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過去編② 再会

第七話 再会したあいつ

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東京の外れにある実家からキャンパスまでは、電車を乗り継いで片道約一時間半。初めての電車通学にも朝のラッシュにもまだ慣れないけど、俺はそれなりに充実した大学生活を送っていた。

俺にとって一番の変化は、大学の草野球同好会に入ってまた野球を始めたことだ。高校野球部のOBだった拓真さんと別れたのを機にガキの頃から続けてた野球を辞めてから野球からは遠ざかってたんだけど、また無性にやりたくなったのだ。野球好きのやつらで集まるのは楽しくて、久しぶりに野球をして汗を流せるのが嬉しくて、やっぱり俺は野球が好きなんだと痛感した。

また野球をやりたいと思えたのは、俺がやっと拓真さんとのことを過去として受け止められるようになったってことなんだと思う。拓真さんのことを思い出しても、もう胸は痛まない。いや本当のところちょっと切なくなることはあるけど、それはきっと戻らない過去への感傷なんだろう。拓真さんへの想いはもう風化して、思い出になっていた。

ひとつ気になることがあるとすれば、謎のモデルKの正体についてマスコミで取り沙汰されるどころか、この春以降、ゴシップ記事でも取り上げられることが一切なくなったことだ。その代わりと言ってはなんだが、大学内では頻繁に啓の噂を耳にするようになった。とはいえキャンパスが違うから啓に会うこともなく、俺は平穏無事に大学生活を満喫していた。

七夕祭の日までは。


*  *  *


七月の第一土曜日、俺らのキャンパスでは毎年恒例の七夕祭が開催される。草野球同好会では焼きそばの屋台を出すのがお決まりで、俺は朝から立ちっぱなしで大量の焼きそばを作っていた。

「あっちー」

頭にタオルを巻いていても額から汗が滴り落ちるくらい暑い。俺はもう限界で、パイプ椅子に座り込んだ。

「サボってんじゃねえぞ、幸也」

焼きそば作りと格闘しながら、同じ一年生部員の千秋が俺を睨む。その姿は、どう見ても的屋《てきや》の兄ちゃんにしか見えない。

千秋とは同じ学部で、大学に入ってすぐに意気投合した。千秋は曲がったことが嫌いで、強いものに阿ったりもしない。顔自体は正統派ハンサムなんだけど、眼力がハンパなく強くて、そのうえ金髪、おまけに首やら腕やらにタトゥーを入れているという相乗効果もあり、怖くて近寄り難いやつだと誤解されがちだ。けど実際の千秋はすごく優しくて、いいやつなのだ。一風変わったやつではあるけれど。

「ムリ。もう疲れた」
「うっせー。俺だって疲れてんだ。おら、立てって」

千秋に腕を引っ張られて「やだ、ムリ」と抵抗していると、「おーい。焼きそば追加ー」と表にいる先輩から声が掛かった。

野球同好会は部員も少なくて弱小なので、幅の狭い場所にテントを縦長に張って屋台を出している。そのテントを青いビニールシートで仕切って表と裏に分け、三、四年の先輩たちが表の屋台で焼きそばを作りながら販売し、裏では俺たち一、二年生部員が足りない分を作るのだ。焼きそば作りのメインは裏だといっても過言ではない。三人いるはずの二年生は休憩に出てまだ戻ってこないし、一年生は元々俺と千秋の二人だけ。だから死ぬほど忙しい。そして死ぬほど暑い。とはいえやらないことには終わらないので、プラスチック容器に詰めて積んであった焼きそばをケースに入れて表まで運んだ。

「朔にぃ、焼きそば。ここ置くね」
「おー、幸也。さんきゅー」
「どう? 売れてる?」
「売れてるぞー。って幸也、すげえ汗じゃん。大丈夫か?」

朔にぃは俺らより二コ上の三年生で、おっとりした優しい先輩だ。ひとりっ子だから俺みたいな弟が欲しかったと言って可愛がってくれる。

「うん、大丈……」

強がって大丈夫だと答えようとしたとき、ちょうど俺たちの屋台の前辺りにいる女の子たちの集団が急に騒ぎ始め、そっちに意識が奪われた。

「え? うそっ。やだ、ホンモノ?」
「キャー、わたし初めて生で見たっ! ヤバい、感動、カッコいいっ!」
「やだやだ、こっち来る。こっち来るよ! どうする? どうする?」

芸能人でもいるのかと思い興味本位で女の子たちの視線を追えば、そこいたのは芸能人並みのオーラを放つイケメン三人組で。距離にしておよそ五メートル先、その真ん中に、啓がいた。

まじかよ……

「おい、幸也。幸也っ! どうした急にぼーっとして。大丈夫か?」
「へ? あ、……うん、だいじょ、」

呆然として啓から視線が外せず、急に固まったように動かない俺を心配する朔にぃに生返事しかできない。

「っ!」

目が合った、気がする。

や、やばい。

踵を返して裏に逃げ帰ったのは、啓に会っちゃいけないという強迫観念に駆られたからだ。

「ちょ、……おい、幸也? 幸也!」

啓と目が合ったなんてたぶん気のせい。騒いでた女の子たちの方を見ただけだ。もしこっちを見たとして、俺を覚えてるとも思えない。もし覚えてたとしても、別にどうってことない、はずだ。

「「「キャー」」」

耳をつんざく女の子たちの叫び声と、「ちょっ、なんだよ、勝手に。おいっ」という朔にぃの声。騒然としたギャラリーを背に、屋台の表と裏を仕切るビニールシートがばさりと揺れた。

「幸」

呆然と立ち尽くす俺を見て、啓が不敵に笑う。背景の青いビニールシートがまるで合成撮影のためのブルーバックに見えてしまう。それくらい、啓の存在は異質だった。

「そうそう何度も俺から逃げれると思うなよ」

真っ直ぐ俺を射抜く鋭すぎる目線に、ぎくりと体が竦む。

「に、逃げてねえし」
「逃げただろ?」
「ちがっ、啓がいたなんて俺知らな、」
「へえ。じゃあ、去年の夏は?」
「あ、あんときは……」
「あんときは?」

じりじりと距離を詰められ、嫌な汗が伝う。

「あ、あれは……、あ、朝になったから、帰ったってだけで」
「そういうの、ヤり逃げっつーんじゃねえの?」
「なっ、なん、」

なんつーこと言い出すんだよ。
誰かに聞かれたらどうすんだよ。

いつの間にかビニールシートはきっちりと閉められてたし、騒がしかった女の子たちの声も聞こえない。きっと朔にぃ辺りがうまく収めてくれたんだろう。

けど、千秋っ!
千秋がいるじゃん。

今更ながら思い出して千秋の方を窺えば、千秋は焼きそばづくりに没頭している。ように見せかけて、きっと耳はダンボのはずだ。

「あとで話さねえ? 俺、今忙しいんだよね。焼きそば作んなきゃだから」
「んなこと言って、幸お前また逃げるつもりだろ?」
「逃げねえって」

逃げたかったけど。
もう逃げらんねえじゃん。

「じゃ、携帯よこせ」

見つかっちゃった以上、携帯番号を交換するくらいはしょうがない。そう思って、啓の掌に携帯をのせた。

「預かっとくから」
「は?」
「お前が逃げらんねえように。携帯、預かっとく」
「ちょっ、……はあ?」

なに言ってんの?

信じられないことに、啓は俺の携帯をポケットにしまった。取り返そうと手を伸ばすと「ほら。焼きそば作んだろ?」と躱される。文句を言おうと口を開けかけたとき、ビニールシートの隙間から「幸也、大丈夫?」と朔にぃが心配げな顔を覗かせた。

「あ、や。うん、大丈夫」
「揉めてたり、してない?」

意味ありげにチラリと啓を見る朔にぃと、朔にぃを一瞥したくせに部外者はすっこんでろとばかりにシカトする啓。そんな啓にムッとして眉を顰める朔にぃに俺は慌てた。朔にぃは一見優し気だけど怒実はキレやすくて喧嘩っ早いのだ。こんなところで二人に揉められたらたまらない。まずは朔にぃを落ち着かせようと俺は朔にぃの腕を引いた。

「あの、朔にぃ。ほんと、大丈夫だから」
「……知り合い?」
「あー、まあ、そんな感じ?」
「だったらいいけど。なんかあったら俺のこと呼べよ? 幸也」

朔にぃは俺に笑いかけたあと、啓に険しい視線を投げて表に戻って行った。

「幸也っていうんだな、ほんとの名前」

ぽつりと呟くように漏れた啓のことばにどきりとする。眉間に深い皺を刻む啓が不機嫌というより傷ついてるように見えるのは、本名を教えなかった罪悪感が俺にあるせいだろうか。今更ごめんと謝るのもなんだか違う気がして、俺は返すことばを見つけられなかった。

「あのー、お取込み中まじ悪いんだけどさ」

千秋が会話に割り込んできたのは、ある意味すごく空気を読んだタイミングだった。

「幸也お前サボってばっかいねえで、さっさと焼きそば作りやがれっ!」

その後はなぜか啓も加わり、三人並んで焼きそばを作った。何か言いたげな視線を寄こす千秋には「あとで話すから」と目だけで返事をしておく。上手い作り話なんて思いつかないし、千秋には本当の話をしてもいいのかもしんない。俺がゲイだってことは拓真さん以外誰にも話したことなんてなかったけど、千秋になら全部話せる気がした。

「おー、啓。お前、なかなかうめえじゃん」
「だよな? 俺もそう思う」
「モデルなんか辞めて焼きそばの屋台出せば? Kちゃん焼きそば。売れるぜ?」

しばらくすると千秋と啓はすっかり意気投合して和やかに会話をするようになり、俺は二人の社交スキルの高さに感心しつつ黙々と焼きそば作った。

「屋台はやだけど、このでっかい鉄板は欲しいな」
「まじ? 家に置いとくにはでかすぎじゃね?」

あのでかいマンションのでかいキッチンなら、こんな鉄板の十個や二十個くらい軽いもんだろ。

「幸、そこのソースとって?」
「……はい」

ソースを手渡してやったのに、まだ何か言いたげな啓の視線が鬱陶しくて「なに?」と睨む。

「もしかして、妬いてる?」
「は? そりゃ焼いてるよ」

何わかり切ったこと言ってんだ。
てかなんでそんな嬉しそうなんだ?

「朝からずっと焼きっぱなしだし、昼飯もまだだし、もう限界。疲れた」

ハァと溜息を吐いた俺の隣で、啓が同じようにハァと溜息を吐いた。お坊ちゃまな啓にはほんの半刻の焼きそば作りさえ疲れるらしい。

「うひゃひゃひゃ……」

突然、千秋がいつもの奇妙な笑い声をあげた。

「啓、幸也は結構手強いぞ? こいつ天然だかんな」
「人をツチノコみたいに言うなっ」

にやにや笑っている千秋に抗議する。

千秋は多趣味な上に行動派で、音楽好きが高じてクラブのDJのバイトを始めたり、ストリートファッションが好きすぎて自分でリメイクした服や靴を売ったりしている。そんな趣味の一つがツチノコ研究で、北海道までツチノコを探しに行ったこともあるらしい。千秋のそういう徹底して好きなものを極めようとする姿勢自体はかっこいいと思うけど、ウザいのは俺をツチノコ扱いすることだ。草野球同好会に入ったのもツチノコより珍しい生態の俺を観察するためだそうで。

「まじ意味わかんねえ」

思わず呟いた俺の隣では、啓と千秋の二人が目配せして頷き合っている。

ほんと、まじ意味わかんねえ。
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