1 / 49
0
しおりを挟む
空気は塩辛い。全力で走り抜けたあとはいつもそう感じる。
レース出場者全員が位置に着き、会場の空気はピン、と張り詰める。
スターティングブロックに足をかけ、地面にそっと指を下ろすと、地面が太陽から蓄えた熱がゆっくりと伝わってくる。あたしの心拍数と呼吸は正常。神経が鋭敏になり、両隣の走者の呼吸音と心臓の音さえ聞こえてくるような気がする。
あたしの肌を直接焦がす日差し、観客やほかの選手からの視線、出走前の緊張感が、あたしの中で熱と力をたぎらせていく。
アナウンスの「ready」の音声で一気に空気が動かなくなった。あたしはこの一瞬がたまらなく好きだ。たった一〇〇メートルをだれよりも速く走り抜けるために何百日と練習をし、それをぶつける。真剣に。それだけを。
号砲とともにあたしは一気に先頭に躍り出た。地面を蹴る足に、地面から確かな反作用を感じ、それを推進力にしていく。目線はゴールだけを見据える。夏の空気は湿度が高いとはいえ、風を一身に受ける目は乾燥する。体内の酸素も薄くなり、視界は徐々に狭まっていく。レース前半は意識して振っていた両腕も感覚がなくなっていて、今どういうふうに動いているのかすら分からない。乳酸がたまり全身の筋肉が硬直し自由自在に操れなくなっていく。それでもやめようとは思わない。もっと痛くていい、もっと苦しくていい。一緒に走っている人たちより、いや日本中のだれよりもあたしのほうが速ければ、それで構わない。
ほんの少しだけ死を意識した瞬間ゴールし、ふらふらとコースから外れそのまま大の字に倒れ込んだ。必死に酸素をかき集め、死にかけていた脳と体を生き返らせていく。あたしの心臓が激しく脈打ち、血液が循環しているのが分かる。その勢いだけであたしの体は上下左右に小刻みに動いてしまう。
目を潤すためか勝手に涙が溢れ、汗と混じる。
生きている気がする。この塩辛い空気を吸うたびにいつもそう思う。
起き上がる頃にはきっとあたしの汗がくっきりと地面に人型をつくり、寝転がって動けないでいるあたしをみっともないと笑う人もいるだろう。でも、どうでもいい。だれよりも速く、空っぽになるまで出し尽くした今はどうでもいい。汗も涙も痛みも歓声も勝利も全部あたしのものだ。
あたしはそれを愛していた、間違いなく。
レース出場者全員が位置に着き、会場の空気はピン、と張り詰める。
スターティングブロックに足をかけ、地面にそっと指を下ろすと、地面が太陽から蓄えた熱がゆっくりと伝わってくる。あたしの心拍数と呼吸は正常。神経が鋭敏になり、両隣の走者の呼吸音と心臓の音さえ聞こえてくるような気がする。
あたしの肌を直接焦がす日差し、観客やほかの選手からの視線、出走前の緊張感が、あたしの中で熱と力をたぎらせていく。
アナウンスの「ready」の音声で一気に空気が動かなくなった。あたしはこの一瞬がたまらなく好きだ。たった一〇〇メートルをだれよりも速く走り抜けるために何百日と練習をし、それをぶつける。真剣に。それだけを。
号砲とともにあたしは一気に先頭に躍り出た。地面を蹴る足に、地面から確かな反作用を感じ、それを推進力にしていく。目線はゴールだけを見据える。夏の空気は湿度が高いとはいえ、風を一身に受ける目は乾燥する。体内の酸素も薄くなり、視界は徐々に狭まっていく。レース前半は意識して振っていた両腕も感覚がなくなっていて、今どういうふうに動いているのかすら分からない。乳酸がたまり全身の筋肉が硬直し自由自在に操れなくなっていく。それでもやめようとは思わない。もっと痛くていい、もっと苦しくていい。一緒に走っている人たちより、いや日本中のだれよりもあたしのほうが速ければ、それで構わない。
ほんの少しだけ死を意識した瞬間ゴールし、ふらふらとコースから外れそのまま大の字に倒れ込んだ。必死に酸素をかき集め、死にかけていた脳と体を生き返らせていく。あたしの心臓が激しく脈打ち、血液が循環しているのが分かる。その勢いだけであたしの体は上下左右に小刻みに動いてしまう。
目を潤すためか勝手に涙が溢れ、汗と混じる。
生きている気がする。この塩辛い空気を吸うたびにいつもそう思う。
起き上がる頃にはきっとあたしの汗がくっきりと地面に人型をつくり、寝転がって動けないでいるあたしをみっともないと笑う人もいるだろう。でも、どうでもいい。だれよりも速く、空っぽになるまで出し尽くした今はどうでもいい。汗も涙も痛みも歓声も勝利も全部あたしのものだ。
あたしはそれを愛していた、間違いなく。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
感情とおっぱいは大きい方が好みです ~爆乳のあの娘に特大の愛を~
楠富 つかさ
青春
落語研究会に所属する私、武藤和珠音は寮のルームメイトに片想い中。ルームメイトはおっぱいが大きい。優しくてボディタッチにも寛容……だからこそ分からなくなる。付き合っていない私たちは、どこまで触れ合っていんだろう、と。私は思っているよ、一線超えたいって。まだ君は気づいていないみたいだけど。
世界観共有日常系百合小説、星花女子プロジェクト11弾スタート!
※表紙はAIイラストです。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる