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北原さんは肩で息をし、ぜえぜえ言いながらグラウンドに倒れ込んだ。あたしたちは北原さんを囲み、心配そうに顔を覗き込んだ。顔は真っ赤で、しばらくはしゃべる余裕もなさそうだ。
しばらく重苦しい沈黙が支配していたが、北原さんがゆっくりと口を開いた。
「なにが、恨まないでね、ですか」
北原さんは右腕で両目を隠すように覆った。
「負ける気がない人の台詞じゃないですか。最初から勝つと分かっていた人の台詞ですよ」
勝負はあたしが圧勝した。あたしは北原さんより一〇〇メートルのハンデがあったが、北原さんが半周以上を残しているころにあたしはゴールした。つまり合計で二〇〇メートル、周回差をつけての勝利だ。
「小さいときからセパタクロー一筋ってわけじゃないですけど、それなりにやってきてるのに一年ちょっとしかやってない阿河先輩と差はないし、運動能力にいたっては圧倒的じゃないですか。阿河先輩がすごすぎて嫌になりますよ」
北原さんの口調にあたしを批判するような響きはなかった。むしろ自分自身への不甲斐なさが強くにじんでいるようにあたしは感じた。そうであってほしい、というあたしの願いかもしれなかったが。
しばらくしてから北原さんはゆっくりと立ち上がり、
「今日は頭を冷やします」
と言ってこの場を立ち去ってしまった。あたしは北原さんがどんな顔をしていたのか見ることができなかった。宮成先輩も心配そうに無言で付き添い行ってしまい、この場にはあたしと明賀先輩と千屋さんが残った。
「明賀先輩はあたしが勝つって分かってたんですよね」
この勝負にまだ納得できていないあたしは明賀先輩を睨めつけた。当の明賀先輩は臆することなく飄々としている。
「ここ一年近く毎日あたしが体力をつけるためにトレーニングしているのを知ってますよね。北原さんには中学の部活引退からブランクがあるのを知ってますよね。あたしに有利な勝負だって分かってましたよね」
「そうね。ここまで圧勝するとは思ってなかったけど」
「じゃあどうして、こんなことを……」
結局この勝負自体に意味はあったのだろうか。あたしが北原さんに力の差を見せつけ、北原さんがいたずらに傷ついただけだったのではないか、そんなことばかり考えてしまう。
「阿河さんのためよ」
「あたし、ですか?」
「そう。いい? これが勝つ、ということなの。相手にどんな事情があろうと、相手がどれだけ勝利へ執着していようと私たちには関係のない話なの。たとえ相手がどれだけ必死だったとしてもそれを蹴散らしていかないと日本一にはなれない。そのことを理解してほしかった。阿河さんにはどうも、そこら辺の意識が薄いように感じていたの。去年の大会でも21対0で勝った一回戦の相手を気にしていたでしょ。勝負がなんたるかを知っていればそんなことにはならないはずよ」
物事に勝つこと、どんな相手であれあたしには関係のないこと、分かっているつもりだった。やっぱりどこかで恐れていたのかもしれない。
「北原さんが気になる?」
明賀先輩の言葉に一瞬たじろいだが、すぐに首を横に振った。
「いえ。この勝負はあたしと北原さんの問題でしたが、負けたのは北原さんで、これからどうするかあたしには関わりようがありません」
「それでいいわ。勝負の世界である以上、負けることのほうが圧倒的に多いはず。負けたとき傷つくのは自分自身で、そこからどうするかも自分自身の問題。私たちには見守ることしかできないの」
まだ言いたいことはいろいろあったはずだが、それを上手く言葉にできなかった。こういうとき自分の頭の悪さに嫌気が差す。なんとなく後味の悪い結末と一緒にあたしはそれを飲み込んだ。
自動販売機からペットボトルを取り出し、蓋を開けてすぐに閉めた。炭酸飲料は時たま吹き出すのがいただけない。今回は吹き出す雰囲気を感じすぐに閉めたから被害はゼロだ。
再度蓋を開けて口をつけると、あたしを呼び出した北原さんがようやくやって来た。
「すみません、少し遅くなりました」
今は昼休みが始まったばかりで、校内の自販機コーナーにはあたしたち以外にはだれもいない。
「大丈夫だけど。で、話って?」
昼休み前の授業中に北原さんからメールがあり呼び出された。ちゃんと授業を受けなよと思いつつ承諾のメールを返した。
「えっと、その……」
北原さんは話しにくいのか、うつむき両手をもじもじとさせている。
「なに? 愛の告白?」
あたしの茶々にも北原さんは反応せず、言ったあたしが恥ずかしくなってしまった。
ようやく話す覚悟を決めたのか、北原さんは顔を上げあたしを見た。
「今までいろいろと突っかかってしまって、すみませんでした……」
「そんなこと?」
あたしがいささか拍子抜けしていると、北原さんが不満そうに口を尖らせた。
「なんですか、それ。昨日明賀先輩に今までのことたしなめられて私なりに気にしてたんですよ」
死体にむち打つようなまねをよくもまあできるものだ、と少し呆れてしまった。
「明賀先輩が言うには、阿河先輩は過去に勝負事で嫌な目にあったんじゃないかって。言われてみると今まで私と勝負を避けてたのも納得できるといいますか。私は自分のことしか見えてなくて、それで……」
あたしは北原さんの話を遮るために持っていた冷えたペットボトルを北原さんの頬に当てた。
「冷たっ」
北原さんが短く悲鳴を上げ、目を丸くした。
「とりあえず落ち着いて。なにがいい?」
あたしがいくつかあるうちの自販機を指さすと、北原さんは遠慮がちにあたしが持っている飲み物と同じものを指定した。小銭を入れてそれを買い、北原さんに渡した。このお金は昨日お姉ちゃんと買い物に行ったときのおつりだ。お姉ちゃんのわがままではなく、あたしが落ち込んでいるのをなんとなく察したのだと思う。
「あたしと北原さんが勝負してあたしが勝った。この話はそれでお終い」
あたしが北原さんにかけるべき言葉は慰めや励ましじゃない。それはあたしたちには不要だ。
「勝負ならいつでも受けてあげる」
北原さんが安心した顔を見せたがすぐにまた表情を曇らせた。
「えっと、あと……」
「まだなにかあるの?」
「あの、これからもよろしくお願いします」
北原さんの言葉は尻すぼまりとなり最後のほうは上手く聞き取れなかったが、言いたいことは察した。
「なに? あたしがあれくらいで北原さんのこと嫌いになるとでも思ったの? あたしを見くびらないで」
あたしは手に持っているペットボトルの底を北原さんの頬にグイグイと押しつけると、北原さんはようやく安心したように笑った。
しばらく重苦しい沈黙が支配していたが、北原さんがゆっくりと口を開いた。
「なにが、恨まないでね、ですか」
北原さんは右腕で両目を隠すように覆った。
「負ける気がない人の台詞じゃないですか。最初から勝つと分かっていた人の台詞ですよ」
勝負はあたしが圧勝した。あたしは北原さんより一〇〇メートルのハンデがあったが、北原さんが半周以上を残しているころにあたしはゴールした。つまり合計で二〇〇メートル、周回差をつけての勝利だ。
「小さいときからセパタクロー一筋ってわけじゃないですけど、それなりにやってきてるのに一年ちょっとしかやってない阿河先輩と差はないし、運動能力にいたっては圧倒的じゃないですか。阿河先輩がすごすぎて嫌になりますよ」
北原さんの口調にあたしを批判するような響きはなかった。むしろ自分自身への不甲斐なさが強くにじんでいるようにあたしは感じた。そうであってほしい、というあたしの願いかもしれなかったが。
しばらくしてから北原さんはゆっくりと立ち上がり、
「今日は頭を冷やします」
と言ってこの場を立ち去ってしまった。あたしは北原さんがどんな顔をしていたのか見ることができなかった。宮成先輩も心配そうに無言で付き添い行ってしまい、この場にはあたしと明賀先輩と千屋さんが残った。
「明賀先輩はあたしが勝つって分かってたんですよね」
この勝負にまだ納得できていないあたしは明賀先輩を睨めつけた。当の明賀先輩は臆することなく飄々としている。
「ここ一年近く毎日あたしが体力をつけるためにトレーニングしているのを知ってますよね。北原さんには中学の部活引退からブランクがあるのを知ってますよね。あたしに有利な勝負だって分かってましたよね」
「そうね。ここまで圧勝するとは思ってなかったけど」
「じゃあどうして、こんなことを……」
結局この勝負自体に意味はあったのだろうか。あたしが北原さんに力の差を見せつけ、北原さんがいたずらに傷ついただけだったのではないか、そんなことばかり考えてしまう。
「阿河さんのためよ」
「あたし、ですか?」
「そう。いい? これが勝つ、ということなの。相手にどんな事情があろうと、相手がどれだけ勝利へ執着していようと私たちには関係のない話なの。たとえ相手がどれだけ必死だったとしてもそれを蹴散らしていかないと日本一にはなれない。そのことを理解してほしかった。阿河さんにはどうも、そこら辺の意識が薄いように感じていたの。去年の大会でも21対0で勝った一回戦の相手を気にしていたでしょ。勝負がなんたるかを知っていればそんなことにはならないはずよ」
物事に勝つこと、どんな相手であれあたしには関係のないこと、分かっているつもりだった。やっぱりどこかで恐れていたのかもしれない。
「北原さんが気になる?」
明賀先輩の言葉に一瞬たじろいだが、すぐに首を横に振った。
「いえ。この勝負はあたしと北原さんの問題でしたが、負けたのは北原さんで、これからどうするかあたしには関わりようがありません」
「それでいいわ。勝負の世界である以上、負けることのほうが圧倒的に多いはず。負けたとき傷つくのは自分自身で、そこからどうするかも自分自身の問題。私たちには見守ることしかできないの」
まだ言いたいことはいろいろあったはずだが、それを上手く言葉にできなかった。こういうとき自分の頭の悪さに嫌気が差す。なんとなく後味の悪い結末と一緒にあたしはそれを飲み込んだ。
自動販売機からペットボトルを取り出し、蓋を開けてすぐに閉めた。炭酸飲料は時たま吹き出すのがいただけない。今回は吹き出す雰囲気を感じすぐに閉めたから被害はゼロだ。
再度蓋を開けて口をつけると、あたしを呼び出した北原さんがようやくやって来た。
「すみません、少し遅くなりました」
今は昼休みが始まったばかりで、校内の自販機コーナーにはあたしたち以外にはだれもいない。
「大丈夫だけど。で、話って?」
昼休み前の授業中に北原さんからメールがあり呼び出された。ちゃんと授業を受けなよと思いつつ承諾のメールを返した。
「えっと、その……」
北原さんは話しにくいのか、うつむき両手をもじもじとさせている。
「なに? 愛の告白?」
あたしの茶々にも北原さんは反応せず、言ったあたしが恥ずかしくなってしまった。
ようやく話す覚悟を決めたのか、北原さんは顔を上げあたしを見た。
「今までいろいろと突っかかってしまって、すみませんでした……」
「そんなこと?」
あたしがいささか拍子抜けしていると、北原さんが不満そうに口を尖らせた。
「なんですか、それ。昨日明賀先輩に今までのことたしなめられて私なりに気にしてたんですよ」
死体にむち打つようなまねをよくもまあできるものだ、と少し呆れてしまった。
「明賀先輩が言うには、阿河先輩は過去に勝負事で嫌な目にあったんじゃないかって。言われてみると今まで私と勝負を避けてたのも納得できるといいますか。私は自分のことしか見えてなくて、それで……」
あたしは北原さんの話を遮るために持っていた冷えたペットボトルを北原さんの頬に当てた。
「冷たっ」
北原さんが短く悲鳴を上げ、目を丸くした。
「とりあえず落ち着いて。なにがいい?」
あたしがいくつかあるうちの自販機を指さすと、北原さんは遠慮がちにあたしが持っている飲み物と同じものを指定した。小銭を入れてそれを買い、北原さんに渡した。このお金は昨日お姉ちゃんと買い物に行ったときのおつりだ。お姉ちゃんのわがままではなく、あたしが落ち込んでいるのをなんとなく察したのだと思う。
「あたしと北原さんが勝負してあたしが勝った。この話はそれでお終い」
あたしが北原さんにかけるべき言葉は慰めや励ましじゃない。それはあたしたちには不要だ。
「勝負ならいつでも受けてあげる」
北原さんが安心した顔を見せたがすぐにまた表情を曇らせた。
「えっと、あと……」
「まだなにかあるの?」
「あの、これからもよろしくお願いします」
北原さんの言葉は尻すぼまりとなり最後のほうは上手く聞き取れなかったが、言いたいことは察した。
「なに? あたしがあれくらいで北原さんのこと嫌いになるとでも思ったの? あたしを見くびらないで」
あたしは手に持っているペットボトルの底を北原さんの頬にグイグイと押しつけると、北原さんはようやく安心したように笑った。
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