ラガー・チルドレン

栗金団(くりきんとん)

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【第1話】ラグビーとの出会い

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 2019年のラグビー世界大会、たまたまテレビをつけた僕は液晶に釘付けになっていた。屈強な体格による力任せのタックル。
 なぎ倒した相手からボールを奪い取り、仲間と肩をスクラムで押し合い、ゴール間際まで正確無比なシュートをする、かと思えばゴールラインまで100m近い全力疾走を見せ、相手のタックルを薙ぎ払って頭から飛び込んでスライディングをする。
 繊細さと豪胆さが共存したフィジカルスポーツをする選手は、骨格も筋肉量も常人とは一線を画す。
 日本が史上初世界7位になると同時に、僕の人生が一変した。
「かっこいい…!」
 翌日、僕は遠くで野球部の掛け声を聞きながら部室棟で立ち尽くしていた。汗で湿った右手を丸めて覚悟を決め、部室の扉をノックする。
「こんにちは…!
 あの、ラグビー部…は、ここで合ってますか…?」
 体操着に着替えた上級生が二人、座っていた椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「おぉ!新入生!?」
「えぇ!?本当に!?冷やかしとかじゃなく!」
「冷やかしじゃないです!」
「うわぁ!ようこそ、我がラグビー部へ!君、名前は?」
「う、瓜坊直流(うりぼう すぐる)です」
 中学校には、幸運にもラグビー部があったので迷わず入部した。
 先輩たちは皆いい人で、その年に唯一入った新入部員を歓迎してくれた。そして、僕が初心者であることを邪険にせず懇切丁寧にラグビーを教えてくれた。ルールやポジションからボールの持ち方、そしてどうすれば体を大きく強くできるか。
「ウリボウは身体が小柄だから、ポジションはバックスがいいかもな。
 スクラムハーフなんかどうだ?」
「バックス…後ろ側でボールをゴールに運ぶポジションですよね。えっと、スクラムハーフは」
「おいおい、ノートにまとめてんのか?真面目だなぁ」
 入学する前から、学んだことはラグビーノートにまとめて見返すようにしていた。ラグビーはプレイヤーが多い分、ルールも複雑だ。それに、戦術やテクニックは無数にある。
 更衣室でヘッドキャップを取った蛙田先輩の言葉に、僕は15個のポジションの説明が書かれているページを探した。中々見つからずにいると、既に着替え終えた宇佐美先輩が先に答えを出した。
「スクラムハーフは、ボールを仲間へ繋げる役割。体格よりもスピードとパスのテクニックが求められるから、身長が低い選手も多いんだ」
「身長が低い…」
「おい宇佐美!ウリボウにはまだ伸びしろがあるんだ!」
「あ、ごめん!?」
「いえ…これでも毎日牛乳を飲んでいるんですけどね…」
 フィジカル重視のラグビーで当時の僕の身長は156センチ、体重は45キロしかなかった。食事も筋トレも練習も、先輩たちには遠く及ばない。できることは何でもした。まずは朝と土日のランニングで体力づくり、食事は一日三食で3合、練習終わりには必ず体幹と下半身を中心に筋トレを、睡眠時間は8時間を取る。
 3か月もすれば、部活中にバテルことも少なくなり始めた。それでも、身長はほとんど変わらなかった。
 ある日、いつものようにパス練習で蛙田先輩と向かい合ってボールを投げ合っているときだった。
「ウリボウ、最近何だか頑張ってるな。パスも安定してきたし」
「本当ですか!?
 実は、ラグビーボールを買って家でパス練習をしているんです。
 僕は手が小さいから、すぐに落としてしまって」
 ラグビーボールは楕円形の特殊な形をしていて、真っすぐ飛ばしたり受け取ったりするだけでもコツがいる。さらに遠く投げるなら回転をかけてスクリューパスを、近くの味方に向けて投げるなら無回転のストレートパスを、それぞれ使い分ける必要がある。
 どれも、先輩たちに教えてもらった知識だ。
「おぉ!じゃあ、そのうちオフロードパスなんかも出来るようになるかもな」
「おふろーど?」
「あぁ、タックルされた時にするパスだよ。
 …といっても、この部活では実践する機会もないけどな」
 校庭から、サッカー部の掛け声が聞こえる。
 放課後、僕らはいつも部活棟の廊下でパス練習をしていた。校庭を使えるのはサッカー部や野球部の所属人数が多い部活だ。そしてラグビー部は、部員が3人しかいなかった。
 ラグビーは、日本ではまだマイナースポーツ。さらに1チーム15人必要なスポーツだ。地方の中学校ではまず試合人数が集まらない。
 さらに、この辺りにはラグビーグラウンドもない。試合場所も練習もなく、となれば指導者もまたいない。
 だから、僕が中学校でラグビーの知識がある先輩に出会えたこと自体が奇跡みたいなものだった。
「ウリボウ、高校はラグビー部があるところに行けよ」
「…ぐすっ、はい」
「お前才能あるからさ、きっと沢山試合できるぜ」
「泣くなよ~可愛い奴だなぁ」
 次の年、3年生だった蛙田先輩と宇佐美先輩は卒業した。学ランに卒業証書を持って僕の頭を撫でる先輩たちの顔は、涙で見えなかった。
 部活動は3人以上が所属をしていないと活動ができない。ラグビー部は廃部した。
 僕が必死にノートに知識をまとめていた理由は、そこにある。いつか、先輩たちは僕より先にいなくなってしまう。
 そうしたら、僕は一人になるからだ。
 「一年間、先輩たちと一緒にラグビーできて本当に幸せでした…!」
 2年生に進学した僕の目標は、スゴロクで言えば最初に戻って「ラグビーをする相手を探す」ことになった。 
 ラグビー部がある高校に進学すれば、きっと簡単にチームでラグビーができる。
 でも、それまで何もせずに2年間待ち続けていたら、僕が学んできた一年間が無駄になってしまう気がした。そうなったら、先輩たちが僕に教えてくれた時間も意味が無くなってしまう。
 それだけは嫌だった。練習をするなら、当然ボールを投げ合える相手が必要になってくる。
「ね、ねぇ、ラグビー興味ない?」
「ラグビー?何それ?」
「ルールは教えるからさ、一緒にやろうよ」
「俺はパス、部活あるから」
「俺もパス、今日はせっかくのオフなんだよ」
「じゃあ、投げるだけでいいから…」
「とにかく、今日は無理!」
「あ…待って!」
 誰も、ルールすら知らないスポーツをやろうとはしてくれなかった。
 クラスメートが逃げるように、実際逃げて行く背中を見送っては立ち尽くす。友達から嫌われなかったのは不幸中の幸いだったけど、断られるたびに自分の存在が否定されているような気がした。
 一人で出来ることは何でもやる、でもラグビーは個人種目じゃない。宇佐美先輩や蛙田先輩がいてくれたらと、思わずにはいられなかった。
 教室で一人俯いていると、ふいに扉がガラリと開いた。
「あ、鹿威くん…」
「何お前、まだいたの?」
「部活終わったの?
 ねぇ、ちょっとだけ!
 本当にちょっとだけでいいから、練習付き合って欲しいんだ!」
 日が沈んで暗くなった教室に、荷物を取りに来た鹿威くんに頭を下げる。バスケ部の練習終わりの髪は汗ばんで大人しくなっていて、温まった身体からは蒸気が出ている。僕よりずっと背が高いし運動神経も良いから、バスケ部ではさぞかし活躍しているのだろう。
 いいなぁ、それに比べて僕は試合すらできない。泣きそうになるのを堪えて下を向くと、涙で視界が揺らいだ。
 いや、駄々をこねるな。僕は僕に出来ることを積み重ねるしかないんだから。鹿威くんは、そんな僕に同情してくれたのだろう。
「……ちょっとだけだからな」
「いいの!?本当にありがとう!」
 ようやく練習に付き合ってくれる友達が出来たのは、季節が一つ移り替わってからだった。
 パス練習、タックル練習、ステップで相手を抜く練習。たった二人だけ、それでも一人でいた時より格段にやれることが増えた。
 それに、練習相手がいることがどれだけ恵まれているかは散々思い知っていた。実際、僕が声をかけても背中を向けずに向かい合ってくれたのは、鹿威だけだった。中学校でラグビー部が復活する望みはゼロに近かった。
 僕にとってのラグビーと同じように、みんなこれだと決めたスポーツや活動、委員会や勉強があった。
 こうなったら、残る手段は一つだけだ。夕食を作る母と皿を取り出す父の背後に立つと、僕は大きく深呼吸をした。
「お母さん、お父さん、僕お願いがあるんだ」
「あら、なぁに?」
「何だ、改まって」
「僕、高校は私立に行きたいんだ」
 ラグビーができる環境を得る、そのためにラグビー部がある高校へ進学をする。
  でも、それはお金も手間もかかる手段だ。ラグビー部の活動実績がある高校は、この辺りでは私立の進学高校一校しかなかった。スポーツ環境が豊かな学校はそれだけ学費も学力も高い。
 公立高校の学費は年間約50万円、対する私立高校は年間約100万円。
 単純計算でも、私立高校の学費は公立高校のおよそ倍だ。入学金に地方のここから通う交通費、部活をするなら用具費も必要になる。
 それは、僕の力ではどうこうできるものではない。けれど、両親は
「いいわよ」
「いいぞ」
 鶏肉を切り分ける手も、盛り付けられた皿を持って移動する足も止めもしなかった。
「えっ!?でもあの、受験するのもお金がかかってで…」
「いいわよ」
「えっ!?あの、僕が言うのも変だけど、た…大変だと思うよ?」
「あんたが一年間ラグビーを真面目にしてたのは見ていたからね。
 子供が本気でやっていることを、親が邪魔するわけないでしょ」
 目頭が熱くなる。胸の中で感謝と安堵の思いがこみ上げた。
 確かに、僕は家でもよく部活の事を話していたけれど。だからって、僕の家は無条件で私立高校に通えるほど裕福ではないはずだ。
 その鶏肉だって値引きシールがついたものだし、エアコンは何年も買い替えていないので妙な音が鳴っている。雨戸の立て付けだって、悪くなっていて。
 それでも彼らが僕に気を使わせまいとしてくれていることに、気づかないはずがない。
「あっ、ありがどう…!」
「全くもう。あんた、そのすぐ泣く癖をどうにかしなさい…!」
「そうだぞ、別にこれくらいおうおうおう…!」
 言いながら、お母さんは手の甲で涙を抑えていた。お父さんも眼鏡を取って腕で目を抑えている。
 僕の家は決して裕福ではない。
 けれど、彼らがそれを僕の自由を奪ったことはなかった。
 ご飯の量を増やしたいって言ったときも、二つ返事で次の日から米を買い足して炊いてくれた。今も、たんぱく質が豊富な鶏肉を使って料理をしてくれている。
 母は口癖のように言った。
「あんたの好きにしなさい」
 生まれた地域は不便だったけど、僕は母さんと父さんのところに生まれて幸運だった。
 彼らが僕に不自由を感じさせず生活させてくれるのも、スポーツをやらせてくれるのも、雪の日は車で駅まで送り迎えしてくれるのも、一つだって当たり前のことじゃない。
「けど、この学校かなりの進学校だろ?勉強は大丈夫なのか?」
「うん、勉強もちゃんとやるよ」
 もちろん、ラグビー以外も頑張らないといけない。
 ラグビーの練習をするのは、月曜日以外の平日と土曜日だけ。それ以外の日は勉強に専念して、平日も自主練後は図書館で勉強をしてから帰る。遠くの都市部にある塾には通わず、オンラインで通信講座を受講した。わからないことは学校の先生に質問をした。
 受験日は雪が降っていた。始発の電車に揺られている間も、僕はカイロを握りしめて参考書を読んだ。
 そして、合格発表日。僕と母さんと父さんは、三人でパソコンの画面をのぞき込んでいた。
 「何で合格発表を見るだけなのに、こんなに時間がかかってるんだ?」
 「決まってるでしょ、受験生がみんな同じ時間に繋いでいるからよ」
 合否結果のボタンをクリックしてから、もう数分は画面が固まっている。
 唯一、サイトの真ん中に浮かんだ円だけがクルクルと回転している。次に表示される画面に、僕の人生がかかっている。段々と緊張に身体が耐えられなくなってくる。
「…僕、トイレ行きたくなってきた」
「さっき行ったばかりだろう、だかわかる。俺もだ」
「ちょっと行ってくる…!」
「え!?もう少しなんだから我慢しなさい」
 トイレに駆け込んで、用を足す。
 ラグビー部がある高校はこの辺りでも有名な進学校で、直前の模試の結果でも合格できる保証はなかった。もし受からなかったら。
 鹿威も先輩たちもいない学校で、僕はまた一人でもラグビーをできるだろうか。
 頭をよぎるのは、ラグビー部が廃部になる前の記憶だ。
 たった一年間、それだけの期間なのに、先輩たちとラグビーをした記憶は、この2年間ずっと僕の頭の端にある。
「また、あんな風にラグビーができたらいいのにな」
 そのとき、リビングから悲鳴が上がった。
「「きゃああああ!!!」」
「な、何!?」
「直流!受かってるよ!!」
「え!?!本当!?」
 嬉しい反面、どうして後数分トイレを我慢できなかったのかと思う気持ち半分。そうはいっても、生理現象は途中で止められない。
「やったぁ!でも、何でトイレにいるときに…!」
 2年越しにラグビーができる、ラグビー部がある高校への入試合格を僕はトイレで聞いた。
 だが、このときの僕はまだ知らない。ラグビー部がある高校で、ラグビーができない可能性があることを。
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