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番外編!
新月の夜に。(前編/ルード視点/ほのぼの)
しおりを挟む「ヒビキ、今日の夜は空いている?」
ふと思い出したように私がそう尋ねると、ヒビキはもぐもぐごくんと口の中に詰め込んでいた料理を飲み込んでからこくりとうなずいた。
「おれはいつでも空いてますけど……」
「……今日は、あの湖の家に行こうと思うんだ。ヒビキに見せたいものがあって。……それに、泳ぎたいって言っていただろう?」
ぱぁっとヒビキの表情が明るくなった。湖の近くにある家は、普段フェンリルたちがくつろぐために使っている。この屋敷に呼んでも良いのだが、フェンリルやフラウはアレで結構シャイなところがあるのだ。それを知っているのは、恐らく私だけだろう。
「明日は休みだから、湖で泳いだ後あの家のお風呂で温まってから寝よう?」
「はい!」
すごく元気な声が返って来た。こんなに喜んでくれるのなら、もっと早く誘えば良かった。だが、どうしても今日が良かった。ヒビキならきっと喜んでくれると思うから。
「じいや、仕事が終わったらヒビキと出掛ける。今日は屋敷に戻らないから、後は頼む」
「かしこまりました」
じいやが目元を細めて微笑んだ。どことなく、嬉しさがにじみ出ている気がする。……こんな風に、誰かの機嫌を感じ取れるようになるとは思わなかった。これもヒビキのおかげだと思うと、より一層ヒビキへの愛が増していく。心が満たされていくのを感じつつ、マルセルの作った朝食を食べ終えて仕事へ向かう。
婚約をしてから、ヒビキは一緒に起きて朝食を食べた後、見送りをしてくれるようになった。正直、背を伸ばしてちゅっと唇へ行ってらっしゃいのキスをされると、仕事に行きたくなくなるくらい可愛い。頑張って起きようとしてくれるところも愛おしい。――大体抱きつぶしてしまうが……。
私からもキスを返して、「行ってきます」と言うとヒビキは「帰りを待ってますね」と微笑んでくれる。……帰りを待つ、愛しい人が居るというのは幸福感に包まれるものなのだな、と改めて実感する。
後ろ髪を引かれる感覚を覚えつつ、仕事場へ向かう。今日は書類に目を通さないといけない。早く終わらせて、早く帰ろう。そう決意して、聖騎士団の塔の執務室へ足早に向かった。
「……何でいつもそのスピードで出来ないんですか、ホシナ隊長!」
「ヒビキとの約束がなければやる気が出ない」
「惚気か!」
我ながら呆れるほどのスピードで書類へ目を通して、必要なものと不要なものを分けられた。そして必要なものには承認の判子を押し、不要なものはバビントンに始末を頼む。……それにしても、今までメルクーシン隊長と言っていたのに、あの式典の後、あまりにもすんなりとホシナ隊長と呼ばれることに、私のほうが困惑してしまった。一番隊の隊員たち、適応力が高くないか……?
「とりあえず、今日のホシナ隊長の業務は終わりました。早退します?」
「そうだな、サディアスに聞いてからにする」
椅子から立ち上がってサディアスの元に行こうとすると、「そういえば」とバビントンが呟いた。彼に視線を向けると、真剣な表情で私に向かってこう言った。
「ご婚約おめでとうございます」
「……それ、今言うのかい?」
目を瞬かせて尋ねると、バビントンはバツが悪そうに視線を逸らし、後頭部に手を置いて小さく息を吐いた。
「団長とニコロが結婚したでしょう? その衝撃ですっかりお祝いの言葉を伝えるの忘れていたな、と」
あの式典の翌日、サディアスとニコロは婚姻届けを出した。受理したのは陛下だ。式には呼んでねと無邪気に笑った受理してくれたらしい。貴族の結婚は陛下の許可が必要だから……と言うか、まさか婚約期間ゼロで結婚するとは流石に私も思わなかった。
「まぁ、確かに衝撃的だったな」
昨日のことのように思い出せる。ものすごく幸せそうなサディアスがニコロを連れて聖騎士団へと来て、『わたしたち結婚したから!』と宣言したのだ。式には準備がかかるから、婚姻届けだけ出したそうだ。それを聞いて、私たちの時はどうしようかと考えた。
婚約期間は二年ある。その間に色々準備をしなければならない。ヒビキが着る服、私が着る服、結婚式を行う場所、招待する人々。だが、それを面倒だとは感じない。正真正銘、ヒビキが私のものになるという儀式だから。いや、逆か? 私がヒビキのものになるのだろうか。それもそれで良い。
「……隊長の幸せそうな表情も衝撃的ですけどね?」
「……そんなに顔に出ていたか?」
「早くヒビキさんに会いたいって顔に書いてあります」
……ヒビキの表情筋の動きが移ったのだろうか? ヒビキの考えていることはわかりやすいとずっと思っていたが……。
「ヒビキさんに関わることならわかりやすくなりましたよ、隊長」
「……そうか」
思わず自分の顔に触れてみる。自分の感情が表に出るようになるのは、良いことなのか悪いことなのかよくわからない。ただ、確かにヒビキに会いたいとは思う。ほぼ毎日見ているのに、ヒビキと言葉を交わすたびに、傍にいるだけでも愛しさが募っていく。
「良かったですね」
「良かった?」
「それだけ愛せる人が、隊長の傍に居てくれるって貴重じゃないですか」
バビントンがそう言いながら不要な書類を持って「処分してきまーす」と執務室から出て行った。私はその背中を見送って、ふっと息を吐いた。右手に巻いてもらったミサンガへ視線を向けて、そっとそれを撫でた。――帰って、ヒビキの顔を見よう。
サディアスの元に向かい、早退の許可を貰おうと歩いていると、サディアスのほうからやって来た。
「あ、ルード」
「休憩ですか?」
そんなとこ、と微笑むサディアスは、ものすっごく幸せそうに見えた。ニコロを求め続けていたことを知っているから、何とも言えない気持ちになる。ニコロも大事な私の家族の一員だと思うから?
「ニコロは?」
「ヒビキさんのところじゃないかな? 水着がどうのこうのって言っていたから」
サディアスは私より遅く来たのだろう。そもそもサディアスの仕事のほとんどは副騎士団長がこなしていると聞いたことがある。もちろん、サディアスでなければならない案件は彼がこなしているだろうが。
「水浴びにでも行くの?」
「そのつもりです。ヒビキが泳ぎたいと言っていたから」
「……ああ、他の人に見られるのはイヤなのか」
こくりとうなずく。ヒビキの裸体を見て良いのは私だけだ。
サディアスがにんまりと口角を上げて、私の肩を叩く。そのまま子どもにするようにわしゃわしゃと頭を撫でられて、驚いて目を丸くすると優しい表情を浮かべたサディアスが視界に入って息を飲む。
「変わったね、ルード。あの頃の鋭さが嘘のようだ」
「……そっくりそのまま、あなたに返しますよ、サディアス」
もしも、と考えて恐ろしくなる時がある。ヒビキと出逢えなかったら、私はどうなっていたのだろうか、と。きっと、それはサディアスも同じだろう。私にとってのヒビキは、サディアスにとってのニコロだろうから。
しかし、サディアスと向き合うと決めた後のニコロは色々とすごかったな、とぼんやり考える。逃げ回っていたのが懐かしく感じるくらいには。
「そう言えば、サディアスとニコロは結婚式どうするんですか?」
「半年以内にはする予定だよ。とはいえ、ニコロはあんまり乗り気じゃないけど~……」
残念そうに唇を尖らせるサディアスに、私は肩をすくめた。恐らく、派手にしたいサディアスと、こじんまりとしたいニコロの意見の違いだろう。とはいえ、サディアスは公爵だから結婚式になると呼ぶ貴族が多い。こればかりはニコロが折れるだろうなと考えた。
「そっちは準備期間が長いねぇ。二年か。ヒビキさんの十八歳の誕生日に結婚式?」
「まだそこまで考えていませんよ……。ヒビキは今、貴族のことを勉強中ですし」
立ち振る舞いなどをじいやから教わっている。その姿がまた愛らしい。……それはともかく、今日泳ぐことで気分転換になれば良いのだが。
「で、執務室から出てどこに行こうとしていたのさ?」
「ああ、早退の許可を取りに。私の仕事は終わったので、ヒビキと過ごそうかと」
「はいはい、ご苦労様。あ、招待状出すから、結婚式には参加しておくれよ?」
「それはもちろん」
それじゃあ、とひらりと手を振ってサディアスが去っていく。あの頃の余裕のなさを思い出して、私はゆっくりと息を吐いた。
早く帰ってヒビキに会いたい。会って抱きしめたい。……我ながら、とことんヒビキに惚れていると思う。
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