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第10章
2006年-2012年 ニューヨーク ブルックリン
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アレンとマーティンが帰ってきたのは明け方だった。その日、俺たちは燃え尽きて、電池が切れたようにぐっすりと眠り込んでいた。
夕方、アレンの電話が鳴り響き、俺たちは飛び起きた。電話の向こうから告げられたのは、俺たちのデビューアルバムが全米チャート1位になったという知らせだった。
ついに俺たちは夢を叶えたのだ。
それからというもの、テレビやラジオ出演、雑誌の取材で目まぐるしい日々が始まった。アレンはなんと香水のCMにまで出演した。もちろん、本人の望んだものではなかったが、世話になったヴィンセントの頼みだから断れなかったのだ。
ニューヨーク中のビルやデパートには、俺たちの巨大なポスターが貼られた。けれど、テレビやポスターに映る自分たちは、どこか自分じゃないようで、俺はその違和感に少し恐怖を覚えていた。
瞬く間に4ヶ月が過ぎ、季節は冬に変わった。2007年には2枚目のアルバムを出すことが、すでに決まっていた。
2006年12月8日。
俺とアレンは雑誌のインタビュー、マーティンはラジオの収録があり、午前中からそれぞれの仕事に出かけることになっていた。チャンはメディア出演やマスコミの取材が苦手で、できるだけそういった個人の仕事は断っていた。
「チャンは?どこか行くのか?」
「うん…セントラルパークに散歩に行ってくるよ。新しい曲のアイデアを考えたいんだ」
チャンはよく1人でセントラルパークに出かけた。落ち着いて、いろいろ考える時間が取れるらしい。
その時、アレンがふっとチャンに近づき、自然に彼の顔にキスをした。とても自然で、美しい仕草だった。
俺とマーティンのほうが赤面してしまい、なんとなく直視できず、思わず視線を逸らした。
「じゃあ…また後でな」
街はクリスマス一色だった。クリスマスマーケットが開かれ、どこもかしこも浮かれていた。俺たちは雑誌の仕事を終え、家で昼食をとるつもりでベーグルをテイクアウトしてタクシーを拾った。
「チャンに電話かけたんだけど、繋がらないな…」
アレンは、ベーグルを買ったから一緒に食べよう、とチャンにメールを送った。
しかし、家に戻ってもチャンの姿はなかった。
「セントラルパークに行ってみるか…」
俺は不安な予感を抱きながらそう言ったが、その時アレンのスマホが鳴った。
「もしもし…?ああ、ヴィンセント?…えっ?!なんだって?!わかった…すぐ行く!」
アレンの顔色が変わり、声は切迫し、震えていた。ただならぬ事態が起きたことが俺にもすぐにわかった。
「ヴィンセント、何て言ったんだ?」
「ディーン…!チャンが…チャンが刺されたって!!」
俺たちはすぐにチャンが運ばれた病院に向かった。
集中治療室の前で、俺たちはヴィンセントと合流し、手術の成功をただ祈るしかなかった。誰も一言も口を開かなかった。アレンは青ざめ、全身が震えていた。俺は黙ってアレンの震える手を握った。
途中でマーティンに電話を入れて戻ってきた時、手術中のランプが消えた。
俺たちは希望を見出すように手術室のドアを見つめたが、出てきた医師の暗い表情は、それ以上に雄弁に事の結末を物語っていた。
「そんな…」
アレンはその場に崩れ落ち、声も無く泣いた。
顔に外傷のないチャンは、ただ穏やかに眠っているように見えた。
その日から、アレンはまるで抜け殻のようになってしまった。
代わりに俺とマーティンが全てを取り仕切り、チャンの葬式を執り行った。アレンは、チャンの墓の前で固く唇を結び、暗い目をしてこう誓った。
「俺は絶対にチャンを殺した奴を許さねぇ…何年かかっても…必ず見つけ出して復讐してやる…」
その言葉を聞いて、俺は心の底からアレンが心配になった。チャンを失った怒りと悲しみが、アレンを壊してしまうのではないか、と。
それから、俺たちのバンド「ドラゴンタトゥーズ」は実質的に活動を停止した。2007年になっても、アルバム制作など到底できる状態ではなかった。アレンはチャンを失った喪失感に耐えられず、徐々にドラッグに依存するようになっていった。MDMAを使って現実から逃れようとするアレンは、幻覚の中でチャンと再び会っていた。だが、その幻覚は彼をさらに壊していった。現実のチャンがいない世界を、彼は生きられなくなっていたのだ。
俺は、そんなアレンの姿を見ているのが耐えられなかった。だから、俺もまたアレンと同じようにドラッグに手を出し、現実から逃げるようになってしまった。
そして、マーティンはそんな俺たちに愛想を尽かし、黙って荷物をまとめ、フラットを出ていった。背中を見送ることしかできなかった。
正気の時、アレンはずっとチャンを殺した犯人のことを調べ続けていた。犯人は黒いパーカーのフードを目深に被った小柄な男で、チャンを刺した後、凶器のナイフを公園内の池に捨てたらしい。しかし、クリスマスシーズンでニューヨークの街は人で溢れ返っており、犯人はクリスマスマーケットの雑踏に紛れ、行方をくらませた。手がかりがほとんどなく、警察もお手上げ状態。ついには、ニューヨーク市警は「これ以上、捜査に金と人員を割けない」として、捜査を打ち切ってしまった。ニューヨークでは毎日のように新しい殺人事件が起きているから、彼らにとってはそれも仕方のないことだったのだろう。
チャンが死んでから、6年の月日が流れた。
今、ニューヨークの人々はもう「ドラゴンタトゥーズ」というバンドがいたことすら忘れているだろう。
皮肉なことに、俺たちは再び「プロジェクト」に住んでいた。
高額なブルックリンの家賃は、もはや払えるはずもなかった。今や、アレンと俺はドラッグの密売でその日暮らしをしていた。
アレンが正気でいられる時間は日に日に短くなっていたが、その日は朝から電話が鳴り、彼はどこかに出かけて行った。昼過ぎに帰ってきたアレンは、深刻で切迫した表情で俺に言った。
「情報屋から聞いた。俺、まもなく逮捕される…コカインの密売容疑でな。」
「なんだって…!」
「ディーン…これ、お前の偽造パスポートだ。頼む、俺を置いて日本に逃げてくれ。金は全部お前に預ける。」
「なんで俺だけ逃げなきゃならないんだよ…」
「一緒にムショに入る意味なんてないだろ?」
アレンは弱々しく笑い、しかしすぐにまた真剣な顔に戻った。
「頼む、ディーン。俺がまだ正気のうちに…忘れてないんだ、俺があの日誓った復讐のことを。お前には協力してもらいたい。」
そう言って、アレンは俺の手にパスポートと銀行の通帳を押しつけた。
「時間がない。もうすぐここに警察が来る。荷物をまとめて、すぐに発て。必ずまた連絡するから。」
俺はアレンを残していくことが怖かった。けれど、彼の必死な表情に無言で頷くしかなかった。急いでボストンバッグに最低限の荷物を詰めて、部屋を出た。
空港に向かう途中、俺はスマホで日本行きの便を調べ、その日のうちにニューヨークを飛び立つことになった。
約14時間のフライト中、俺はすぐに禁断症状に襲われた。
冷や汗が止まらず、体中が震えだす。耐えきれずに機内のトイレに駆け込み、MDMAの錠剤を一粒飲んで、何とかその場をしのいだ。
日本に着いてからのことなんて、全然考えていなかった。ただ、とりあえず青森に行ってみよう、そう思った。祖父の遺品の中に、故郷の住所が書かれた紙切れがあったんだっけ…。
そんなことをぼんやりと思いながら、俺は混沌とした眠りに落ちていった。
夕方、アレンの電話が鳴り響き、俺たちは飛び起きた。電話の向こうから告げられたのは、俺たちのデビューアルバムが全米チャート1位になったという知らせだった。
ついに俺たちは夢を叶えたのだ。
それからというもの、テレビやラジオ出演、雑誌の取材で目まぐるしい日々が始まった。アレンはなんと香水のCMにまで出演した。もちろん、本人の望んだものではなかったが、世話になったヴィンセントの頼みだから断れなかったのだ。
ニューヨーク中のビルやデパートには、俺たちの巨大なポスターが貼られた。けれど、テレビやポスターに映る自分たちは、どこか自分じゃないようで、俺はその違和感に少し恐怖を覚えていた。
瞬く間に4ヶ月が過ぎ、季節は冬に変わった。2007年には2枚目のアルバムを出すことが、すでに決まっていた。
2006年12月8日。
俺とアレンは雑誌のインタビュー、マーティンはラジオの収録があり、午前中からそれぞれの仕事に出かけることになっていた。チャンはメディア出演やマスコミの取材が苦手で、できるだけそういった個人の仕事は断っていた。
「チャンは?どこか行くのか?」
「うん…セントラルパークに散歩に行ってくるよ。新しい曲のアイデアを考えたいんだ」
チャンはよく1人でセントラルパークに出かけた。落ち着いて、いろいろ考える時間が取れるらしい。
その時、アレンがふっとチャンに近づき、自然に彼の顔にキスをした。とても自然で、美しい仕草だった。
俺とマーティンのほうが赤面してしまい、なんとなく直視できず、思わず視線を逸らした。
「じゃあ…また後でな」
街はクリスマス一色だった。クリスマスマーケットが開かれ、どこもかしこも浮かれていた。俺たちは雑誌の仕事を終え、家で昼食をとるつもりでベーグルをテイクアウトしてタクシーを拾った。
「チャンに電話かけたんだけど、繋がらないな…」
アレンは、ベーグルを買ったから一緒に食べよう、とチャンにメールを送った。
しかし、家に戻ってもチャンの姿はなかった。
「セントラルパークに行ってみるか…」
俺は不安な予感を抱きながらそう言ったが、その時アレンのスマホが鳴った。
「もしもし…?ああ、ヴィンセント?…えっ?!なんだって?!わかった…すぐ行く!」
アレンの顔色が変わり、声は切迫し、震えていた。ただならぬ事態が起きたことが俺にもすぐにわかった。
「ヴィンセント、何て言ったんだ?」
「ディーン…!チャンが…チャンが刺されたって!!」
俺たちはすぐにチャンが運ばれた病院に向かった。
集中治療室の前で、俺たちはヴィンセントと合流し、手術の成功をただ祈るしかなかった。誰も一言も口を開かなかった。アレンは青ざめ、全身が震えていた。俺は黙ってアレンの震える手を握った。
途中でマーティンに電話を入れて戻ってきた時、手術中のランプが消えた。
俺たちは希望を見出すように手術室のドアを見つめたが、出てきた医師の暗い表情は、それ以上に雄弁に事の結末を物語っていた。
「そんな…」
アレンはその場に崩れ落ち、声も無く泣いた。
顔に外傷のないチャンは、ただ穏やかに眠っているように見えた。
その日から、アレンはまるで抜け殻のようになってしまった。
代わりに俺とマーティンが全てを取り仕切り、チャンの葬式を執り行った。アレンは、チャンの墓の前で固く唇を結び、暗い目をしてこう誓った。
「俺は絶対にチャンを殺した奴を許さねぇ…何年かかっても…必ず見つけ出して復讐してやる…」
その言葉を聞いて、俺は心の底からアレンが心配になった。チャンを失った怒りと悲しみが、アレンを壊してしまうのではないか、と。
それから、俺たちのバンド「ドラゴンタトゥーズ」は実質的に活動を停止した。2007年になっても、アルバム制作など到底できる状態ではなかった。アレンはチャンを失った喪失感に耐えられず、徐々にドラッグに依存するようになっていった。MDMAを使って現実から逃れようとするアレンは、幻覚の中でチャンと再び会っていた。だが、その幻覚は彼をさらに壊していった。現実のチャンがいない世界を、彼は生きられなくなっていたのだ。
俺は、そんなアレンの姿を見ているのが耐えられなかった。だから、俺もまたアレンと同じようにドラッグに手を出し、現実から逃げるようになってしまった。
そして、マーティンはそんな俺たちに愛想を尽かし、黙って荷物をまとめ、フラットを出ていった。背中を見送ることしかできなかった。
正気の時、アレンはずっとチャンを殺した犯人のことを調べ続けていた。犯人は黒いパーカーのフードを目深に被った小柄な男で、チャンを刺した後、凶器のナイフを公園内の池に捨てたらしい。しかし、クリスマスシーズンでニューヨークの街は人で溢れ返っており、犯人はクリスマスマーケットの雑踏に紛れ、行方をくらませた。手がかりがほとんどなく、警察もお手上げ状態。ついには、ニューヨーク市警は「これ以上、捜査に金と人員を割けない」として、捜査を打ち切ってしまった。ニューヨークでは毎日のように新しい殺人事件が起きているから、彼らにとってはそれも仕方のないことだったのだろう。
チャンが死んでから、6年の月日が流れた。
今、ニューヨークの人々はもう「ドラゴンタトゥーズ」というバンドがいたことすら忘れているだろう。
皮肉なことに、俺たちは再び「プロジェクト」に住んでいた。
高額なブルックリンの家賃は、もはや払えるはずもなかった。今や、アレンと俺はドラッグの密売でその日暮らしをしていた。
アレンが正気でいられる時間は日に日に短くなっていたが、その日は朝から電話が鳴り、彼はどこかに出かけて行った。昼過ぎに帰ってきたアレンは、深刻で切迫した表情で俺に言った。
「情報屋から聞いた。俺、まもなく逮捕される…コカインの密売容疑でな。」
「なんだって…!」
「ディーン…これ、お前の偽造パスポートだ。頼む、俺を置いて日本に逃げてくれ。金は全部お前に預ける。」
「なんで俺だけ逃げなきゃならないんだよ…」
「一緒にムショに入る意味なんてないだろ?」
アレンは弱々しく笑い、しかしすぐにまた真剣な顔に戻った。
「頼む、ディーン。俺がまだ正気のうちに…忘れてないんだ、俺があの日誓った復讐のことを。お前には協力してもらいたい。」
そう言って、アレンは俺の手にパスポートと銀行の通帳を押しつけた。
「時間がない。もうすぐここに警察が来る。荷物をまとめて、すぐに発て。必ずまた連絡するから。」
俺はアレンを残していくことが怖かった。けれど、彼の必死な表情に無言で頷くしかなかった。急いでボストンバッグに最低限の荷物を詰めて、部屋を出た。
空港に向かう途中、俺はスマホで日本行きの便を調べ、その日のうちにニューヨークを飛び立つことになった。
約14時間のフライト中、俺はすぐに禁断症状に襲われた。
冷や汗が止まらず、体中が震えだす。耐えきれずに機内のトイレに駆け込み、MDMAの錠剤を一粒飲んで、何とかその場をしのいだ。
日本に着いてからのことなんて、全然考えていなかった。ただ、とりあえず青森に行ってみよう、そう思った。祖父の遺品の中に、故郷の住所が書かれた紙切れがあったんだっけ…。
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