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第3章 大貴族の乗っ取り作戦

【第39話】 ハルトの転機

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 「誰だ!?出てこい…!!」
 剣を向けた火傷の男の鼓動がバクバクと痛いほど鳴り響く。
 メイドではないのはシルエットでわかった。目を凝らしてその人物が近寄るのに合わせて、正門へ移動していく。 
 相手の姿が露わになると、男はため息をついた。
 少女のような中性的な見た目で桃色の髪に海色の瞳で燕尾服の少年が立っていた。
 少年は男を見て鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
 「何だ執事か…」

 (待てよ、こんな奴いたか?
 しかもこの落ち着き様…妙じゃないか?)

 「何でここに護衛の人が…」

 (生き残りの人…?
 まさか、キングさんたちが殺し損ねたのか?)

 ハルトが、独り言を零す。
 無事にメイドたちを逃がし任務を終えたハルトは、サカナたちと合流しようとしていたところだった。
 長い間山に籠っていたせいで、人と会うだけで物珍しく感じる。
 敵意の高い護衛に物怖じするほど腕に自信がないわけではなかったが、剣を向けられるのはキングを除いて実に数十年ぶりの経験だった。
 「……」

 (うーん、僕は戦闘要員ではないんだけど…。
 ひょっとして、この人を見逃したらこっぴどく怒られるのではなかろうか)

 「……」

 (あぶねぇ。こいつは奴らの仲間、もしくは裏切り者に違ぇねぇ。
 あの化け物ほどのオーラは感じねぇが…金で雇われたのか?)

 火傷の男は迷っていた。
 ハルトを攻撃するか、それとも正門へ急ぐか。
 だが、ハルトはリラックスした様子でおまけに丸腰だった。
 そして男は散々敵に痛めつけられ主人に翻弄され、心がささくれていた。
 剣の柄を握りしめて、肩の上まで持ち上げる。ハルトが無表情に見つめてくるのを戦闘に不慣れなためだと考えた男は、駆け出して上段からハルトの頭に目掛けて振り下ろす。

 (どうせ俺の仲間は皆殺しにされてんだ…!
 なら、憂さ晴らしに一人くらい殺したって構いやしねぇだろ…!)

 「……は?」
 「良かった、無理に捕まえるのは気が引けるから」
 だが、ハルトはそれをあっさりと錫杖で受け止めた。
 先端についた金属の輪が揺れてシャラリと軽やかな音が鳴る。
 杖がどこから出て来たのか、不意打ちの攻撃をどうやって止めたのか。
 男の脳内にあまたの疑問が浮かんでは消える。
 そして、あの魔法使いと同じ化け物と結論づけようとしたところで火傷の男の身体から脂汗が溢れ出す。
 汗が伝って剣を持つ手が滑りそうだった。
 男はついさっきまで手を伸ばしていた希望の光が、湖に反射した偽りの月だったと気づく。
 改めて見ると少年に見えた相手の瞳は、まるで人生の無意味さを知った老人のように達観していた。
 「『天狗倒し』」
 「あっ、あぁ…!『火球』!『火球』!」
 芝生が伸びて男の身体を縄のように縛り、動物の形をしていた葉が枝を伸ばしてそれを補助する。
 男は銅像の一つに括りつけられ、薔薇の蔦に腰の入れ物から剣まで奪われていく。
 棘が刺さって身をよじることもできなかった。男の脳裏にトリトマたちの死体がフラッシュバックする。
 自分に燃え移ることも覚悟して、火球で植物たちに火炎をまき散らす。
 だが、転瞬の間に火をかき消す突風が吹いた。
 「『八つ手の風撃』」
 「嫌だ…やめろ、やめてくれえええ!」
 男の悲鳴を塞ぐため、首を伝って蔦が伸びていく。
 ハルト自身もついこの間まで盗賊を率いてきたリーダーだった。
 だからこそ、見知らぬ人間に自分が絶対に叶わない武力でその座から引き下ろされる気持ちが理解できる。
 心苦しく思うが、フォマやキングたちに逆らう気にはなれなかった。

 (彼らに罪はない。
 僕と同じで、ただ運が悪かっただけだ)

 「ごめんね」
 「そうか、わかったぞ…お前ら、異世界から来たんだろ…!?」
 「っ!?」

 (こいつ、異世界について知っているのか!?
 それとも、他のプレイヤーに会ったことが?)

 火傷の男の言葉に、ハルトと植物の動きが止まる。
 他プレイヤーの存在を仄めかす男の言葉を無視することはできない。
 千年近く生きてきたハルトですら、この世界について知らないことは多かった。
 特に異世界転生については、ほとんど情報がない。
 化け物が初めて見せる動揺に、男はハイになったまま喋り続ける。
 「ははは!そうだ!お前らはいつもそうだよな…!」
 「プレ…いや、異世界から来た人間に会ったことがあるのか?」
 口を塞ぐ蔦を除けて、情報を引き出そうと試みるハルト。
 自分より幼い少年に捻りも凄みのない脅しをされていることに、男はもはや笑いが止まらない。
 さらに彼が自分より強いとなれば、とんだ喜劇だ。
 仮に手足が自由になっていたら、腹を抱えて手を叩いているだろう。
 男を、それだけ強く確実な死の恐怖を味わっていた。
 「ははは!!知っているも何も…俺はお前らに故郷を滅ぼされたんだからな…!」
 「……故郷?」
 「もう地図にも残ってねぇ!
 俺以外に生きている奴もいねぇ!
 人間!?テメェらは化け物だろうが…!ははは!」
 ハルトの頭に、レンガが燃え崩れて人がいなくなった街の風景が蘇る。
 男の言う故郷を始まりの街とするには、滅びた時期と男の年齢は合わない。
 しかし、プレイヤーが同じことを別の街に行っていないとは言い切れなかった。
 現に、横を向けばプレイヤーに殺された死体が残る室内が見える。
 男もハルトから目を逸らして、主人やメイドたちのいた方向を見て僅かに冷めた気持ちで語る。
 「…まぁ、いいさ。
 強い奴がでかい顔をしているのは、どこも同じだ」
 「……」
 「俺の運が悪かったってだけだ」
 「それは…、それはっ」

 (本当に?本当にそれでもなお、運が悪いで片付けられるのか?)

 少女救出作戦を遂行するため、サカナたちがアーサー王国に行く前。
 同盟を結んだハルマンは、サカナとフォマに連れられて夜道を歩いていた。
 宿場町オーウェンを出ると、街灯も松明もない夜陰の中を堂々と歩く。
 人間種ではなくモンスターである彼らは、日の光も睡眠も必要としない。
 猫目のハルトは行先を知らされていない不安に怯えながら、サカナの背中を見ていた。
 箒に乗ったフォマが虫を手で払った。
 「そういえば、キングは?」
 「…留守番で置いてきたでござる。
 何だかんだ、奴は弱者には弱いでござるからな。
 今頃は、復興を手伝っていると思うでござる」
 「……」
 「……」

 (うわぁ、気まずい…隙を見て逃げ出したいけど、二対一では分が悪すぎる。
 今はチャンスを待つしかないな)
 フォマとサカナの間に、無言の時間が流れる。
 初めは自分が逃走することを警戒されているのではないかと思い怯えていたハルトも、次第に彼らが無駄な会話を好まないと納得すると、遠くの景色を眺め出した。
 ミッションのために利害関係でギルドに所属するプレイヤーは少なくない。
 彼らは友人でもなんでもなく、利害関係で繋がっているビジネスパートナーなのだ。
 葉や花を閉じた植物の間に、夜行性のモンスターの影が見え、昼間は静まっていた食肉類の鳴き声が聞こえる。
 山にいたころより遠くに見える月の造形は、地球から見えるものとは異なる。
 身体が変わって目が良くなったこともあって、自然とハルトは人間のころと同じ風景が見えなくなっていた。
 「…ついたでござる」
 サカナにつられて、ハルトも止まる。
 サカナが目指していたのは、うっすらと人が通った跡が見える道の上だ。
 丘の上に当たるその場所には人気も建物もなく、ただの道でしかない。
 サカナが振り返って横にどくと、彼の大きな身体に隠れていたものが露わになる。
 ハルトの呼吸が止まった。
 そこにはまだ新しい死体があった。
 「…あ、…あぁ、あぁ…!!
 あぁ!!ミヤコ、オダマキ、シラー、マツ…!」
 その顔に、ハルトは見覚えがある。
 ダークエルフのミヤコ、ハーピーのオダマキ、ゴーレムのシラー、ミイラ男のマツ。
 彼らはハルトと同じギルドの仲間だった。
 死体を見るのは初めてではない。
 だが、目の前で動かない仲間の姿を受け入れられなかった。
 ハルトの脳裏に、生前の彼らの顔と思い出が蘇る。
 早鐘を打つ鼓動を押さえて崩れ落ちたハルトを、フォマとサカナはただ見つめていた。
 「嘘だ…!!嘘だ!嘘だ!」

 (違う、違う…!
 あいつらのはずがない!
 そうだ、ギルドを見れば…)

 返信が来ないギルドチャットを閉じて、ギルドのメンバー欄を見る。
 開かれた半透明のログにはそこにあるはずの名前はなく、ただギルドマスターのハルトの名前だけがポツリと一番上に表示されていた。
 ハルトは、サカナの言った言葉を思い出す。

 『始まりの街を滅ぼしたのはお主らか?』
 『い、いいえ…ぼ、僕が気づいた時には、もうあぁなっていて…』

 ハルトは一言も仲間がいるとは言ってはいない。
 だがあの時、既にサカナはハルトと彼らが仲間であることに気づいていた。
 さらに言えばサカナが『エリクサーを使って試したいことがある』といったとき。
 ハルトはその真実に気づくことができたはずなのだ。
 それを、必死に見ないように聞こえないようにしていた。
 彼らはどこかで生きていて、チャットに返信が来ないのは偶然だと言い聞かせながら。
 ハルトが両手を上げて拳を振り上げる。
 「…やはり、お主の仲間でござったか」
 「何で泣いてるんですか?
 先に攻撃をしてきたのは、そちらの方ですよ」
 「うっ、うぅ…!うわあああ!ああああ!」
 涙を流して雄叫びを上げても、ハルトはサカナやフォマに襲い掛からなかった。
 いや、襲い掛かれなかった。
 拳を地面に叩きつけ、指に力を込めて乾いた地面に掻きむしった。
 フォマとサカナは利害関係で共にいて、キングと同じだけ強いのはわかりきっている。
 ハルトは千年生きた経験から、彼らは同じ釜の飯を食った自分を躊躇なく殺すことができるだろうとわかっていた。
 そして長く生きて固くなった頭には、せっかく拾った命をここで捨てる勇気や敵討ちに立ち上がれるだけの熱さはなかった。
 「ハルト、お主はエリクサーを拙者たちに渡すと言ったでござるな?」
 「……はい」
 ハルトの嗚咽が収まるのを待って、サカナは淡々と声をかけた。
 サカナがハルトをここに連れて来たのは、死体を見せるためではない。実験という合理的な目的のためである。
 そして、それがハルトに一筋の光明を与える。
 サカナは死体とハルトの間から移動すると、ハルトの後ろ、すなわちフォマの横に立つ。
 「それをここで使うでござる」
 「え?」
 「エリクサーは強力なアイテムでござる。
 戦闘不能の仲間を復活させ全回復する神秘の霊薬…唯一替えが効かないアイテムでもあるでござる」
 「……」
 「それがこの世界でも通じるのか。拙者は興味があるでござる」
 「……興味?」
 「同じギルドなのでござろう?
 死んでも身体が消えないということは、まだ希望はあるかもしれないでござる」
 「…っ、」

 (…あぁ、そうか。
 彼らにとっては、他プレイヤーもNPCの盗賊たちも等しく同じなんだ。
 そしてこの人たちは、自分の快楽のためなら全てを犠牲にできるんだ)

 ハルトは言われた通り、アイテムボックスからエリクサーを取り出した。
 亀甲文様がついたバチびんの形をした瓶を震える左手で掴んで、泣きながら右手で開封する。
 一度座り込んだ足は立ち上がることができず、仲間の元まで這いよっていく。
 ゲームならクリックするだけでエリクサーを使ったことになるが、ここではそういかない。
 瓶の長い首を掴んで、一番近くにいたダークエルフの固くなった唇に当てた。
 その時ハルトは、二人がハルトの後ろに立った意味に気が付いた。
 彼らは実験の結果がわかったら、生き返ってもすぐに殺せるよう、全員が射程に入るその場所に移動したのだと。
 「……」
 火傷の男はハルトの表情に意外そうな顔をして、上げかけていた手を下ろした。
 そして悟った顔をすると、段々と大きくなる足音に備えて目を閉じる。
 はっきりと姿は見えなくても、男には忌々しい魔法使いと同じ捕食者のオーラを持つ闇より暗い影が、蛇のように地面を這って迫るのがわかった。
 ハルトは男にかける言葉を探していたが、なかなか見つからずに俯いてどもる。

 「ぼ…ぼ、僕はそう思わなっ…」
 「おい天狗やろう、何をしている」
 「あっ…」
 「サカナが呼んでる、さっさと来い」
 顔を上げたハルマンの目の前で、颯爽と現れたキングが男の首を狩り落とす。
 呻き声を与える慈悲も猶予もなく、火傷の男の首が地面に落ちる。
 その後に着地したキングは、まるで何もなかったかのようにハルトに伝言をする。
 ハルトは、石化されたように無言で硬直して男の首を見続けていた。
 キングは不審に思いながらも、残党探しに奔走していた。
 もう一度念押しをしてから、返事を待たずにどこかへ姿を消す。
 「……」

 (彼は、何で僕にプレイヤーの話をしたんだろう)

 「……」

 (彼は、故郷も仲間も命もプレイヤーに奪われて、一体どんな気持ちだったんだろう)

 「……こんなの、間違ってる」
 ハルトは、名前も知らない男が化け物と呼ぶプレイヤーとただの人間の力量差を初めて知った。
 男の身体を縛っていた拘束を解き、死体をできるだけ丁重に扱って地面に寝かせる。
 服の皺を直して装備を返すと、最後に手を合わせて目を閉じた。夜が明けようとしていた。
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