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why do it?
第五話「成金野郎」
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誰かがチャイムを鳴らしたのだと理解したときには、雲隠さんは立ち上がって倉を出ようとしているところだった。
おかしい、来客の予定はないはずだったけれど。
それより雲隠さんが細枝のような腕で絵画を持っていこうとするのを見て、僕はすかさず代わりに受け取る。
ペンより重いものを持ったことのない彼女に、この額縁は重すぎるだろう。
「ありがとう少年、私たちも行くよ」
「はい」
3歩下がって付き従うと、辿り着いたのは応接間だった。
入り口には、動揺したような表情を浮かべる堀川さんと、放心状態の匂宮さんがいた。
その横をすり抜けて扉を開け放った雲隠さんは、招かれた客人を前に堂々と入室する。
入ってすぐの場所には伊呂波さんが、苦笑を浮かべていた。雲隠さんは、客人に向かって声を張り上げる。
「やぁ、久しぶりだね!堂満、それに神崎。
2人とも元気にしていたかい?」
「……え?」
主人の神崎さんがいない間に絵画を取り戻して、静かに立ち去る。
そのために僕たちはこの場所に来て、今の今まで歩き回って証拠を探していたはずなのに。
あろうことか、雲隠さんはその神崎さんと絵画の前所有者の堂満さんをこの場に呼び出したのだ。
上座に座る二人の男性は、それぞれ上質な糸で編まれたスーツを着てソファに座っていた。
ソファの向こう側には燕尾服の紳士が立っており、その立ち姿と雰囲気から直感的に堂満さんの執事だと理解した。
伊呂波さんに視線をやると、彼女は小さく肩をすくめて首を振った。
どうやら、メイドさんたちも誰も知らされていなかったらしい。
「俺はすこぶる不機嫌だ。
てめぇ、出禁にされたのを忘れたのか?日景」
「んふふ。だが、いくら神崎でも説明を聞かずに私を追い出したりはしまい。
それに、絵を盗まれたままというのも癪だろう?」
「…答えになってねぇな。
堂満がお前の肩を持たなければ、今すぐ追い出してたぞ」
「おぉ、怖い怖い。
成金野郎が良く吠えるものだ」
二人のうち、手前に座っていて明らかに嫌悪感を出しているのが犬猿の仲という神崎さんだろう。
雲隠さんのいう『成金野郎』が正しいかはわからないけれど、確かに指にはめた指輪に乗る大ぶりな宝石や自信に満ちた表情からは若くして金に恵まれている雰囲気を感じる。
年齢は雲隠さんと同じか、もっと若く見える。
一方の堂満さんは手すりにもたれかかって、無表情に二人のやり取りを傍観していた。
年は二人より上だろうか。落ち着いた雰囲気に加えて、長髪の間から除く瞳は達観している。
どこまでも見通されているような感覚、その浮世離れした顔つきは、どこか雲隠さんと近しいものを感じる。
「堂満から、俺のコレクションが一枚盗まれたことは聞いた。
さっさと話して帰れ」
「もちろんそのつもりさ。
だから伊呂波と、それに匂宮さんと堀川さん。もっとこっちに来て私の推理を聞いておくれ。
いいよな?堂満」
「……お構いなく」
「では、まずこちらの絵を見てもらおうか」
堂満さんは手をヒラヒラと振って、構わないと伝える。
当の雲隠さんは机を挟んだ下座のソファに座ると、ジェスチャーで僕に持っている絵画を彼らに見せるよう促した。
言われた通りに額縁を持って角度を変えて、神崎さんと堂満さんに見せる。
神崎さんは雲隠さんが勝手に自分のコレクションを持ち出しているのを、明らかによく思っていないようだった。
顔をしかめて、しばらくして首を傾ける。
「…これ、俺の絵か?」
「この絵は神崎の倉にあったもので、額縁は神崎の所有しているものだろう。
だが、見覚えがないのも無理はない。
絵はお前のだな?堂満」
「えぇ、間違いないです。
確かに、我が家で盗まれたものです」
「あぁ、思い出した。
盗まれた『記憶の固執』を貰った時にトレードしたやつか」
トレード、つまり交換した絵がなぜここに?
頭がこんがらがってくる。堂満さんから貰った神崎さんの絵が盗まれたという話から始まって、なぜ堂満さんの家で盗まれた絵が神崎家で見つかるのか。
神崎さんと僕の怪訝な表情を見て、雲隠さんは満足げに笑った。
「つまり、交換殺人ならぬ交換盗難だよ」
「は?交換殺人?」
「何だ神崎、知らないのか。
少年、君は私の著書を読んでいるのだから当然わかるよね?」
「えっと…はい」
「なら、この無知な男に説明してやってくれ」
一瞬、堂満さんと神崎さんが同時に眉をひそめた。
はとこ同士なら遠縁のはずだが、仕草がそっくりだ。といっても僕には『はとこ』どころか兄弟も親戚もいないので、そもそも祖父母の兄妹の孫とまで交流があるというのは、どこか自分とは違う世界を覗いているようだった。
雲隠さんは、話の腰を折られたことに機嫌を損ねたようだった。
「交換殺人は……複数の犯人がお互いにお互いの対象を交換して殺害するトリック方法です。
全く関係のない他人を殺す代わりに、お互いのターゲットが殺されたときにアリバイができるんです」
「そう、だから盗難犯は2人いる。
そして、交換されたのは神崎家の絵画と堂満家の絵画だ。
ここまで言えば、私の言いたいことはもうわかるね?」
整理すると、神崎家と堂満家ではほぼ同時に絵画の盗難があった。
どちらも主人が不在の間に起きたもので、堂満家は雲隠さんに指摘されるまで盗難があったことにすら気付いていなかったので、話題にも上がらなかった。
容疑者は各家に住み込みで働くメイドと執事だ。どちらも屋敷で働く全執事とメイドに犯行が可能で、かつ広大な敷地を持つ盗んだ絵画を隠されたら見つからない。
仮に雲隠さんの言うように交換殺人ならぬ交換盗難をしたところで、この事件ではアリバイ作りのメリットがない。
けれど、彼女曰く今回の事件で最も難しいのはいかにして盗むかではなく、いかにして絵を売るかである。
「伊呂波は私に『もはや誰が何のためにどうやって行ったのかは問わない』と言った。
けれど、謎を解くきっかけはそこにあったんだ。
つまりWhy do it? なぜこの絵を盗んだのか?
When do it? いつこの絵を盗んだのか?にね」
「その前に一つ質問がある」
「何かね、探偵の推理パートを邪魔するなんて無作法だよ」
「うるせぇ、ここは俺の家だ」
「…ちっ」
「舌打ちするな。
そこの嬢ちゃん、あんた見ない顔だな」
「……え?」
神崎さんと目が合う。
嬢ちゃん?僕のことを言っているのだよな。
「新入りが来るとは聞いていないが、日景のメイドか?」
神崎さんにそう指摘されて、僕はようやく自分がメイド服を着たままなのを思い出した。
みるみる顔が熱くなって、赤面していくのを感じた。
伊呂波さんと雲隠さんの前では自ら、といっても他に服がないので半ば強制的にこの服を着たが、断じて僕は僕自身の趣味でこの恰好をしているのではない。
ただ、常日頃メイド服を着用している伊呂波さんの前でその好意を無下にすることもできないし、かといって雲隠さんの提案を飲むわけにはいかなかったのだ。
いわば、仕方なく着ているに過ぎない。
しかし彼女たちの前ではメイド服を着ることを受け入れても、同性の前でこの姿でいることまでは覚悟していない。
「あ、えっと…!これは…!」
「あぁ、二人とは会ったことがなかったな。
彼は私のハウスキーパーをしている比良直流君だ。
少年には旅のサポートと手伝いで来てもらった」
「はぁ?少年?何でメイド服を着て…。
いや、今の時代に性別で物事を決めつけるのは野暮か。
だが、それはうちのメイド服だよな?」
「あのっ、着てきた服が汚れてしまって…」
「神崎様、この伊呂波の不手際でお召し物に汚れがついてしまったのです。
制服をお貸ししたのは私めです」
「ごめんなさい、ちゃんと洗ってお返ししますので…!」
雲隠さんが話し出してから今の今まで黙り続け居ていた伊呂波さんが、初めて口を開いた。それも僕を庇うために。
そうだ、制服もまた主人から借り受けているものの一つ。
快く貸し与えてくれたから軽い気持ちで借りてしまったが、それは主人が帰ってこないという前提があってのことだ。
メイド長である伊呂波さんの管轄内だったとしても、彼女が悪いわけではない。額縁を持ったまま神崎さんに頭を下げて謝罪すると、思いのほか優し気な声が降ってきた。
「まぁ、それなら別にいいんだが」
「え……ありがとうございます」
「比良だったか?君、この性悪女にいじめられているんじゃないだろうな。
こいつは他人を玩具か何かだと思っている人間だ。嫌なら嫌だとはっきり伝えたほうがいいぞ」
「いじめられては……ないです。
大丈夫です、お気遣いありがとうございます」
「少年?なぜ数秒考えたのかね、その男はしつこいからはっきり否定しておいてくれ」
女性だと勘違いされていたのには予想外だったが、幸いにして勝手に制服を使っていたことは咎められなかった。
可能ならメイド服から制服に着替えたい。
伊呂波さんに目線を送ると、小声で尋ねるとまだ乾かしている途中だと答えが返ってきた。当たり前ではあるが、僕の制服よりも主人と来客の対応の方が優先度は高い。
加えて就業中に作業をしてもらっている手前、閉口するしかない。
神崎さんは何度か僕を心配する声をかけてくださり、そのたびに雲隠さんは頬を膨らませて僕に何かを訴えていた。
「そろそろ、私の話を再開してもいいかな?」
「…あぁ、この件はまた後にしよう。
で、本当に俺の絵がどこにあるのかわかったのか?」
「もちろん、先ほどこれは交換殺人ならぬ交換強盗と言っただろう。
堂満の絵は神崎の家にあり、神崎の絵は堂満の家にあるはずだ。
そうだろ?堂満」
「…えぇ、同じように絵が取り換えられていました」
堂満さんが背後の執事に合図をすると、一人が持っていた包みから額縁を取り出した。
いや、正確には額縁と絵画を取り出した。
厚みのある金色の額縁の淵には段差が入っており、中には見覚えのある西洋画がはめ込まれている。伊呂波さんが小さく声を上げた。
その絵の名前を、僕らはよく知っている。
サルバード・ダリのリトグラフ『記憶の固執』だ。
「何で俺の絵が堂満の家にあるんだ?性悪女」
「まだわからないのか?成金野郎。
2日前、この屋敷に堂満がやってきた。
そのとき、犯人らによってここにある2枚の絵は交換されたのさ」
「…何のためにそんなことを?
盗むところまで成功していたのなら、すぐに売れば良かっただろう」
「簡単だ、絵を怪しまれずに高く売るためにさ」
「はぁ?」
「神崎も堂満も大量のコレクションを所有していて、管理を全てメイドや執事に一任しているな。
では質問だが、お前たちはその絵画をどうやって売り買いしている?神崎」
「メイドに頼んで業者に買取に来てもらうな、俺なら外商を呼ぶ」
「堂満は?」
「…左に同じく」
外商?僕の心の声に、雲隠さんが反応する。
「外商というのは、百貨店の販売員が家に出向いて販売するサービスの事だよ。
そうだね、その店で大体数百万円の買い物をすれば、外商の1人はつくんじゃないかな」
「数百万…!?」
「そうだよ、だから言っただろう。
200万円ぽっちは大した金額じゃないとね。
そして例えば外商経由で画商に売り払った絵画の中に予定外の絵画が入っていたとして、お前たちは気付くか?」
「気づきはしないが、伝票に残るだろ。
収支管理をしているメイド長に連絡が行くはずだ」
「そうだな。では伝票そのものが提出されなかったら、それに気付くか?
さらにもしも過去にその絵が買い取られた記録まであったら?
売る側はまさかそれが別の人間にやったものだとは思わないだろう。
つまり、彼らは君たちが昔買った絵をそのまま売ったと思い込んでいたら」
「……」
「そういうことだ」
元々主人が交換し合った絵を再度交換して、買い取った業者に売り払う。
元々出入りしていた業者だから誰も怪しまないし、メイドや執事は主人に代わって売買しているわけだから、恐らく書類上の名義は交換する前の主人のものになっているだろう。
盗難届を出して業者を突き止めたとしても、警察の目には何かの手違いで元の所有者が再び絵画を手にして、うっかり売り払ったようにしか見えない。
個人の所有物をトレードした証拠はないし、業者は同じ制服のどのメイドや執事に売ったのかなんて覚えていないだろう。
寧ろ「買った店で再び売り払うのは申し訳ないから、言い値で構わない」とでも言われたら、疑いもせず買い取ってくれるはず。
さらに「体裁が悪いから所有していたことは秘密にしてくれ」と言って、代金と領収書を懐に収めさえすれば、誰にも疑われずに絵が売れる。
仮に盗難犯と疑われても広大な敷地ではアリバイで犯人を絞れないし、盗んだ絵を売るのは別の家の人間のためアリバイがある。
また勝手に絵を売っているのが見つかったとしても、その絵は交換相手の家で盗まれた絵画だ。売ろうとしただけで、盗んだ証拠にはならない。
何故なら絵画は元々両家で購入されたもの。これなら、リスク以上の対価が得られる。
だがそれは、ハウスキーパーやメイド、執事の前に人間として最低の行為だ。
話を聞き終えて、神崎さんが疑問を口にする。ただし何かにつけてからかってくる雲隠さんに向けてではなく、隣に座る堂満さんに向けて。
「待て、肝心の交換方法と犯人は?」
「…あの小娘の話を聞いていなかったのですか?
我が家の執事と、あなたのところのメイドが犯人でしょう」
「でもよぉ、その執事はずっと主人のお前と一緒に行動していたんだろう?
それにスカートに絵を隠していたメイドと違って、こいつらは隠す場所がない。
額縁がないとはいえ絵を交換したり、絵を持って移動したりすれば気づくはずだろ」
「…それは、」
「だからお前は成金野郎なのだよ。
堂満は出張帰りに神崎の家に寄った。
何か、土産があったんじゃないか?」
「土産?」
おかしい、来客の予定はないはずだったけれど。
それより雲隠さんが細枝のような腕で絵画を持っていこうとするのを見て、僕はすかさず代わりに受け取る。
ペンより重いものを持ったことのない彼女に、この額縁は重すぎるだろう。
「ありがとう少年、私たちも行くよ」
「はい」
3歩下がって付き従うと、辿り着いたのは応接間だった。
入り口には、動揺したような表情を浮かべる堀川さんと、放心状態の匂宮さんがいた。
その横をすり抜けて扉を開け放った雲隠さんは、招かれた客人を前に堂々と入室する。
入ってすぐの場所には伊呂波さんが、苦笑を浮かべていた。雲隠さんは、客人に向かって声を張り上げる。
「やぁ、久しぶりだね!堂満、それに神崎。
2人とも元気にしていたかい?」
「……え?」
主人の神崎さんがいない間に絵画を取り戻して、静かに立ち去る。
そのために僕たちはこの場所に来て、今の今まで歩き回って証拠を探していたはずなのに。
あろうことか、雲隠さんはその神崎さんと絵画の前所有者の堂満さんをこの場に呼び出したのだ。
上座に座る二人の男性は、それぞれ上質な糸で編まれたスーツを着てソファに座っていた。
ソファの向こう側には燕尾服の紳士が立っており、その立ち姿と雰囲気から直感的に堂満さんの執事だと理解した。
伊呂波さんに視線をやると、彼女は小さく肩をすくめて首を振った。
どうやら、メイドさんたちも誰も知らされていなかったらしい。
「俺はすこぶる不機嫌だ。
てめぇ、出禁にされたのを忘れたのか?日景」
「んふふ。だが、いくら神崎でも説明を聞かずに私を追い出したりはしまい。
それに、絵を盗まれたままというのも癪だろう?」
「…答えになってねぇな。
堂満がお前の肩を持たなければ、今すぐ追い出してたぞ」
「おぉ、怖い怖い。
成金野郎が良く吠えるものだ」
二人のうち、手前に座っていて明らかに嫌悪感を出しているのが犬猿の仲という神崎さんだろう。
雲隠さんのいう『成金野郎』が正しいかはわからないけれど、確かに指にはめた指輪に乗る大ぶりな宝石や自信に満ちた表情からは若くして金に恵まれている雰囲気を感じる。
年齢は雲隠さんと同じか、もっと若く見える。
一方の堂満さんは手すりにもたれかかって、無表情に二人のやり取りを傍観していた。
年は二人より上だろうか。落ち着いた雰囲気に加えて、長髪の間から除く瞳は達観している。
どこまでも見通されているような感覚、その浮世離れした顔つきは、どこか雲隠さんと近しいものを感じる。
「堂満から、俺のコレクションが一枚盗まれたことは聞いた。
さっさと話して帰れ」
「もちろんそのつもりさ。
だから伊呂波と、それに匂宮さんと堀川さん。もっとこっちに来て私の推理を聞いておくれ。
いいよな?堂満」
「……お構いなく」
「では、まずこちらの絵を見てもらおうか」
堂満さんは手をヒラヒラと振って、構わないと伝える。
当の雲隠さんは机を挟んだ下座のソファに座ると、ジェスチャーで僕に持っている絵画を彼らに見せるよう促した。
言われた通りに額縁を持って角度を変えて、神崎さんと堂満さんに見せる。
神崎さんは雲隠さんが勝手に自分のコレクションを持ち出しているのを、明らかによく思っていないようだった。
顔をしかめて、しばらくして首を傾ける。
「…これ、俺の絵か?」
「この絵は神崎の倉にあったもので、額縁は神崎の所有しているものだろう。
だが、見覚えがないのも無理はない。
絵はお前のだな?堂満」
「えぇ、間違いないです。
確かに、我が家で盗まれたものです」
「あぁ、思い出した。
盗まれた『記憶の固執』を貰った時にトレードしたやつか」
トレード、つまり交換した絵がなぜここに?
頭がこんがらがってくる。堂満さんから貰った神崎さんの絵が盗まれたという話から始まって、なぜ堂満さんの家で盗まれた絵が神崎家で見つかるのか。
神崎さんと僕の怪訝な表情を見て、雲隠さんは満足げに笑った。
「つまり、交換殺人ならぬ交換盗難だよ」
「は?交換殺人?」
「何だ神崎、知らないのか。
少年、君は私の著書を読んでいるのだから当然わかるよね?」
「えっと…はい」
「なら、この無知な男に説明してやってくれ」
一瞬、堂満さんと神崎さんが同時に眉をひそめた。
はとこ同士なら遠縁のはずだが、仕草がそっくりだ。といっても僕には『はとこ』どころか兄弟も親戚もいないので、そもそも祖父母の兄妹の孫とまで交流があるというのは、どこか自分とは違う世界を覗いているようだった。
雲隠さんは、話の腰を折られたことに機嫌を損ねたようだった。
「交換殺人は……複数の犯人がお互いにお互いの対象を交換して殺害するトリック方法です。
全く関係のない他人を殺す代わりに、お互いのターゲットが殺されたときにアリバイができるんです」
「そう、だから盗難犯は2人いる。
そして、交換されたのは神崎家の絵画と堂満家の絵画だ。
ここまで言えば、私の言いたいことはもうわかるね?」
整理すると、神崎家と堂満家ではほぼ同時に絵画の盗難があった。
どちらも主人が不在の間に起きたもので、堂満家は雲隠さんに指摘されるまで盗難があったことにすら気付いていなかったので、話題にも上がらなかった。
容疑者は各家に住み込みで働くメイドと執事だ。どちらも屋敷で働く全執事とメイドに犯行が可能で、かつ広大な敷地を持つ盗んだ絵画を隠されたら見つからない。
仮に雲隠さんの言うように交換殺人ならぬ交換盗難をしたところで、この事件ではアリバイ作りのメリットがない。
けれど、彼女曰く今回の事件で最も難しいのはいかにして盗むかではなく、いかにして絵を売るかである。
「伊呂波は私に『もはや誰が何のためにどうやって行ったのかは問わない』と言った。
けれど、謎を解くきっかけはそこにあったんだ。
つまりWhy do it? なぜこの絵を盗んだのか?
When do it? いつこの絵を盗んだのか?にね」
「その前に一つ質問がある」
「何かね、探偵の推理パートを邪魔するなんて無作法だよ」
「うるせぇ、ここは俺の家だ」
「…ちっ」
「舌打ちするな。
そこの嬢ちゃん、あんた見ない顔だな」
「……え?」
神崎さんと目が合う。
嬢ちゃん?僕のことを言っているのだよな。
「新入りが来るとは聞いていないが、日景のメイドか?」
神崎さんにそう指摘されて、僕はようやく自分がメイド服を着たままなのを思い出した。
みるみる顔が熱くなって、赤面していくのを感じた。
伊呂波さんと雲隠さんの前では自ら、といっても他に服がないので半ば強制的にこの服を着たが、断じて僕は僕自身の趣味でこの恰好をしているのではない。
ただ、常日頃メイド服を着用している伊呂波さんの前でその好意を無下にすることもできないし、かといって雲隠さんの提案を飲むわけにはいかなかったのだ。
いわば、仕方なく着ているに過ぎない。
しかし彼女たちの前ではメイド服を着ることを受け入れても、同性の前でこの姿でいることまでは覚悟していない。
「あ、えっと…!これは…!」
「あぁ、二人とは会ったことがなかったな。
彼は私のハウスキーパーをしている比良直流君だ。
少年には旅のサポートと手伝いで来てもらった」
「はぁ?少年?何でメイド服を着て…。
いや、今の時代に性別で物事を決めつけるのは野暮か。
だが、それはうちのメイド服だよな?」
「あのっ、着てきた服が汚れてしまって…」
「神崎様、この伊呂波の不手際でお召し物に汚れがついてしまったのです。
制服をお貸ししたのは私めです」
「ごめんなさい、ちゃんと洗ってお返ししますので…!」
雲隠さんが話し出してから今の今まで黙り続け居ていた伊呂波さんが、初めて口を開いた。それも僕を庇うために。
そうだ、制服もまた主人から借り受けているものの一つ。
快く貸し与えてくれたから軽い気持ちで借りてしまったが、それは主人が帰ってこないという前提があってのことだ。
メイド長である伊呂波さんの管轄内だったとしても、彼女が悪いわけではない。額縁を持ったまま神崎さんに頭を下げて謝罪すると、思いのほか優し気な声が降ってきた。
「まぁ、それなら別にいいんだが」
「え……ありがとうございます」
「比良だったか?君、この性悪女にいじめられているんじゃないだろうな。
こいつは他人を玩具か何かだと思っている人間だ。嫌なら嫌だとはっきり伝えたほうがいいぞ」
「いじめられては……ないです。
大丈夫です、お気遣いありがとうございます」
「少年?なぜ数秒考えたのかね、その男はしつこいからはっきり否定しておいてくれ」
女性だと勘違いされていたのには予想外だったが、幸いにして勝手に制服を使っていたことは咎められなかった。
可能ならメイド服から制服に着替えたい。
伊呂波さんに目線を送ると、小声で尋ねるとまだ乾かしている途中だと答えが返ってきた。当たり前ではあるが、僕の制服よりも主人と来客の対応の方が優先度は高い。
加えて就業中に作業をしてもらっている手前、閉口するしかない。
神崎さんは何度か僕を心配する声をかけてくださり、そのたびに雲隠さんは頬を膨らませて僕に何かを訴えていた。
「そろそろ、私の話を再開してもいいかな?」
「…あぁ、この件はまた後にしよう。
で、本当に俺の絵がどこにあるのかわかったのか?」
「もちろん、先ほどこれは交換殺人ならぬ交換強盗と言っただろう。
堂満の絵は神崎の家にあり、神崎の絵は堂満の家にあるはずだ。
そうだろ?堂満」
「…えぇ、同じように絵が取り換えられていました」
堂満さんが背後の執事に合図をすると、一人が持っていた包みから額縁を取り出した。
いや、正確には額縁と絵画を取り出した。
厚みのある金色の額縁の淵には段差が入っており、中には見覚えのある西洋画がはめ込まれている。伊呂波さんが小さく声を上げた。
その絵の名前を、僕らはよく知っている。
サルバード・ダリのリトグラフ『記憶の固執』だ。
「何で俺の絵が堂満の家にあるんだ?性悪女」
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2日前、この屋敷に堂満がやってきた。
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「…何のためにそんなことを?
盗むところまで成功していたのなら、すぐに売れば良かっただろう」
「簡単だ、絵を怪しまれずに高く売るためにさ」
「はぁ?」
「神崎も堂満も大量のコレクションを所有していて、管理を全てメイドや執事に一任しているな。
では質問だが、お前たちはその絵画をどうやって売り買いしている?神崎」
「メイドに頼んで業者に買取に来てもらうな、俺なら外商を呼ぶ」
「堂満は?」
「…左に同じく」
外商?僕の心の声に、雲隠さんが反応する。
「外商というのは、百貨店の販売員が家に出向いて販売するサービスの事だよ。
そうだね、その店で大体数百万円の買い物をすれば、外商の1人はつくんじゃないかな」
「数百万…!?」
「そうだよ、だから言っただろう。
200万円ぽっちは大した金額じゃないとね。
そして例えば外商経由で画商に売り払った絵画の中に予定外の絵画が入っていたとして、お前たちは気付くか?」
「気づきはしないが、伝票に残るだろ。
収支管理をしているメイド長に連絡が行くはずだ」
「そうだな。では伝票そのものが提出されなかったら、それに気付くか?
さらにもしも過去にその絵が買い取られた記録まであったら?
売る側はまさかそれが別の人間にやったものだとは思わないだろう。
つまり、彼らは君たちが昔買った絵をそのまま売ったと思い込んでいたら」
「……」
「そういうことだ」
元々主人が交換し合った絵を再度交換して、買い取った業者に売り払う。
元々出入りしていた業者だから誰も怪しまないし、メイドや執事は主人に代わって売買しているわけだから、恐らく書類上の名義は交換する前の主人のものになっているだろう。
盗難届を出して業者を突き止めたとしても、警察の目には何かの手違いで元の所有者が再び絵画を手にして、うっかり売り払ったようにしか見えない。
個人の所有物をトレードした証拠はないし、業者は同じ制服のどのメイドや執事に売ったのかなんて覚えていないだろう。
寧ろ「買った店で再び売り払うのは申し訳ないから、言い値で構わない」とでも言われたら、疑いもせず買い取ってくれるはず。
さらに「体裁が悪いから所有していたことは秘密にしてくれ」と言って、代金と領収書を懐に収めさえすれば、誰にも疑われずに絵が売れる。
仮に盗難犯と疑われても広大な敷地ではアリバイで犯人を絞れないし、盗んだ絵を売るのは別の家の人間のためアリバイがある。
また勝手に絵を売っているのが見つかったとしても、その絵は交換相手の家で盗まれた絵画だ。売ろうとしただけで、盗んだ証拠にはならない。
何故なら絵画は元々両家で購入されたもの。これなら、リスク以上の対価が得られる。
だがそれは、ハウスキーパーやメイド、執事の前に人間として最低の行為だ。
話を聞き終えて、神崎さんが疑問を口にする。ただし何かにつけてからかってくる雲隠さんに向けてではなく、隣に座る堂満さんに向けて。
「待て、肝心の交換方法と犯人は?」
「…あの小娘の話を聞いていなかったのですか?
我が家の執事と、あなたのところのメイドが犯人でしょう」
「でもよぉ、その執事はずっと主人のお前と一緒に行動していたんだろう?
それにスカートに絵を隠していたメイドと違って、こいつらは隠す場所がない。
額縁がないとはいえ絵を交換したり、絵を持って移動したりすれば気づくはずだろ」
「…それは、」
「だからお前は成金野郎なのだよ。
堂満は出張帰りに神崎の家に寄った。
何か、土産があったんじゃないか?」
「土産?」
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