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第三章

2023年 東京

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龍二はベランダでタバコを吸いながら、2か月前に入ったバイトの少年のことを考えていた。彼の整った顔立ちはまるで彫刻のようで、周囲を一瞬で明るくするような華やかさがあった。
彼が働き始めてから、ライブハウスには若い女の子たちが押し寄せるようになり、客が倍増した。しかし、彼はどの女の子にも爽やかに笑顔で接しつつ、決して特定の誰かと深く関わろうとはしなかった。
(もしかして…)
龍二は、葵が自分を熱っぽく見つめる視線に気づいていた。あの青い美しい目で見つめられると、ドギマギしてつい目を逸らしてしまう。そして、その顔は、龍二の記憶の中のある面影と重なるのだった。龍二は頭を振り、思い出を振り払うようにゆっくりと煙を吐き出した。それからタバコの吸い殻を灰皿に押し付け、音を立てないように部屋の中に入った。
寝室では、息子のアキラが静かな寝息を立ててベッドで眠っている。龍二はその寝顔を見つめ、自然と微笑んだ。ベッドサイドに置かれた写真立てを手に取ると、そこには髪を一つに束ね、白衣を着た若い女性の姿が写っていた。
「さゆり……君の息子はもう10才になったよ」
龍二は写真を見つめ、そっと語りかけた。


翌日の夕方、葵が『ドラゴン』に入ってくると、珍しく龍二が黒のスーツに身を包んでいた。隣にはギターの光輝がいる。
「龍二さん、今日はどこかに出かけるんですか?」
「おぉ、葵くんおはよう!今日はちょっと用事があってな。光輝にも手伝ってもらうから、最後の鍵閉めまでお願いできるかな?それまでには戻って来れると思うんだけど…。光輝も忙しいのにありがとな。何か困ったことがあったら電話くれよ。」
龍二は『ドラゴン』の鍵を葵に渡し、2人に手を振って出て行った。

龍二の姿が見えなくなると、葵は早速光輝に尋ねた。
「光輝さん、龍二さん今日どこに行くか知ってますか?」
「んー、まぁ別に隠してるわけじゃないだろうけど、言いたくないんだろうな、アイツ…。墓参りだよ、嫁さんの。」
「えっ?!…」
「5年前にな、病気で亡くなったんだ。あの奥さんが。アキラくんはまだ5歳でな…。かわいそうだったよ。それ以来、龍二は男手一つでアキラくんを育ててきたんだ。」
「そう…だったんですか…。」
「なんかどこか地方の出身みたいでな、確か東北だったかな…。龍二も奥さんも。奥さん、さゆりちゃんって言うんだけど、医者でさ、龍二は彼女の患者だったらしい。」
「龍二さん…病気だったんですか?」
「いや、病気っていうか…ヤク中だったんだな。ミュージシャンにはよくある話だけど、一番辛い時にさゆりちゃんが救ってくれたらしい。それでさゆりちゃんが妊娠中に東京に出てきて、新しい生活を始めたんだってさ。」
「ヤク中…ですか…。」
「さゆりちゃんのおかげで、今はもう完全に断ち切ったみたいだけどな。」

葵は複雑な思いで、龍二のことを考えていた。奥さんを亡くし、その痛みを抱えながら生きている龍二の姿が、ますます心に重く響いた。


その日の深夜、葵と光輝は店のシャッターを閉めて鍵をかけた。
「結局…龍二さん帰って来ませんでしたね。鍵…どうすればいいですかね…。」
「葵、あそこ見てみな。」
光輝が顎で指した方向を見ると、暗闇の中をふらふらとした足取りで近づいてくる男の姿があった。
「龍二さん!」
「光輝~葵く~ん、ありがとなぁ…」
ベロベロに酔っ払った龍二が、光輝と葵の肩に手を置いた。
「龍二さん、これ鍵です。」
「おーおー、鍵なー!鍵は大事だ…ありがとな。」
葵が鍵を渡すと、龍二は無造作にスーツのジャケットのポケットに鍵を押し込んだ。
「こいつ、さゆりちゃんの命日はいつもこうなんだよ。さゆりちゃんの好きだったワインを一緒に空けるって言ってベロベロに酔っ払って帰ってくるんだ。」
「ちゃんと…家に帰れますかね。」
「ま、大丈夫だろ。毎回なんだかんだ言って帰ってるみたいだしな。じゃ、俺も帰るわ。明日も早いからな。」
そう言うと光輝はさっさと背を向けて歩き去った。葵は心配で、その場を立ち去れずにいた。龍二は店のシャッターの前に座り込んで、眠り始めていた。
「龍二さん!こんなとこで寝ちゃダメですよ!風邪ひいちゃいますよ!」
葵が龍二の肩を揺さぶって起こそうとしたその時、大粒の雨が空から降り始めた。
「げっ、雨が降ってきた!龍二さん、帰りましょう!家はどこですか?!」
「家は…近くだからぁ…歩いて5分くらいなんだけどぉ~…うわ、冷てぇ!」
葵は龍二に肩を貸して家まで送ることにした。しかし、体格差もあって重い…。龍二の家は確かに近かったが、この大雨の中歩いたので、2人ともずぶ濡れになってしまった。
龍二の家は古い5階建てマンションの2階にあった。
「龍二さん、家の鍵どこですか?」
「鍵…鍵は確かここに入れたな…。」
龍二はジャケットのポケットから鍵を取り出した。
「ちょっ…それ俺がさっき渡したライブハウスの鍵じゃないですか!家の鍵ですよ、家の鍵!」
「あーあー、家の鍵な。家の鍵は確かここだぁ…。」
龍二はズボンのポケットからもう一つの鍵を取り出した。葵はそれを受け取り、ドアを開けた。
玄関はこじんまりとしていたが、趣味の良い落ち着いた内装だった。亡くなった妻のさゆりの趣味かもしれない。龍二は玄関に倒れ込み、すでに寝そうになっていた。
「龍二さん!ここで寝ちゃダメですって!服も脱がないと風邪引きますよ!」
葵は龍二の革靴を脱がせ、肩を担いで寝室まで運んだ。なんとか寝室を見つけ、龍二のスーツのジャケットとシャツを脱がせ、ベッドに寝かせることができた。
(さて…俺もビショビショだからこのままじゃ帰れないな…。)
「龍二さん、シャワー借りますね。」
そう言って葵は浴室を探し、シャワーを浴びた。熱いシャワーを浴びながら、葵は思考を巡らせた。



(龍二さんには奥さんがいたけど、5年前に亡くなった…でも、今でも彼女のことを…深く愛しているんだろうな。完全ノンケで…子供もいるし、俺なんかの入る余地は1ミリもないか…。)
風呂から出た葵は、脱衣所の引き出しの中を探して龍二の新しい下着を借りた。

寝室に戻ると、龍二がベッドに突っ伏して、すでに寝息を立てていた。
「龍二さん、すみません…、俺、服借りて帰りますね。」
龍二の耳元でそう囁くと、龍二は突然顔を上げ、焦点の定まらない目で葵を見つめた。
「アレン…。」
そうつぶやくと、なんと龍二は突然葵を抱き寄せ、葵の唇に自分の唇を重ね、舌を入れてきた。
「!?」
葵は驚きで体が固まった。龍二の舌が自分の舌に絡みついてくる。
「ん…んん…!」
龍二はそのまま葵に覆いかぶさり、ベッドに押し倒した。
「ハァッ…龍二さん…起きてください…。」
龍二は葵の声が耳に入らないのか、唇から首筋、そして胸元へと口づけを移していった。
「アレン…I miss you…。」
(龍二さん…誰かと俺を間違えてる…。)
「や、やめて…やめてください…。」
龍二の手が葵の下半身に伸びてきた。
「ひぇ…だ、ダメ…。」
誰かに触れられるのは初めてで、思わず変な声が漏れる。龍二が手を激しく動かすと、葵はすぐに絶頂を迎えてしまった。
「あっ…ああっ…ダメッ…もう…イクッ…。」
全身の力が抜けたところに、今度は龍二の手が後ろに伸びてきた。
「えっ!?ヤダ…本当に…ダメです、俺…初めてで…。」
葵は慌てて身を捩らせて逃げようとしたが、龍二にしっかりとホールドされてしまった。龍二は熟練の手つきで、ベッドサイドの引き出しからローションを取り出し、指を葵の後ろに伸ばした。
「大丈夫…全部俺に任せて…。」
「あっ…やだぁ…。」
(龍二さん、本当に寝ぼけてるのか?)
葵はもうグスグス泣きながら、龍二の動きに抵抗できなくなっていた。龍二の下半身を見ると、パンパンに膨れ上がっていた。
(こんなの絶対入らない…!)
龍二は下着を脱ぎ、葵の後ろに自分のものをあてがった。
「あっ…ああっ…ダメ…痛いっ!」
葵はもう壊れてしまうかと思った。しかし、一度龍二のものを受け入れると、好きな人と初めて繋がれた多幸感に満たされ、快楽に身を委ねた。
「ああっ…龍二さん…俺…大好き…ですっ…。」
「はぁ…ハァッ…い、イクっ…。」
龍二はそう言うと葵の中から抜き取り、葵のお腹の上に果てた。2人ともその後は意識を失い、眠りに落ちていった。

翌朝、葵が目を覚ますと、目の前に2匹のドラゴンがいた。昨夜は気づかなかったが、龍二の背中にはドラゴンのタトゥーがあった。それは日本や中国の龍ではなく、西洋のドラゴンが両肩に向かい合い、口から炎を吹いている絵柄だった。
「龍二さん…タトゥー入ってるんですね…。」
葵はそのドラゴンを愛おしそうに指でなぞり、優しく口づけた。それから、ベッドサイドに置いてあったスマホを手に取り、その背中のタトゥーを写真に撮った。
何か、龍二とのことを残しておきたかったのだ。
しかし昨夜、龍二は明らかに他の誰かと自分を間違えていた。それは奥さんのさゆりの名前ではなかった。葵の耳にははっきり『アレン』と聞こえた。
「アレンって…誰ですか…。」
耳元で囁くと、龍二はパチッと目を開け、ガバッと起き上がった。

この状況は…一体何だ…。目の前には、職場のバイトの高校生が裸で同衾している。そして自分も裸で、明らかな情事の跡…。
みるみるうちに龍二の顔色は青ざめていった。全く昨夜の記憶がないが…これは…まさか…もしかすると…自分は…バイトの高校生に手を出してしまったのか…?この子は確かまだ16歳、未成年だぞ…!

龍二の顔色はみるみる青ざめた。龍二はベッドを降りると、素っ裸のままバッと床に頭をつけ、葵に土下座した。
「す、すまん…!葵くんっ…昨日のことは…忘れてくれ…頼む!!」
それを聞いた葵はムッとした表情で、キッパリと言った。
「絶対忘れません。」
「えっ―。」
「俺、初めてだったし…大好きな人に初めてを捧げられて幸せでした。だから、絶対忘れたくありません。」
「えっ、えーっ?!…。」
「龍二さんにとっては忘れたいことかもしれませんけど!」
葵はそう言って唇を噛みしめて、項垂れた。
「あ、ああ葵くん、俺が言ったのはそういう意味じゃなくて!キミの方こそ…キミは若くて綺麗で…こんな疲れたオッサンには釣り合わない…。」
「俺は!龍二さんがいいんです!俺と付き合ってください。責任とってください。じゃないと警察に行って、無理やりやられたって訴えます。」
「うっ…そ、それは…。」

ピンポーン。
突然、ドアホンが鳴った。龍二は壁の時計を見て、インターホンの映像を確認した。
「や、やややばい!どうしよう!アキラが帰ってきた!」
葵もその一言で慌ててベッドサイドにかけてあった龍二のシャツを掴んで羽織り、玄関に向かおうとした。
「ちょっと待った!だ…ダメだ、彼シャツで下着も履かないで小学生には刺激が強すぎる!」
咄嗟に龍二が止めた。
「あっ、そっか。」
葵はその辺に落ちているズボンをとりあえず履き、シャツのボタンをきちんと留めた。
「俺が玄関に出るから、龍二さんは服を着て、窓を開けて、ベッドを片付けてください。」
パニック状態の龍二は、言われるがまま葵の指示に従った。

玄関のドアを開けると、そこには驚いた顔の小学生の男の子が立っていた。日に焼けた肌に短い髪、くりくりとした大きな目の利発そうな少年だった。龍二にはあまり似ていないので、母親似なのだろう。
「えっ、お兄さん、誰…?」
「あっ俺?俺は…お父さんのライブハウスで働いてるバイトで…葵っていいます!…アキラくんだよね?」
「うん、オレ昨日サッカーの合宿だったんだけど、家の鍵忘れちゃって…ねえ、パパは?いないの?」
アキラは大きなリュックを玄関に置き、腰をかけて靴を脱ぎ始めた。
「パパはいるよ!俺、見てくるね!」
さっきまでの寝室の状態を思い出した葵は、青ざめながら慌てて寝室に駆け戻り、龍二に小声で囁いた。
「龍二さん、大丈夫ですか?」
龍二はすでにTシャツとジーンズに着替えており、乱れていたベッドもきちんと整えられ、窓が開け放たれて気持ち良い風が流れ込んでいた。葵が胸を撫で下ろしたその瞬間、アキラが入ってきた。
「パパー!ただいまー!」
「おう、アキラ、おかえり!」
「昨日の試合で3点決めたよ!」
「おお、それはすごいな!」
葵は2人の微笑ましい親子の会話に心が温まりつつも、昨日の出来事を思い出し、胸に重い感情が湧き上がっていた。ふと気づくと、アキラがじっとこちらを見つめていた。
「ねぇ、お兄さんってもしかしてテレビに出てる人?」
「えっ?いや、違うよ!」
「そうなの?芸能人かと思ったからびっくりしちゃった。パパとはどういう関係なの?」
龍二がギクッとして慌てて口を挟んだ。
「葵くんは、俺が雇ったバイトの子なんだ。昨日は大雨でびしょ濡れになっちゃってさ…一晩泊めてあげたんだよ。それに、葵くんはサッカーが上手いから、アキラ、今度教えてもらったらどうだ?」
「えー!本当に?教えてください!」
「もちろん、喜んで!」
葵はこの人懐っこい小学生にすっかり心を奪われていた。
「龍二さん、そろそろ帰ります。服、洗って返しますね。」
「ああ、そんな気にしなくていいよ。道が分からないだろうし、送っていくよ。アキラ、パパはちょっとお兄ちゃんを送ってくるから、留守番しててくれるか?」
「分かったー!葵くん、サッカー教えてね。約束だよ!」
アキラはニコニコと手を振り、玄関まで見送ってくれた。

龍二と葵は、駅までの道をほとんど無言で歩いた。時刻はまだ早朝なので歩いている人の姿は少ない。龍二はジーンズのポケットに手を入れ、少し俯き加減で葵の一歩前を歩いていた。下北沢の駅が見えてきたとき、葵は心の中で焦りを感じていた。
(どうしても今、伝えなきゃ。気持ちは言葉にしなきゃ伝わらないんだから。)
「龍二さん。」
葵は龍二のTシャツを後ろから軽く引っ張り、呼び止めた。
「俺が今日言ったことは本気です。俺…龍二さんが好きなんです。歳が離れてても、子供がいても、同性でも関係ないです。全部ひっくるめて、そんな龍二さんが好きなんです。」
葵は振り返った龍二の目をまっすぐに見つめて言った。龍二は胸が締めつけられるような感覚に襲われ、何だか泣きそうになった。
(この目…蒼く透き通って、あまりに真っ直ぐで、眩しすぎて直視できない…。俺には、彼の気持ちに応える資格がないんだ…。)
龍二は眩しそうに目を細めたが、何も言えず、ただ沈黙したままだった。
「俺が男だから…ダメですか?やっぱり…そういうの、気持ち悪いですか?」
目に涙をいっぱい溜めて俯いた葵の姿に、龍二は虚をつかれた。そんなことは考えてもいなかった。
「いや、それはない!絶対にない!」
「じゃあ付き合ってください!」
龍二がキッパリと否定すると、葵はすかさず畳みかけるように言った。そして、美しい目を閉じて龍二の顔に近づくと、唇にかすかに触れて、一瞬で離れた。それはまるで映画のワンシーンのように美しい動作だった。
「じゃあ、また。」
そう言って葵は龍二に背を向け、足早に駅の方へ走り去った。

龍二は顔を真っ赤にして、呆然とその後ろ姿を見送っていた。

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