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【第10話】次世代への期待と焦燥

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 帰り際、大人しくなった北虎を瓜坊が励ます。
「北虎大丈夫だよ!ちょっと口が悪くて暴力的で顔も怖かったけど、きっと投票してもらえるって!」
「うるせぇ!元はと言えばてめぇのせいだろうが…!
 ていうかお前、誰の顔が狂暴だ!」
「僕、そこまで言ったっけ!?
 ごめん!もしかして、気にしてた?」
「気にしてねぇ!殴られてぇのか!」
「わぁ!危ないよ!」
「試合が終わったのに瓜坊と北虎は元気だなぁ。俺は最後のジャンプで体力使い切ったわ」
 追いかけっこを始めた瓜坊と北虎のじゃれ合いを見ながら、鹿威たちは早々に帰り支度を始めた。
 グラウンドが空いたことで、部活棟にいた選手たちも出てきて練習のアップを始めた。竜崎は何事も無かったかのようにマネージャー業務に戻り、鬼山はキャプテンに何かを指示している。
 新入生が来るから今日の練習を軽くしようとか、休みにしようとか。そういった考えはハナからなさそうだ。1年生相手の模擬練習など、アップの内にも入らないようだった。
「あれ、狒々島そっちから帰るの?更衣室は?」
「うん、俺と象蔵は寮だから」
「へぇ、じゃあ近くに住んでいるのか。いいな」
「いや、それがそうでもないんだよね…」
「ん?そうなのか?
 とにかく、お疲れ様。受かってたらまたな」
「うん、またね。瓜坊たちも」
「狒々島ばいばい!象蔵も、今日はありがとう!」
 随分遠くに行ってしまった瓜坊と北虎に声をかけると、瓜坊は街路樹を盾に北虎の手から逃れながら、全力で腕を振って反応した。
 その隙をついて北虎が飛び出て、ついに瓜坊が捕まる。絹を切り裂くような悲鳴が上がった。
 両手の拳で挟んで頭を締め上げられ、瓜坊はまた泣きそうになっている。
 鹿威が助けに入ろうと駆け出すと、背後から象蔵が口を開いた。
「…お疲れ」
「っ!?お疲れ様!」 
(びっくりした。そういえば、象蔵の声を自己紹介ぶりに聞いたな。
 素っ気ないとは思ってたけど、もしかしてそんなに悪いやつじゃない…のか…?って、それどころじゃない)
「おい北虎!やめろ!
 一鷹、お前も手伝ってくれ」
「はいはい」
 後ろから小走りで隣に並んだ一鷹は、鹿威の身長がどれほどのものなのかを再認識した。しかも象蔵や狒々島のようなスタミナタイプと異なる、俊敏さを兼ねた細い体つきのせいで余計に高く見える。これでは鹿は鹿でも、ヘラジカだ。
「なぁ、そういえば鹿威はどうしてバスケ部からラグビー部に来たんだ?
 そんだけ背が高かったら、さぞかし活躍してたんだろ?
 あ、聞いちゃまずかったか?」
「いや、それは別に…。
 バスケは周りに勧められて成り行きで続けていただけだから」
「じゃあ、ラグビー部も誰かに勧められて?」
「ううん、ここには自分の意志で来たよ。
 ただ、昔親友に言われたことがあるんだ。鹿威はロックが向いてるって」
「へぇ、やっぱその身長を活かすならロックだよな」
「いや、それもあるんだけど…」
「ん?」
「そいつが言ってたんだ」

『鹿威は、ロックが向いているかもね』
『ロック?』
 いつの頃か、部活終わりに瓜坊の練習に付き合うのが当たり前になった日の帰り道だった。瓜坊は唐突に、そんなことを言い出した。
 当時の鹿威はピンと来なかった。瓜坊のお陰で簡単なルールは覚えたが、さすがに15人全員のポジションまで知っているわけではない。ロックと言われても、思いつくのは「石」くらいだ。瓜坊はそれを聞いて、得意げに笑った。
「あはは!ロックは、鍵って意味だよ。
 ラグビーでは飛んできたボールをチームに繋いだり、スクラムで陣地を広げるポジションだよ」
「どうせ、背が高いやつがなるってことだろ」
「背が高い方が有利だけど、それだけじゃないんだよなぁ」
 丁度、部活の引退がちらついている時期だった。
 どれだけ思い入れがあってもチームに貢献していても、3年間で中学生活は終わってしまう。古い世代は卒業して、新しい世代が入ってくる。
 瓜坊がラグビー部の先輩を見送ったように、鹿威は見送られる立場になっていた。
 来年、自分のポジションは代わりの人間が背負っている。どこにいても、いつか必ずその時は来る。
 3年間燃やし続けた情熱の代わりに、鹿威の心の中には巨大な喪失感が生まれ始めていた。それは、簡単に整理がつくものではない。
「海外では、ロックは強くて頼りになる男の象徴なんだよ。
 鹿威なら、きっと15人全員を支えられるロックになれるよ」
「俺が?ははは、なんだそりゃ」
「…?本気で思ってるよ?」
 鹿威は瓜坊みたいに喜怒哀楽がわかりやすい人間でもなければ、象蔵のように筋骨隆々な身体を持っているわけでもなく、猿曳のように人を率いる話術も携えていない。第一印象で人から頼りにされたことはあっても、
「頼りになるなんて言われたこと、一度もなかったんだ」
 そのときはただの妄想だと笑い飛ばしたが、その一言は鹿威が受験生になっても高校生になっても心の中から消えなかった。やがてその言葉通りに行動したとき、鹿威は中学生の自分がその言葉に救われたことを知った。
 瓜坊が、鹿威の心に新しい薪をくべて火をつけたのだ。
 その親友は、今虎に追いかけられてグルグルと木の周りを回っている。
「ししおどしぃ―!助けてぇ!」
「おいもういいだろ!北虎、離れろ!」
「うっせぇ放せ!」
 放っておいたらバターになりそうな北虎と瓜坊の間に、鹿威が割って入って止める。
 北虎が心を開いたのも、鹿威と同じで瓜坊に本心から接されたからだろう。
「…頼りに、か」
(俺が同じ言葉で誰かをラグビーに誘っても、多分そこまで響かないんだろうな)
 鹿威や一鷹では同じことができない。
 小さくて泣き虫なのに不思議な力を持つ、瓜坊だから出来たことだ。それだけならまだしも、今日は天賦の才能を持つ選手に交じっても見劣りしないだけの働きをした。一鷹は顔には出さずとも、自分の鼓動が早鐘を打っているのがわかった。これは、警鐘だ。
 いつか、今は小さな瓜坊が鹿や鷹を脅かす存在になることへの。

 一時間後、日没後もラグビー部の部室は電気が灯っていた。全体練習後に開かれる自主練習のためである。
 ストレングマシンや懸垂台、ベンチプレスといった筋トレ用具が所せましと置かれた空間。その中心で座り込んだ鬼山は、手元に持っていたプリントを一読して頷いた。それは入部テストの合否を知らせるものだった。
「うん、これでいいよ。
 ありがとう、竜ちゃん」
「では、刷り増ししておきますね」
「よろしくね」
「はい。…あの鬼山さん、何だか浮かない顔ですね?」
 無事に審査が終わっても、鬼山の顔は晴れない。竜崎は僅かに香る鬼山の汗の匂いを堪能しながら、猫なで声で尋ねた。
 そして、鬼山が座っているモノを冷ややかに見下ろす。
「ん~、どこかで見たことがあるような気がするんだよなぁ。あの泣き虫くん」
「鬼山さん、随分あの遅刻野郎…瓜坊を気にかけてるんですね」
「それにさ、聞いたら彼も北虎も、鹿威ですら初めてラグビーの試合をしたんだって。
 いやぁ、ショックだよ。私は一点も取らせるつもりはなかったのに。
 これで全国とは笑わせるよ、ねぇ?猪爪」
 鬼山は自分が座っているイス、ではなく猪爪に話しかける。猪爪は鬼山を背中に乗せたまま、高負荷の腕立て伏せをしていた。歯を食いしばって汗を垂らしても、決して「重い」とは言えない。一角が羨ましそうに眺めて来るのが余計に神経に触った。
 だが、猪爪は鬼山が自分にばかり負荷をかけて来る理由に心当たりがある。
「本当っ、すんませんした…!」
「わかっているなら良いけど、瓜坊くんに執着しすぎ。もっと柔軟に動けたでしょ」
「…はいっ」
「じゃあ、この話はこれで終わり。帰るよ、竜ちゃん」
「はいっ!」
「ぐへぇ…!?」
 鬼山が立ち上がると、猪爪が地面に横たわって潰れる。
 八つ当たりじみた指導を終えてスッキリしたのか、鬼山は竜崎と腕を組んで部室を出て行った。竜崎は鬼山が新入部員への期待で嬉しげなのを見て、猫のように頭をその腕にこすりつける。
 下駄箱で履き替えようと玄関に入った鬼山は、蛍光灯に照らされた風景を見て足を止めた。
「あれ?」
「どうしました?」
「いや、玄関なんだけど…何か、綺麗じゃない?」
「そう、ですね。言われてみれば、いつもよりホコリやゴミがないような」
 塵一つない床がライトを反射していつもより明るく感じる。人の出入りが激しいこの場所は他一倍汚れやすいので、掃除の手が追い付かないことも多い。
 そんなどうせ汚れてしまう場所を、誰かがこんなになるまで掃除した。鬼山は、犯人が誰なのか想像がついていた。
 慣れない場所で、一生懸命掃除する1年生を想像する。
「…んふふ、ひょっとして働き者の掃除当番でもいたのかな?」

 数日後、1年生の教室。瓜坊は、シャツの上から腕をさすった。
「いたたた…」
 声を聞いて振り返った隣の席のクラスメートが、ぎょっとする。
 瓜坊の腕や手の側面には、見えるところだけでいくつも擦過傷が出来ていた。
 入部テストで何度もタックルをされタックルを仕返し、芝とはいえスライディングした跡だ。いくつかは既に瘡蓋になっているが、あまりの痛々しさに鹿威が「うへぇ」と声を上げた。
「うわぁ、見事なラグビーアートだねぇ」
「しかもさ、家に帰ってシャワー浴びたら凄い染みるんだよねぇ」
「また泣きそうになった?」
「泣いてないよ!
 でも、初めてトライが出来て本当に嬉しかったなぁ」
「嬉しかった、か。
 でも、冷静に考えたら先輩たちには全然歯が立たなかったけどね」
「うん……けどもし叶うなら、またやりたいなぁ」
「…そうだな、そしたらもう少しマシな試合が出来るのにな」
 コンコン。
「失礼します」
 教室の後方の扉がノックされ、どよめきと黄色い歓声が上がった。瓜坊と鹿威が振り返ると、そこにはセーラー服姿の美少女がいた。
 付近でたむろしていた女子生徒が顔を赤くした。綺麗な顔に細長く華奢な腕を扉にかけて寄りかかる優麗な姿は、さながら白馬の王子様のようだ。彼女は流水のように流れる直毛を肩にかけ、上着代わりに部活のジャージを羽織っている。
 ジャージには「獅子神高校ラグビー部」の文字。
「瓜坊くんと鹿威くん、いるかな?」
「鬼山先輩!」
「お、見っけ。
 いやぁ、8クラスもあると人を探すのも大変だよ」
 鬼山は、まるでランウェイのように教室を歩き出す。
 着飾っているわけではなく、歩き方を初めとした所作の一つ一つに品があるのだ。ラグビー部の監督なだけあって身体は引き締まっていている。そして体幹が強く、芯がぶれない。
 まさに、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。
 瓜坊の周囲にいたクラスメートが耳打ちする。
「瓜坊の知り合い?すっげぇ美人」
「うん、ラグビー部の先輩だよ」
「あ、座ったままでいいよ瓜坊くん。
 学校生活はどう?鹿威くん以外に友達は出来たかな?」
「はい、このクラスはみんな仲が良くて」
「そっかそっか、それは良かった……嘘をついているわけじゃないみたいだね」
「え?」
「いや、何でもないよ。さて、本題に入ろうか」
 折り畳んだプリントが鹿威と瓜坊にそれぞれ差し出される。美少女の登場と物々しい雰囲気に、クラス中の視線が集まる。
 鬼山本人は全く他人の視線というものを気にしていないようだった。しかし、先輩が足を運んでくれたのに文句を言えるはずもなく。
「はい、どうぞ」
「えっと…」
(どうしよ、もしも落ちていたら。
 そうなったら、僕はまた一人で練習をする生活に戻ることに)
 それが入部テストの結果だということは、言うまでもない。
 故に受け取ったら、結果を知らずにはいられない。瓜坊は反射的に出した手を、紙が触れる瞬間で止めた。
 予鈴のチャイムが鳴る。瓜坊は鹿威が流れるようにプリントを受け取って開いてから、ようやく両手で恭しく掴んだ。だが、今度は畳まれたなかなかプリントを開けない。
 鬼山は瓜坊の身体に残る試合の勲章を見つめて、教室に戻るために歩き出した。
 そして、去り際に
「練習は明日から、でも準備が出来ているなら今日からおいで。
 もちろん、二人ともね」
 と言い残した。
「え?」
「ってことは、」
 瓜坊がプリントを開く。
 そこに大きく印刷された文字を見て、瓜坊は勢いよく机に突っ伏した。木製の机と頭がぶつかって音がする。
 親友の突然の奇行に鹿威は慌てることしかできない。
「うわっ!?
 瓜坊?どうした?」
「…何でもない」
「な、何だ?結果はどうだったんだ?」
「これ、見て。僕今顔上げたら、また笑われちゃうから…」
 最後の方は震えて言葉になっていなかった。
 鹿威は瓜坊の手からプリントを受け取ると、中身が自分が同じものであることを確認して安堵した。そして、瓜坊が顔を隠そうとした意味を理解する。
 中学1年生の同じ頃、ラグビー部に入った瓜坊の人生が変わった。
 そしてこの一枚の紙によって、再び瓜坊のラグビー人生が始まる。瓜坊が一人になっても努力して目指していたもの、ずっと欲しがっていたものが、ようやく手に入った。
 顔を見なくてもわかるほど、瓜坊は泣いていた。
「よがっだぁ…!」
「まったく、瓜坊は本当に泣き虫だなぁ」
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