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【第9話】平凡な高校生と、凶悪な強盗団
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嵐山正忠の生涯は、ありふれているものだった。
北海道の田舎の地域に生まれ、父と母の慎ましい三人暮らし。父は牧場の経営と猟師で家族を支える昔気質な男で、母は父が無口な分よく喋る人だった。
牧場は家業のため、正忠も早朝に起きて牛や羊の世話を行い、それから学校に行く。帰ってきたら、また牧場に行って手伝いをする。休日は一日中手伝いか勉強、あとは買い出しで終わる。
たまに友達の家で遊ぶ日もあるが、それも小学校から同じメンバーなので最近は飽きてきた。
毎日、毎週、毎月同じ生活を繰り返すだけで年月が経ち、気づけば高校生になっていた。
高校に入ってからはいよいよ自分の生活に嫌気がさした。父も母も息子を牧場の労働力としか見ていない。
父は高校生になってからは猟師も継がせようとしてきたが、黙って従うものかと断っていた。
学校終わりに意味もなく家に帰らず、あちこち回ったり友達とコンビニでたむろしたりして時間を潰した。
地頭が悪いから勉強なんてできない、でも父の牧場や猟師を継ぐ気もない。
それが嫌なら進学なり就職をしてこの場所から出ていくしかない。けれど他にやりたいことなんてないし、だからといって黙って牧場の手伝いや勉強をするのは癪だった。
同級生には県内で五本指に入る学力を持つ女子や、事故で親を亡くし一生遊んで暮らせる遺産を相続したというクラスメートがいた。
成績が良いのは勉強を頑張っているからで、親が死んでしまうのは不幸なことだが、正忠は彼らを妬ましく思った。
せめて遊ぶ金があったらとも思うが、バイトをしようにも、家から一番近いコンビニでも自転車で三十分かかる。
それに閉鎖的な村社会では全員が顔見知りだ。
思春期の男子高校生には、働いているところを同級生や親戚に見られるなんて耐えられない。
なのに、このド田舎にはコンビニが一つしかないのだ。そのことをコンビニで出会った先輩に話すと、彼はヤニで黄色くなった歯を見せて笑った。
「なら、旨い話があるぜ」
嫌な予感はしていた。
でも、断ったら学校での立場がどうなるかわからず頷いてしまった。
「犬はいないみたいっすね」
「室内にいるんだろ。吠えられる前に殴って大人しくさせろ」
「できるだけ静かに、素早く行動するぞ」
「了解っす、任せてくださいよぉ」
先輩に言われて車に乗り込んでから、数十分は経っただろうか。
辿り着いた家はよくある一軒家で、深夜なだけあって明かりが灯っている部屋はなかった。
周囲は畑と山に囲まれており街灯もない。
ここなら、少しばかり悲鳴や怒号が上がっても気づかれないだろう。
ヤスデと呼ばれる男が慎重に車を停めてライトを消す。ヒルとユウシャが扉を開けて降り立った。どちらかが降り立ったとき、踏みつけた砂利が跳ねて車に当たった。
ヤスデが舌打ちする。
誰の仕業かはわからない。
闇夜に紛れるため、乗員は全員黒ずくめの服装に目出し帽を着用していた。ただし、嵐山正忠ことアラシを除いて。
渡された目出し帽とバットを胸で受けとめたまま、アラシは未だに状況が飲み込めずにいた。
ヤスデがバンの後ろ扉を開いて、後部座席に座る二人に「降りろ」と告げる。
「ほ、本当にやるんですか…!?」
「当たり前だろ、とっとと出るぞ。お前は見張りだ」
「でも、これっ、立派な犯罪ですよ!」
「あぁ?あのなぁ、アラシだったか?」
「は、はい……ぎゃっ!?」
「さっさと動け。できないなら、もう一発入れるぞ」
「はっ、はぁっ、は、はいっ」
アラシは平手打ちされた頬に手を当てて、相手が自分とは違う世界に生きていることを痛感した。熱を持った頬に対して、血の気が引いて顔は青ざめていく。
杜撰な計画に寄せ集めの人員、行き当たりばったりの行動、どれをとってもお粗末だ。
それにもかかわらず、彼らは今夜強盗事件を起こそうとしていた。
ターゲットは知らないが、同じ村に住む人間ならば顔を見ればすぐに誰だかわかるだろう。逆説的にもしも住人が目覚めたら、アラシは顔を見られただけで素性がバレる。
なのに、ユウシャと名乗った先輩とヒルは笑顔でトランクを漁っている。
頭が真っ白になっていたアラシに声を掛けたのは、隣に座っていた中年の男だ。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、大丈夫です……えっと、ハナダさん?」
「はい、えぇっと、お名前何でしたっけ?うわっ、血が出てません?」
「アラシです。あのハナダさん、さっきの話、聞きましたよね?」
やっとまともそうな人に出会い、アラシの心が少しだけ落ち着く。
髪の長い瘦せ形の男。髪が長いというよりも、まるで何日も髪を切っていないような野性的な髪型だ。おまけに目が窪んでいてクマが酷く、幸が薄そうな影の薄い大人だった。
ハリの無い肌を見ると実年齢より老けているように見えるが、確実に学生ではないだろう。自分よりも長く生きている大人だ。この人を頼れば助かるかもしれない。
だが、ハナダの一言で希望は打ち砕かれる。
「アラシさん、もしかして初めてなんですか?」
「はい……初めて?」
「あの邪魔なんですけど、さっさと出てくれます?」
「おいっ、お前らさっさと出ろ。何かあったらソレで対応しろ」
「それ?それって、このバットで……?」
「先輩、すごいっすね!バットにハンマー……これは?」
「うるせぇぞ、ペンチとニッパーも知らねぇのか。お前はバットにしとけ」
「ちっ……うっす」
彼らは、まだこの時点では他人の家に車を停めただけだった。
例えばアラシが今すぐ逃げ出すか、あるいは彼らを無理矢理にでも止めれば、重大犯罪にならず未遂に終わった。他人の家に嬉々として入る人間と行動を共にするより、その方がよっぽど健全で安全な選択肢だ。
けれど、アラシはその選択を取る勇気がなかった。またしても彼は流される。
その家に手を出したら、二度と元の生活には戻れないと知らずに。
ピッキングをする前に建物の入り口が開く。アラシは慌てて目出し帽を着用する。
出てきたのは彼のクラスメートだった。
祈生禅、確か去年の夏くらいに事故で家族が亡くなって不登校気味だった少年だ。
仲の良い友達や知り合いではないことに、アラシは内心胸を撫でおろしていた。
「あの、どうかしましたか?」
「……おい、まだ住人が起きてるじゃねぇか」
「……先輩、ここは俺に任せてくださいよ」
「この先は山道で行き止まりです。迷われたんですか?」
自ら扉を開いた禅は下駄を履きながら外に出ると、一番近くにいたヒルに話しかける。
ヒルは禅を見つめたまま、開いたままのバックドアを閉じた。
向こうからやって来てくれるのは好都合だった。気づかれる前に殴りつけて大人しく拘束できれば楽に家探しができる。右手の金属バットを握りしめた。まだ間合いではない。
しかし、ヒルはユウシャが握っているものを見て眉を潜める。
ユウシャは、先輩の助言を無視してハンマーを握りしめていた。
歩みを進めるにつれて、次第に禅の目にもヒルたちの目出し帽が見えるようになる。
「目的地、は……いや、何なんですか?あなた方は」
「大声を出させるなよ、ユウシャ」
「わかってますよ」
「何しに来たんですか……うちに、何の用ですか」
目出し帽と黒ずくめの服装に、凶器を持った複数人の男たち。禅の足が止まる。
連日ニュースで報道されている連続強盗団の特徴と酷似している。決して迷い人ではない。
そもそも、この辺りの民家は祈生家だけなのだから。
ニュースの情報が正しければ、彼らは被害者を傷つけ殺すことに躊躇が無い。このまま両手を上げても命が保証されるかわからない。危険な相手だ。
「何で、何でうちを狙うんですか。うちには、僕と祖母しか……」
「あぁ?僕と祖母しか?だから狙うんだろうが、お前バカかよ。
……って、ヒルさん?何っすか、その眼は!」
「お前はキレやすいからな。わかっているだろうが、失敗は許されねぇぞ」
「だから、わかってますよ!」
「おいガキ、大人しくしていれば命だけは助けてやる。
ちょっとだけ、痛い目を見てもらうがな」
「強盗……?
どうしよう、携帯を……しまった、持ってきてない!」
強盗たちはバットにハンマー、日曜大工で使われるような工具から包丁まで手にしていた。
全ては人を傷つけるため、他人を脅すため、自分と祖母を傷つけるために持って来た道具だ。
逃げたとしてもこの距離では追いつかれる。この人数では敵わない。
後ずさる禅の膝から力が抜けそうになる。恐怖で手が震え出し目尻には涙が浮かんでくる。
このまま全てを諦めて泣き出したい。だが、家の中には大切な家族がいる。
震えを隠すように拳を握りしめて、大きく息を吸う。
「すぅ……強盗だあ!マトン、起きて!」
「あぁ!?この野郎っ!」
「おい黙らせろ!」
「お願いマトン!お願いだから起きて!」
「禅?強盗?」
聞いたことのない禅の絶叫に、マトンとタマが同時に耳を立てる。
マトンは外から聞こえる足音と話声を聞きながら、玄関に向かう。
知らない人間の気配がしても、今のマトンは無闇に飛び出したりしない。
彼女は近所の人間の顔と名前を憶えていない。
そこに禅の知り合いや親戚が連絡もなく訪ねてくるのは、よくあることだった。彼らが何らかの食材をおすそ分けしてくれる可能性があり、禅の対応を模倣している限り、マトンは他人に対しても大人しくしていた。
扉に手を当てる。開けた瞬間、外側から閉められた。
「えっ」
「出ちゃだめだ、マトン!警察を呼んで!」
「禅?な、何で扉を閉めるんだ?一体、何をしているんだ?」
扉の向こう側に禅の気配を感じる。禅は扉に背を向けて全体重をかけ、決して開かないように押さえつけていた。
このまま無理矢理開けたら怪我をさせてしまう。
この二週間と数日で、マトンは自分の力が人間よりも遥かに強いことを自覚していた。
外からは男たちが野太い声で怒鳴りつける声が聞こえる。鈍い音や服を掴む音、禅の焦りと恐怖、怒りが手に取るようにわかる。禅に向けられた殺意と、禅の声に込められたそれ以上に強い思いも。
扉を開けてこの目で何が起きているか確認するべきか、禅の言葉に従うべきか。
平和な世界、満たされた世界で争う理由に、マトンは心当たりがない。
「開けてくれ禅、私は」
「僕はいいから!早く!」
「どけっ!どけやガキっ!」
「おい、まだ中に人がいるのか!?通報される前に止めろ!」
「マトンッ!お願いっ!おばあちゃんとタロウ、タマたちを守って……がっ」
「わ、わかった」
迷った末に禅の言葉に従った。廊下を小走りで移動して廊下に置かれた受話器を掴む。
通報するのに必要な番号は知っている。受話器を取ってボタンを二つ押したところで、扉が開いた。思わず反応して首を回したマトンは、目が逸らせなかった。
開け放たれた扉の前に立っていたのは禅ではなかった。
「ははは、おじゃましまぁーす!おぉ?」
「だから、静かにしろと!やっぱりか、まだ起きているやつがいる」
「……禅?」
扉の向こう側、地面に禅の下駄が転がっていた。その横に見える足も禅のものだ。
強盗は、電気のついていない暗闇の廊下に人が立っていることに気づく。
先頭に立ったヤスデが家の中にライトを当てると、マトンの両目が光を反射した。後ろでバットを抱えていたアラシは違和感を覚える。
「……目が、光った?」
普通、人間の目は暗闇で光を反射しない。
あんな風に光を反射するのは網膜の後ろに反射板を持つ猫や夜行性の獣くらいのはずだ。彼らは目の中にある反射板を利用して微細な光を捉えることで、深夜でも昼間と同じように行動をすることができる。
「うひょー、いい女じゃねぇか!」
「おい女、その受話器を置け。わかるよな?一対五だぞ」
違和感が恐怖に繋がる前に、ユウシャが下品な声を上げる。
光に照らされた少女は絶世の美女だった。
バランスの取れた肉付きの良い四肢に乗った小さな顔、大ぶりの辰砂の瞳が光る。
少女は受話器を持ったまま人形のように固まっている。ヒルの声は聞こえていないようだ。
この時間に人が起きていたこと、そしてあまりの美しさを前に、誰もが本来彼女がいるはずのない人間であるという事実に気付かなかった。表札にもまだマトンの名前はない。
「女、ビビって動けねぇのか?」
「ヒルさん、だったら俺が拘束しますよ。
確か、こういうときのために結束バンドがありましたよね?
へへへっ、ね?いいっすよね?」
「調子に乗るな、俺が黙らせる」
「ちっ、邪魔しないでくださいよ。ヤスデ……さん」
ユウシャを押しのけ、ヤスデが土足で家に上がる。
「……禅?返事をしろ。そいつらは誰なんだ?」
マトンは強盗の会話などまるで頭に入らない。それよりも、禅の足がピクリとも動かないことの方が気になる。
倒れ方が妙だ。意識が全くない、まるで眠っているかのようだ。
「禅?」
北海道の田舎の地域に生まれ、父と母の慎ましい三人暮らし。父は牧場の経営と猟師で家族を支える昔気質な男で、母は父が無口な分よく喋る人だった。
牧場は家業のため、正忠も早朝に起きて牛や羊の世話を行い、それから学校に行く。帰ってきたら、また牧場に行って手伝いをする。休日は一日中手伝いか勉強、あとは買い出しで終わる。
たまに友達の家で遊ぶ日もあるが、それも小学校から同じメンバーなので最近は飽きてきた。
毎日、毎週、毎月同じ生活を繰り返すだけで年月が経ち、気づけば高校生になっていた。
高校に入ってからはいよいよ自分の生活に嫌気がさした。父も母も息子を牧場の労働力としか見ていない。
父は高校生になってからは猟師も継がせようとしてきたが、黙って従うものかと断っていた。
学校終わりに意味もなく家に帰らず、あちこち回ったり友達とコンビニでたむろしたりして時間を潰した。
地頭が悪いから勉強なんてできない、でも父の牧場や猟師を継ぐ気もない。
それが嫌なら進学なり就職をしてこの場所から出ていくしかない。けれど他にやりたいことなんてないし、だからといって黙って牧場の手伝いや勉強をするのは癪だった。
同級生には県内で五本指に入る学力を持つ女子や、事故で親を亡くし一生遊んで暮らせる遺産を相続したというクラスメートがいた。
成績が良いのは勉強を頑張っているからで、親が死んでしまうのは不幸なことだが、正忠は彼らを妬ましく思った。
せめて遊ぶ金があったらとも思うが、バイトをしようにも、家から一番近いコンビニでも自転車で三十分かかる。
それに閉鎖的な村社会では全員が顔見知りだ。
思春期の男子高校生には、働いているところを同級生や親戚に見られるなんて耐えられない。
なのに、このド田舎にはコンビニが一つしかないのだ。そのことをコンビニで出会った先輩に話すと、彼はヤニで黄色くなった歯を見せて笑った。
「なら、旨い話があるぜ」
嫌な予感はしていた。
でも、断ったら学校での立場がどうなるかわからず頷いてしまった。
「犬はいないみたいっすね」
「室内にいるんだろ。吠えられる前に殴って大人しくさせろ」
「できるだけ静かに、素早く行動するぞ」
「了解っす、任せてくださいよぉ」
先輩に言われて車に乗り込んでから、数十分は経っただろうか。
辿り着いた家はよくある一軒家で、深夜なだけあって明かりが灯っている部屋はなかった。
周囲は畑と山に囲まれており街灯もない。
ここなら、少しばかり悲鳴や怒号が上がっても気づかれないだろう。
ヤスデと呼ばれる男が慎重に車を停めてライトを消す。ヒルとユウシャが扉を開けて降り立った。どちらかが降り立ったとき、踏みつけた砂利が跳ねて車に当たった。
ヤスデが舌打ちする。
誰の仕業かはわからない。
闇夜に紛れるため、乗員は全員黒ずくめの服装に目出し帽を着用していた。ただし、嵐山正忠ことアラシを除いて。
渡された目出し帽とバットを胸で受けとめたまま、アラシは未だに状況が飲み込めずにいた。
ヤスデがバンの後ろ扉を開いて、後部座席に座る二人に「降りろ」と告げる。
「ほ、本当にやるんですか…!?」
「当たり前だろ、とっとと出るぞ。お前は見張りだ」
「でも、これっ、立派な犯罪ですよ!」
「あぁ?あのなぁ、アラシだったか?」
「は、はい……ぎゃっ!?」
「さっさと動け。できないなら、もう一発入れるぞ」
「はっ、はぁっ、は、はいっ」
アラシは平手打ちされた頬に手を当てて、相手が自分とは違う世界に生きていることを痛感した。熱を持った頬に対して、血の気が引いて顔は青ざめていく。
杜撰な計画に寄せ集めの人員、行き当たりばったりの行動、どれをとってもお粗末だ。
それにもかかわらず、彼らは今夜強盗事件を起こそうとしていた。
ターゲットは知らないが、同じ村に住む人間ならば顔を見ればすぐに誰だかわかるだろう。逆説的にもしも住人が目覚めたら、アラシは顔を見られただけで素性がバレる。
なのに、ユウシャと名乗った先輩とヒルは笑顔でトランクを漁っている。
頭が真っ白になっていたアラシに声を掛けたのは、隣に座っていた中年の男だ。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、大丈夫です……えっと、ハナダさん?」
「はい、えぇっと、お名前何でしたっけ?うわっ、血が出てません?」
「アラシです。あのハナダさん、さっきの話、聞きましたよね?」
やっとまともそうな人に出会い、アラシの心が少しだけ落ち着く。
髪の長い瘦せ形の男。髪が長いというよりも、まるで何日も髪を切っていないような野性的な髪型だ。おまけに目が窪んでいてクマが酷く、幸が薄そうな影の薄い大人だった。
ハリの無い肌を見ると実年齢より老けているように見えるが、確実に学生ではないだろう。自分よりも長く生きている大人だ。この人を頼れば助かるかもしれない。
だが、ハナダの一言で希望は打ち砕かれる。
「アラシさん、もしかして初めてなんですか?」
「はい……初めて?」
「あの邪魔なんですけど、さっさと出てくれます?」
「おいっ、お前らさっさと出ろ。何かあったらソレで対応しろ」
「それ?それって、このバットで……?」
「先輩、すごいっすね!バットにハンマー……これは?」
「うるせぇぞ、ペンチとニッパーも知らねぇのか。お前はバットにしとけ」
「ちっ……うっす」
彼らは、まだこの時点では他人の家に車を停めただけだった。
例えばアラシが今すぐ逃げ出すか、あるいは彼らを無理矢理にでも止めれば、重大犯罪にならず未遂に終わった。他人の家に嬉々として入る人間と行動を共にするより、その方がよっぽど健全で安全な選択肢だ。
けれど、アラシはその選択を取る勇気がなかった。またしても彼は流される。
その家に手を出したら、二度と元の生活には戻れないと知らずに。
ピッキングをする前に建物の入り口が開く。アラシは慌てて目出し帽を着用する。
出てきたのは彼のクラスメートだった。
祈生禅、確か去年の夏くらいに事故で家族が亡くなって不登校気味だった少年だ。
仲の良い友達や知り合いではないことに、アラシは内心胸を撫でおろしていた。
「あの、どうかしましたか?」
「……おい、まだ住人が起きてるじゃねぇか」
「……先輩、ここは俺に任せてくださいよ」
「この先は山道で行き止まりです。迷われたんですか?」
自ら扉を開いた禅は下駄を履きながら外に出ると、一番近くにいたヒルに話しかける。
ヒルは禅を見つめたまま、開いたままのバックドアを閉じた。
向こうからやって来てくれるのは好都合だった。気づかれる前に殴りつけて大人しく拘束できれば楽に家探しができる。右手の金属バットを握りしめた。まだ間合いではない。
しかし、ヒルはユウシャが握っているものを見て眉を潜める。
ユウシャは、先輩の助言を無視してハンマーを握りしめていた。
歩みを進めるにつれて、次第に禅の目にもヒルたちの目出し帽が見えるようになる。
「目的地、は……いや、何なんですか?あなた方は」
「大声を出させるなよ、ユウシャ」
「わかってますよ」
「何しに来たんですか……うちに、何の用ですか」
目出し帽と黒ずくめの服装に、凶器を持った複数人の男たち。禅の足が止まる。
連日ニュースで報道されている連続強盗団の特徴と酷似している。決して迷い人ではない。
そもそも、この辺りの民家は祈生家だけなのだから。
ニュースの情報が正しければ、彼らは被害者を傷つけ殺すことに躊躇が無い。このまま両手を上げても命が保証されるかわからない。危険な相手だ。
「何で、何でうちを狙うんですか。うちには、僕と祖母しか……」
「あぁ?僕と祖母しか?だから狙うんだろうが、お前バカかよ。
……って、ヒルさん?何っすか、その眼は!」
「お前はキレやすいからな。わかっているだろうが、失敗は許されねぇぞ」
「だから、わかってますよ!」
「おいガキ、大人しくしていれば命だけは助けてやる。
ちょっとだけ、痛い目を見てもらうがな」
「強盗……?
どうしよう、携帯を……しまった、持ってきてない!」
強盗たちはバットにハンマー、日曜大工で使われるような工具から包丁まで手にしていた。
全ては人を傷つけるため、他人を脅すため、自分と祖母を傷つけるために持って来た道具だ。
逃げたとしてもこの距離では追いつかれる。この人数では敵わない。
後ずさる禅の膝から力が抜けそうになる。恐怖で手が震え出し目尻には涙が浮かんでくる。
このまま全てを諦めて泣き出したい。だが、家の中には大切な家族がいる。
震えを隠すように拳を握りしめて、大きく息を吸う。
「すぅ……強盗だあ!マトン、起きて!」
「あぁ!?この野郎っ!」
「おい黙らせろ!」
「お願いマトン!お願いだから起きて!」
「禅?強盗?」
聞いたことのない禅の絶叫に、マトンとタマが同時に耳を立てる。
マトンは外から聞こえる足音と話声を聞きながら、玄関に向かう。
知らない人間の気配がしても、今のマトンは無闇に飛び出したりしない。
彼女は近所の人間の顔と名前を憶えていない。
そこに禅の知り合いや親戚が連絡もなく訪ねてくるのは、よくあることだった。彼らが何らかの食材をおすそ分けしてくれる可能性があり、禅の対応を模倣している限り、マトンは他人に対しても大人しくしていた。
扉に手を当てる。開けた瞬間、外側から閉められた。
「えっ」
「出ちゃだめだ、マトン!警察を呼んで!」
「禅?な、何で扉を閉めるんだ?一体、何をしているんだ?」
扉の向こう側に禅の気配を感じる。禅は扉に背を向けて全体重をかけ、決して開かないように押さえつけていた。
このまま無理矢理開けたら怪我をさせてしまう。
この二週間と数日で、マトンは自分の力が人間よりも遥かに強いことを自覚していた。
外からは男たちが野太い声で怒鳴りつける声が聞こえる。鈍い音や服を掴む音、禅の焦りと恐怖、怒りが手に取るようにわかる。禅に向けられた殺意と、禅の声に込められたそれ以上に強い思いも。
扉を開けてこの目で何が起きているか確認するべきか、禅の言葉に従うべきか。
平和な世界、満たされた世界で争う理由に、マトンは心当たりがない。
「開けてくれ禅、私は」
「僕はいいから!早く!」
「どけっ!どけやガキっ!」
「おい、まだ中に人がいるのか!?通報される前に止めろ!」
「マトンッ!お願いっ!おばあちゃんとタロウ、タマたちを守って……がっ」
「わ、わかった」
迷った末に禅の言葉に従った。廊下を小走りで移動して廊下に置かれた受話器を掴む。
通報するのに必要な番号は知っている。受話器を取ってボタンを二つ押したところで、扉が開いた。思わず反応して首を回したマトンは、目が逸らせなかった。
開け放たれた扉の前に立っていたのは禅ではなかった。
「ははは、おじゃましまぁーす!おぉ?」
「だから、静かにしろと!やっぱりか、まだ起きているやつがいる」
「……禅?」
扉の向こう側、地面に禅の下駄が転がっていた。その横に見える足も禅のものだ。
強盗は、電気のついていない暗闇の廊下に人が立っていることに気づく。
先頭に立ったヤスデが家の中にライトを当てると、マトンの両目が光を反射した。後ろでバットを抱えていたアラシは違和感を覚える。
「……目が、光った?」
普通、人間の目は暗闇で光を反射しない。
あんな風に光を反射するのは網膜の後ろに反射板を持つ猫や夜行性の獣くらいのはずだ。彼らは目の中にある反射板を利用して微細な光を捉えることで、深夜でも昼間と同じように行動をすることができる。
「うひょー、いい女じゃねぇか!」
「おい女、その受話器を置け。わかるよな?一対五だぞ」
違和感が恐怖に繋がる前に、ユウシャが下品な声を上げる。
光に照らされた少女は絶世の美女だった。
バランスの取れた肉付きの良い四肢に乗った小さな顔、大ぶりの辰砂の瞳が光る。
少女は受話器を持ったまま人形のように固まっている。ヒルの声は聞こえていないようだ。
この時間に人が起きていたこと、そしてあまりの美しさを前に、誰もが本来彼女がいるはずのない人間であるという事実に気付かなかった。表札にもまだマトンの名前はない。
「女、ビビって動けねぇのか?」
「ヒルさん、だったら俺が拘束しますよ。
確か、こういうときのために結束バンドがありましたよね?
へへへっ、ね?いいっすよね?」
「調子に乗るな、俺が黙らせる」
「ちっ、邪魔しないでくださいよ。ヤスデ……さん」
ユウシャを押しのけ、ヤスデが土足で家に上がる。
「……禅?返事をしろ。そいつらは誰なんだ?」
マトンは強盗の会話などまるで頭に入らない。それよりも、禅の足がピクリとも動かないことの方が気になる。
倒れ方が妙だ。意識が全くない、まるで眠っているかのようだ。
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ーけれども、彼は知らなかった。数多の神から愛された彼は生まれた時点で人外の能力を持っていたことを。表では貴族として、裏では神々の使徒として、異世界のヒエラルキーを駆け上っていく!これは生まれてすぐに人外認定された少年の最強に無双していく、そんなお話。
✳︎不定期更新です。
21/12/17 1巻発売!
22/05/25 2巻発売!
コミカライズ決定!
20/11/19 HOTランキング1位
ありがとうございます!

誰にでもできる異世界救済 ~【トライ&エラー】と【ステータス】でニートの君も今日から勇者だ!~
平尾正和/ほーち
ファンタジー
引きこもりニート山岡勝介は、しょーもないバチ当たり行為が原因で異世界に飛ばされ、その世界を救うことを義務付けられる。罰として異世界勇者的な人外チートはないものの、死んだらステータスを維持したままスタート地点(セーブポイント)からやり直しとなる”死に戻り”と、異世界の住人には使えないステータス機能、成長チートとも呼べる成長補正を駆使し、世界を救うため、ポンコツ貧乳エルフとともにマイペースで冒険する。
※『死に戻り』と『成長チート』で異世界救済 ~バチ当たりヒキニートの異世界冒険譚~から改題しました
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