3 / 4
3
しおりを挟む
「……ふうん」
社会科準備室の窓から、暮れ始めた空が見える。
俺の年上の従兄弟であり、この高校の地理教師であるシイナ先生は、窓枠に寄りかかってのんびりと呟いた。
教室で、本当に情けない事だけれど涙がこぼれそうになるのを堪えながら鍵を探したけど、見つからなくて。
仕方がなくて職員室へと向かおうとした矢先、職員室のある一階の廊下で付き合いの長い従兄弟に捕まったのだ。
俺の顔を見て何かを察したのだろう。
有無を言わさず、従兄弟の教える教科の準備室へと引っ張り込まれた。冷蔵庫から冷えた缶コーヒーを一本渡され、「どうしたんだ?」と落ち着いた、穏やかな声で聞かれて。
俺は、不覚にも一粒だけ涙が落ちた。
年上の、甘やかし上手なこの従兄弟に、俺は弱い。
……そして、どっちが先かとか、後かだなんて、にわとりと卵を論じるようで本当にしょうがないけれど。
従兄弟と龍之介は同じ空気を纏っていた。
「真琴は、いろんなモンに嫉妬してるんだなあ」
「……嫉妬?」
従兄弟の言葉が意外で、俺は缶コーヒーに口を付けながら上目にこの若い教師を見上げた。
「嫉妬、とか。いろいろ。真琴くらいの歳だとね、よくあるよ」
「……」
本当は、肌寒いこの季節、ホットのコーヒーの方が良かったけれど、既製品の飲み物の甘さは俺の中の何かを少しだけ溶かしてくれたようで、俺は何となく安心したようなものを感じながら従兄弟を見上げる。
龍之介も、いつか制服ではないワイシャツとネクタイを纏うようになるのだろうか。
「真琴と、龍之介君は、仲良いからね」
「……龍之介は、いろんな人と仲良いよ」
別に、俺だけじゃない。
俺には、ほとんど龍之介だけだけど。
そんな事を考えてまた泣きたくなった俺の頭を、よしよしというように従兄弟は大きな掌で軽くたたいてくれた。
ぽん、ぽん。
「でも、真琴と龍之介君は特別でしょ?」
従兄弟の言葉の意味が良く分からなくて、俺は目を眇めて従兄弟を見る。
従兄弟は俺と視線を合わせたまま小首を傾げた。
「真琴に取って、龍之介君は特別でしょ。龍之介君にとっても、真琴は特別だと思うよ」
「………そんなこと」
「俺は、君達よりすこーしだけ長く生きてるし、君達を長く見てきたし、幸いにも接する機会も多いし。何となく分かるんだよ」
偉そうな言葉に、でも何も言い返せない。
俺にとって龍之介は、もちろん特別中の特別で。
俺にとっての龍之介がそうであるように。
形は違ってもいいから……龍之介にとっても、俺が特別な、………幼馴染で、友人であればいい。
自分の中に、いつのまにか生まれてしまったいびつな恋を、成就させようなんて大それた事は望まないから。
ただ、龍之介と繋がっている糸が、切れてしまうのが怖い。
「真琴」
飲み干した缶コーヒーを燃えないゴミのくずかごに捨てた俺を、従兄弟は呼び止めた。
「ただ、怠惰な人間になっちゃ、だめだよ」
「……タイダ?」
「そう。人間個人も、それを繋ぐ関係も、ずっと変化し続けるから。龍之介君が、真琴から目を逸らしていられないくらいに真琴も走り続けないといけない」
この教師になった従兄弟は、俺の血筋の中ではもっとも賢い。
賢すぎて、従兄弟の言葉は、馬鹿な俺の頭では理解しきれないところがいっぱいあるけど。
とりあえず、頷いて。
準備室を後にすると廊下を走って職員室へと向かった。
鍵は、職員室にも事務室にも無くて、窓の外はすっかり暗くなっていたからあきらめてバスで帰る事にした。
家に帰ればスペアキーがあるはずだから、それを明日持ってこようと思って。
疲れと空腹で重くなった足を引きずるようにして校門へ向かうと、背後から声がかかった。
「バカ真琴」
三歳の時から聞きなれたその声に、俺は振り返る。
自転車をまたいだ姿勢で、校門のそばの桜の木の影に龍之介が佇んでいた。
「何やってんだよ」
「……自転車の、鍵なくしちゃって」
喉をついて出てきた言葉は、最近の俺からは信じられないくらい、素直な、子供のような響きをしていて、我ながら驚いた。
「見つからなかったの?」
龍之介が自転車をこいで俺の隣へと移動してくる。
俺はこくんと頷いた。
「だから、バスで帰る」
そう返事をすると、暗がりの中でもはっきりわかるくらいに龍之介は顔をしかめた。
「バカ真琴。乗れよ」
そんなにバカバカ言わなくても。。
それでも、不思議と腹立たしくはならず、俺は素直に自転車の荷台に座って龍之介の肩に両手をかけた。
「ちくしょー、腹減った。お前がイキナリいなくなるから」
ぐい、と自転車を漕ぎ出しながら龍之介がいつになく高校生らしい言葉遣いをした事に気づいた。
品行方正を絵に描いたような、この幼馴染が。
「たこ焼き、食っていこうぜ。真琴のおごりで」
自転車はすいすいと夜道を進む。
龍之介がぐい、とスピードを上げた。
俺の了解を待たずに自転車は駅前へと向けて走り出した。
俺は龍之介の肩をしっかりと掴む。
掌の下に、龍之介の固い筋肉を感じて、また少し胸が高鳴った。
社会科準備室の窓から、暮れ始めた空が見える。
俺の年上の従兄弟であり、この高校の地理教師であるシイナ先生は、窓枠に寄りかかってのんびりと呟いた。
教室で、本当に情けない事だけれど涙がこぼれそうになるのを堪えながら鍵を探したけど、見つからなくて。
仕方がなくて職員室へと向かおうとした矢先、職員室のある一階の廊下で付き合いの長い従兄弟に捕まったのだ。
俺の顔を見て何かを察したのだろう。
有無を言わさず、従兄弟の教える教科の準備室へと引っ張り込まれた。冷蔵庫から冷えた缶コーヒーを一本渡され、「どうしたんだ?」と落ち着いた、穏やかな声で聞かれて。
俺は、不覚にも一粒だけ涙が落ちた。
年上の、甘やかし上手なこの従兄弟に、俺は弱い。
……そして、どっちが先かとか、後かだなんて、にわとりと卵を論じるようで本当にしょうがないけれど。
従兄弟と龍之介は同じ空気を纏っていた。
「真琴は、いろんなモンに嫉妬してるんだなあ」
「……嫉妬?」
従兄弟の言葉が意外で、俺は缶コーヒーに口を付けながら上目にこの若い教師を見上げた。
「嫉妬、とか。いろいろ。真琴くらいの歳だとね、よくあるよ」
「……」
本当は、肌寒いこの季節、ホットのコーヒーの方が良かったけれど、既製品の飲み物の甘さは俺の中の何かを少しだけ溶かしてくれたようで、俺は何となく安心したようなものを感じながら従兄弟を見上げる。
龍之介も、いつか制服ではないワイシャツとネクタイを纏うようになるのだろうか。
「真琴と、龍之介君は、仲良いからね」
「……龍之介は、いろんな人と仲良いよ」
別に、俺だけじゃない。
俺には、ほとんど龍之介だけだけど。
そんな事を考えてまた泣きたくなった俺の頭を、よしよしというように従兄弟は大きな掌で軽くたたいてくれた。
ぽん、ぽん。
「でも、真琴と龍之介君は特別でしょ?」
従兄弟の言葉の意味が良く分からなくて、俺は目を眇めて従兄弟を見る。
従兄弟は俺と視線を合わせたまま小首を傾げた。
「真琴に取って、龍之介君は特別でしょ。龍之介君にとっても、真琴は特別だと思うよ」
「………そんなこと」
「俺は、君達よりすこーしだけ長く生きてるし、君達を長く見てきたし、幸いにも接する機会も多いし。何となく分かるんだよ」
偉そうな言葉に、でも何も言い返せない。
俺にとって龍之介は、もちろん特別中の特別で。
俺にとっての龍之介がそうであるように。
形は違ってもいいから……龍之介にとっても、俺が特別な、………幼馴染で、友人であればいい。
自分の中に、いつのまにか生まれてしまったいびつな恋を、成就させようなんて大それた事は望まないから。
ただ、龍之介と繋がっている糸が、切れてしまうのが怖い。
「真琴」
飲み干した缶コーヒーを燃えないゴミのくずかごに捨てた俺を、従兄弟は呼び止めた。
「ただ、怠惰な人間になっちゃ、だめだよ」
「……タイダ?」
「そう。人間個人も、それを繋ぐ関係も、ずっと変化し続けるから。龍之介君が、真琴から目を逸らしていられないくらいに真琴も走り続けないといけない」
この教師になった従兄弟は、俺の血筋の中ではもっとも賢い。
賢すぎて、従兄弟の言葉は、馬鹿な俺の頭では理解しきれないところがいっぱいあるけど。
とりあえず、頷いて。
準備室を後にすると廊下を走って職員室へと向かった。
鍵は、職員室にも事務室にも無くて、窓の外はすっかり暗くなっていたからあきらめてバスで帰る事にした。
家に帰ればスペアキーがあるはずだから、それを明日持ってこようと思って。
疲れと空腹で重くなった足を引きずるようにして校門へ向かうと、背後から声がかかった。
「バカ真琴」
三歳の時から聞きなれたその声に、俺は振り返る。
自転車をまたいだ姿勢で、校門のそばの桜の木の影に龍之介が佇んでいた。
「何やってんだよ」
「……自転車の、鍵なくしちゃって」
喉をついて出てきた言葉は、最近の俺からは信じられないくらい、素直な、子供のような響きをしていて、我ながら驚いた。
「見つからなかったの?」
龍之介が自転車をこいで俺の隣へと移動してくる。
俺はこくんと頷いた。
「だから、バスで帰る」
そう返事をすると、暗がりの中でもはっきりわかるくらいに龍之介は顔をしかめた。
「バカ真琴。乗れよ」
そんなにバカバカ言わなくても。。
それでも、不思議と腹立たしくはならず、俺は素直に自転車の荷台に座って龍之介の肩に両手をかけた。
「ちくしょー、腹減った。お前がイキナリいなくなるから」
ぐい、と自転車を漕ぎ出しながら龍之介がいつになく高校生らしい言葉遣いをした事に気づいた。
品行方正を絵に描いたような、この幼馴染が。
「たこ焼き、食っていこうぜ。真琴のおごりで」
自転車はすいすいと夜道を進む。
龍之介がぐい、とスピードを上げた。
俺の了解を待たずに自転車は駅前へと向けて走り出した。
俺は龍之介の肩をしっかりと掴む。
掌の下に、龍之介の固い筋肉を感じて、また少し胸が高鳴った。
10
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
それはきっと、気の迷い。
葉津緒
BL
王道転入生に親友扱いされている、気弱な平凡脇役くんが主人公。嫌われ後、総狙われ?
主人公→睦実(ムツミ)
王道転入生→珠紀(タマキ)
全寮制王道学園/美形×平凡/コメディ?
【完結】遍く、歪んだ花たちに。
古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。
和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。
「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」
No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。
片桐くんはただの幼馴染
ベポ田
BL
俺とアイツは同小同中ってだけなので、そのチョコは直接片桐くんに渡してあげてください。
藤白侑希
バレー部。眠そうな地味顔。知らないうちに部屋に置かれていた水槽にいつの間にか住み着いていた亀が、気付いたらいなくなっていた。
右成夕陽
バレー部。精悍な顔つきの黒髪美形。特に親しくない人の水筒から無断で茶を飲む。
片桐秀司
バスケ部。爽やかな風が吹く黒髪美形。部活生の9割は黒髪か坊主。
佐伯浩平
こーくん。キリッとした塩顔。藤白のジュニアからの先輩。藤白を先輩離れさせようと努力していたが、ちゃんと高校まで追ってきて涙ぐんだ。
婚約破棄したら隊長(♂)に愛をささやかれました
ヒンメル
BL
フロナディア王国デルヴィーニュ公爵家嫡男ライオネル・デルヴィーニュ。
愛しの恋人(♀)と婚約するため、親に決められた婚約を破棄しようとしたら、荒くれ者の集まる北の砦へ一年間行かされることに……。そこで人生を変える出会いが訪れる。
*****************
「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく(https://www.alphapolis.co.jp/novel/221439569/703283996)」の番外編です。ライオネルと北の砦の隊長の後日談ですが、BL色が強くなる予定のため独立させてます。単体でも分かるように書いたつもりですが、本編を読んでいただいた方がわかりやすいと思います。
※「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく」の他の番外編よりBL色が強い話になりました(特に第八話)ので、苦手な方は回避してください。
※完結済にした後も読んでいただいてありがとうございます。
評価やブックマーク登録をして頂けて嬉しいです。
※小説家になろう様でも公開中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる