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あたしは小さい頃、お姉ちゃん子だった。今はそうでもないと思うが、友達の兄弟姉妹の話を聞くと、仲はいいほうだし、今でもお姉ちゃん子だと言われることが多い。
あたしに物心がつく頃にはお姉ちゃんは中学生で、すでにラクロスを何年もやっていた。東京といえども、子供がラクロスを満足にできる環境はなく、お姉ちゃんは大人たちに混じってプレーをしていた。お姉ちゃんがラクロスの練習をしにいくとき、あたしは当然のようにお姉ちゃんに着いていった。練習中はお姉ちゃんと遊べなくて不満だった。それでもお姉ちゃんが大人たちに褒められ、お姉ちゃんが楽しそうにしている様子を見るだけで不満は毎回吹き飛んだ。
練習の休憩時間になるとお姉ちゃんは、「彩夏はつまらないだろうし、遊んであげる」と言って必ずあたしと遊んでくれた。今思うとすごいことだ。疲れた体で、体力の有り余っている幼児なんかあたしだったら絶対に相手したくない。
あたしがスポーツに、いやラクロスに興味を持ったのは当然のことだった。あたしもラクロスをやればお姉ちゃんともっと遊べると思ったのだ。お姉ちゃんが練習しているコートの隅で空いている大人を掴まえ、見よう見まねでラクロスをはじめた。そのときはあたしにとってスポーツとはお姉ちゃんと遊ぶためのものにすぎなかった。お姉ちゃんのように走り回り、お姉ちゃんのプレーを真似するうちに、あたしの運動神経は自然と発達し、気がつけば同年代で群を抜くようになっていた。
あたしが八歳のとき、お姉ちゃんは大学進学で家を出た。大学ラクロスの強豪である九州の大学へ進学するためだった。後で聞いた話によると、高校生にして大学や実業団が注目するほどだったらしい。当時のあたしはお姉ちゃんがどれくらいの選手か全然知らなかった。だから大学進学のために家を出ることが理解できなかったし、不満だった。本当は寂しくて、「行かないで」と泣きつきたかったが、必死に我慢したのを覚えている。
お姉ちゃんがいなくなり、友達と遊ぶことを覚えはじめたあたしは一気にラクロスから遠ざかった。ラクロスが好きだったのではなくお姉ちゃんが好きだったのだと、このとき初めて自分の気持ちを理解した。ただ、体を動かさないと落ち着かない体になってしまったため、よく運動はした。
中学生になって友達と一緒に陸上部に入った。種目は短距離を選んだ。一番速い人が強い、というシンプルさに惹かれたのだ。
あたしは速かった。どの一年生より、なんなら二、三年生より。友達全員があたしの速さに目を見張り、口々に、「この部で一番だよ」、「未来のエース」、「日本一目指そうよ」なんて言っていた。あたしもすっかりその気になってしまった。
お姉ちゃんは大学卒業後、就職のために実家に戻ってきた。お姉ちゃんは大学在学中にラクロス日本代表に抜擢され、世界選手権優勝に大きく貢献した。その実績を買われ、とある企業で働きながらラクロスを続けることになったのだ。
ある日、お姉ちゃんに連れられ、陸上短距離用のスパイクを買いに行った。このときも、「お姉ちゃんがいいもの買ってあげる」なんて言ってあたしを連れ出した。お姉ちゃんは専門外だからか、店員さんにいろいろ聞きながら、一番高いスパイクを買ってくれた。たしか五万円近くしたはずだ。お姉ちゃんが買ってくれるならなんでも嬉しかったが、当時のあたしにとって五万円はあまりに高価だった。何度も断ったがお姉ちゃんは、「道具は一番いいものを、が鉄則だよ」と言って譲らなかった。あたしは折れ、大人しく従うことにした。後でお母さんに聞いたが、このスパイクを買ったことでお姉ちゃんは実家暮らしとはいえちょっと生活が大変だったらしい。あたしのためにむりせず自分のために使いなよ、とひねくれたことを考えもしたが、胸があたたかくなり、大事にしようと決めた。
あのスパイクはあたしの一番大事なものだった。
腕の振り方や、フォームを意識して取り入れると、元来の運動神経と相まって、あたしのタイムはどんどん縮んでいった。練習し、速くなれば速くなるほど楽しくなり、好循環を生み、あたしはさらにのめり込んでいった。
中学二年生になり、一個上の三年生は負けたら最後の大会であたしはぶっちぎりで一位をとり、都大会へ駒を進めた。正確に覚えていないが、中学女子の日本記録に近かったはずだ。ただ、都大会へ進めるのは上位八人までで、三年生の先輩が九位だった。あたしが一位になったことでその先輩は引退が決まった。その先輩は泣き、他の先輩からどうして譲らなかったのかと問い詰められた。同級生の友達は遠巻きに見ているだけで助けてはくれなかった。
そのときは顧問の先生や応援に来ていた卒業生がその場を収めてくれたが、次の日からあたしへの嫌がらせが始まった。部内ですでに一番体が大きかったからか、身体的なものではなかった。三年生から無視され、三年生の命令か、他の人たちもあたしと目を合わせてくれることがなかった。一緒に陸上部に入った友達ですらまともに会話することもなくなった。
あたしは気にすることなく練習をし、より速くなろうとした。シンプルな世界に身を置きたかったのだ。この世界は一人で完結する。だれよりも速ければ、周りのくだらない嫉妬も雑音も打ち消すことができる。
一週間ほどその状態が続き、ある日、あたしのスパイクの紐が切れていた。自然に切れたわけではないのは、切り口を見れば一目瞭然だった。それは徐々にエスカレートし、ついにスパイクの甲に大きく切り傷がつけられていた。
それを見てあたしの心は折れた。一番速い人が強い、そんなシンプルさに魅せられたのに、いつのまにかシンプルではなく複雑な世界になってしまっていた。引退がかかっている先輩に勝ちを譲らなければならない、そうしないと迫害される。あたしの知らない間にそんなルールができてしまっていた。
部員のあたしへの態度、スパイクを傷つけられたことに対して最初は先輩や同級生を問い詰めたりもした。そんなことが無意味であることを悟るとあたしはすっぱりと陸上をやめた。
スパイクは専用の袋に入れ、部屋の押し入れの奥に隠した。今もそこに眠っている。
陸上をやめると放課後と土日を持て余すようになった。そこでお姉ちゃんの試合がある日は一人でこっそり見に行くようになった。お姉ちゃんに見つからないように数少ないギャラリーの後ろから見ることがほとんどだった。試合中のお姉ちゃんは真剣だし、負けているときの顔は険しいのに、いつもどこか楽しそうだった。それが少しだけ、いや、すごく羨ましかった。
四回目くらいのお姉ちゃんの試合を見た日、お姉ちゃんが帰ってくるなり、「彩夏、今日試合見にきてた?」と聞いてきた。あたしが素直に頷くと、「部活は休みだったの?」と触れてほしくないところを触れてきた。陸上をしているときもやめたあとでも家族全員の帰りがあたしより遅かったため、全員あたしが陸上をやめたことを知らなかった。あたしは、「やめた」と小さく言うとお姉ちゃんは、「そっか」と言ってあたしの頭を優しく撫でただけで、それ以上なにも言わなかった。それがまたあたしの胸を締めつけた。
高校ではなにもする気がなかったのに、千屋さんが気に食わず、売り言葉に買い言葉で高校に進学して早々に、勢いのままセパタクロー部に入ってしまった。
あたしはこれからどうなってしまうのだろうか。
今度は愛し続けることができるだろうか。
あたしに物心がつく頃にはお姉ちゃんは中学生で、すでにラクロスを何年もやっていた。東京といえども、子供がラクロスを満足にできる環境はなく、お姉ちゃんは大人たちに混じってプレーをしていた。お姉ちゃんがラクロスの練習をしにいくとき、あたしは当然のようにお姉ちゃんに着いていった。練習中はお姉ちゃんと遊べなくて不満だった。それでもお姉ちゃんが大人たちに褒められ、お姉ちゃんが楽しそうにしている様子を見るだけで不満は毎回吹き飛んだ。
練習の休憩時間になるとお姉ちゃんは、「彩夏はつまらないだろうし、遊んであげる」と言って必ずあたしと遊んでくれた。今思うとすごいことだ。疲れた体で、体力の有り余っている幼児なんかあたしだったら絶対に相手したくない。
あたしがスポーツに、いやラクロスに興味を持ったのは当然のことだった。あたしもラクロスをやればお姉ちゃんともっと遊べると思ったのだ。お姉ちゃんが練習しているコートの隅で空いている大人を掴まえ、見よう見まねでラクロスをはじめた。そのときはあたしにとってスポーツとはお姉ちゃんと遊ぶためのものにすぎなかった。お姉ちゃんのように走り回り、お姉ちゃんのプレーを真似するうちに、あたしの運動神経は自然と発達し、気がつけば同年代で群を抜くようになっていた。
あたしが八歳のとき、お姉ちゃんは大学進学で家を出た。大学ラクロスの強豪である九州の大学へ進学するためだった。後で聞いた話によると、高校生にして大学や実業団が注目するほどだったらしい。当時のあたしはお姉ちゃんがどれくらいの選手か全然知らなかった。だから大学進学のために家を出ることが理解できなかったし、不満だった。本当は寂しくて、「行かないで」と泣きつきたかったが、必死に我慢したのを覚えている。
お姉ちゃんがいなくなり、友達と遊ぶことを覚えはじめたあたしは一気にラクロスから遠ざかった。ラクロスが好きだったのではなくお姉ちゃんが好きだったのだと、このとき初めて自分の気持ちを理解した。ただ、体を動かさないと落ち着かない体になってしまったため、よく運動はした。
中学生になって友達と一緒に陸上部に入った。種目は短距離を選んだ。一番速い人が強い、というシンプルさに惹かれたのだ。
あたしは速かった。どの一年生より、なんなら二、三年生より。友達全員があたしの速さに目を見張り、口々に、「この部で一番だよ」、「未来のエース」、「日本一目指そうよ」なんて言っていた。あたしもすっかりその気になってしまった。
お姉ちゃんは大学卒業後、就職のために実家に戻ってきた。お姉ちゃんは大学在学中にラクロス日本代表に抜擢され、世界選手権優勝に大きく貢献した。その実績を買われ、とある企業で働きながらラクロスを続けることになったのだ。
ある日、お姉ちゃんに連れられ、陸上短距離用のスパイクを買いに行った。このときも、「お姉ちゃんがいいもの買ってあげる」なんて言ってあたしを連れ出した。お姉ちゃんは専門外だからか、店員さんにいろいろ聞きながら、一番高いスパイクを買ってくれた。たしか五万円近くしたはずだ。お姉ちゃんが買ってくれるならなんでも嬉しかったが、当時のあたしにとって五万円はあまりに高価だった。何度も断ったがお姉ちゃんは、「道具は一番いいものを、が鉄則だよ」と言って譲らなかった。あたしは折れ、大人しく従うことにした。後でお母さんに聞いたが、このスパイクを買ったことでお姉ちゃんは実家暮らしとはいえちょっと生活が大変だったらしい。あたしのためにむりせず自分のために使いなよ、とひねくれたことを考えもしたが、胸があたたかくなり、大事にしようと決めた。
あのスパイクはあたしの一番大事なものだった。
腕の振り方や、フォームを意識して取り入れると、元来の運動神経と相まって、あたしのタイムはどんどん縮んでいった。練習し、速くなれば速くなるほど楽しくなり、好循環を生み、あたしはさらにのめり込んでいった。
中学二年生になり、一個上の三年生は負けたら最後の大会であたしはぶっちぎりで一位をとり、都大会へ駒を進めた。正確に覚えていないが、中学女子の日本記録に近かったはずだ。ただ、都大会へ進めるのは上位八人までで、三年生の先輩が九位だった。あたしが一位になったことでその先輩は引退が決まった。その先輩は泣き、他の先輩からどうして譲らなかったのかと問い詰められた。同級生の友達は遠巻きに見ているだけで助けてはくれなかった。
そのときは顧問の先生や応援に来ていた卒業生がその場を収めてくれたが、次の日からあたしへの嫌がらせが始まった。部内ですでに一番体が大きかったからか、身体的なものではなかった。三年生から無視され、三年生の命令か、他の人たちもあたしと目を合わせてくれることがなかった。一緒に陸上部に入った友達ですらまともに会話することもなくなった。
あたしは気にすることなく練習をし、より速くなろうとした。シンプルな世界に身を置きたかったのだ。この世界は一人で完結する。だれよりも速ければ、周りのくだらない嫉妬も雑音も打ち消すことができる。
一週間ほどその状態が続き、ある日、あたしのスパイクの紐が切れていた。自然に切れたわけではないのは、切り口を見れば一目瞭然だった。それは徐々にエスカレートし、ついにスパイクの甲に大きく切り傷がつけられていた。
それを見てあたしの心は折れた。一番速い人が強い、そんなシンプルさに魅せられたのに、いつのまにかシンプルではなく複雑な世界になってしまっていた。引退がかかっている先輩に勝ちを譲らなければならない、そうしないと迫害される。あたしの知らない間にそんなルールができてしまっていた。
部員のあたしへの態度、スパイクを傷つけられたことに対して最初は先輩や同級生を問い詰めたりもした。そんなことが無意味であることを悟るとあたしはすっぱりと陸上をやめた。
スパイクは専用の袋に入れ、部屋の押し入れの奥に隠した。今もそこに眠っている。
陸上をやめると放課後と土日を持て余すようになった。そこでお姉ちゃんの試合がある日は一人でこっそり見に行くようになった。お姉ちゃんに見つからないように数少ないギャラリーの後ろから見ることがほとんどだった。試合中のお姉ちゃんは真剣だし、負けているときの顔は険しいのに、いつもどこか楽しそうだった。それが少しだけ、いや、すごく羨ましかった。
四回目くらいのお姉ちゃんの試合を見た日、お姉ちゃんが帰ってくるなり、「彩夏、今日試合見にきてた?」と聞いてきた。あたしが素直に頷くと、「部活は休みだったの?」と触れてほしくないところを触れてきた。陸上をしているときもやめたあとでも家族全員の帰りがあたしより遅かったため、全員あたしが陸上をやめたことを知らなかった。あたしは、「やめた」と小さく言うとお姉ちゃんは、「そっか」と言ってあたしの頭を優しく撫でただけで、それ以上なにも言わなかった。それがまたあたしの胸を締めつけた。
高校ではなにもする気がなかったのに、千屋さんが気に食わず、売り言葉に買い言葉で高校に進学して早々に、勢いのままセパタクロー部に入ってしまった。
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