異世界に召喚されたが勇者ではなかったために放り出された夫婦は拾った赤ちゃんを守り育てる。そして3人の孤児を弟子にする。

お小遣い月3万

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3章 子どもの終わり

第53話 英雄ネネ

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 薄れゆく意識の中で思い出すのは娘の事だった。
 赤ちゃんのミルク臭い匂いを思い出す。
 ネネちゃんが初めて立った時の事を思い出す。ネネちゃんが初めてパパと呼んだ時の事を思い出す。歯が数本しか生えてなくて、楽しそうに笑っていたのを思い出す。
 ネネちゃんにオッパイをあげている美子さんの事を思い出す。美子さんは「幸せ」と笑っていたのだ。
 俺達には子どもができなかった。仕方がないことだと思っていたし、夫婦だけでも楽しくやっていけると思っていた。
 だけど妻がネネちゃんを授乳しているのを見た時、嬉しくて泣き出してしまいそうだった。心の底からよかった、と思ったのだ。
 訳のわからない異世界に来たのは、全てこのためなんだと思えた。


 ネネちゃんがヨチヨチ歩きでパパの後を追いかけて来た事を思い出す。すぐに躓いてネネちゃんは転んでワーンと泣いて、それでもパパの後を追いかけて来たのだ。

「だっこちて」と彼女の舌ったらずの声を思い出す。ギュッと抱きしめるとネネちゃんもギュッと抱きしめてくれるのだ。子どもを抱きしめると凸凹のように、ピッタリと重なった。
 ネネちゃんのほっぺにチューをした事を思い出す。頭にも、お腹にも、足の裏にもチューをした事を思い出す。
「チューして」とパパが言うとネネちゃんは口を尖らしてチューしてくるのだ。

 パパのことを追いかけて来たのに、いつの間にかネネちゃんがパパを追い越して先頭を歩いていたことを思い出す。
 ネネちゃんは、後ろにパパがちゃんといるか何度も振り返りながら確認していた。

 全てが愛おしい。
 今すぐに会いたい。
 抱っこしたい。
 俺はネネちゃんと出会えて幸せだったのだ。

 俺が死んだらネネちゃんと美子さんはどうなってしまうんだろうか?

 サリバン軍は国を襲うだろう。
 2人は生き残れるのだろうか?

 俺は死ねないのに、魔人化したクロスに殴られて意識が遠くなっていく。
 体が動かないのに、もう戦うこともできないのに、死にたくなかった。
 
 その時、上空に女性が現れた。
 見知らぬ女性。
 背中に羽が生えていて、手には光輝く剣が握られていた。
 体のサイズに合わない小さな服を着て、お腹と太ももが出でいる。
 髪はクルクルで、アイドルのように可愛い顔をしている。
 幼さが残っている女性だった。
 俺には天使のように見えた。

 誰だろう?

 女性がクロスを蹴った。
 
 すごい勢いでクロスが飛んで行った。

「パパ大丈夫?」
 と女性が言う。

 パパ?
 何かの聞き違いかもしれない。

 アイテムボックスから美子さんの団子を取り出そうとした。
 だけど体が動かない。

 女性が腰に付けていた巾着袋から団子を取り出した。
 そして団子を俺の口に入れた。

「ママの団子だよ」
 
 ママ?

 俺は女性を見た。

 クルクルの髪の毛。
 目鼻立ち。

「ネネちゃん?」

「そうだよ」
 と女性が言った。

「どうして?」

「助けに来たんだよ」

 どうして? と俺が尋ねたのは、どうしてココに来たんだ? と尋ねたわけではなく、どうして大人になっているんだ? と尋ねたのだ。

「あの人はクロスっていう人?」
 とネネちゃんが尋ねた。

 ああ、と俺が頷く。

 天使の羽を広げてネネちゃんが魔人化したクロスに近づいて行った。

「ありがとう」とネネちゃんが言った。
「アナタのおかけでパパ達を助けに来れた」

 クロスはネネちゃんに成長薬を飲ませようとしていた。成長薬は劇薬だった。それを飲めば修行や鍛錬を重ねた未来の姿になる事ができる。だけど、死ぬ。

 もしかしてネネちゃんは成長薬を飲んだのか?
 
「でもパパ達をイジメたのは許さない」
 ネネちゃんは、もう1発クロスを蹴った。

 クロスが飛んで木にぶつかり、その木が折れる。それでも飛んで行くスピードは減少しない。
 クロスが地面に転がった時、すでに魔人化は解除されて人間の姿に戻っていた。そしてクロスはビクリとも動かなくなってしまった。

 俺はネネちゃんのステータス画面を確認した。

『中本ネネ 年齢不明』
『職業 英雄』
『レベル999』
『ステータスは閲覧できません』
『スキルは閲覧できません』

 修行をして冒険をして、色んな強敵を倒して、それでも届くかどうかわからないレベルにまで跳ね上がっていた。

 マミと戦っていた怪獣姿の魔族が、マミを倒して、ネネちゃんに近づいて来ていた。

 一振りだった。
 ネネちゃんの一振りで怪獣のような魔族は真ん中から縦に半分に斬れた。

「あぁ、あぁ、あぁ」と誰かの叫び声が聞こえた。
 それは俺の近くから聞こえた。
「あぁ、あぁ」と叫び声は、俺の口から聞こえて来るものだった。

 これほどまでの力を引き出してしまったら、ネネちゃんはタダでは済まない。

「あぁ、あぁ、あぁ」と叫び声が俺の口から、ずっと聞こえる。
 目が滲んで前が見えない。だけど他の魔族もネネちゃんに襲いかかっていることは滲んだ視界でもわかった。

 ネネちゃんは他の魔族達も、一振りで倒していく。あまりにもレベル差がありすぎて、ネネちゃんの前では雑魚当然だった。

「もういい。やめてくれ」
 そう言ったのは魔族ではなく、俺だった。
「もう力を使わないでくれ。ネネちゃん」
 ネネちゃんが死んだらパパは生きられない。ママだって同じだと思う。
 まだ子どものままでいてほしい。
 普通に成長して大人になるまでは、子どものままでいてほしい。
 ネネちゃんの子どもの終わりは今じゃない。
 だから力を使わないでくれ。

 部下を倒されたサリバンが怒り、禍々しい姿に変化した。身体中が闇の力に覆われて影のような姿になった。

「この姿を見た人で生きている人はいないんだ~よ」

 ネネちゃんが持つ光輝く剣が、煙突のように大きくなり、サリバンに向かって振り下ろされた。
 スパン、とサリバンが斬れた。
 黒い液体が飛び散り、最強闇モードになっていたはずのサリバンが真っ二つになって落下していく。

 あまりにもアッサリと勝ちすぎて、倒した事が信じられなかった。

 上空に飛んでいたネネちゃんが地上に降りて来る。

 俺は走ってネネちゃんの元に向かう。
 美子さんの団子を食べて回復したはずなのに、体が鉛のように重たかった。

「パパ」と大人になったネネちゃんが笑った。
 その笑顔の中には『ごめんなさい』も含まれているようだった。

「ネネちゃん」
 と俺は叫んだ。

 俺はネネちゃんを抱きした。その時には彼女の姿は5歳に戻っていた。そして意識を失っていた。

「バカ」と俺は言ってネネちゃんの頬に触れた。
 呼吸が浅い。
 俺はギュッとネネちゃんを抱きしめた。
 それからアイテムボックスから美子さんの団子を取り出し、潰して口に入れた。
 ネネちゃんは団子を飲み込まなかった。
 だから指でネネちゃんの口に入った団子を掻き出す。
 美子さんが作ったジュースがあったことを思い出し、アイテムボックスから取り出す。
 ネネちゃんの口にジュースを入れた。
 少しは飲み込んだけど、何も変わらない。
 ネネちゃんの体は傷ついている訳でもないのだ。もしかしたら心や精神が損傷してしまっているのかもしれない。
 美子さんの回復では、どうにもならないかもしれない。

「すぐにママのところに連れて行ってやるからな」
 早くネネちゃんをママのところに連れて行ってあげないといけない、と思った。

「パパさん」と声が聞こえた。
 その声の主はユキリンだった。
 どうやら彼女は生きて美子さんの団子を食べて回復したのだろう。
「ネネちゃんをママさんのところへ連れて行ってあげて。こっちは私がなんとかするから」
「お願い」と俺は言う。
「美子さんが作ったジュースもココに置いて行く」
 マミとアイリが生きていることを願った。
できればクロスも生きていてほしい。

「ママのところに帰ろう」と俺は言って、ネネちゃんの頭を撫でた。
「後は頼む」と俺はユキリンに言って、ネネちゃんを抱いて走り始めた。

 木々の間を全速力で走った。
 ネネちゃんはとろけるチーズのように、力なくダラリとしていた。
 俺は強く娘を抱きしめてママを目指した。

「ネネちゃん」
 と少し離れたところから女性の声が聞こえた。

 声がする方に近づいて行くと転んだのか土まみれで服がボロボロの美子さんがいた。
 美子さんは1人で森に入ったこともないのに、ネネちゃんを追いかけて来たのだろう。
 
「美子さん」
 と俺が言う。

 彼女もコチラに気づき、慌てて近づいて来た。
 そして俺に抱かれたネネちゃんを見た。

「ネネちゃん?」と美子さんが泣きそうな声を出す。

 ポクリ、と俺は頷く。

「ネネちゃん、ママが来てくれたよ」
 と俺が言う。
 娘は返事をしない。

 ゆっくりと俺は地面に座り、胡座をかいた上にネネちゃんを寝かせた。

「ネネちゃん」と美子さんがネネちゃんの頬を触る。

「あぁぁぁ」と美子さんが震え始めた。
 そして彼女は持って来た団子を、慌てながらネネちゃんの口に入れた。

 俺は意味がない事を知りながらも止めなかった。

「ネネちゃん食べて」
「食べなさい」
「食べてよ」
「ママの団子食べたら元気になるんだから」

 美子さんは震える手で、ネネちゃんの口に団子を入れていた。

 そしてすがるように、彼女が俺を見た。
 俺は首を横に振った。

「ジュースは?」
「……飲ましたよ」
「なんで元気にならないの?」
「……」

 ダムが決壊したように、「あーぁ、あーぁ」と叫びながら美子さんが泣き始めた。
 そしてネネちゃんの頬を優しく触り、「ネネちゃん、ネネちゃん」と何度も呼びかけた。

 俺も息が出来ないぐらい泣いていた。

 美子さんの涙がネネちゃんの口に入っていく。

 ゴホン、ゴホン、とネネちゃんが咳き込んだ。
 時間が止まったように俺達はネネちゃんを見た。
 口の中に入っていた団子をネネちゃんが吐き出した。
 
「ママ?」とネネちゃん。
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