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第10章
2023年 東京
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マーティンの話に、葵たちは静かに耳を傾けていた。壮絶なバンドの過去と、チャンの悲劇的な死、そしてその後の転落劇に心を打たれていた。特に葵は、自分の父親アレンがどのように崩壊していったのか、彼の心の闇がどれほど深かったのかを初めて知ることになり、言葉が出なかった。
海が重苦しい空気を破ろうと声を上げた。「それじゃあ、ディーン坂本が行方をくらましているのも、何か関係があるってことなんですか?彼が犯人を知っているとか、復讐を企んでるとか…」
マーティンはゆっくりと首を横に振った。「それはわからない。でも、ディーンはアレンとは違って冷静な奴だった。彼がただ逃げてるだけっていうのは考えにくい。きっと何か別の理由があるんだろうな」
マーティンはシャツの前ポケットから一枚の写真を取り出してテーブルの上に置いた。
その古い写真には、青い空と海岸をバックに4人の若い青年が笑顔で立っている姿が写っていた。
そこには葵とそっくりな顔をしたアレンが、その横には間違いなくライブハウス『ドラゴン』の店長をやっていた龍二改めディーン坂本が写っていた。20年近く前だが、間違いなく彼だった。ディーンの右隣には今ここにいる若き日のマーティンが映っていて、アレンの左隣にいる、はにかんだ表情のアジア人男性がチャンなのだろう。
「ところで、アンタは本当にアレンの息子なのか?アンタの母親は一体誰なんだ?」
「俺の母親は、父は俺が生まれる前に死んだって言ってました。ずっと、父の名前は『サル・パラダイス』だと聞かされてきました。でも、父の写真は一枚も見たことがありません。」
その言葉に、マーティンは思わず肩を震わせて笑った。
「『サル・パラダイス』だって?そいつは傑作だな。アレンはクラブで遊ぶとき、よくその偽名を使ってたんだよ。チャンはあまりそういう場所が好きじゃなかったからな。ケルアックの小説、『路上』に出てくるだろ?知ってるか?ディーン・モリアーティとサル・パラダイス。アレンとディーンはクラブに行くときに、よく『サルとディーン』って名乗ってたんだ。」
葵の家のリビングには、幼い頃の葵を抱いた母親、葉子の笑顔が映った写真が飾られていた。あの頃は穏やかで幸せそうな雰囲気が漂っていたが、今、その同じリビングで、葉子は蒼白な顔で16歳になった葵と向き合っていた。
葵はマーティンから聞いた話を葉子に伝え、覚悟を決めたように核心に迫った質問をした。
「母さん、今度こそ真実を教えてくれ。俺の父親は、ドラゴンタトゥーズのアレンで、今もニューヨークで生きてるんじゃないのか?なんでずっと俺に嘘をついてきたんだ?」
葉子は長いため息をつき、しばし沈黙した後、観念したかのように話し始めた。
「…子供だったあなたには、どうしてもこんなことを話すわけにはいかなかったのよ…。アレンは私のことも、あなたの存在も知らないから…」
「なんで?」
「私が学生だった頃、ニューヨークに留学していたの。友達に誘われて、彼らのライブを初めて観に行ったのよ…。それで、一目で彼に夢中になった。それからは他のファンの子たちと一緒に、勝手にファンクラブみたいなことをして、ドラゴンタトゥーズのライブには欠かさず行くようになったわ。会場の外で出待ちをしたりもして。でも…私は他のファンと同じようにただの一人ではいたくなかった。彼の『特別』になりたかったのよ…」
「まさか…」
「あるライブの後、彼らが打ち上げに行くって情報を手に入れて、私もファンたちとそのクラブに行ったの。アレンたちはVIPルームにいたんだけど、アレンがトイレに立ったとき、一人になったのを見計らって声をかけたの。彼は酔っていて、ほとんど意識がなかったけど、私は彼に『タクシーが来てるから帰ろう』って言って、自分のアパートに連れて帰ったの。それで…」
「もういい!!これ以上聞きたくない!」
葵は怒りを抑えられず、強い口調で葉子の話を遮った。拳でテーブルを叩き、リビングの空気が一瞬にして凍りついた。
「…俺がどうしてこの世に生まれたか、わかったよ…」
「私が妊娠していることに気づいたときには、もうアレンに伝えるすべもなかった…。あの時、私はアメリカに残る勇気がなくて、日本に帰ってきたの。だから、あなたには父親がいないってずっと言い続けてきたのよ。あんな話、子供のあなたにできるわけがないでしょう?」
葵は葉子の言葉に何も返さず、黙って立ち上がると、重たい足取りで自分の部屋へと戻っていった。
自分の出生の秘密を知ったところで、どうすればいいのか全くわからなかった。ただ、この複雑に絡み合った感情とどう向き合えばいいのか、それだけが頭の中をぐるぐると回り続けていた。アレンに、いつか「父さん」と呼べる日が来るのだろうか…。
それからしばらく、ディーンに関する手がかりは全く途絶え、もどかしさを抱えたまま夏休みは終わりを迎えた。葵は以前のような明るさを失い、無言で何かを考え込むことが増えていた。そんな葵を、空は心配していた。葵たちのバンドも、最近ではほとんど集まらず、練習も止まっていた。
放課後、空は葵に声をかけた。
「葵、一緒に帰ろう」
「ああ…」
二人は駅へ向かって歩道橋を歩いていた。夕暮れ時、空には沈みかけた太陽が赤や青、オレンジ、ピンク、紫と、何層にも重なる美しいグラデーションを描き出していた。その光景に、二人はしばらく無言で見入っていた。
「こういうの、マジックアワーっていうんだって…」
ふと、葵が静かに呟いた。
「そうなんだ…」
しばらく沈黙が続いた後、葵が重たい声で言った。
「空…。大切な人を失うって、どんな気持ちなんだろう…。俺、最近ずっと考えてるんだ。チャンさんを失ったアレン…いや、父さんがどんな気持ちだったかって。考えるだけで胸が引き裂かれそうなんだ…」
「…そうだな…」
(俺も、もし葵を失ったら…アレンみたいに復讐を誓うんだろうか…)
空はそんな考えが頭をよぎり、言葉を失った。
それから数日後、ドラムマガジンの高橋さんから連絡が入った。ニューヨークに戻ったマーティンからメールが届いたというのだ。
「それがね…ビッグニュースなんだよ。なんと、マーティンにディーンから直接連絡があったらしい」
「なんだって!?」
俺たちは驚愕して、思わず声を上げた。
「それで、ディーンは何て言ってきたんですか?」
「『チャンを殺した犯人がわかった』って…」
海が重苦しい空気を破ろうと声を上げた。「それじゃあ、ディーン坂本が行方をくらましているのも、何か関係があるってことなんですか?彼が犯人を知っているとか、復讐を企んでるとか…」
マーティンはゆっくりと首を横に振った。「それはわからない。でも、ディーンはアレンとは違って冷静な奴だった。彼がただ逃げてるだけっていうのは考えにくい。きっと何か別の理由があるんだろうな」
マーティンはシャツの前ポケットから一枚の写真を取り出してテーブルの上に置いた。
その古い写真には、青い空と海岸をバックに4人の若い青年が笑顔で立っている姿が写っていた。
そこには葵とそっくりな顔をしたアレンが、その横には間違いなくライブハウス『ドラゴン』の店長をやっていた龍二改めディーン坂本が写っていた。20年近く前だが、間違いなく彼だった。ディーンの右隣には今ここにいる若き日のマーティンが映っていて、アレンの左隣にいる、はにかんだ表情のアジア人男性がチャンなのだろう。
「ところで、アンタは本当にアレンの息子なのか?アンタの母親は一体誰なんだ?」
「俺の母親は、父は俺が生まれる前に死んだって言ってました。ずっと、父の名前は『サル・パラダイス』だと聞かされてきました。でも、父の写真は一枚も見たことがありません。」
その言葉に、マーティンは思わず肩を震わせて笑った。
「『サル・パラダイス』だって?そいつは傑作だな。アレンはクラブで遊ぶとき、よくその偽名を使ってたんだよ。チャンはあまりそういう場所が好きじゃなかったからな。ケルアックの小説、『路上』に出てくるだろ?知ってるか?ディーン・モリアーティとサル・パラダイス。アレンとディーンはクラブに行くときに、よく『サルとディーン』って名乗ってたんだ。」
葵の家のリビングには、幼い頃の葵を抱いた母親、葉子の笑顔が映った写真が飾られていた。あの頃は穏やかで幸せそうな雰囲気が漂っていたが、今、その同じリビングで、葉子は蒼白な顔で16歳になった葵と向き合っていた。
葵はマーティンから聞いた話を葉子に伝え、覚悟を決めたように核心に迫った質問をした。
「母さん、今度こそ真実を教えてくれ。俺の父親は、ドラゴンタトゥーズのアレンで、今もニューヨークで生きてるんじゃないのか?なんでずっと俺に嘘をついてきたんだ?」
葉子は長いため息をつき、しばし沈黙した後、観念したかのように話し始めた。
「…子供だったあなたには、どうしてもこんなことを話すわけにはいかなかったのよ…。アレンは私のことも、あなたの存在も知らないから…」
「なんで?」
「私が学生だった頃、ニューヨークに留学していたの。友達に誘われて、彼らのライブを初めて観に行ったのよ…。それで、一目で彼に夢中になった。それからは他のファンの子たちと一緒に、勝手にファンクラブみたいなことをして、ドラゴンタトゥーズのライブには欠かさず行くようになったわ。会場の外で出待ちをしたりもして。でも…私は他のファンと同じようにただの一人ではいたくなかった。彼の『特別』になりたかったのよ…」
「まさか…」
「あるライブの後、彼らが打ち上げに行くって情報を手に入れて、私もファンたちとそのクラブに行ったの。アレンたちはVIPルームにいたんだけど、アレンがトイレに立ったとき、一人になったのを見計らって声をかけたの。彼は酔っていて、ほとんど意識がなかったけど、私は彼に『タクシーが来てるから帰ろう』って言って、自分のアパートに連れて帰ったの。それで…」
「もういい!!これ以上聞きたくない!」
葵は怒りを抑えられず、強い口調で葉子の話を遮った。拳でテーブルを叩き、リビングの空気が一瞬にして凍りついた。
「…俺がどうしてこの世に生まれたか、わかったよ…」
「私が妊娠していることに気づいたときには、もうアレンに伝えるすべもなかった…。あの時、私はアメリカに残る勇気がなくて、日本に帰ってきたの。だから、あなたには父親がいないってずっと言い続けてきたのよ。あんな話、子供のあなたにできるわけがないでしょう?」
葵は葉子の言葉に何も返さず、黙って立ち上がると、重たい足取りで自分の部屋へと戻っていった。
自分の出生の秘密を知ったところで、どうすればいいのか全くわからなかった。ただ、この複雑に絡み合った感情とどう向き合えばいいのか、それだけが頭の中をぐるぐると回り続けていた。アレンに、いつか「父さん」と呼べる日が来るのだろうか…。
それからしばらく、ディーンに関する手がかりは全く途絶え、もどかしさを抱えたまま夏休みは終わりを迎えた。葵は以前のような明るさを失い、無言で何かを考え込むことが増えていた。そんな葵を、空は心配していた。葵たちのバンドも、最近ではほとんど集まらず、練習も止まっていた。
放課後、空は葵に声をかけた。
「葵、一緒に帰ろう」
「ああ…」
二人は駅へ向かって歩道橋を歩いていた。夕暮れ時、空には沈みかけた太陽が赤や青、オレンジ、ピンク、紫と、何層にも重なる美しいグラデーションを描き出していた。その光景に、二人はしばらく無言で見入っていた。
「こういうの、マジックアワーっていうんだって…」
ふと、葵が静かに呟いた。
「そうなんだ…」
しばらく沈黙が続いた後、葵が重たい声で言った。
「空…。大切な人を失うって、どんな気持ちなんだろう…。俺、最近ずっと考えてるんだ。チャンさんを失ったアレン…いや、父さんがどんな気持ちだったかって。考えるだけで胸が引き裂かれそうなんだ…」
「…そうだな…」
(俺も、もし葵を失ったら…アレンみたいに復讐を誓うんだろうか…)
空はそんな考えが頭をよぎり、言葉を失った。
それから数日後、ドラムマガジンの高橋さんから連絡が入った。ニューヨークに戻ったマーティンからメールが届いたというのだ。
「それがね…ビッグニュースなんだよ。なんと、マーティンにディーンから直接連絡があったらしい」
「なんだって!?」
俺たちは驚愕して、思わず声を上げた。
「それで、ディーンは何て言ってきたんですか?」
「『チャンを殺した犯人がわかった』って…」
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