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二章 0で割れ
エピローグ
しおりを挟むどうやら雨になるようだ。上空高くに長く伸びる入道雲が、完全に地面を陰で染め上げるのを見て、私は思った。
しばらくして、雷を伴う雨が、勢いよく降り注ぐ。
傘を持っていない私は、地面にある影がその身を雨で濡らすのと同様、一緒になって濡れていた。バックも濡れていた。白銀さんと一緒に勉強した過去問も濡れるだろう。白銀さんの仕込みを消した教科書も濡れるだろう。
本当にどうでもよかった。
髪が水滴を含んで、頭皮まで濡れる。
本当にどうでもよかった。
私の着ている服が水分を含んで重くなる。
本当にどうでもよかった。もう、どうでもよかった。
「何してんの、アンタ」
不意に、私に降り注ぐ雨が断ち切られる。上を見上げると、傘があって、
「邪魔なんだけど」
正面を向くと、堂島さんが居た。
◆
「すみません、ありがとうございます」
堂島さんは、私を引っ張り、ファミレスへと連行した。今日は漆黒の色をした髪が長いかつらを着用している。
私の手元には、彼女からいただいたタオル。洗って返すといったら、キモいからいらないと言われて行き場を失ったタオルだ。
「別に邪魔だったから」
そういうと、彼女は灰皿を手元に手繰り寄せ、丁寧な手つきで、煙草を取り出し、火をつける。彼女のつけた煙草の煙が、ファミレスの天井に向かって、渦潮のように伸びていった。
「吸うんですね、煙草」
「いっとくけど、違法じゃない。私、二回浪人してるから」
「そう、だったんですね」
彼女の口に運ばれた煙草の先が、次第に彼女の付けた口紅の色に染まっていく。どうしてこのような状況になったかは分からない。それでも、こういう機会があったら、私は堂島さんに聞いてみたいことがあった。
「そこまでして入りたかったんですか、この大学に」
彼女は、私の問いに対してすぐ答えず、一回煙草を吸って、深く息を吐いた。
「入りたかった。入れば、人生で勝てるから」
何故かその言葉は、信じられないほどの重みを備えているように感じられた。そして、重要な決意が秘められていた。
「・・・凄いですね、私は多分、即答できません」
羨ましかった。私にもそう思えるだけの理由があれば、白銀さんの件も、大学に居るため、仕方がない行為と割り切れたかもしれなかったから。
「・・・アンタさ、何でこの大学居んの? 辞めれば?」
彼女の発言は的を射ていた。だから、思わず同意した。
「そうですね、辞めます」
瞬間、私の体は無理やり起こされる。それは目の前の人物が、私の胸倉を思いっきり掴み、引き寄せたからで。
彼女の瞳は、激怒だった。
「ふざけんなよ餓鬼が!! 何でそんな簡単に諦める!! 血反吐吐いてでも縋りつけよ!! 何でそんなにつまんねぇ顔してんだよ!!必死になれよ!! そうじゃなきゃ私が負けたアンタはなんだったんだ!!」
でも、分からない。どうして彼女は泣きそうなのだろう。
「私はアンタに言われた通り、ブログに画像を張り付けた!! それがどんだけ恥ずかしいことかわかってても画像を使った!! アンタの言う通り普通になんてなりたくなかったから!!」
そこまで言って、彼女は私を突き飛ばす。背中にある椅子が当たって痛かった。
彼女は、持っていた煙草を灰皿で消す。
少しだけ、沈黙が流れた。
「なんとか言いなさいよ」
そう言われて、思ったことを口にした。
「優しいんですね、堂島さん」
言い終わった直後、顔面に水が飛んできた。その水を私は避け切れず、もろに喰らう。
堂島さんがコップをこちらに突き出しているのが、視界の隅で確認出来て状況を理解した。
彼女は、静かに、諦めたように言った。
「やっぱりアンタのこと大っ嫌いだわ私」
その言葉が自分の心にぶち当たって、弾けて、ペンキのように染め上げる。ただのペンキだったそれは、一つの情景を映し出した。映ったのは白銀さんの笑顔だった。
『止めないでくれ、止める気もない癖に』
それはどんな辛酸より辛く、どんな苦渋より苦く、どんな甘言より甘そうで、誤って飲み込んだ食べ物のように、えづいて吐きそうなのに吐き出せない。
違う、そうじゃない。私は知っていたのに。彼が何をしてくるか知っていったのに。私が理由をつけてあの席に座らなければ、こんな結果にはならなかった。それでも私は座った。座らなければ、彼が友達になってくれないと思って、座ってしまった。
「同意します。私も私が大っ嫌いです」
きっと私は、彼と友達になりたかったのだと思う。
この大学に入って、初めて勉強を一緒にした彼と、友達になりたかった。好きになった女性が一緒だった彼と、友達になりたかった。好きな女性について話してみたかった。彼の目から見た彼女は、どんな性格で、どんな容姿をしていて、どんな行動をしていたのだろう。平凡な私より、ずっと鮮明に、曇りなく彼女を見ていた筈だ。
なら何故、録音していた。
違う、彼を追い詰める為じゃない。本当はそんな意図をもって、録音なんてしてはいない。彼が何事もなく、振舞ってくれればそれでよかった。
嘘の関係だっていいじゃないか、それが取り繕ったものだっていいじゃないか。
言い訳は無数に出てきては、泡のように弾けて消える。結局は一言、保身。それ以外の何物でもない。
そんな自分が、大っ嫌いだった。
「・・・アンタがアンタを嫌うより、嫌ってあげる。それが負けた側の義務だから」
ふと聞こえた声に、顔を上げれば、そこには誰もいなかった。代わりとばかりに、置かれた代金が、心許なく鎮座する。
机に突っ伏して、肘で顔を覆った。
先生、こんなものが素敵なものなんですか?
先生、こんなものが人を人にするんですか?
「わかんねぇよ」
思わず、口から言葉がでる。
外は未だに雨で、その雨音が窓を染み通り、耳元の近くで、私を嗤った。
「うるせぇよ」
雨は止みそうになかった。
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