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【第5話】瓜坊の武器

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「北虎!」
 そして、瓜坊は声と共にボールを投げる素振りをした。猪爪は投げる方向に北虎がいるのをわかっていて、踏み出した。
 この距離から助走をしてタックルをすれば、前より確実に北虎を止められる。
(来た!今度こそ、あの虎野郎を止めてやる)
「あぁ!?」
 だが、ボールはどこにもない。そして、北虎の鳩が豆鉄砲を食ったような顔。
 視線を戻すと、瓜坊が目の前から消えていた。

 中学1年生の春、瓜坊はラグビー部に入った。だが、部員3名では試合すらできない。
 あるとき、瓜坊が珍しく弱音を吐いた。
「蛙田先輩、人数が少なくてもラグビー練習はできるんですか?」
「良い質問だ瓜坊、体力づくりや筋トレ、タックル練習とやることは多いぞ」
「瓜坊はまずボールに慣れるところからだな、パスが受け取れなきゃトライもできないぞ」
「でも僕やっぱり、実践練習もしたくて」
「まぁ、気持ちはわからないでもないけどなぁ。
「俺たちも先輩が卒業してからは、しばらく試合してないな」
 ラグビー部にはまともな施設や用具がない。あるのはボールだけだ。
 練習は階段や廊下でやるのが常で、練習メニューも自分たちで考案した。それでも学ぶことは多いが、瓜坊の顔にはどこか焦りがあった。
 来年、先輩が卒業してしまった後もそれを続けていて強くなれるのかと。
 蛙田も宇佐美も瓜坊の不安はわかっていて、顔を見合わせる。そして、宇佐美が切り出す。
「なら、良い練習方法があるぞ」
「本当ですか!?」
「あぁ、その名も一対一(ワンオンワン)。対面の相手を抜く練習だ」
 瓜坊の顔がぱっと明るくなる。
 宇佐美は、後輩の期待に応えようと何気なく提案したつもりだった。だが、瓜坊はその日から3年間欠かさずその練習し続けた。

 「猪爪!後ろだ!」
 「はぁ!?いつの間に!くっそ!」
 猪突猛進、瓜坊が猪の脇をすり抜ける。そのすぐ先には、ゴールラインがある。
 両端にいた豹堂も沙流も、一瞬何が起きたのかわからなかった。
 肉壁となって自陣を守っていた猪爪が、何もできずに敵の侵入を許した。
「あぁ、面倒くせぇなぁ!」
 唯一後方にいた沙流が、即座に追いかける。瓜坊に北虎のような俊足はない。鹿威のような長い手足もない。
 決して速いスピードではない、平時なら追いつけたはずだ。
 瓜坊はゴールラインに立ち入ると、そのままトライせずにゴールポストの脚を中心に回り込むように駆ける。
 目指すは豹堂と同じ、コンバージョンキックが入りやすい位置。ポストの下だ。
「あはは!」
 沙流が押し倒すまで、瓜坊は止まらなかった。タックルされたところでボールを地面につける。
 青天の霹靂、どんでん返しのトライだった。
 球磨が眉を吊り上げる。
「…何だ今のは」
「ふむ、猪爪が北虎を警戒しているのを上手く利用されたね。見事に逆手に取って抜かれた」
「虚を突かれただけだろう、それだけで勝ったつもり…」
「それだけで?それだけとは何だ?」
「……」
(しまった、監督のスイッチを入れてしまった。
 またアレを言われる)
「いいか、キャプテン。ラグビーは馬鹿には出来ないんだ。頭を使え」
「はい…」
「お前たちは、敵が前に来たら馬鹿みたいにタックルかスピードで乗り切ろうとするがな。
 ステップが成功すれば相手にタックルもされない、スピードも力も関係ないんだ。大事なのは瞬発力と、相手の裏を突くことだ。
 では、どうやって相手の裏をつく?」
「相手が進む方向と反対方向に行けばいい…んじゃないのか?」
「なぜ?」
「なぜ?」
「なぜ相手が右方向へ行くとき、左方向へ行くのか。どうして相手はすぐに反対方向に行けないのかだよ」
「だって、そういうものじゃないか。人間はそういう身体の作りで、」
「そういう身体の作り。そう、人間は重心が移動した方向と反対方向には簡単に進めない作りになっている」
 北虎の名前を聞いた瞬間、猪爪は北虎の方を見た。だが、同時に身体も北虎の方へ向くために左足で踏み込んで、重心も左へずれた。 
 その一瞬に、瓜坊は反対の方向へ駆け出したのだ。
 人間は、重心がある方向と反対方向へ急に進むことができない。あまりに自然な動作に、猪爪本人も気づくのが遅れた。
「しかも、豹堂は猪爪が邪魔で瓜坊の動きが見えなかった。そんなこと偶然ではできない、観察と経験の賜物だ。
 フィジカルもリーチもない、だが少なくとも彼は馬鹿ではない。あぁ言うのを、」
 瓜坊にタックルをした沙流は身体を退けて立ち上がると、膝に着いた芝を払った。
 彼は、上級生に二度もタックルで転がされた瓜坊には少なからず身体的・精神的ダメージが入るはずだと考えていた。
 自分より身体が大きい人間に突っ込まれて、怖がらない人間などいない。
(どんな顔してるのか見てやろ)
 だが、彼は瓜坊の顔を見て思わず背筋が冷える。上級生と目が合った瓜坊は、
「あぁ言うのを、ダークホースと言うんだ」
「うわぁ…気持ち悪っ」
 まるで、ずっと欲しかった玩具が手に入った子供のような笑顔で会釈をした。
 ギリギリと、奥歯を食いしばる音がする。
 猿曳は北虎に声をかけようとして、元来た方向に引き返した。尾を踏まれた虎にちょっかいをかけたら、今度こそ殴られかねない。
 北虎は茹蛸より顔を真っ赤にして、瓜坊を親の仇のように睨みつけていた。
「あのチビ、俺を餌にしやがった…」
 コンバージョンキックが決まり、前半終了のホイッスルが鳴った。
 14対14の同点、通常は2分以内のハーフタイムだが、今回は5分に設定されている。
 各自が水分を補給して身体を休める。公平性のため、監督はどちらの陣営にも近寄らなかった。
 北虎はお手洗いに、象蔵と狒々島は木陰へ移動した。猿曳もどこかへ移動したようで姿が見えない。
 瓜坊がスクイズボトルを探していると、頭の上からボトルが差し出された。
「瓜坊、お疲れ。良い走りだったよ」
「鹿威!
 ありがとう、正直成功するかは五分だったけどね」
「俺も見てたぜ、はいこれ。瓜坊はラグビー経験長いんだっけ?」
 一鷹が塩分タブレッツを嚙み砕きながら声をかける。瓜坊もタブレッツを報酬代わりに貰う。
 スクイズボトルには氷が入っていて、熱くなった身体が内側から急速に冷えていく。
 一息ついてから、瓜坊は質問に答えた
「んー、中学からだから3年間かな。
 そのあとに世界大会を見て興味持ってさ。元々従兄弟がラグビーしてて名前は知ってたんだけど、感動しちゃって」
「ふーん、あんな隠し玉あるなら先に教えて欲しかったぜ」
「そっちこそ、コンバージョンキック凄かったね」
「へへへ、俺は爪を隠すタイプなの。
 そうだ、あれ見ろよ」
 一鷹の視線の先を追うと、少し離れた場所では青チームの陣営が円陣になっていた。
 沙流と豹堂が中心になって、何か話をしている。前半の試合の感想と、後半の戦略について語り合っているのだろうか。
 彼らが習慣的に行っていること、そして1年生相手に本気でプレイをしているということが伝わってくる。
 距離は十分離れているにも関わらず、話し合いの熱気まで伝わる。
 ふと、視線に気付いた鰐島と一角が振り返った。サバンナで獰猛な肉食獣に出会ったような寒気が1年生三人を襲う。
 「何見てんだ」と言われた気がした。三人は一斉に視線を逸らした。
「きゅ、休憩時間の使い方すら全然違うんだね」
「この部活では、あれが普通なんだよ。
 選手が自主的に考えて戦略を立てている」
「…自主的に考えて」
「そうだ、でも俺らは試合に勝つことが目的じゃない」
「どういうこと?」
「忘れたのか?これは入部テストだぞ。
 つまり、自分の武器をアピールできたもんがちだ」
「あ、そっか。僕たち、入部テストしてるんだっけ」
「おいおい、それを忘れてどうするよ。
 気を付けろよ、監督はいざという時には本気で落とす人だぞ」
「何で一鷹にそんなことがわかるんだよ」
 鹿威のツッコミに、一鷹は「ちっちっち」と指を振る。一々キザな奴である。
「この部活、3年生がいないだろ。何でか、わかるか?」
「うーん、入部者がいなかったんじゃないの?
 ラグビーはまだまだマイナースポーツだし」
「馬鹿、この学校ではメジャーだよ。鹿威は?」
「もう引退したんじゃねぇの?
 この学校も一応は進学校だから、2年生の夏で引退したとか」
「違う違う、正解は去年今の2年生たちが追い出したんだ」
「「追い出した?」」
 一鷹の言うように、獅子神高校はラグビーの強豪校である。だが、ここ数年はめぼしい戦績を残していない。
 最後に全国大会に出場したのは5年前で、その時は準々決勝まで進んだ。そしてその後5年間は、全国大会の予選で敗退している。
 だが、去年は再び全国ラグビー大会に出場するまでの快進撃を遂げる。しかも、
「スタメン選手は全員が1年生だったんだ」
「え、じゃあ2年生とか3年生は?」
「言っただろ、追い出したんだよ。
 上級生にラグビーの試合を申し込んで、負けたら出ていくように言ったんだ。
 そのとき部員を率いたのが、鬼山監督と蛇腹コーチだ」
「蛇腹コーチ?」
「コーチと監督は何が違うんだ?」
「コーチは戦略を練ったり対戦相手の研究をする担当で、監督は練習メニューとか食事メニューを考えるんだとよ。
 もちろん、どっちも生徒な。とにかく、先輩を追い出した人たちだ。俺達も容赦なく落とされるぞ」
 強くなるため、そのために自分たちの組織を根本から変えることができる人たちだ。1年生相手にも容赦をしない。
 タックルを受けた瓜坊は体感で理解していた。
 だが、それを聞いて首を傾げる。
「…でもさ、だったら猶更この試合に勝たないといけないんじゃないの?」
「え?」
「だって、もう15人で全国行ったんでしょ?
 じゃあ、実力主義の先輩たちが求めてるのって自分たちより強い選手ってことじゃない?」
「……」
 沈黙する一鷹。その発想はなかったらしい。
 竜崎が短く笛を鳴らした。
「残り1分です」
「ま、まぁ、頑張ろうぜ…」
「う、うん!なんかごめん!」
「いや、瓜坊は悪くないだろ。
 どっちにしろ、俺達がやることは変わらないわけだし」
 後半は、赤チームのボールから試合が再開する。
「キックオフ、行けるでしょ?小鳥ちゃん」
「…一鷹です、猿曳先輩」
 猿曳は、ボールをスクラムハーフの一鷹に渡してニヤニヤと笑う。一鷹は感情の読めない猿曳のことを、どこか信用できずにいた。
 飄々とした態度は1年生相手だからなのか、それとも何か目的あってのことなのか、とにかく考えていることが読めない。
 そして、彼はこの入部テストにおいて仲間ではなく審査官の可能性が非常に高い。
「うきゃきゃ!
 うちの学校は自主自立がモットー、さぁ行ってみよう!」
「はい、まぁ、やりますけど」
(さて、どこに蹴るかな。
 順当に行けば、象蔵のとこか。前半戦で一角先輩に競り勝っているからな。
 それにしても、猿曳先輩にばっかり頼っていられないな。
 もしかして、そういう意味で急かしに来たのか?)
 一鷹の蹴ったボールは、規定通り10mラインを越えて、予想通り一角と象蔵の前まで落ちる。
 ラインギリギリのコート端に駆け付けた一角と象蔵、今度はどちらが先にとってもおかしくない。
 象と馬が飛び上がる。
「来いや象蔵ぁ!」
「……」
「何か言えやぁ!」
 象蔵は一角の体重差による衝撃を受けて、僅かに呻いた。そして、微妙な差でボールに触ったのは一角だった。
 一角が懸命の伸ばした指先にボールが触れて、ボールが青チームの自陣へ落ちていく。一角はラインの外側に着地する。
 落下して一度バウンドしたボールは高く上がり、斎条が身体を延ばして取った。
 だが、一足先に着地した象蔵は直後に標的を切り替える。
「ナイス一角!あっ」
「……」
 斎条の前には、着地直後から助走を始めた象がいた。
 タックルですらない体当たりを食らい、斎条は万歳の姿勢のままライン外へ転がっていく。
「うあぁー!!」
「斎条ぉー!?」
 だが、ボールだけはラインの外に出る前に自陣へと転がす。その先にいたのは、鹿威と駆け付けた大狼だ。
「うぐ…」
 大狼は考える。鹿威の身長は189センチ、リーチでは圧倒的に不利だ。
 このまま鹿威と同じようにボールを拾い上げるようでは、恐らく先を越される。
 ならば、タックルをするか。けれど、この助走距離では倒しきれる可能性が低い。その間にロングパスをされると厄介だ。
 ただし、それは大狼一人の時の話だ。大狼は沙流の足元へ、地面のボールめがけてスライディングをした。想定外の行動に鹿威が驚く。
「うわぁ!大狼先輩!?」
「鰐口!タックル!」
「あ!?命令すんな!」
 大狼がボールを掴んで、横向きに倒れる。倒れた大狼はプレイができないが、時間稼ぎになる。
 意表を突かれた鹿威がはっとしてボールを奪おうとする頃、大狼の声に導かれて鰐がやってくる。
「ふんぬぁ!」
「ぐっ!?」
 強烈なタックルを受けた鹿威は、身動きが取れない。その隙に、
「有能なスタンドオフ、登場」
「いいからさっさと持ってけ!沙流!」
 沙流がロングパスで猪爪につなぐ。猿曳が慌てて踵を返す。
 猪爪は受け取ったボールを持って、眼前に立つ瓜坊を睨んだ。前半にステップで抜かれたことを根に持っているらしい。
 瓜坊がタックルで止めに来るのがわかっていて、挑発をする。
「さっきはどうも、だが俺はお前を抜くまでもないぜ!」
 瓜坊のタックルに、猪爪はあえて真っすぐ当たりに行く。いとも簡単に吹っ飛んだのは、当然瓜坊だ。
 接触ができるのは守備だけではない。猪爪が吠える。
「正面突破ァ!」
「ぐっ!」
「おい豚先輩、俺を忘れてんじゃねぇ」
 北虎が猪爪の前へ移動する。
 横幅は猪爪の方が広いが、脚力によるスピード次第ではどちらにも転びかねない。
 ラグビーを始めて3か月の初心者、パスもタックルも技術は低くて拙い。だが、その気迫は他のプレイヤーにも引けを取らない。
「誰が豚だクソガキ、やってみろよ」
「…ぜってぇ倒す」
 北虎が腰を低くして襲い掛かろうとしたところで、猪爪はボールをパスする。
 北虎は呆気にとられて、次にボールの行く先を見て青ざめる。
 自分が守っていた領域、そこがぽっかりと空いていて誰もいない。ただ一人、豹堂を除いて。
「お前こそ、俺のこと忘れてんなよ!子猫ちゃん!」
 豹堂の前には、ゴールラインまで真っすぐ50mのロードができていた。虎も猪も出払っていて今はいない。
 豹堂は、猪爪を信じてずっと彼の後を追ってきていた。
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