隣に座る男は、すぐにグラスを置いた。彼はエレナとお喋りをする事もなく、グラスを手に取る事もなく、椅子に座ったままずっと黙っている。エレナは私達に背中を向けて棚の整理を始め、その間私は下を向いて目の前のグラスを凝視し、カウンターの周りにはボトルを置き換える静かな音だけが繰り返された。
「…あの…」
隣に座る男から声を掛けられ、私は椅子に座ったまま飛び上がった。私は体を硬直させ、目の前に居座るジン・ライムに向かって、ひたすら頭を下げる。
「ごめんねっ!?二人の邪魔しちゃって!ほら、今日、ガーネットも居なくて暇でさ。そんな時に、エレナが初めて王都に行くって聞こえちゃったから!たった一人の可愛い妹だし、お姉ちゃん心配だったんだ!だから、ちょっと魔が差しちゃって…えへへへ…」
頭を掻きながら謝罪する私を見て、ジン・ライムに浮かぶ薄緑の半月が氷の下へと滑り落ちる。私はジン・ライムが冷たい態度を見せても、めげずに愛想笑いを浮かべながら頭を下げ、謝り続けた。
「で、でも!エレナが無事に王都に着けて良かった!もう、あんな変な事しないから!これでお姉ちゃん、安心して妹を送り出せるよ!…赤兎、エ、エレナの事、よろしくね?エレナ美人だし、気立ても良いし…赤兎にお似合いだからっ!」
「…イリスさん…」
ぽとり。
ジン・ライムの脇に一滴の雨だれが落ち、カウンターの木目に黒い染みが広がる。私は急いで目元を拭き、水漏れを塞ぐ。
「…ご、ごめんなさい。あのエレナがこんな立派になったって、お姉ちゃん、ちょっとしんみりしちゃった…す、すぐに治まるから…」
ぽとり。ぽとり。
ジン・ライムの周りに落ちる雨だれの数が増え、カウンターの黒い染みが大きくなる。私は掌を目に押し付け、水漏れの出所を押さえた。だが、水漏れは治まるどころか次第に水量を増し、掌を伝って手首に幾筋もの滝を作り上げる。私は必死に笑おうと口を開き、泣きじゃくりながら言い訳を繰り返した。
「ご、ごめんね!こんなメンドクサイ女で。すぐに泣き止むから…ぅ…や、やだ、な、何で止まらないのぉ!?ぇぐ…と、止まってよぉ…!」
「――― イリスさんっ!」
突然、顔を覆っていた左手を掴まれ、私は引っ張られた。私はバランスを崩して倒れ込み、――― 隣に座る男の厚い胸板に抱き留められる。私の頭部に男の掌が回り、繰り返し髪の毛の流れをなぞる様に揺れ動く。後頭部に伝わる初めての温もりに私は惹き寄せられ、透き通った男の声が耳元に流れ込んだ。
「イリスさん、すみません!あなたがこんなにも苦しんでいるって、僕が気づけなくて。こんな事になるなら、もっと早く、ちゃんと話をすれば良かった…!」
「…ぐす…赤兎、そんな無理して言い訳しないで好いから…私は大丈…うぅぅ…」
「イリスさん、お願いですから、僕の話を聞いて下さい!」
赤兎が私の両肩を掴んで急き立てるが、私は両手で顔を拭いながら頭を振り、彼の言葉を遮る。そんな私の許に、棚の整理の手を止めたエレナの呆れ声が、カウンターの向こうから飛んだ。
「姉さん、泣いてばかりいないで、少しは私達の話を聞いてよ。大体、あの人が姉さんを捨てるわけ、ないじゃない」
「何でそう、言い切れるのよ!?」
私は赤兎の手と涙を振り切り、勢い良くカウンターへと振り返って糾弾する。そんな私の追及にエレナは答えず、カウンターの脇に置かれたマガジンラックに手を伸ばして一冊の雑誌を取り、私の目の前に置いた。「週刊 わーるどウィーク」という名のその雑誌の表紙には、「緊急特集:今週の実装を徹底分析!」の大きな見出しが躍っている。エレナは雑誌をペラペラと捲り、とあるページで指を止めると、そのページに掲載された1枚のイラストを指差した。
そこには、今回新たに実装された、ダークエルフの新衣装が描かれていた。魔法職用のその衣装は薄い生地で仕立てられたシースルーのローブで、内側に身に着けた黒い柄の胸当てや紐で結わえたパンツは下着と見間違えるほど布地が小さく、ローブの襞の合間から透けて見え、妖しく浮き上がっている。
その艶めかしい衣装を身に纏った姿は、まさに「ネグリジェ姿で寝室に佇む人妻」。
あまりの破廉恥さに思わず目が点になった私に、エレナの諦観の声が降りかかる。
「…その衣装、二次職にならないと装備できないのよ。それを知った途端、あの人、目の色を変えてレベル1の私をゴブリンの森に連れ出し、以降、ずっとスパルタよ?…まったく、あの人ったら、本当にどうしようもない…」
「え、えっと…」
「姉さん、安心して。二次職になって、この衣装を身に着けた途端、私はお蔵入りだから。すぐに姉さんの所に戻って来るわ」
「…で、でも!さっきエレナと赤兎の二人で、一緒に狩りに行くって…!」
「そんなの、姉さんで『ろぐいん』してって意味に、決まっているじゃない」
赤い顔で反論する私に、エレナが腰に手を当てて溜息をつく。
「…姉さん、知ってる?あの人、私が魔法撃つたびにブツブツ文句言うのよ?『チマチマ倒すの、面倒臭ぇ。早く戻りてぇ』って」
「…え…」
「多分、明日には『かくせいくえすと』を受けられるから。それまでもう少し、我慢してね?」
「…」
エレナの説明に、私はもはや反論する言葉が見つからず、口を開閉させる他にない。その私に、隣に座る男が恐る恐る声を掛ける。
「…あの、イリスさん…」
男の呼び声に、再び私は飛び上がった。私は椅子の上で背筋を伸ばし、顔を真っ赤にして俯き、目の前に置かれたジン・ライムをガン見する。
「タ、タンマ!赤兎、今日の事は全部忘れて!今日は、何もなかった!好いっ!?」
「ア、ハイ」
私の有無を言わさぬ剣幕を前に、彼が及び腰で答える。だけど、私には彼を気遣う余裕がない。パンツと醜態、見せるならどっちがマシか、羞恥の限界に挑む二択と戦う私の許にエレナが顔を寄せ、耳元で囁いた。
「…大丈夫。私は姉さんのお気に入りを横取りしたり、しないから」
「…」
「姉さんの前途を祝して、――― 乾杯」
二択が三択に増え、下を向いたまま茹蛸のように顔を赤らめ硬直する私を肴に、エレナが一人でグラスを掲げる。
カラン。
目の前のジン・ライムの氷が崩れ、私を嘲笑った。
***
『 イ リ ス 、 何 し て る の ? 』
『いや、ここ5日ほど見てなかったら、記憶が曖昧になってきてな。忘れないように、しっかりと目に焼き付けておこうと思ってさ。赤兎、どうやったら忘れずに済むと思う?』
『 医 者 に 頭 診 せ る べ き だ と 思 う 』
マスターの馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁっ!
翌々日、6日ぶりに「ろぐいん」した「私」はギルドホールでスカートをたくし上げたまま仁王立ちを続け、赤兎達の注目を一点に集めながら、マスターへの抗議の声を上げていた。
「改めまして、赤兎です。こちらこそ、『ろぐいん』中は大変お世話になりました」
急いで正面へと向き直った私の背後で板張りの床と靴の合わさる音が繰り返し鳴り響き、私の視界の正面に佇むエレナが姿勢を正し、私の背後に向かって頭を下げた。背後から透き通った男の声が返り、エレナが掌を開いて私の左隣を指し示し、男を誘う。
「どうぞ、お座りになられて?…何かお飲みになります?」
「それじゃ、ウォッカをいただけます?ロックで」
「はい」
男は私の隣に腰を下ろしながらエレナに注文を入れる。下を向き、カウンターの木目を凝視する私に、エレナの声が降りかかった。
「姉さんも、何か飲む?」
「…ジン・ライム」
「はいはい」
視界の外でグラスと氷が衝突し、ボトルから液体の注がれる音が聞こえる。やがて、氷と透明の液体で満たされたグラスが、視界の上部から差し込まれた。液体の中に浮かぶライムが薄緑色の半月と化して、透明の夜の中で輝いている。
「…それでは、今日もお疲れ様でした」
「お疲れ様です。いただきます」
チン。
視界の外でグラスを重ねる音が聞こえ、グラスが傾き、氷が転がる音が聞こえる。私の目の前に置かれたグラスは、何一つ動いていない。
私の隣に座る男は、すぐにグラスを置いた。彼はエレナとお喋りをする事もなく、グラスを手に取る事もなく、椅子に座ったままずっと黙っている。エレナは私達に背中を向けて棚の整理を始め、その間私は下を向いて目の前のグラスを凝視し、カウンターの周りにはボトルを置き換える静かな音だけが繰り返された。
「…あの…」
隣に座る男から声を掛けられ、私は椅子に座ったまま飛び上がった。私は体を硬直させ、目の前に居座るジン・ライムに向かって、ひたすら頭を下げる。
「ごめんねっ!?二人の邪魔しちゃって!ほら、今日、ガーネットも居なくて暇でさ。そんな時に、エレナが初めて王都に行くって聞こえちゃったから!たった一人の可愛い妹だし、お姉ちゃん心配だったんだ!だから、ちょっと魔が差しちゃって…えへへへ…」
頭を掻きながら謝罪する私を見て、ジン・ライムに浮かぶ薄緑の半月が氷の下へと滑り落ちる。私はジン・ライムが冷たい態度を見せても、めげずに愛想笑いを浮かべながら頭を下げ、謝り続けた。
「で、でも!エレナが無事に王都に着けて良かった!もう、あんな変な事しないから!これでお姉ちゃん、安心して妹を送り出せるよ!…赤兎、エ、エレナの事、よろしくね?エレナ美人だし、気立ても良いし…赤兎にお似合いだからっ!」
「…イリスさん…」
ぽとり。
ジン・ライムの脇に一滴の雨だれが落ち、カウンターの木目に黒い染みが広がる。私は急いで目元を拭き、水漏れを塞ぐ。
「…ご、ごめんなさい。あのエレナがこんな立派になったって、お姉ちゃん、ちょっとしんみりしちゃった…す、すぐに治まるから…」
ぽとり。ぽとり。
ジン・ライムの周りに落ちる雨だれの数が増え、カウンターの黒い染みが大きくなる。私は掌を目に押し付け、水漏れの出所を押さえた。だが、水漏れは治まるどころか次第に水量を増し、掌を伝って手首に幾筋もの滝を作り上げる。私は必死に笑おうと口を開き、泣きじゃくりながら言い訳を繰り返した。
「ご、ごめんね!こんなメンドクサイ女で。すぐに泣き止むから…ぅ…や、やだ、な、何で止まらないのぉ!?ぇぐ…と、止まってよぉ…!」
「――― イリスさんっ!」
突然、顔を覆っていた左手を掴まれ、私は引っ張られた。私はバランスを崩して倒れ込み、――― 隣に座る男の厚い胸板に抱き留められる。私の頭部に男の掌が回り、繰り返し髪の毛の流れをなぞる様に揺れ動く。後頭部に伝わる初めての温もりに私は惹き寄せられ、透き通った男の声が耳元に流れ込んだ。
「イリスさん、すみません!あなたがこんなにも苦しんでいるって、僕が気づけなくて。こんな事になるなら、もっと早く、ちゃんと話をすれば良かった…!」
「…ぐす…赤兎、そんな無理して言い訳しないで好いから…私は大丈…うぅぅ…」
「イリスさん、お願いですから、僕の話を聞いて下さい!」
赤兎が私の両肩を掴んで急き立てるが、私は両手で顔を拭いながら頭を振り、彼の言葉を遮る。そんな私の許に、棚の整理の手を止めたエレナの呆れ声が、カウンターの向こうから飛んだ。
「姉さん、泣いてばかりいないで、少しは私達の話を聞いてよ。大体、あの人が姉さんを捨てるわけ、ないじゃない」
「何でそう、言い切れるのよ!?」
私は赤兎の手と涙を振り切り、勢い良くカウンターへと振り返って糾弾する。そんな私の追及にエレナは答えず、カウンターの脇に置かれたマガジンラックに手を伸ばして一冊の雑誌を取り、私の目の前に置いた。「週刊 わーるどウィーク」という名のその雑誌の表紙には、「緊急特集:今週の実装を徹底分析!」の大きな見出しが躍っている。エレナは雑誌をペラペラと捲り、とあるページで指を止めると、そのページに掲載された1枚のイラストを指差した。
そこには、今回新たに実装された、ダークエルフの新衣装が描かれていた。魔法職用のその衣装は薄い生地で仕立てられたシースルーのローブで、内側に身に着けた黒い柄の胸当てや紐で結わえたパンツは下着と見間違えるほど布地が小さく、ローブの襞の合間から透けて見え、妖しく浮き上がっている。
その艶めかしい衣装を身に纏った姿は、まさに「ネグリジェ姿で寝室に佇む人妻」。
あまりの破廉恥さに思わず目が点になった私に、エレナの諦観の声が降りかかる。
「…その衣装、二次職にならないと装備できないのよ。それを知った途端、あの人、目の色を変えてレベル1の私をゴブリンの森に連れ出し、以降、ずっとスパルタよ?…まったく、あの人ったら、本当にどうしようもない…」
「え、えっと…」
「姉さん、安心して。二次職になって、この衣装を身に着けた途端、私はお蔵入りだから。すぐに姉さんの所に戻って来るわ」
「…で、でも!さっきエレナと赤兎の二人で、一緒に狩りに行くって…!」
「そんなの、姉さんで『ろぐいん』してって意味に、決まっているじゃない」
赤い顔で反論する私に、エレナが腰に手を当てて溜息をつく。
「…姉さん、知ってる?あの人、私が魔法撃つたびにブツブツ文句言うのよ?『チマチマ倒すの、面倒臭ぇ。早く戻りてぇ』って」
「…え…」
「多分、明日には『かくせいくえすと』を受けられるから。それまでもう少し、我慢してね?」
「…」
エレナの説明に、私はもはや反論する言葉が見つからず、口を開閉させる他にない。その私に、隣に座る男が恐る恐る声を掛ける。
「…あの、イリスさん…」
男の呼び声に、再び私は飛び上がった。私は椅子の上で背筋を伸ばし、顔を真っ赤にして俯き、目の前に置かれたジン・ライムをガン見する。
「タ、タンマ!赤兎、今日の事は全部忘れて!今日は、何もなかった!好いっ!?」
「ア、ハイ」
私の有無を言わさぬ剣幕を前に、彼が及び腰で答える。だけど、私には彼を気遣う余裕がない。パンツと醜態、見せるならどっちがマシか、羞恥の限界に挑む二択と戦う私の許にエレナが顔を寄せ、耳元で囁いた。
「…大丈夫。私は姉さんのお気に入りを横取りしたり、しないから」
「…」
「姉さんの前途を祝して、――― 乾杯」
二択が三択に増え、下を向いたまま茹蛸のように顔を赤らめ硬直する私を肴に、エレナが一人でグラスを掲げる。
カラン。
目の前のジン・ライムの氷が崩れ、私を嘲笑った。
***
『 イ リ ス 、 何 し て る の ? 』
『いや、ここ5日ほど見てなかったら、記憶が曖昧になってきてな。忘れないように、しっかりと目に焼き付けておこうと思ってさ。赤兎、どうやったら忘れずに済むと思う?』
『 医 者 に 頭 診 せ る べ き だ と 思 う 』
マスターの馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁっ!
翌々日、6日ぶりに「ろぐいん」した「私」はギルドホールでスカートをたくし上げたまま仁王立ちを続け、赤兎達の注目を一点に集めながら、マスターへの抗議の声を上げていた。
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