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種火
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「任せておいて。三郎のおっ母さんが戻ってくるまで、私が三郎を見ているわ。安心して行って来て」
静は三郎より年若で小兵だが、家の中でなら大丈夫だ。三郎もいるのだし、四郎も抱きっぱなしではない。
「では、よろしく頼むぞ。またの」
名残惜しそうに目を送る夏に、若干の後ろめたさを感じる。
荷を取りに二人で安芸の元へ行くとは告げた。だが、三郎の家へ二人で戻るとは、約束していない。
花月は必要な物を取って、一人でここへ戻って来る心積もりだった。
夏の歩行では往復するのに時が掛かりすぎる。花月一人のほうが遥かに早い。
ただ手当をしてやるだけなら、そう手間は掛からぬ。
「花月、安芸は町の何処へおるのじゃ? すぐに見つかるかのう?」
それに、夏と二人ではどうも、花月自身が落ち着かない。
「投宿を決めた宿の軒先に駒が繋いであるはずです。程なく見つかりましょう」
安芸に余計な気を回されたままでは、敵わない。
安芸は、あのように、夏姫に何ぞ手出しをするやも、と脅かしはした。が、危険の度合いは、かなり低い。
奴とて風魔の一員だ。女に目が眩んで役務を放棄する馬鹿ではない。
また安芸に何を請われても、夏姫が承諾するわけが――
ない。とまで考えて、花月は頭を振った。
「花月? いかがした。虫でも付いたか」
夏は乾きかけた泥を払いつつ、たくし上げてあった着物の裾を戻す。
「いいえ、何でもありません。先を急ぎましょう」
そもそも、その考えが誤りだ。
「そうか。慌てていたので置いてきてしまったが、蟹を安芸にも見せたかったわ」
この方は姫で、忍の会話の対象に上る自体が、おかしい。
いくら気を置かず打ち解けてくれようと、並ぶべくもない。
「蟹は大事でしょうが、あちこち汚れておられる。宿に着いたら、湯を貰いましょう」
花月は迷悶を表に出さぬよう、心ばかり夏から間合いを取った。
旅籠で着物を替えさせている間に、一人で三郎の元へ要る物を届けよう。
「あちこち、汚れておるからの。花月は綺麗なままじゃな」
「私は、万事、慣れております。お夏様のように……」
「おや、花月。前を見よ」
注意不足は致しませぬ――と言いかけて、途中で頭に、ごん、と木の枝が当たる。
道に枝葉が一筋、大きく突き出していた。
後ろにいる夏と会話をしていたため、うっかりした。
「だから言うたであろう。前を見よと」
夏への注意不足を指摘しようとした矢先なので、口に出していたら、大恥を掻くところだった。
面目なく黙っていると、夏が枝葉を押さえた。
「だが、枝が目に当たらなくて逆に良かったやもしれぬの。痛くはないか」
気遣う夏は、限界まで踵を上げ、手を伸ばしている。
「……私の前は、お夏様のほうでございました」
手助けされて立つ瀬がない。また夏の息が近く香る。花月は素早く一歩、退いた。
「其方も、つまらぬ詭弁を述べるわ」
花月が退いたので、夏が手を放す。
静は三郎より年若で小兵だが、家の中でなら大丈夫だ。三郎もいるのだし、四郎も抱きっぱなしではない。
「では、よろしく頼むぞ。またの」
名残惜しそうに目を送る夏に、若干の後ろめたさを感じる。
荷を取りに二人で安芸の元へ行くとは告げた。だが、三郎の家へ二人で戻るとは、約束していない。
花月は必要な物を取って、一人でここへ戻って来る心積もりだった。
夏の歩行では往復するのに時が掛かりすぎる。花月一人のほうが遥かに早い。
ただ手当をしてやるだけなら、そう手間は掛からぬ。
「花月、安芸は町の何処へおるのじゃ? すぐに見つかるかのう?」
それに、夏と二人ではどうも、花月自身が落ち着かない。
「投宿を決めた宿の軒先に駒が繋いであるはずです。程なく見つかりましょう」
安芸に余計な気を回されたままでは、敵わない。
安芸は、あのように、夏姫に何ぞ手出しをするやも、と脅かしはした。が、危険の度合いは、かなり低い。
奴とて風魔の一員だ。女に目が眩んで役務を放棄する馬鹿ではない。
また安芸に何を請われても、夏姫が承諾するわけが――
ない。とまで考えて、花月は頭を振った。
「花月? いかがした。虫でも付いたか」
夏は乾きかけた泥を払いつつ、たくし上げてあった着物の裾を戻す。
「いいえ、何でもありません。先を急ぎましょう」
そもそも、その考えが誤りだ。
「そうか。慌てていたので置いてきてしまったが、蟹を安芸にも見せたかったわ」
この方は姫で、忍の会話の対象に上る自体が、おかしい。
いくら気を置かず打ち解けてくれようと、並ぶべくもない。
「蟹は大事でしょうが、あちこち汚れておられる。宿に着いたら、湯を貰いましょう」
花月は迷悶を表に出さぬよう、心ばかり夏から間合いを取った。
旅籠で着物を替えさせている間に、一人で三郎の元へ要る物を届けよう。
「あちこち、汚れておるからの。花月は綺麗なままじゃな」
「私は、万事、慣れております。お夏様のように……」
「おや、花月。前を見よ」
注意不足は致しませぬ――と言いかけて、途中で頭に、ごん、と木の枝が当たる。
道に枝葉が一筋、大きく突き出していた。
後ろにいる夏と会話をしていたため、うっかりした。
「だから言うたであろう。前を見よと」
夏への注意不足を指摘しようとした矢先なので、口に出していたら、大恥を掻くところだった。
面目なく黙っていると、夏が枝葉を押さえた。
「だが、枝が目に当たらなくて逆に良かったやもしれぬの。痛くはないか」
気遣う夏は、限界まで踵を上げ、手を伸ばしている。
「……私の前は、お夏様のほうでございました」
手助けされて立つ瀬がない。また夏の息が近く香る。花月は素早く一歩、退いた。
「其方も、つまらぬ詭弁を述べるわ」
花月が退いたので、夏が手を放す。
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