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「お嬢様、それで大事な話とは一体何だったのですか?」
「それは……言えません」
言える訳がない。
最も親しいーーそして信頼できる従者だからこそ。
言えない内容である。
私はアンドレアル様と別れた後、エクレアと2人屋敷に戻った。
落ち着ける自室で、信頼のおける従者とのひと時。
本来は、ただの日常の一コマ。
嫌な相手との会食をやり遂げ、少しの達成感と大きな倦怠感とともに温かい飲み物を飲む。
ちょっぴり相手への愚痴をこぼしたりもして。
それに彼女がため息と苦言を返す感じで。
その筈だった。
その予定だった。
でも、今回はそのいつもとは異なる。
大幅に。
心が落ち着かないのだ。
不安、焦り、迷い、その他色々。
先の話の話にまとわりついて、頭の中で繰り返される。
無論、相手への結論は出ていない。
いや、それ以前の問題だ。
そもそも『考える』という行為そのものが、あのお方への背信行為。
協力するしない以前の話。
あの場で、即座に断り席を立つのが正解だったはずなのだ。
だけれど、提示された報酬が余りにも魅力的で、私はそうできなかった。
自分の弱さ。
自分への甘さ。
ーーあの時、回答が考えられなかったと思っていたが、きっと嘘だ。
頭の中では都合の良いように論理武装していたのだろう。
小狡い。
なんてみっともない。
公爵家の令嬢として恥ずべき行為。
よくアンドレアル様の外見を心中で揶揄できたものだ。
私の中身だって、こんなにも見窄らしいというのに。
こんなにも醜悪だと言うのに。
壁掛け鏡に映る自分の姿が、不意に目に映る。
人の形をしているのに、どこか歪んで見える。
そう、見えてしまう。
「……どうしてですか?」
エクレアが尋ねた。
心配そうな目で私を見て。
「それもーー言えない」
その回答に、沈黙が流れる。
静かな時間。
無限のように感じる。
どちらかも口を開かず。
状況が停止する。
「……分かりました。そういう類の話、という認識ができただけでも良しとしましょう」
いくらか時間が経った後、納得したように彼女は頷いた。
自らを納得させるように、という言い方の方が正しいかもしれない。
彼女は従者、私は主人。
力関係は明確。
必要なことであっても、正しいことがあっても、主人が口を閉ざせばそこから先はないのだ。
優秀で優しい彼女は、心得ている。
その辺りの制約と配慮を。
「言いたくなったら、あるいは言える状況になったら、教えてください」
彼女は言う。
いつもの彼女に似つかわしくないーー
「私は貴方の味方なのですから」
ほんの少し笑顔を浮かべながら。
でも、変わらず私は笑えなかった。
笑顔の作り方を忘れ、その上自然と笑うことすらできなくなった。
「それは……言えません」
言える訳がない。
最も親しいーーそして信頼できる従者だからこそ。
言えない内容である。
私はアンドレアル様と別れた後、エクレアと2人屋敷に戻った。
落ち着ける自室で、信頼のおける従者とのひと時。
本来は、ただの日常の一コマ。
嫌な相手との会食をやり遂げ、少しの達成感と大きな倦怠感とともに温かい飲み物を飲む。
ちょっぴり相手への愚痴をこぼしたりもして。
それに彼女がため息と苦言を返す感じで。
その筈だった。
その予定だった。
でも、今回はそのいつもとは異なる。
大幅に。
心が落ち着かないのだ。
不安、焦り、迷い、その他色々。
先の話の話にまとわりついて、頭の中で繰り返される。
無論、相手への結論は出ていない。
いや、それ以前の問題だ。
そもそも『考える』という行為そのものが、あのお方への背信行為。
協力するしない以前の話。
あの場で、即座に断り席を立つのが正解だったはずなのだ。
だけれど、提示された報酬が余りにも魅力的で、私はそうできなかった。
自分の弱さ。
自分への甘さ。
ーーあの時、回答が考えられなかったと思っていたが、きっと嘘だ。
頭の中では都合の良いように論理武装していたのだろう。
小狡い。
なんてみっともない。
公爵家の令嬢として恥ずべき行為。
よくアンドレアル様の外見を心中で揶揄できたものだ。
私の中身だって、こんなにも見窄らしいというのに。
こんなにも醜悪だと言うのに。
壁掛け鏡に映る自分の姿が、不意に目に映る。
人の形をしているのに、どこか歪んで見える。
そう、見えてしまう。
「……どうしてですか?」
エクレアが尋ねた。
心配そうな目で私を見て。
「それもーー言えない」
その回答に、沈黙が流れる。
静かな時間。
無限のように感じる。
どちらかも口を開かず。
状況が停止する。
「……分かりました。そういう類の話、という認識ができただけでも良しとしましょう」
いくらか時間が経った後、納得したように彼女は頷いた。
自らを納得させるように、という言い方の方が正しいかもしれない。
彼女は従者、私は主人。
力関係は明確。
必要なことであっても、正しいことがあっても、主人が口を閉ざせばそこから先はないのだ。
優秀で優しい彼女は、心得ている。
その辺りの制約と配慮を。
「言いたくなったら、あるいは言える状況になったら、教えてください」
彼女は言う。
いつもの彼女に似つかわしくないーー
「私は貴方の味方なのですから」
ほんの少し笑顔を浮かべながら。
でも、変わらず私は笑えなかった。
笑顔の作り方を忘れ、その上自然と笑うことすらできなくなった。
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