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2章

7話

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「おや、お帰りィ」

「ただいま帰りました、旦那」

ふわふわと煙管の煙に迎えられ、石丸は後ろ手に扉を閉めました。

「今日もお客が来てたのかイ?よくやるねェ」

「可愛らしいお客様でしたよ」

「残滓が残ってらァ。…自分が死んだこともよく分かってなかったんだろうネェ。ま、可哀そうにナ」

「旦那、お茶は?」

「もらおうか」

いつかのように、急須と湯のみを取り出す石丸。
やがてゆらゆら揺れる湯気をたてるお茶が2つの湯呑になみなみと注がれました。

「ありがとヨ」

「いえ。…そう言えば、今日のお客様は前の山本様の紹介だったようですよ」

石丸は、美優ちゃんの「みちをおさんぽしてたおじいちゃん」という言葉でそれが以前ほてるいちょうにやって来た山本さんのことだとピンときていました。

「ヘェ!面白いこともあるもんだネ。てェか、あの爺さん、まだにいるのかイ」

「そのようですね。道で会ったと」

「まだ未練があるのか、ただ現世を楽しんでるだけなのか…お前も本当によくやるネェ。
 _亡霊たちの泊まるホテルなんてサ」

ずずっ…緑茶をすする音が部屋に小さく響きます。
石丸は湯呑を机に置くと、こてんと首を傾げてみせました。

「楽しいですよ?」

「お前はほんとに…人間らしくなったナァ」

支配人は少し苦く笑います。

『ほてる いちょう』は不思議なホテル。
美しい風景になんでもそろえた綺麗なお部屋。願えば何でも叶います。
けれど、行くのはちょっぴり難しいのです。
必要なモノが2つだけ。
ひとつは、大事な大事なおまじない。これがないと扉が開きません。
もうひとつは、身体の器を失くした魂です。
肉体をもつ、つまり生きた人間は扉から先に入ることができないのです。
人間たちはみんな、これを知りません。
だからおまじないはおまじないのまま、都市伝説は都市伝説のままなのです。

山本さんも、美優ちゃんも本当は死んでしまった魂、現世では幽霊と呼ばれるような存在だったのです。
何故肉体を失ってもなお現世に留まっているのかは本人にしかわかりません。支配人にだってそのシステムはよく分かっていないのです。
でも、だからこそ2人はここにやってくることができました。
肉体を失ってしまった魂は、どんなに元気でいても現世の人に見つけてもらうことはできません。
山本さんがぶつかった小学生たちはぶつかったことに気付いてなどいないし、美優ちゃんのお父さんは美優ちゃんが毎日帰ってきたことに気付きません。
そんな世界で、ちょっと寂しい思いをした人たちがやってくる、それが「ほてる いちょう」なのです。

「今日のお客様も山本様と少し似ていました」

「似ていたァ?」

「夜に泣いている家族を見て、探し物をしにきたんだと」

「ああ…なるほどネエ」

ずずっ。

「本当に失せ物惜しんで泣いてんのか亡き人惜しんで泣いてんのかは知らねェが、そうやって大事な奴が泣いてるのをみりゃアなんかしてやりたくなるのが人間ってもんなのサ」

「なるほど」

「俺のとこにも昔からよく来たヨ。あの子があの人が悲しんでるから、ああしてくれこうしてくれってナ」

「人間は奥深いですね」

「そうかア?俺は至極単純だと思うがネ」

ほてる いちょうの従業員は、山本さんの奥さんの箱の中身も、美優ちゃんのお父さんのクマの行く末も、2人が泣いていた理由も、なんにも知ることはできません。
確かに支配人も石丸もヒトとはちょっぴり違うモノではありますが、なんでもかんでも分かるわけではないのです。
それでも、だからこそ、2人は人間たちを面白く、愛おしく思ったりするのでした。

「それで?」

「なんですか」

「満足したかイ?」

「ええ」

「じゃあ…」

「次のお客様はさらによりよくお迎えできそうです」

「……そっかァ」

今日も、ほてるいちょうは、『空き室あります』
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