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文化祭
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シャワールームに着くと、生徒が押しあいへしあいして、やたら込みあっている。
「まずいな、これ一時間目に間にあうか?」
中村が心配して青ざめる。
「早くしろ、二人一組で入れよー」
誰かが後方で叫んだ。
確かにシャワー十個に対して、いま、何十人いるんだろう。ゆうに五十人以上?
工夫して使わなくてはとうてい授業に間にあわない。しかもこもった熱気で室温が上昇していて、待っている間にもますます汗だくになってくる。
「富谷、一緒に入ろう」
豊島が爪先立ちして、睦に耳打ちした。深く腕を絡められて睦がうろたえている。
「え。いや、俺は…一人がいい」
絡められた腕をさりげなく離している。それからまた、表情を探るようにチラっと俺に視線を走らせてくる。
分かってるんだな、と確信した。
睦は豊島に好かれていることを自覚している。
でなければ、この状況でこんなふうに拒否したりしないし、俺の様子を探ってこないはずだ。
豊島が自分を好きだと知っているのに、なぜ睦は豊島にギターを教える約束なんかしたのだろう。
「なんで? 男同士だろ? 別にいいじゃない?」
豊島がきょとんとした顔で訊く。俺は斜め後ろから、無邪気に睦を見上げている豊島の蠱惑的な横顔をこっそりと盗み見た。
去年、同時期にダンス部に入部したときも、やっぱり俺の目はこうやって豊島に釘付けになった。
その時も、こんなに魅力的な男は見たことがないなと思った。
正直に言うと俺はそのとき、豊島の魅力に惹かれるというよりはむしろ、不安に近い気持ちで豊島を眺めていた。こんな男が睦を好きになったら、どうしよう…と。
真美も、藤原莉紗も、そして豊島も。どうしたって睦に惹きつけられずにはいられない。
そう考えるとき、俺はとてつもない不安に襲われる。
俺はいつまで「愛してる」って睦に囁いてもらえるんだろう。いつか睦が他の人を好きになったら、俺たちは別れる。そう考え始めると、不安で不安で、胸が張り裂けそうになる。
「でも、ほら。マジで二人ずつ使ってるぜ」
豊島の言葉につられて見ると、確かにどの個室にも二人一組で入っていく。みんな真面目で律儀だな。軍隊みたいな規律だ。
「な? ぼくら、一緒に入らなきゃだろ?」
豊島が嬉しそうな顔を素直に見せる。
再び睦の困った視線が俺に注がれた。俺は、かちあった目をそっと側める。
俺は関係ないぞ。
お前が悪いんだ。はっきりと豊島を断らないから。
突然、睦が俺の腕を取る。
「いや。お前らが一緒に入れ」
「――え?」
「お前ら部活一緒だし、仲良さそうだから。ご一緒にどうぞ」
俺の背中をむりやり押して、自分は後ろに並ぶ。なんとなく不機嫌な顔だった。
豊島がにっこり笑った。
「いいよ、ぼく。桜井とでも。お前はいい?」
呆気にとられたまま頷いた。
やがて空いた個室に豊島と入った。備え付けのシャンプーで髪を洗う。
ほっそりした体の豊島は、顔から足の先まで健康的な小麦色だ。
いくら焼いても桃色でとどまって、すぐにまた白んでしまう俺の病的な肌とは違うのだろう。
豊島が口を開く。
「桜井。お前、庄田と付きあっているの?」
手を髪の中に置いたまま、じっと豊島を見つめた。寝耳に水とはこのことだ。
「まさか。それ、だれ情報?」
「うーん? …ていうか、ダンス部の一年はほとんど知っているよ、庄田がお前を好きなこと。それでダンス部に入ったことも。なんか、男子校って感じだよねぇ」
クスクス笑う。
「そう。でも、付きあってない」
当たり前だ。
「そっか。じゃ、あいつの片想いってことか。でもさ、庄田がゲイってちょっとびっくりだね。もしかしたら、お前のことが好きなだけであって、もとはそうじゃないのかも、そんな気がする。最近、すごくダンスがんばっているよなあ、あいつ。スクールにも通い始めたらしいよ。体がデカくて見栄えがいいし、上手くなったら楽しみだよなあ」
庄田がダンスに本気になってきたのだとしたら、それは嬉しい。正直に、嬉しい。
「ゲイって言えばさ、富谷がそうだって知ってた?」
今度はシャワーをとり落しそうになる。
ここがガヤガヤと騒がしい場所でよかった。こんな話題、誰にも聞かせられねえや。
俺は平然を装って髪をすすいだ。
「さあ?」
とぼけて見せたものの、心臓は早鍾を打つ。豊島は饒舌に続ける。
「ぼく、てっきり富谷は藤原莉紗と付きあっているのかなと思っていたんだけどさ、藤原ってふられたらしいね。ぼくの知りあいに彼女と同じ高校の奴がいるんだけど、藤原が言いふらしているらしいよ、富谷睦はホモだって。ホモにひっかかんなくてよかったわーって、あちこちで言い回っているんだってさ。ずいぶんエゲツないことするよねぇ」
しみじみと言う。
そうなのか。いくらなんでもそれはひどい。
なんだかショックだった。こんな話が広まっていることを知ったら、睦は傷つくんじゃないだろうか。
豊島が声のトーンを落とす。
「ぼくはでも、富谷に興味があるな。紳士的だし、なんか色っぽいし。ルックスも、校内でピカイチじゃん? もしあいつが誰とも付きあってないなら、チャレンジしちゃおうかな、ぼく。いまのうちに」
口にこぶしを添えて、可愛く喉を鳴らす。ファルセットがかった高い声。
俺からシャワーを受け取ると、気持ちよさげな顔をしてシャンプーを洗い流す。ちょっとの間、そんな豊島を眺めていた。
「それって、お前もゲイってことか?」
お湯に濡れるやんちゃ顔を斜めに傾いで、俺を見る。長い髪が頬に纏わりついて本当に女の子みたいだ。
「そうだよ。知らなかった? お前もそうなんだろう?」
図星を刺されて、息を呑んでまぶたをしばたいた。豊島が楽しげに鼻で笑う。
「せっかくの男子校なんだし、別にいいじゃん? 珍しいことじゃないだろ」
達観しているのか、なんとも軽快に言う。
意識したことはなかったけれど、男の睦を好きな俺だって、間違いなくゲイだ。
それがどうというわけではないけれど、好きになった相手がたまたま男だったという理由で、そんなふうに型に区分されてしまうのも何か釈然としない。
結局、授業には五分遅れて、教師にこっぴどく叱られた。
けれど、もっと遅れてきた生徒もいて、先生も最後には「文化祭前だからしかたないか」と席に着くことを許してくれた。
「濡れた拓くん、セクスィ~~」
誰かが冷やかす。
人の気も知らないで、いい気なものだ。
「まずいな、これ一時間目に間にあうか?」
中村が心配して青ざめる。
「早くしろ、二人一組で入れよー」
誰かが後方で叫んだ。
確かにシャワー十個に対して、いま、何十人いるんだろう。ゆうに五十人以上?
工夫して使わなくてはとうてい授業に間にあわない。しかもこもった熱気で室温が上昇していて、待っている間にもますます汗だくになってくる。
「富谷、一緒に入ろう」
豊島が爪先立ちして、睦に耳打ちした。深く腕を絡められて睦がうろたえている。
「え。いや、俺は…一人がいい」
絡められた腕をさりげなく離している。それからまた、表情を探るようにチラっと俺に視線を走らせてくる。
分かってるんだな、と確信した。
睦は豊島に好かれていることを自覚している。
でなければ、この状況でこんなふうに拒否したりしないし、俺の様子を探ってこないはずだ。
豊島が自分を好きだと知っているのに、なぜ睦は豊島にギターを教える約束なんかしたのだろう。
「なんで? 男同士だろ? 別にいいじゃない?」
豊島がきょとんとした顔で訊く。俺は斜め後ろから、無邪気に睦を見上げている豊島の蠱惑的な横顔をこっそりと盗み見た。
去年、同時期にダンス部に入部したときも、やっぱり俺の目はこうやって豊島に釘付けになった。
その時も、こんなに魅力的な男は見たことがないなと思った。
正直に言うと俺はそのとき、豊島の魅力に惹かれるというよりはむしろ、不安に近い気持ちで豊島を眺めていた。こんな男が睦を好きになったら、どうしよう…と。
真美も、藤原莉紗も、そして豊島も。どうしたって睦に惹きつけられずにはいられない。
そう考えるとき、俺はとてつもない不安に襲われる。
俺はいつまで「愛してる」って睦に囁いてもらえるんだろう。いつか睦が他の人を好きになったら、俺たちは別れる。そう考え始めると、不安で不安で、胸が張り裂けそうになる。
「でも、ほら。マジで二人ずつ使ってるぜ」
豊島の言葉につられて見ると、確かにどの個室にも二人一組で入っていく。みんな真面目で律儀だな。軍隊みたいな規律だ。
「な? ぼくら、一緒に入らなきゃだろ?」
豊島が嬉しそうな顔を素直に見せる。
再び睦の困った視線が俺に注がれた。俺は、かちあった目をそっと側める。
俺は関係ないぞ。
お前が悪いんだ。はっきりと豊島を断らないから。
突然、睦が俺の腕を取る。
「いや。お前らが一緒に入れ」
「――え?」
「お前ら部活一緒だし、仲良さそうだから。ご一緒にどうぞ」
俺の背中をむりやり押して、自分は後ろに並ぶ。なんとなく不機嫌な顔だった。
豊島がにっこり笑った。
「いいよ、ぼく。桜井とでも。お前はいい?」
呆気にとられたまま頷いた。
やがて空いた個室に豊島と入った。備え付けのシャンプーで髪を洗う。
ほっそりした体の豊島は、顔から足の先まで健康的な小麦色だ。
いくら焼いても桃色でとどまって、すぐにまた白んでしまう俺の病的な肌とは違うのだろう。
豊島が口を開く。
「桜井。お前、庄田と付きあっているの?」
手を髪の中に置いたまま、じっと豊島を見つめた。寝耳に水とはこのことだ。
「まさか。それ、だれ情報?」
「うーん? …ていうか、ダンス部の一年はほとんど知っているよ、庄田がお前を好きなこと。それでダンス部に入ったことも。なんか、男子校って感じだよねぇ」
クスクス笑う。
「そう。でも、付きあってない」
当たり前だ。
「そっか。じゃ、あいつの片想いってことか。でもさ、庄田がゲイってちょっとびっくりだね。もしかしたら、お前のことが好きなだけであって、もとはそうじゃないのかも、そんな気がする。最近、すごくダンスがんばっているよなあ、あいつ。スクールにも通い始めたらしいよ。体がデカくて見栄えがいいし、上手くなったら楽しみだよなあ」
庄田がダンスに本気になってきたのだとしたら、それは嬉しい。正直に、嬉しい。
「ゲイって言えばさ、富谷がそうだって知ってた?」
今度はシャワーをとり落しそうになる。
ここがガヤガヤと騒がしい場所でよかった。こんな話題、誰にも聞かせられねえや。
俺は平然を装って髪をすすいだ。
「さあ?」
とぼけて見せたものの、心臓は早鍾を打つ。豊島は饒舌に続ける。
「ぼく、てっきり富谷は藤原莉紗と付きあっているのかなと思っていたんだけどさ、藤原ってふられたらしいね。ぼくの知りあいに彼女と同じ高校の奴がいるんだけど、藤原が言いふらしているらしいよ、富谷睦はホモだって。ホモにひっかかんなくてよかったわーって、あちこちで言い回っているんだってさ。ずいぶんエゲツないことするよねぇ」
しみじみと言う。
そうなのか。いくらなんでもそれはひどい。
なんだかショックだった。こんな話が広まっていることを知ったら、睦は傷つくんじゃないだろうか。
豊島が声のトーンを落とす。
「ぼくはでも、富谷に興味があるな。紳士的だし、なんか色っぽいし。ルックスも、校内でピカイチじゃん? もしあいつが誰とも付きあってないなら、チャレンジしちゃおうかな、ぼく。いまのうちに」
口にこぶしを添えて、可愛く喉を鳴らす。ファルセットがかった高い声。
俺からシャワーを受け取ると、気持ちよさげな顔をしてシャンプーを洗い流す。ちょっとの間、そんな豊島を眺めていた。
「それって、お前もゲイってことか?」
お湯に濡れるやんちゃ顔を斜めに傾いで、俺を見る。長い髪が頬に纏わりついて本当に女の子みたいだ。
「そうだよ。知らなかった? お前もそうなんだろう?」
図星を刺されて、息を呑んでまぶたをしばたいた。豊島が楽しげに鼻で笑う。
「せっかくの男子校なんだし、別にいいじゃん? 珍しいことじゃないだろ」
達観しているのか、なんとも軽快に言う。
意識したことはなかったけれど、男の睦を好きな俺だって、間違いなくゲイだ。
それがどうというわけではないけれど、好きになった相手がたまたま男だったという理由で、そんなふうに型に区分されてしまうのも何か釈然としない。
結局、授業には五分遅れて、教師にこっぴどく叱られた。
けれど、もっと遅れてきた生徒もいて、先生も最後には「文化祭前だからしかたないか」と席に着くことを許してくれた。
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