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1章

10話

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……今、美代子は私の妻です。

色んなことがありました。本当に。
美代子とも高校卒業後数年間は全く連絡も取らない状態でしたが、27の時に籍を入れました。
地元を離れていた約10年の間、美代子と同じくらい素敵な女性にも沢山出会いました。それでも彼女に惹かれた理由のひとつに、お互いにまだ塞がりきれない傷として残る親友の思い出もあったと思います。

結婚を申し入れた時、彼女が初めてかつて親友との間にあったことを話してくれました。

私が親友から伝言を受け取った数日前のこと。美代子はアイツから告白を受けたそうです。
美代子は「飛び上がるほど嬉しかった」そうです。
ですが、それと同時に共に町を出ることを持ちかけられたといいます。

美代子の生家はかなり裕福な資産家でした。
代々続く名家でもあり、本家は別県にあります。
友人関係にまで口を出すようなご両親ではありませんでしたが、恋愛の絡む交際関係となれば話は別です。
実際のところ、私も郵政省に入りそこそこの地位を固めてやっとのことで彼女との結婚を認めてもらえました。

親友も美代子も認められないことは分かっていました。否定されることは辛いから、親からの否定はさらに辛くて何よりも苦しいから。逃げてしまおう、2人で幸せになろう、としたのです。

10代の若者らしい無鉄砲さと言ってしまえばそうですが、決してそれを考えなしだとか弱さゆえの逃げと嘲笑うことは出来ないと思います。
きっとあいつも様々な計画を立て、準備を整えていたことでしょう。

けれど2人は16歳、まだ16歳だったのです。

家族を捨てて故郷を捨てて、その手を取るという決断をその場ですることは美代子には出来ませんでした。

だからあいつは「待つ」と、「いつまででも待つよ」と言ったのです。混乱してしまった美代子に告白したその場では伝えられなかったから、だから私に、託したのです。

私は、託されたのです。

私はこの話を聞いた時、恥も外聞もなく泣き崩れました。美代子も共に涙を流し慰めてくれましたが、私の心中は彼女にも分かりっこなかったでしょう。

だって私は未だに彼の伝言を伝えていないのですから。「何故」と問い詰められ 「信じられない」となじられるのが怖くて。

逆に彼女の痛みも私には理解することは出来ません。

「あのとき手を取っていたら」と美代子は何度後悔したことでしょう。その悔いの深さは、彼女以外の人間には到底知りえないものです。

支配人殿。

この鍵は、彼女の宝箱の鍵なんですよ。

彼女が_青春時代の美代子が、あいつからの手紙や写真をせっせと溜め込んでいた宝箱のね。

美代子と親友の間には、私の想像より遥かに強い想いがありました。

おそらく、今でもそうです。

死んだ人間は永遠になる。

有名なある話でもそうでしょう。主人公は非業の死を遂げた愛する男との約束を果たすため結婚して幸せな家庭を築くけれど、彼女がいざ死する時に望み喜ぶのは、彼女を長く愛した夫ではなく、かつて死んだ恋人の迎え。それでハッピーエンドです。生きとる人間に勝ち目はないんですなあ。

私はまた怖がっとるのですよ。

この鍵が、あの宝箱を開ける手段が再び彼女の手に渡ったら。親友と美代子の絆の強さを眼前に突きつけられるのではないか、卑怯で汚い私を親友が責めに出て来るんじゃないか、って。

支配人殿が仰る「迷い」とはきっとそれでしょう。

宝箱に鍵を付けるように勧めたのも、もしかしたら無意識に箱の中身を遠ざけようとしていたのかもしれませんな。



…しかし、悩むのはもうやめです。

これだけ生きてきて同じような後悔を何度も繰り返す訳にはいきませんからな。

せめて美代子と、天国の親友にはこれ以上ないほど誠実でありたいのです。
長い話を聞いていただきありがとうございました。

……行ってまいります。

「はいヨ。いってらっしゃイ」
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