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【第2話】 門限破りの代償
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だが、案の定おばさんにはこっぴどく叱られた。
「遅い!どこに行ってたの!?」
「…ごめんなさい」
一度冷め切った味噌汁とご飯、それに生姜焼きを電子レンジで温め終わるまで、僕は床に正座をしておばさんの説教を聞き続けた。おじさんと北斗は、我関せずと食事をしながらテレビのニュースを見ている。
食べ終わった食器を持って食洗器に入れる北斗の目は、僕を蔑んでいるように見えた。午前中に見えた、一筋の光明はもうどこにも見えない。最初は神妙な顔で聞いていた説教も、度重なる疲労で頭に入らなくなってくると、天井のライトのホコリや壁にかかった時計・神棚のお神酒なんかが目に入り始める。
おばさんはそれを知ってかしらでか、さらにヒートアップしていった。
「もう!一体どこに行ってたの!?」
「えっと…学校とか神社とか見て回って…気づいたらこんな時間に」
「はぁ…一角くんは約束を守る子だと思ってたのに…」
「ごめんなさい」
「とにかく、次はないからね!」
「…はい」
「お姉ちゃん…あなたのお母さんからも、電話がかかってきてたのよ」
「か、母さんに言ったの?なんて言ってた?」
だが、体調が悪い母さんにだけは別だ。もうすぐ手術もあるって言っていたのに、余計な心配をさせたくない。
僕がどんな表情を浮かべたのかわからないけど、ずっと優勢だったおばさんは僕の顔を見て口を真一文字に結んで怯んだ。ソファに移動したおじさんが咳払いをして、そろそろ解放してやれと助け舟を出してくれた。
「言えるわけないでしょう!疲れて眠ってるって言ったわよ!
…はぁ、次の電話は日曜日の夜になるんですって。その時に、ちゃんと自分の口で説明するのよ」
「…はい」
「ほら、ご飯も温まったわよ。本当に何をしていたの?」
「久々に友達と会って、それで遊ん…話していたらこんな時間になっていて…」
もう何年もこの村に来ていないのに、一目見て僕の名前を呼んでくれた。思わず嬉しくなって話し込んでしまったと伝えると、おばさんは僕が悪い遊びをしていたわけではないと知ってほっとしたのか、僕の誠意が伝わって怒りが収まったのか顔をほころばせた。
「あら、それは良かったわね。きっと縁があるのね」
「縁?」
「誰かと出会うことを縁があるというでしょう?
遠くにいてもお互いを強く思っていると、縁が太く強くなってまた出会えたりするのよ」
「へぇー」
「よほど仲が良かったのね、もしかして…女の子?」
「え?いや、別にあいつはそんなんじゃないよ。
…って、おばさん?何ニヤニヤしてるの?」
「あらあら、一角君もお年頃ねぇ」
「だからそんなんじゃないって!」
「はいはい、おばさんたちはもう寝るから。
お皿、食洗器に入れといてね」
「…はーい、おやすみなさい」
「明日は転校初日なんだから、早く寝るのよ。おやすみなさい」
僕が生姜焼きを食べ始めるころには北斗は風呂場に向かい、朝が早いおばさんとおじさんは寝室に姿を消した。
一人で食事を終えると椅子から立ち上がり、言いつけ通りに皿を食洗器に持っていく。
「こうか…?
食器を重ねたら洗浄力が落ちたりするのかな…」
おばさんは何か誤解していたみたいだけど、僕とタツミはただの友達だ。
そりゃ人並みの性的好奇心はあるけれど、タツミは僕の頃を異性として意識していないだろう。
いつの年か、神社で鬼ごっこをしていたときだってそうだ。
『うわぁ、雨だ!』
狛犬を盾にして鬼のタツミの追撃をかわす僕に、タツミはもうずっと触れずにいた。
だが突如として空が曇天に覆われ、打ち付けるような雨が降り出した。すぐにゲリラ豪雨だと理解した僕は、タツミに非難をしようと声をかけた。
『タツミ、どこか屋根のある所に行こうよ』
『今だ!』
『うわぁ!?おい!お前やりすぎ、だ…?』
足を止めた僕の腹めがけて、タツミが手を伸ばして突っ込んできた。
完全に油断した僕はその勢いで転んで頭から泥水を被り、一緒に転んだタツミは僕の腹の上に顔を乗せてケラケラと小生意気に笑っていた。雨水でぐしゃぐしゃになった髪、頬には土がついていて、色気も可愛げもない。
そして乱れた服装の間からは、対照的に処雪のような白い肌がのぞいていた。責めるつもりが思わず目を離せずにいる僕に、タツミは勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
『次はいっくんが鬼ね!』
『いや、まだやるのかよ!?』
タツミにとって、僕はただの友達だ。
仮に僕らが強い縁で結ばれているとしたら、それは僕の一方的な思いがなしたものだろう。
秘密基地やタツミの記憶は、いつも村を出ると霞のように薄れて霧散してしまう。それでもこの村で誰かと遊んで楽しかったこと、別れるのが悲しかった感覚は、ささくれのように僕の心に刻み込まれていた。
叶うことなら、
「ずっとタツミと一緒にいたいのにな」
「タツミ?」
「あ、」
食洗器の引き出しを閉めてリビングから出ると、タイミングよく洗面所の扉が開いて風呂上りの北斗が顔をのぞかせた。
オーバーサイズのスウェットに、ショートスカートから健康的な色の生足を露出して、これから部屋に戻るところだったのだろう。まだ湿り気のある髪を下ろした姿は昼間よりも大人しく、どこか懐かしく感じる。
「…お先にどうぞ?」
階段は2人で上れるスペースがないので、レディーファーストとして先を譲る。
ついでにいきなり門限を破った不名誉を挽回しようと試みたのだが、僕はすっかり朝の出来事を忘れていた。階段の段差を利用していると思われ、北斗のローキックが僕の脛を直撃した。
「いたぁっ!?」
「先に行って」
「…はい」
やっぱり、僕へのアタリが強い。
その鋭い目つきは、門限を破るような不良は信用できないという意思表示だろうか。
機嫌を損ねる前に階段を上がっていくと、すぐ後ろから北斗が階段を上り始めた。僕が上がりきるまで待てなかったのだろう、もしくは僕を監視するためかもしれない。
「じゃ、じゃあ…僕はこれで…?」
「……」
2階に上がればすぐ右側が北斗の部屋、左側が僕の部屋だ。
そそくさと左折して部屋へ向かうと、背後の足音はいつまでも離れず、扉の前までついてきて止まった。北斗が、何故か右に曲がらずに僕の部屋の前までついてきたのだ。
もしかして、このまま部屋の中に入ってでもチェックでもする気だろうか。まだ荷ほどきをしていないので、これから見られて困るものが続々と出てくる予定なのだが。
恐る恐る後ろを振り返ると、北斗は僕が話しかけるのを待っていたように喋り出した。
「あのさ、今日神域に行った?」
「シンイキ…?何それ?」
最初は、言われたことの意味がわからなかった。
シンイキというのが場所だというのは何となくわかるが、これまで聞いたことも見たこともない。それに僕が今日学校や神社に行ったという話は、北斗も食事をしながら聞いていたはずだ。
会話の中で一度も登場していないシンイキという場所を、何故北斗が今になって尋ねるのか。
だが、北斗は言い方を変えて再度尋ねる。
「神社の、立ち入り禁止の場所。
入ってないよね?」
「そんな場所があるの?」
「別に、行ってないならいい」
神社の立ち入り場所の領域、つまり神域。一度記憶を失くした脳の中を必死に探すが、聞き覚えが全くない。
この村には何度も来たことあるのに、僕は今日この夜までその場所の存在を知らなかった。
北斗は僕が行っていないとわかるとそのまま身体をUターンさせて、部屋に戻ろうとした。立ち入り禁止というだけで明るい話題ではないのはわかるが、まるで口に出すのも禁止されているかのようだ。けれど、そこまで言われたらこちらは気になって眠れない。
「あ…待って待って!
行ってないっていうか、聞いたことがないんだよ。
それって何?どこにあるの?」
「私も行ったことはないけど、本殿の先にある大滝山のどこかにあるらしいよ。
場所がわかったら行く人がいるかもしれないでしょ」
「そ、そっか」
神社は大滝山の麓から上がったところにあるから、境内を超えていけば山中に入る。そのどこかに、入ることを禁じられた神域がある。
北斗は禁じられた理由については教えてくれなかったけれど、関係者はもちろん引っ越してきたばかりで半ば部外者の僕のような存在は決して侵入してはいけないという。
思い当たりがないと言ったら、嘘になる。
本殿の後ろにある階段を上った大滝山の山中、僕は今日そこにある秘密基地に土足で入り込み遊び回っていた。そして秘密基地のことは、僕とタツミだけの秘密だ。
「ねぇ、もういい?早く寝たいんだけど」
北斗は早く自室に戻りたいのか、指の腹で爪の凹凸を撫でていた。自分から話しかけといて、僕との会話に飽きてしまったようだ。
もしかしたら、早く部屋に戻ってまだ濡れた髪を乾かしたいのかもしれない。あるいは、昼間遊んでいたゲームの周回かも。どうやら彼女にとって僕の価値は、髪やゲームソフトの下らしい。
けれど、これだけは確かめておきたい。
「一つだけ聞いていいかな」
「…何?」
「もし神域に入ったらどうなるの?」
「これは聞いた話だけど」
「うん」
「村に祟りが起こるんだって」
それを聞いた瞬間、まるで冷水を浴びたみたいに身体から体温が下がり指先が冷たくなった。マラソンの後みたいに心臓がバクバクなって、口の中に鉄の味が広がる。
嫌な予感がした。いつ訪れても日が高く昇り季節外れの花が咲き乱れる、極めつけは時間の流れが外と違う秘密基地はまさに人が立ち入っていい場所ではない。
神域というなら、秘密基地以上にうってつけの場所はないだろう。
「ねぇ、本当に行ってないんだよね?」
「もちろん」
「…そ」
表情筋がひきつりそうになるのを堪えて、無理矢理笑みを作った。
一瞬だけ疑うように眉を寄せた北斗だったが、夜遅い時間だったこともありそれ以上は追求しなかった。
皮肉なことにしばらく会えず親交が浅くなったおかげで、嘘が苦手な僕の渾身のハッタリは通った。ドアノブを捻って扉を開いた北斗に、僕はふと北斗に会ったら尋ねようと思っていたことを思い出した。
「あ、最後にもう一つだけ!」
「質問は一つじゃなかったっけ?」
「神域の事じゃないよ、この村の人のことなんだけど」
「…何?」
僕は、子供の頃に遊んでいた記憶を思い起こす。僕と北斗ともう一人、いつも三人で遊んでいた記憶だ。
タツミに出会ってそのもう一人はタツミだと判明したわけだが、僕の記憶が正しければ北斗はタツミと会ったことがある。それに彼女はこの村で生まれ育ち過ごしてきた人間で、記憶が無くなったこともないはずだ。
「昔、僕らが一緒に遊んだ子を覚えている?タツミっていう女の子なんだけど、」
「知らない」
よく遊んだよね、という前に返答が返ってきた。それも押し付けるように乱暴な言葉で。
「そんな人、知らない」
「そ、そっか…」
おやすみを言う前に扉を閉める音が廊下中に響き渡り、僕は自室の前でしばらく放心していた。
それだけショックだったのだ。
態度ではどんなにツンツンしていても何だかんだ律儀に忠告をしてくれて、呼び止めれば足を止めるあの北斗が。初めて僕のことをはっきりと拒絶したことに。
しばらく立ち尽くして、けれどまだ風呂に入っていなかったと気づく。それに明日は朝が早い。ふらつく足取りで着替えを持って、静かに一階に降りた。
「あー…極楽…」
風呂に肩まで浸かると、乳酸が溜まった身体にきっちり40度のお湯が染みる。
窓の外からは風情の無い牛蛙の太い鳴き声が聞こえてくる。
汗を流してすっきりした頭で考えても、神域に入ってしまったかもしれないという疑念はぬぐえなかった。北斗の口調は噂や憶測でモノを言っているようには思えなかった。
それに今までその存在を聞いたことがないというのが、かえって神域の存在の信憑性を高めている。
何故なら昨日まで僕はこの村の住人ではなく、夏休みの間だけ訪れる観光客の一人だった。
部外者に村の祟りに係る神域の話はしない。だからといって、知らなかったからというのは言い訳にもならなさそうだ。
ひょっとしたら僕は龍神村に来て早々におばさんとの約束を破り、村の禁忌を犯してしまったのかもしれない。
どちらにせよ、
「…もう秘密基地には行けないな」
その日はぼーっとしながら肩まで湯船に浸かっていたものだから、すっかりのぼせてしまった。
それが数年ぶりに友人と再開した喜びに浸っていたからか、はたまた従妹に冷たくされたショックに、明日から通う学校への不安から来るものなのかはわからない。
いずれにせよ、このときの僕はまだ事の重大さを理解していなかった。
「遅い!どこに行ってたの!?」
「…ごめんなさい」
一度冷め切った味噌汁とご飯、それに生姜焼きを電子レンジで温め終わるまで、僕は床に正座をしておばさんの説教を聞き続けた。おじさんと北斗は、我関せずと食事をしながらテレビのニュースを見ている。
食べ終わった食器を持って食洗器に入れる北斗の目は、僕を蔑んでいるように見えた。午前中に見えた、一筋の光明はもうどこにも見えない。最初は神妙な顔で聞いていた説教も、度重なる疲労で頭に入らなくなってくると、天井のライトのホコリや壁にかかった時計・神棚のお神酒なんかが目に入り始める。
おばさんはそれを知ってかしらでか、さらにヒートアップしていった。
「もう!一体どこに行ってたの!?」
「えっと…学校とか神社とか見て回って…気づいたらこんな時間に」
「はぁ…一角くんは約束を守る子だと思ってたのに…」
「ごめんなさい」
「とにかく、次はないからね!」
「…はい」
「お姉ちゃん…あなたのお母さんからも、電話がかかってきてたのよ」
「か、母さんに言ったの?なんて言ってた?」
だが、体調が悪い母さんにだけは別だ。もうすぐ手術もあるって言っていたのに、余計な心配をさせたくない。
僕がどんな表情を浮かべたのかわからないけど、ずっと優勢だったおばさんは僕の顔を見て口を真一文字に結んで怯んだ。ソファに移動したおじさんが咳払いをして、そろそろ解放してやれと助け舟を出してくれた。
「言えるわけないでしょう!疲れて眠ってるって言ったわよ!
…はぁ、次の電話は日曜日の夜になるんですって。その時に、ちゃんと自分の口で説明するのよ」
「…はい」
「ほら、ご飯も温まったわよ。本当に何をしていたの?」
「久々に友達と会って、それで遊ん…話していたらこんな時間になっていて…」
もう何年もこの村に来ていないのに、一目見て僕の名前を呼んでくれた。思わず嬉しくなって話し込んでしまったと伝えると、おばさんは僕が悪い遊びをしていたわけではないと知ってほっとしたのか、僕の誠意が伝わって怒りが収まったのか顔をほころばせた。
「あら、それは良かったわね。きっと縁があるのね」
「縁?」
「誰かと出会うことを縁があるというでしょう?
遠くにいてもお互いを強く思っていると、縁が太く強くなってまた出会えたりするのよ」
「へぇー」
「よほど仲が良かったのね、もしかして…女の子?」
「え?いや、別にあいつはそんなんじゃないよ。
…って、おばさん?何ニヤニヤしてるの?」
「あらあら、一角君もお年頃ねぇ」
「だからそんなんじゃないって!」
「はいはい、おばさんたちはもう寝るから。
お皿、食洗器に入れといてね」
「…はーい、おやすみなさい」
「明日は転校初日なんだから、早く寝るのよ。おやすみなさい」
僕が生姜焼きを食べ始めるころには北斗は風呂場に向かい、朝が早いおばさんとおじさんは寝室に姿を消した。
一人で食事を終えると椅子から立ち上がり、言いつけ通りに皿を食洗器に持っていく。
「こうか…?
食器を重ねたら洗浄力が落ちたりするのかな…」
おばさんは何か誤解していたみたいだけど、僕とタツミはただの友達だ。
そりゃ人並みの性的好奇心はあるけれど、タツミは僕の頃を異性として意識していないだろう。
いつの年か、神社で鬼ごっこをしていたときだってそうだ。
『うわぁ、雨だ!』
狛犬を盾にして鬼のタツミの追撃をかわす僕に、タツミはもうずっと触れずにいた。
だが突如として空が曇天に覆われ、打ち付けるような雨が降り出した。すぐにゲリラ豪雨だと理解した僕は、タツミに非難をしようと声をかけた。
『タツミ、どこか屋根のある所に行こうよ』
『今だ!』
『うわぁ!?おい!お前やりすぎ、だ…?』
足を止めた僕の腹めがけて、タツミが手を伸ばして突っ込んできた。
完全に油断した僕はその勢いで転んで頭から泥水を被り、一緒に転んだタツミは僕の腹の上に顔を乗せてケラケラと小生意気に笑っていた。雨水でぐしゃぐしゃになった髪、頬には土がついていて、色気も可愛げもない。
そして乱れた服装の間からは、対照的に処雪のような白い肌がのぞいていた。責めるつもりが思わず目を離せずにいる僕に、タツミは勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
『次はいっくんが鬼ね!』
『いや、まだやるのかよ!?』
タツミにとって、僕はただの友達だ。
仮に僕らが強い縁で結ばれているとしたら、それは僕の一方的な思いがなしたものだろう。
秘密基地やタツミの記憶は、いつも村を出ると霞のように薄れて霧散してしまう。それでもこの村で誰かと遊んで楽しかったこと、別れるのが悲しかった感覚は、ささくれのように僕の心に刻み込まれていた。
叶うことなら、
「ずっとタツミと一緒にいたいのにな」
「タツミ?」
「あ、」
食洗器の引き出しを閉めてリビングから出ると、タイミングよく洗面所の扉が開いて風呂上りの北斗が顔をのぞかせた。
オーバーサイズのスウェットに、ショートスカートから健康的な色の生足を露出して、これから部屋に戻るところだったのだろう。まだ湿り気のある髪を下ろした姿は昼間よりも大人しく、どこか懐かしく感じる。
「…お先にどうぞ?」
階段は2人で上れるスペースがないので、レディーファーストとして先を譲る。
ついでにいきなり門限を破った不名誉を挽回しようと試みたのだが、僕はすっかり朝の出来事を忘れていた。階段の段差を利用していると思われ、北斗のローキックが僕の脛を直撃した。
「いたぁっ!?」
「先に行って」
「…はい」
やっぱり、僕へのアタリが強い。
その鋭い目つきは、門限を破るような不良は信用できないという意思表示だろうか。
機嫌を損ねる前に階段を上がっていくと、すぐ後ろから北斗が階段を上り始めた。僕が上がりきるまで待てなかったのだろう、もしくは僕を監視するためかもしれない。
「じゃ、じゃあ…僕はこれで…?」
「……」
2階に上がればすぐ右側が北斗の部屋、左側が僕の部屋だ。
そそくさと左折して部屋へ向かうと、背後の足音はいつまでも離れず、扉の前までついてきて止まった。北斗が、何故か右に曲がらずに僕の部屋の前までついてきたのだ。
もしかして、このまま部屋の中に入ってでもチェックでもする気だろうか。まだ荷ほどきをしていないので、これから見られて困るものが続々と出てくる予定なのだが。
恐る恐る後ろを振り返ると、北斗は僕が話しかけるのを待っていたように喋り出した。
「あのさ、今日神域に行った?」
「シンイキ…?何それ?」
最初は、言われたことの意味がわからなかった。
シンイキというのが場所だというのは何となくわかるが、これまで聞いたことも見たこともない。それに僕が今日学校や神社に行ったという話は、北斗も食事をしながら聞いていたはずだ。
会話の中で一度も登場していないシンイキという場所を、何故北斗が今になって尋ねるのか。
だが、北斗は言い方を変えて再度尋ねる。
「神社の、立ち入り禁止の場所。
入ってないよね?」
「そんな場所があるの?」
「別に、行ってないならいい」
神社の立ち入り場所の領域、つまり神域。一度記憶を失くした脳の中を必死に探すが、聞き覚えが全くない。
この村には何度も来たことあるのに、僕は今日この夜までその場所の存在を知らなかった。
北斗は僕が行っていないとわかるとそのまま身体をUターンさせて、部屋に戻ろうとした。立ち入り禁止というだけで明るい話題ではないのはわかるが、まるで口に出すのも禁止されているかのようだ。けれど、そこまで言われたらこちらは気になって眠れない。
「あ…待って待って!
行ってないっていうか、聞いたことがないんだよ。
それって何?どこにあるの?」
「私も行ったことはないけど、本殿の先にある大滝山のどこかにあるらしいよ。
場所がわかったら行く人がいるかもしれないでしょ」
「そ、そっか」
神社は大滝山の麓から上がったところにあるから、境内を超えていけば山中に入る。そのどこかに、入ることを禁じられた神域がある。
北斗は禁じられた理由については教えてくれなかったけれど、関係者はもちろん引っ越してきたばかりで半ば部外者の僕のような存在は決して侵入してはいけないという。
思い当たりがないと言ったら、嘘になる。
本殿の後ろにある階段を上った大滝山の山中、僕は今日そこにある秘密基地に土足で入り込み遊び回っていた。そして秘密基地のことは、僕とタツミだけの秘密だ。
「ねぇ、もういい?早く寝たいんだけど」
北斗は早く自室に戻りたいのか、指の腹で爪の凹凸を撫でていた。自分から話しかけといて、僕との会話に飽きてしまったようだ。
もしかしたら、早く部屋に戻ってまだ濡れた髪を乾かしたいのかもしれない。あるいは、昼間遊んでいたゲームの周回かも。どうやら彼女にとって僕の価値は、髪やゲームソフトの下らしい。
けれど、これだけは確かめておきたい。
「一つだけ聞いていいかな」
「…何?」
「もし神域に入ったらどうなるの?」
「これは聞いた話だけど」
「うん」
「村に祟りが起こるんだって」
それを聞いた瞬間、まるで冷水を浴びたみたいに身体から体温が下がり指先が冷たくなった。マラソンの後みたいに心臓がバクバクなって、口の中に鉄の味が広がる。
嫌な予感がした。いつ訪れても日が高く昇り季節外れの花が咲き乱れる、極めつけは時間の流れが外と違う秘密基地はまさに人が立ち入っていい場所ではない。
神域というなら、秘密基地以上にうってつけの場所はないだろう。
「ねぇ、本当に行ってないんだよね?」
「もちろん」
「…そ」
表情筋がひきつりそうになるのを堪えて、無理矢理笑みを作った。
一瞬だけ疑うように眉を寄せた北斗だったが、夜遅い時間だったこともありそれ以上は追求しなかった。
皮肉なことにしばらく会えず親交が浅くなったおかげで、嘘が苦手な僕の渾身のハッタリは通った。ドアノブを捻って扉を開いた北斗に、僕はふと北斗に会ったら尋ねようと思っていたことを思い出した。
「あ、最後にもう一つだけ!」
「質問は一つじゃなかったっけ?」
「神域の事じゃないよ、この村の人のことなんだけど」
「…何?」
僕は、子供の頃に遊んでいた記憶を思い起こす。僕と北斗ともう一人、いつも三人で遊んでいた記憶だ。
タツミに出会ってそのもう一人はタツミだと判明したわけだが、僕の記憶が正しければ北斗はタツミと会ったことがある。それに彼女はこの村で生まれ育ち過ごしてきた人間で、記憶が無くなったこともないはずだ。
「昔、僕らが一緒に遊んだ子を覚えている?タツミっていう女の子なんだけど、」
「知らない」
よく遊んだよね、という前に返答が返ってきた。それも押し付けるように乱暴な言葉で。
「そんな人、知らない」
「そ、そっか…」
おやすみを言う前に扉を閉める音が廊下中に響き渡り、僕は自室の前でしばらく放心していた。
それだけショックだったのだ。
態度ではどんなにツンツンしていても何だかんだ律儀に忠告をしてくれて、呼び止めれば足を止めるあの北斗が。初めて僕のことをはっきりと拒絶したことに。
しばらく立ち尽くして、けれどまだ風呂に入っていなかったと気づく。それに明日は朝が早い。ふらつく足取りで着替えを持って、静かに一階に降りた。
「あー…極楽…」
風呂に肩まで浸かると、乳酸が溜まった身体にきっちり40度のお湯が染みる。
窓の外からは風情の無い牛蛙の太い鳴き声が聞こえてくる。
汗を流してすっきりした頭で考えても、神域に入ってしまったかもしれないという疑念はぬぐえなかった。北斗の口調は噂や憶測でモノを言っているようには思えなかった。
それに今までその存在を聞いたことがないというのが、かえって神域の存在の信憑性を高めている。
何故なら昨日まで僕はこの村の住人ではなく、夏休みの間だけ訪れる観光客の一人だった。
部外者に村の祟りに係る神域の話はしない。だからといって、知らなかったからというのは言い訳にもならなさそうだ。
ひょっとしたら僕は龍神村に来て早々におばさんとの約束を破り、村の禁忌を犯してしまったのかもしれない。
どちらにせよ、
「…もう秘密基地には行けないな」
その日はぼーっとしながら肩まで湯船に浸かっていたものだから、すっかりのぼせてしまった。
それが数年ぶりに友人と再開した喜びに浸っていたからか、はたまた従妹に冷たくされたショックに、明日から通う学校への不安から来るものなのかはわからない。
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