永遠の縁~時間を巻き戻すふたりの物語~

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第一章

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 永遠の縁《えいえんのふち》 第一章


 その客は世界中にある、いくつもの大きな会社の株を持っているのだという。
 銀色の髪はもとからそうなのか白髪なのか分からなかったが、目には力が、声と肌には張りがあった。
 彼がヒスイを訪ねるのは三カ月に一度。西の大陸のお菓子と上品なジュエリーを手渡し少しの間雑談すると、待ちきれないようにヒスイが纏う薄衣を脱がせて全身を撫で、くちびるで愛撫して呻かせる。
 その日も最後にヒスイを抱きしめていくつもの甘い言葉を囁くと、満足そうにベッドを降りた。
 ヒスイも二時間ほど前に脱がされたシルクのガウンを羽織り、彼を見送るために一緒に廊下に出る。
 扉を開けると中庭に面した回廊だ。細かい寄せ木細工にモザイクタイルが埋め込まれた床は、いつもきれいに掃き清められていた。

「次はまた三カ月後か。待ち遠しいよ」

 五十代半ばくらいだと思われる彼はそう言って、ヒスイの肩を抱いたまま階段へ向かって歩き出す。

「私も、待ち遠しいです。首を長くしてお待ちしています」

 この仕事を始めるときに教えられた言葉は、何も考えずともするすると流れ出た。
 彼がもっと短いスパンでの逢瀬を望んでも、それは叶えられない。
 なぜなら、ヒスイと過ごすひと時を待つ客は列をなして待っていて、その誰もが絶対に順番を譲らないからだ。
 そしてヒスイの予約はもうずっと先まで彼らのローテーションで埋まっていて、新しい客が入り込む余地はない。
 広いロビーに下りてレセプションの前を過ぎ、広く開け放たれた観音開きの扉から庭に繋がる階段を降りる。
 すると緑のアプローチから一人の男がこちらへやってくるのが見えた。
 長身のがっしりした体格。春の日差しのようなプラチナブロンドの髪をきれいになでつけている。秀でた額の下の瞳は、透き通るアイスブルー。
 精悍な美貌の男だった。
 隣に客がいるにも関わらず、男は射抜くようにまっすぐヒスイを見つめる。
 ヒスイも視線に絡め取られたように彼から目が離せなかった。
 いつの間にか足が止まったヒスイを、隣にいた客が不思議そうに見つめ、ヒスイの視線の先を辿る。
 客の視線が届く前に、階段の下にいた男は深く腰を折った。

「こんにちは、マイケル様。当館でのお時間を楽しんでいただけましたか」

 深みのある柔らかな響きの声だった。
 その言葉で、彼がスタッフであることを知る。新しく入ったボーイだろうか。
 マイケルと呼ばれた客は「ああ、最高だったよ。ありがとう」と上機嫌で答えると、ヒスイを抱き寄せて階段を降り、アプローチを進んだ。
 マイケルが話しかけてくるのに返事をしつつも、ヒスイの意識は先ほど目が合った男にとらわれていた。



 門の内側でもう一度挨拶をして抱擁する。
 マイケルは繰り返し「他の客さえいなければ」「本当は私が君を身請けして毎日可愛がりたいのだけれど」と囁いて名残惜しそうにヒスイの体を撫でてから、ようやく抱く腕を緩めた。ヒスイは黒髪の下の瞳を細めて曖昧に微笑む。
 閉ざされた門の前に大きな黒塗りの車が停車していた。
 男が乗りこむと、金属で作られたぶ厚い門がゆっくり開く。車が門の外に出て、後部座席の窓から顔をのぞかせた男が手を振るのに、ヒスイもにっこりと微笑んで手を振り返した。
 車が走り去るとすぐに門が締まる。
 門の内側と外側それぞれに二人の屈強なガードマンがいて、彼らは銃を所持している。許可なく敷地内に入ることも、出ることもできないようになっていた。
 門が完全に締まってから、ヒスイは細く息をついて知らずに入っていた体の力を抜く。
 ようやく深く呼吸できるようになって、新鮮な空気が胸の中に入ってきた。
 この仕事をしている以上、内側に潜む嫌悪感に目を向けてしまったらおしまいだと、誰に教えられるまでもなく気づいている。
 軟禁されているも同然のヒスイに、毎日客を取る以外の選択肢はない。
 どんなに嫌がっても客は必ずやってきてヒスイを抱くのだから、胸の内の「本音」には蓋をするしかなかった。
 館へ戻る為くるりとターンすると、細身の体を包むガウンの裾がふわりと広がり、白くすんなりと伸びたふくらはぎが覗いた。
 長めの黒髪を風になびかせながら歩き出す。
 長年の娼館暮らしと性的な交わりが常にある毎日は、ヒスイの清楚な面差しに隠し切れない色気を与えた。
 印象に残る華やかな美形というわけではないのに、つい目で追い、よからぬ想像をしてしまう何かがヒスイから漂っている。
 けれどヒスイ自身はそれに気づかない。気づく必要もなかった。
 広い庭の端にある門から館までは歩いて十分もかかる。ちょっとした散歩だ。
 半分も行かないうちに、向こうから先ほどの新人スタッフがやってくるのが見えた。
 思わず足を止め、彼を窺う。
 彼はまっすぐヒスイに向かって歩みを進め、一メートルほど手前で足を止めて笑いかけた。

「お疲れ様です。ヒスイさん。はじめまして。今日からこの館で働く、ベスカです」

 笑うと、整いすぎた美貌がとたんに人懐こく変わる。太陽のような朗らかな雰囲気――真夏の太陽ではなく、春の昼下がりのような――に、ヒスイはなんとなくホッと安心して、彼に笑顔を返した。

「はじめまして、ベスカ。……どうして俺の名前を知ってるの?」

 ゆったりと彼のそばまで歩み寄る。隣に並ぶと、頭一つ分身長が違った。

「ヒスイさんはレルアバド館で一番の人気者でしょう。まずはヒスイさんに挨拶をして、顔と名前を覚えてもらえと言われました」

 そう聞いて、ヒスイは困ったように笑った。

「なぜだかわからないけど、指名してくださるお客様が多いだけだよ。ここにはもっと若くてかわいらしい子がたくさんいるのにね」

 男娼専門のレルアバド館は、北の大陸の内陸に位置する山の国にある。
 山の国は大陸の最貧国だと言われているが、風光明媚な山岳地帯は知る人ぞ知るリゾート地で、世界中の富裕層の御殿のような別荘が並んでいる。
 その一方、国民の多くは仕事も見つからず食べるものにも困る貧しい生活をしているらしい。
 というのは、客から聞いた話だ。ここから出たことがないヒスイは、ここがどんな国なのかも、人々がどのような暮らしをしているのかも、耳から聞いた話でしか知らない。
 別荘地の中心となるこの町には、富裕層向けの施設が無数にある。そしてここ、レルアバド館も、会員制の娼館だ。
 高い石造りの塀に囲まれた敷地内にはたくさんの木が生い茂り噴水が涼やかな水音を響かせる。
 冬以外は花が絶えない広く美しい庭があり、庭の中央にかつてこの地域を治めた王族の別邸をそのまま模したという豪奢な館がそびえていた。
 世界中の贅を集めたような美しい空間は、まるでおとぎの国のようだと、塀の外を知っている男娼仲間が話しているのを聞いたことがある。
 紹介を受けさらに複雑な審査をパスした者しか訪れることができない娼館には、政治家や銀行家や投資家や……うなるほど金を持つ世界中の権力者たちが、男娼を抱きにやってきた。
 娼館で働くのはいずれもヒスイと同じような東洋人の見た目を持つ美麗な少年や青年ばかりだ。

「かわいいヒスイ、君が引退するときには私が見受けしてあげるからね」

 ここで働き始めた頃から、ヒスイはいろいろな客にそう言われた。けれどヒスイは誰にも身請けされていない。
 この娼館に来るまでの十代半ば以前の記憶が、ヒスイにはない。気づいたときにはスタッフから仕込みを受け、わけがわからないままに客を取らされた。
 そのまま軟禁同然に男娼としてここに捕らわれている。
 そして、いつのまにかここの最年長になった。
 館のオーナーが決めた仮の誕生日から数えると、今、二十六歳と少し。
 他の男娼は十代半ばから二十代前半で、ほとんどが十代のうちに身請けされるか、二十歳を過ぎて需要が少なくなると、いつの間にか「消える」。
 消えた男娼がどうなったのかはわからないが、いくつもの恐ろしい噂が囁かれていた。
 ヒスイもいつか「消される」のだろうと思っていたが、気づけば二十六歳の誕生日を迎えていた。
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