ミステリーの神様と家政夫の僕

栗金団(くりきんとん)

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銀座の焼肉

第四話「ズルい人」

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「あなたは自分にメリットがないにも関わらず、彼を雇っている。

理由はまだわかりませんが、彼に良くしているのは確かです。

しかし、それを彼に知られたくはない。知られずにいたい。その手伝いを私にしろということですか?」

「ノーだ、しかし君の情報収集力は信用している。君の出版社のものもね。

だから彼の動向を探る人間がいたら知らせて欲しい。そしてあわよくば、阻止して欲しい」

「私がその手伝いをするわけないでしょう」

「嘘だ」

 「嘘?」

「君は、少年の身辺を知ることもその記事をどうにかすることもできるんだろう?

だから私に話した。でなければ、この話は交渉にならない。違うかい?」

「……」

文鎮の情報収集力が高いのは、周知の事実だ。その能力を生かして雲隠の取材やネタ作りに貢献してきたのも、一度や二度ではない。

雲隠の「信用している」という言葉に口元をにやつかせながらも、文鎮は彼女の思い通りにはなりたくないとも思う。その程度の関係性、ありふれている。それに、未だに彼女の目論見も発言の意図もわからないままだ。

「先生は、そのために私にこのクイズを~?

もしかして、私がクイズで正解できなかったときのペナルティとして?」

「ノーだ。強制はしない。君は誰かに強制されるのを嫌がりそうだし。

ただ、頼み事を聞いて貰えれば私も安心して執筆活動に専念することができる。

君にもメリットはあるというわけだ」

「ん~、それは、そうかもしれないですけど~」

明らかに、編集者としての領分からは外れている。作家のため作品のためなら苦労を厭わない文鎮も怯む。

だが、次の一言を聞いて息が止まる。

「そうか。なら、他の人に頼もう」

「…は?」

「知らないのかい?

君たちのお陰で本が売れて顔が知られた私は、それなりに交友関係も広いんだ。

だから、彼らの誰かを頼ることもやぶさかではない」

「……」

「その場合、私が君の知らないところで君の知らない人間と君の知らない話題に関して談合することになるね」

「そんなことをしたら…」

そんなことをしたら、それこそ担当編集者としてもファンとしても放っておけない。

ハウスキーパーだけならまだしも、もう一人敵が増えるようなものだ。

そんなことを言われたら、答えは一つしかない。

「本当にズルい人ですね、先生は」

「……」

「それで、協力する対価として彼を雇った理由は教えてくださるんですか?」

「イエスだ、だが報酬は後払いにさせてもらおう」

「後払いですか~、具体的な支払日はいつごろで?」

「彼が大学を卒業したときだ」

「取引は少年が社会に出るまでってことですね。しかし、その間はただ働きですよ?

先生も人使いが荒いですねぇ~」

「そう簡単に教えるわけにはいかない、これは私の経歴にも関わることだからね」

「先生のご経歴…ですか?それ、詳しく教えていただけませんか?」

「……」

「もしかして、その経歴というのは先生が作家になる前のものですか?」

「イエスだ」

「それはっ、それはっ、先生ご本人以外が知り得ないものですか?」

「ノーだな、私と少年だけが知っているものだ」

「またしてもそいつですか。一体何なんですか、比良という男は」

素知らぬ顔でシャトーブリアンを頬張る雲隠に、文鎮は箸の先端をカチカチと合わせては離す。

素性がわからないということであれば、それは雲隠も変わらない。

彼女の周囲はまるで強大な権力によるベールがかかっているかのように、不透明だ。

最低限の学歴や出身地こそわかっているものの、それ以外の情報は一切不明。

突如として業界に登場して、数年もせずにみるみる頭角を現した新進気鋭の作家。

文鎮は担当になる前から彼女の身辺を洗っていたが、徹底した秘密主義は本人だけではなく親族まで一貫している。

口が堅くネットにうかつに情報を上げないというのは担当編集からすればありがたいものだが、文鎮という個人からすると余計に好奇心を掻き立てられる。

まさか彼女自身がその糸口を垂らしてくれるとは思わなかったが。

本当に、ズルい人だ。文鎮がこの話を断らないとわかっていて、話を持ち掛けたのだから。

ウーロン茶を数口飲んで置く。

 「だからその記事の流出を防ぐこと、それを理由に私は君の怖れることは怒らないと約束しよう」

「恐れること、ですか。

先生は私という編集者が最も恐れることはなんだと思いますか?」

「恐れること、か。

まともなサラリーマンなら、クビになることだろうね」

「編集者にとって、それは少し違います。

私達はあくまで作品を作る手伝いをしている黒子で、表舞台に出ることはほとんどありません。

じゃあ、黒子が一人消えて変わったところで、世界が変わったり誰かが困ったりすることはありませんよね?」

「それは私だって同じさ」

「いいえ、先生は違います。

先生の作品は、何年先でも私が死んだ後も残ります。私が保証します」

「どうだかな」

「でも、先生は私がいなくても素晴らしい作品をお書きになるでしょう?」

「……」

「いいんです、先生にとって私が代わりのきく存在であっても。

一番恐ろしいのは、作品が無くなってしまうことです。

先生の身に精神的にあるいは肉体的に何かあって、もしくは作品が世間から疎まれたり圧力をかけられたりして、作品が消えるよりは」

「買い被りすぎだよ」

「いいえ、まさか。

だって、私達編集者はそうやってご飯を食べているのですから。

だから、必ずお約束は守ります」

「…そう、まぁ程々にやりたまえ」

「はい!」

嘘ではない。本心から述べた言葉を、雲隠は目も合わさずに軽く一蹴する。

呆気ない、素っ気ない態度を見て文鎮は心から安堵する。

命をかけると伝えても、編集者としてどれだけ尽くしても、雲隠の文鎮に対する態度は十年間変わらなかった。彼女は、自分以外の人間に決して依存しないし惑わされない。

孤高の天才。なら何があっても、彼女と彼女の生み出す作品は無事だ。

それだけで、文鎮が彼女に奉仕する理由に値するのだ。

「でも、せっかくの機会ですから最後まで質問はさせて頂きますよ。」

「好きにしたまえ」

質問できる回数は、残り1回。文鎮は答えに辿り着くことを半ば諦めているのか、自身の気持ちを吐露し始める。

「しかしこの話、随分と少年に利がある話ですねぇ。

先生に雇用を得て生活の保障をしてもらいながら、おまけに身辺の警護までしてもらえると。誰だって嫉妬してしまいますよねぇ」

「それが最後の質問でいいのかね?」

「ん~~、最後くらい教えてくださってもいいじゃないですか。

先生は一体彼をどうしたいんですか?もしくは、どうなりたいんですか?」

「そうか、前金として最後くらい教えてやってもいいかもしれないね」

「え?」

文鎮は目を見張り眉を潜めて拳を握りしめた。

凪の水面のように安らかな表情で雲隠が語る。長年共にいた文鎮が知らない雲隠の一面が明らかになる。

その表情を見て、文鎮は雲隠が抱く感情の重さと深さを知った。同時に彼女の胎内では烈火のごとく燃え上がるものがあった。その感情の名前を嫉妬という。

「私は、比良少年に幸せになって欲しいのだよ。そのためなら、犠牲も厭わないつもりだ」

比良直流、文鎮の脳裏にその名前が深く刻まれる。

少年はその日、知らないうちに一人の人間の恨みを買った。
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