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過去編④ 予兆

第十四話 自慢するあいつ

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あのクラブでの事件があってから、啓たちが俺を夜の遊びに誘うことはなくなった。俺としては誰にも邪魔されずに啓と部屋で過ごす時間が気に入ってるし、たまに来る煌や瑠偉と一緒に4人でわいわいやるのも悪くない。それに全く一緒に外出しないってわけでもなく、相変わらず夜のドライブには行くし、近所に飯を食いに出掛けたり、コンビニに行ったりすることもある。

一度だけ俺が啓と一緒にいるところを大学のやつらに目撃されたことがあって、後になって俺は質問攻めにされたり、嫌味を言われたり、あることないこと噂されたりした。あの時は厄介なことになったと辟易したけど、一番厄介なのは俺の心の中だ。啓のことば一つで浮かれたり怯えたり、啓の仕草一つで舞い上がったり落ち込んだり。啓を好きになればなるほど、俺の心は浮き沈みが激しくなる一方だ。

そんな俺の心の中とは裏腹に、啓との暮らしはひどく穏やかで、もうすぐ一年が経とうとしていた。


*   *   *


六月に入ってすぐの日曜日、啓は朝早くから出掛けてしまい、俺はめずらしくバイトも草野球の予定もなくて一人で家にいた。ちょうど実家から荷物が届き、早速段ボールを開けてみる。夏服は次の休みにでも取りに帰ろうと思ってたから有難いけど、レトルト食品は別に送ってくれなくてもこっちでも買えるんだけどな、なんて思いながら荷物の整理をしていたとき。

「え……、これ」

段ボールの中に、黒い革のリングケースを見つけた。実家の箪笥の奥に封印したはずのそれに、吸い寄せられるように手が伸びる。恐る恐るふたを開けると、そこには黒く煤けたシルバーリングがひとつ。

二つ合わせれば天使の両翼になるそのペアリングは、将来自分のショップを持つのが夢だと言っていた拓真さんがデザインから彫金まで手掛けたもので、俺の十六の誕生日にプレゼントしてくれたものだった。

「なんで今頃……」

このリングの存在も、拓真さんのことも、今まで忘れてたのに。

三年前の夏、拓真さんと付き合って一年で突然別れを告げられた過去の俺に、今の俺が重なる。啓と付き合ってそろそろ一年で、季節はもうすぐ夏……。

「こんなものっ」

リングを投げ捨てようとして、やめた。できなかった。薄汚れたリングが俺そのものに思えたから。

いつかは捨てられる、可哀想な俺。
過去に縛られ、未来に怯えて……

俺は黒ずんだリングを磨いた。可哀想な俺を救ってやりたかった。一心不乱に磨いたリングを灯りにかざす。それは新品のときよりもピカピカで、同じものではあり得なかった。

そう。あり得ない。
俺は三年前の俺とは違う。
そして啓は拓真さんじゃない。

拓真さんは俺の恋人だったけど、啓は違う。
啓は俺の恋人ですらない、ただのセフレ。

「はは……、俺、啓に別れたくないなんて言える立場ですらないんだ」

リングをぎゅっと握りしめていたせいで赤くなった掌を眺めながら口にした現実は、思った以上に深く胸に突き刺さった。





その日を境に梅雨入り宣言した東京では、雨の日が続いていた。どんよりと薄暗い雨空は、まるで俺の心の中を写し出しているようで余計に気が滅入る。

そんな俺とは裏腹に、ハタチの誕生日を三週間後に控えた啓は上機嫌だった。どこかのバーを貸し切り、盛大なパーティを計画しているらしい。

「幸は? 来てくれる?」
「う、ん……」

あの事件が起きてから、こういう場所に誘われるのはこれが初めてだ。啓のハタチの誕生日だし、俺だって行きたくないわけじゃない。けど、俺は未だに薄暗い部屋にひとりでいられないし、夢でうなされることもある。啓の知り合いがたくさん来る場所に行くのは、正直言って怖かった。

「今度は絶対ひとりにしねえから」
「むしろひとりにしてくれた方がいい……かも」

だって俺が啓とべったりだったから嫉妬されて、あの事件が起きたわけだし。

「……ごめん」

ぽつりと呟いた啓はすごく傷ついた顔してて、俺はすぐに後悔した。あの事件のことで啓が俺に負い目を感じてるのはわかってた。啓は悪いことなんて何ひとつしてない。それどころか俺を助けてくれた。原因は調子に乗ってた俺にあるし、悪いのは嫉妬だか何だか知らないけど俺を襲ったやつらだ。俺は啓に何度もそう言ったけど、啓は今も頑なに自分のせいで起きた事件だと思ってる。

外では俺に構って欲しくないっていうのは本心だけど、啓にこんな顔させるなら言わなきゃよかった。

「ごめん、啓」
「ばーか、なんで幸が謝んの?」
「だって……んなこと言ったら、啓が謝んのだって変だし」
「……うん」

ふわりと啓に抱き締められて目を閉じる。

「幸を傷つけるようなやつらは呼んでない。けど絶対なんてないし、百パー大丈夫だって言ってやれない。幸の顔覚えてるやつらもいるだろうし、俺と一緒にいないからって大丈夫だとも思えない。だから幸をひとりでいさせたくない。幸に来て欲しいってのは完全に俺の我儘だし、幸が来たくない言うなら来なくていい。ほんとは来ない方がいいのかも、」
「行くよ。俺、行く。大丈夫。百パー大丈夫じゃないかもしれないけど、俺の気持ち的には大丈夫」
「幸……無理してない?」
「うーん、わかんない。無理してるかもしんない。けど、啓のハタチの誕生日だし、ちゃんとお祝いしたい。なんかヤバいかもって思ったらすぐ帰るかもだけど」
「うん、俺も、幸のこと、ちゃんと考えてるから」





次の日、そのショップを見つけたのは偶然だった。

啓の誕生日プレゼントを探して街をふらついていたとき、啓の好きそうなアクセサリーショップがあったから入ってみたのだ。

「いらっしゃ、」

俺の顔を見て大きく目を見開いたその人は、俺のかつての恋人だった人。

「拓真さん……変わってないね。元気?」

最初に口を開いたのは、俺だった。

拓真さんは相変わらず格好良くて、二年前の夏、偶然街で見かけた頃とあまり変わってないように見えた。あの日の拓真さんは奥さんと赤ちゃんと一緒で、三人は幸せそうだった。俺はショックで、夜の街を行く当てもなく彷徨って、そして、啓に出会った。

拓真さんに会ってももう動揺したりしないのは、啓のおかげ。

「幸也は、なんか……大人になったな」
「もう三年も経つからね」
「もう、か……そうだな」
「もしかして、この店、拓真さんの?」
「あ? ああ」
「へえ、いつから?」
「二年くらい前、かな」
「そっか。夢が叶ったんだ。よかったね」

拓真さんとこんな風に笑って話せる日が来るなんて、あの頃の俺には想像することもできなかった。

「幸也は? 今、なにしてんの?」
「ん、っとね。大学生?」
「そっか。てかなんで疑問形?」
「自分でも未だに信じらんないっつーか」
「はは……、幸也、勉強嫌いだったもんな。野球ばっかやっててさ」
「野球は辞めたの! そんですげえ勉強し、」
「え? 野球辞めたって……いつ?」

高三で野球部を引退したのだと嘘を吐いたほうが気まずくならないのかもしれない。けどここで嘘を吐つくのは過去の自分を否定するみたいで嫌だった。

「高二の夏……」
「それって俺のせい……だよな」

傷ついた顔をする拓真さんに一瞬イラついた。あのとき傷ついたのは俺だ。けど、拓真さんも傷ついてたのかもしれない。優しい人だから、あんな風に俺を捨てたことに罪悪感を持ってたのかも。

「今は大学の同好会で草野球やってる。すげえ楽しいんだ」

俺はもう大丈夫なんだと伝えたかった。俺の精一杯の笑顔はちゃんと拓真さんに通じたようで、拓真さんはふっと笑って優しい顔つきになった。

「そっか、幸也は今、幸せ?」
「うん」

俺は啓が好きで、啓は今、俺の隣にいる。
未来はわからないけど、少なくとも今は一緒にいる。
恋人でもないけど……一緒にいられる時間を大切にしようと思う。

啓のことを思い出して無意識に触っていたんだと思う。

「そのリング、もしかして……」

拓真さんの目が釘付けになっていたのは、俺の左手の小指に嵌めたシルバーのリングだった。

「これ?」

複雑な意匠のモチーフのところどころにルビーが散りばめられたそのリングは、俺の十九の誕生日に啓がくれたものだ。啓は何かにつけて俺に飯を奢ったり物を買ったりしたがるけど、俺は高価なものは受け取らなかったし、飯を食いにいくときも割り勘にしてた。啓と対等でいたいという、俺の意地だった。だからこのリングは、俺が啓から受け取った唯一の高価なプレゼントだ。

「それ、俺が作ったやつ」
「ええ! まじで?」

たまたま入ってみたショップが拓真さんので、しかも啓から貰ったリングが拓真さんが作ったものだったなんて、すごい偶然もあるもんだ。

啓への誕生日プレゼントはこのリングしかない、と思った。お揃いのリングなんて気恥ずかしいし、重すぎるんじゃないかって心配だし、拓真さんには悪いけど何より俺にとってペアリングは不吉の象徴でもある。いつもの俺なら選ばない。けど、こんなにも偶然が重なったのは何かのサインのような気がした。どうせ終わりがくるのなら一つくらい重いものをあげてもいいんじゃないかって開き直ったせいもある。

「これと同じやつ、在庫ある? 見せてもらってもいい?」
「それ、カスタムメイドだから同じのはないんだ。ほら、ルビー入ってないやつはこれ」

ショーケースから出して貰ったリングを手に取って眺めていると、拓真さんが遠慮がちに聞いてくる。

「それって、彼氏からのプレゼント?」
「え? ……うん、まあ……」

彼氏じゃないけどセフレとも言えないしなと思いながら曖昧に答えると、拓真さんが「実はさ」とまるで内緒話をするように話し始めた。

「去年の終わりくらいだったかな、恋人の誕生日にリング贈りたいからって客が来たんだ。そいつ、よく店に来てくれる常連なんだけど、すげえ正直っつーか、裏表のないやつでさ。あいつにはこれは下品すぎるだの、これはチープに見えるだのボロクソでさ」

もしかして、啓?

拓真さんは啓の話をしてるんだろうか。

「終いには、恋人の自慢話まで始めんだよ。あいつは綺麗だし可愛いし料理はうまいしエロいしって、止まんねえの」

恋人の自慢話?

拓真さんが語る人物は啓のようでいて啓じゃない。

「まあ、もともと俺様で人の意見なんか聞かねえし、好き嫌いも激しいから、自分のはよくフルオーダーしてるやつでさ。モデルの仕事とか他にもなんだかんだやってて金もあるし、そいつ。だったら恋人のもフルオーダーにすればいいじゃねえかっつったら、高価すぎるもんは受け取ってくんねえんだって。言わなきゃわかんねえだろっつったら、バレたときに返されたりしたら嫌だからって」

ああ、啓……。啓だ。
俺のこと恋人だと思ってくれてるの?
俺の自慢話してくれてたの?

俺のこと……
ちゃんと好きでいてくれるの?

「そんで迷いに迷った挙句、これカスタムメイドしてルビー入れることになったってわけ」

拓真さんが話し終えても、俺は顔を上げられなかった。今にも泣いてしまいそうな顔を、見られたくなかった。

「そいつ、啓って名前なんだけど……、そいつが幸也の恋人?」

うん、と小さく頷く。

「そんな泣くほど好き?」

うん、とまた。

啓が好き。ずっと口にできなかったその想いにもう蓋をすることなんてできなくて、涙が溢れて止まらなかった。啓に貰ったのと同じ、ルビーが散りばめられたシルバーのピンキーリング。二つ揃ったらペアになるリングを啓のハタチの誕生日に贈って、啓に好きだって告げよう。

このときの俺は、本当にそう思ってたんだ。
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