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北原さんが過去のことを打ち明けてからというもの、北原さんはより練習に打ち込むようになった。練習後の居残りも相変わらずで、あたしと千屋さんは毎回閉め出される。あたしも今できることを全力でやっているつもりだが、どうも空回りしている気がする。体力や技術が伸び悩んでいるのだ。ちょっと前までは上達が実感できていたのに。
ゴールデンウィークは千屋さんが主導のもと、普段以上に練習をし、最終日は同じ東京の山美高校と一日中試合をした。山美高校は去年三位で、千屋さんを欠いたあたしたちはぼろ負けしている。サーバーはあたしと北原さんが試合毎に交代した。北原さんのサーブは相手の利き足じゃない方向かつ二、三歩移動しないといけない絶妙な位置へ打たれる。スピードと威力を重視してきたあたしに対して正確さに重点を置いて練習しているらしい。試合は全勝で、あたしと北原さんに優劣はつかなかった、と思う。
六月に入ってもあたしたちは変わらず練習を続け、雨だろうとあたしはトレーニングを積んだ。
梅雨のじめじめした嫌な時期であるが、しばらく晴れた日が続いた。そんなある日、北原さんはあたしがずっと恐れていた一言を練習前に全員に向かって発した。
「明賀先輩、そろそろレギュラーを決めたほうがいいんじゃないですか」
宮成先輩は不安そうにあたしと北原さんを交互に見やり、千屋さんはちらりと関心をよせたかと思うとすぐにリフティングに戻った。明賀先輩は少しだけ考える素振りを見せた。
「アタッカーは千屋さん、トサーは私。残りのサーバーは阿河さんか北原さんか。それを決めてほしいってことね?」
「はい。試合まで二ヶ月くらいですよね。レギュラーを決めてそれを中心に練習を組み立てる必要があると思います。むしろ遅すぎるくらいですよ」
明賀先輩は再度考え込み、千屋さんに呼びかけた。千屋さんはリフティングをしたまま顔だけこちらに向けた。
「千屋さんはどう思う?」
「技術的には同じようなものだし、どちらでもいいんじゃないですか。交代で使うっていうのが現実的だと思いますが」
「私もそう思ってた。でも、今度の大会は私にとって高校最後なの。一切の妥協や情による選択はできない」
リフティングをしていた千屋さんが動きを止め、明賀先輩をじっと見つめた。千屋さんがなにか言おうとしているのか口を開けるが、なにも出てこないようだ。
「力が拮抗している場合、勝敗を分けるのは精神力。よく言われているわね。勝利への執念で言えば阿河さんより北原さんに軍配が上がると思うのだけど、どうかしら」
あたしだって負けたくないし、勝ちたい。でも勝ちへのこだわりは、強い過去を持っている北原さんのほうが上だと思う。明賀先輩が北原さんをどこまで知っているのか分からないが、的確に見抜いている。
「茜! ちょっと待ってよ。勝手に決めないでよ。今までずっと一緒にやってきたんだから」
宮成先輩がすかさず割って入ってきたが、明賀先輩は、
「理由はさっき聞いたでしょ」
と言って取り合わない。宮成先輩は不服そうに明賀先輩を睨んだ。
「北原さんはどう? なにか意見ある?」
「ないですよ。私がレギュラーになれるなら、なにも不満はありません」
「千屋さんはなにか意見なりある?」
「さっきも言いましたが、技術的には二人ともだいたい同じで、決めるのは難しいです。でも、勝利への執念という目に見えないもので決めるのは納得できないですね」
てっきり千屋さんはなにも考えず明賀先輩の提案に同意するものとばかり思っていたから、意外だった。あたしはじっと千屋さんを見つめた。
「具体的な根拠、もしくは定量的に決めたいですね。正直、明賀先輩の言う執念とやらは私にはよく分かりません」
人に対しておおよそ無関心な千屋さんらしい言葉かもしれない。そんな千屋さんの言葉に宮成先輩もしきりに同調している。
「唯ちゃんの言うとおりだと思う! 茜は一人で決めすぎ! みんなが納得できる理由じゃないと!」
宮成先輩が鼻息荒く言い切ると、北原さんがにやりとした。
「先輩方に不満があるのは分かりました。このまま強引に話を進めても禍根を残しそうですね。では、手っ取り早く私と阿河先輩で勝負するってのはどうでしょう。明賀先輩はどう思います?」
「いいんじゃない、分かりやすくて。で、勝負ってなにをするの?」
きっとここは北原さんに有利な勝負をふっかけてくるはずだ。あたしはそれに乗るべきなのか、それとも駆け引きをして多少はあたしに有利なように事を運ぶべきか。あたしの頭では考えがまとまらない……。
「えっとですね」
北原さんはそう言うと言葉を詰まらせ、あたしたちを見回した。ここですかさずあたしが有利な提案をしたいが、どうにも頭が冴えない。
「明賀先輩の言う執念というやつを推し量ることができればいいんじゃないですか。長距離走とか。個人種目じゃないからこんなものしか思いつきませんけど」
またも千屋さんが助け舟を出してくれた。千屋さんがあたしを助けようとしているわけではないのは分かっているが。
「私は阿河さんと北原さんが納得できればいいと思っているから、反対とかはしないわよ。二人はどう?」
「私はいいですよ」
北原さんは即答してから、あたしを見た。あたしはどうすればいい……。あたしは意見を一度も言っていない。勝手に話が進み、あたしはそれに流されているだけだ。あたしはこんなこと望んでいない。でも、ここで勝負を断ればあたしじゃなくて北原さんがレギュラーに選ばれる可能性がぐっと高くなるはずだ。もう逃れることはできなかった。
あたしは力なく同意した。
北原さんとの勝負とやらは練習後に行うことになった。夜のグラウンドなら他に使っている人はいないから自由にできるからだ。勝負を控えているからといってあたしも北原さんも余力を残すようには練習をしていない。そうやって臨んだ勝負の先にはなにもないことを知っている。
夜の九時を回り、あたしたちはグラウンドへ移動した。学校の回りに民家はひしめき合っていて、その明かりと常夜灯のお陰でグラウンドは煌々と輝いている。
「それで、ルールはどうしますか」
この勝負に一番乗り気な北原さんが楽しそうに明賀先輩を見た。
「ルールというよりかは走る距離ですかね。今から一〇キロとかさすがに走りたくないですよ」
明賀先輩が人差し指を立てながら、
「一キロでどう? ちょうどトラック五周の距離ね。長すぎず短すぎず、な距離かと思うけど」
と言うと、北原さんはすぐに不満そうな声を上げた。
「もうちょっとあってもいいですけど、まあそれくらいで。あ、ハンデとかもらえますか? 私はまだ一年生なので」
北原さんの要求に明賀先輩は小さく笑った。
「絶対に勝ちたいという姿勢は嫌いじゃないわよ。じゃあ阿河さんは一・一キロでどう? スタートから北原さんが阿河さんに張り付けば必然的に勝つことになるけど」
ここで初めて明賀先輩があたしを見た。あたしに同意を求めているのだろう。北原さんは気をよくしたのか満足気だ。
「あの、あたしはまだなにも……」
あたしの戸惑いに北原さんが大袈裟に不満の声を上げた。
「阿河先輩まだ迷っているんですか。なにをためらっているのか分かりませんけど、まあいいです。このまま勝負すれば私が勝ちそうですし」
「そうね。阿河さんはなにを気にしているの。この勝負で北原さんが傷つくとでも思っているの?」
明賀先輩の言葉と強い視線に射すくめられ、あたしは動けなくなった。この人はどこまであたしのことを見抜いているのだろうか。あたしがずっと気にかけていたことを平然と踏み抜いてきた。
「阿河先輩はそんなことを気にしてるんですか」
北原さんまでも目つきが鋭くなり、あたしを睨んできた。今まで見せたことのない真剣な目つきにあたしは縮こまるしかなかった。
「私が負けて傷ついたり、落ち込んだりすると思っているんですか? 私の過去を知っているからなおさら気にするんですか? 余計なお世話です! 私を見くびらないでください!」
最後のほうは絶叫に近く、グラウンド中に響いた。
そんなつもりはない、と言いたかったが言葉にできなかった。それは事実だったからだ。もしあたしが勝ったら北原さんはどうなるだろう、とずっと考えていた。正直に言うと、北原さんの想いはあたしより大きいかもしれない。そんな北原さんが負けたあとのことはあたしには想像がつかない。それだけじゃない。仲間内で争うことになると、どうしても中学のときの陸上部を思い出してしまう。あのときと同じことがまた起きるのではないかと恐れている。でも、きっとそれが北原さんを見くびっていることになるのだ。北原さんのことを勝手に決めつけ、ちゃんと向き合ってこなかったのはあたしだ。
「分かった、やろう」
あたしは深呼吸し、同じ高さにある北原さんの目を見据えた。
「恨まないでね」
ゴールデンウィークは千屋さんが主導のもと、普段以上に練習をし、最終日は同じ東京の山美高校と一日中試合をした。山美高校は去年三位で、千屋さんを欠いたあたしたちはぼろ負けしている。サーバーはあたしと北原さんが試合毎に交代した。北原さんのサーブは相手の利き足じゃない方向かつ二、三歩移動しないといけない絶妙な位置へ打たれる。スピードと威力を重視してきたあたしに対して正確さに重点を置いて練習しているらしい。試合は全勝で、あたしと北原さんに優劣はつかなかった、と思う。
六月に入ってもあたしたちは変わらず練習を続け、雨だろうとあたしはトレーニングを積んだ。
梅雨のじめじめした嫌な時期であるが、しばらく晴れた日が続いた。そんなある日、北原さんはあたしがずっと恐れていた一言を練習前に全員に向かって発した。
「明賀先輩、そろそろレギュラーを決めたほうがいいんじゃないですか」
宮成先輩は不安そうにあたしと北原さんを交互に見やり、千屋さんはちらりと関心をよせたかと思うとすぐにリフティングに戻った。明賀先輩は少しだけ考える素振りを見せた。
「アタッカーは千屋さん、トサーは私。残りのサーバーは阿河さんか北原さんか。それを決めてほしいってことね?」
「はい。試合まで二ヶ月くらいですよね。レギュラーを決めてそれを中心に練習を組み立てる必要があると思います。むしろ遅すぎるくらいですよ」
明賀先輩は再度考え込み、千屋さんに呼びかけた。千屋さんはリフティングをしたまま顔だけこちらに向けた。
「千屋さんはどう思う?」
「技術的には同じようなものだし、どちらでもいいんじゃないですか。交代で使うっていうのが現実的だと思いますが」
「私もそう思ってた。でも、今度の大会は私にとって高校最後なの。一切の妥協や情による選択はできない」
リフティングをしていた千屋さんが動きを止め、明賀先輩をじっと見つめた。千屋さんがなにか言おうとしているのか口を開けるが、なにも出てこないようだ。
「力が拮抗している場合、勝敗を分けるのは精神力。よく言われているわね。勝利への執念で言えば阿河さんより北原さんに軍配が上がると思うのだけど、どうかしら」
あたしだって負けたくないし、勝ちたい。でも勝ちへのこだわりは、強い過去を持っている北原さんのほうが上だと思う。明賀先輩が北原さんをどこまで知っているのか分からないが、的確に見抜いている。
「茜! ちょっと待ってよ。勝手に決めないでよ。今までずっと一緒にやってきたんだから」
宮成先輩がすかさず割って入ってきたが、明賀先輩は、
「理由はさっき聞いたでしょ」
と言って取り合わない。宮成先輩は不服そうに明賀先輩を睨んだ。
「北原さんはどう? なにか意見ある?」
「ないですよ。私がレギュラーになれるなら、なにも不満はありません」
「千屋さんはなにか意見なりある?」
「さっきも言いましたが、技術的には二人ともだいたい同じで、決めるのは難しいです。でも、勝利への執念という目に見えないもので決めるのは納得できないですね」
てっきり千屋さんはなにも考えず明賀先輩の提案に同意するものとばかり思っていたから、意外だった。あたしはじっと千屋さんを見つめた。
「具体的な根拠、もしくは定量的に決めたいですね。正直、明賀先輩の言う執念とやらは私にはよく分かりません」
人に対しておおよそ無関心な千屋さんらしい言葉かもしれない。そんな千屋さんの言葉に宮成先輩もしきりに同調している。
「唯ちゃんの言うとおりだと思う! 茜は一人で決めすぎ! みんなが納得できる理由じゃないと!」
宮成先輩が鼻息荒く言い切ると、北原さんがにやりとした。
「先輩方に不満があるのは分かりました。このまま強引に話を進めても禍根を残しそうですね。では、手っ取り早く私と阿河先輩で勝負するってのはどうでしょう。明賀先輩はどう思います?」
「いいんじゃない、分かりやすくて。で、勝負ってなにをするの?」
きっとここは北原さんに有利な勝負をふっかけてくるはずだ。あたしはそれに乗るべきなのか、それとも駆け引きをして多少はあたしに有利なように事を運ぶべきか。あたしの頭では考えがまとまらない……。
「えっとですね」
北原さんはそう言うと言葉を詰まらせ、あたしたちを見回した。ここですかさずあたしが有利な提案をしたいが、どうにも頭が冴えない。
「明賀先輩の言う執念というやつを推し量ることができればいいんじゃないですか。長距離走とか。個人種目じゃないからこんなものしか思いつきませんけど」
またも千屋さんが助け舟を出してくれた。千屋さんがあたしを助けようとしているわけではないのは分かっているが。
「私は阿河さんと北原さんが納得できればいいと思っているから、反対とかはしないわよ。二人はどう?」
「私はいいですよ」
北原さんは即答してから、あたしを見た。あたしはどうすればいい……。あたしは意見を一度も言っていない。勝手に話が進み、あたしはそれに流されているだけだ。あたしはこんなこと望んでいない。でも、ここで勝負を断ればあたしじゃなくて北原さんがレギュラーに選ばれる可能性がぐっと高くなるはずだ。もう逃れることはできなかった。
あたしは力なく同意した。
北原さんとの勝負とやらは練習後に行うことになった。夜のグラウンドなら他に使っている人はいないから自由にできるからだ。勝負を控えているからといってあたしも北原さんも余力を残すようには練習をしていない。そうやって臨んだ勝負の先にはなにもないことを知っている。
夜の九時を回り、あたしたちはグラウンドへ移動した。学校の回りに民家はひしめき合っていて、その明かりと常夜灯のお陰でグラウンドは煌々と輝いている。
「それで、ルールはどうしますか」
この勝負に一番乗り気な北原さんが楽しそうに明賀先輩を見た。
「ルールというよりかは走る距離ですかね。今から一〇キロとかさすがに走りたくないですよ」
明賀先輩が人差し指を立てながら、
「一キロでどう? ちょうどトラック五周の距離ね。長すぎず短すぎず、な距離かと思うけど」
と言うと、北原さんはすぐに不満そうな声を上げた。
「もうちょっとあってもいいですけど、まあそれくらいで。あ、ハンデとかもらえますか? 私はまだ一年生なので」
北原さんの要求に明賀先輩は小さく笑った。
「絶対に勝ちたいという姿勢は嫌いじゃないわよ。じゃあ阿河さんは一・一キロでどう? スタートから北原さんが阿河さんに張り付けば必然的に勝つことになるけど」
ここで初めて明賀先輩があたしを見た。あたしに同意を求めているのだろう。北原さんは気をよくしたのか満足気だ。
「あの、あたしはまだなにも……」
あたしの戸惑いに北原さんが大袈裟に不満の声を上げた。
「阿河先輩まだ迷っているんですか。なにをためらっているのか分かりませんけど、まあいいです。このまま勝負すれば私が勝ちそうですし」
「そうね。阿河さんはなにを気にしているの。この勝負で北原さんが傷つくとでも思っているの?」
明賀先輩の言葉と強い視線に射すくめられ、あたしは動けなくなった。この人はどこまであたしのことを見抜いているのだろうか。あたしがずっと気にかけていたことを平然と踏み抜いてきた。
「阿河先輩はそんなことを気にしてるんですか」
北原さんまでも目つきが鋭くなり、あたしを睨んできた。今まで見せたことのない真剣な目つきにあたしは縮こまるしかなかった。
「私が負けて傷ついたり、落ち込んだりすると思っているんですか? 私の過去を知っているからなおさら気にするんですか? 余計なお世話です! 私を見くびらないでください!」
最後のほうは絶叫に近く、グラウンド中に響いた。
そんなつもりはない、と言いたかったが言葉にできなかった。それは事実だったからだ。もしあたしが勝ったら北原さんはどうなるだろう、とずっと考えていた。正直に言うと、北原さんの想いはあたしより大きいかもしれない。そんな北原さんが負けたあとのことはあたしには想像がつかない。それだけじゃない。仲間内で争うことになると、どうしても中学のときの陸上部を思い出してしまう。あのときと同じことがまた起きるのではないかと恐れている。でも、きっとそれが北原さんを見くびっていることになるのだ。北原さんのことを勝手に決めつけ、ちゃんと向き合ってこなかったのはあたしだ。
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