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種火
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今すぐ勧められる仕事ではない。
だが、未知の世界へ描く夢の芽を、摘みたくはない。
「俺は薬種問屋の手代をしている。この方は店のお嬢様だ。鎌倉の親類に薬を届けに来たのだ。途中でお嬢様がお前たちの貝取りに関心を示されて、道草を食っている」
「道草を食って良いの? 旦那様に叱られないの?」
赤い小袖の女児が不安そうに尋ねる。
道草を食って、両親に譴責された体験があるのだろう。
「俺だけなら叱られるが、お嬢様がおる故な。大目に見てくださるさ」
花月が微笑すると、女児は、ほっと胸を撫で下ろした。
「ねえ、もうちょっと道草をしてもいい? あっちの岩場には、蟹がいるの。見に行こうよ」
女児は控え目に、夏の袖を引いた。女子故、夏の持つ佇まいに鋭敏なのだ。
仕草は幼くとも、品位のあふれる夏に、自然と憧れの眼差しを向けている。
「蟹とな? 花月、行っても良いか?」
「どうぞ。陽はまだ充分高うございます。安芸も町へ出たばかりですから」
「では、連れて行っておくれ。そなた、名は何と申す?」
「私? 私は静だよ。こっちは三郎と」
静が右隣の、子を負った少年の名を紹介すると、残りの三名が次々に自らの名を捲し立てた。
「ちょっと待て、一人ずつ頼みたい」
一斉に声を上げたので、夏は一度に聞き取れなかった。
「この者がお鈴、こちらが太右衛門に、佑太、でございます」
山吹色に縦縞の小袖姿に丸顔の女子が鈴、束ね髪に草色の単姿が太右衛門、洟水を垂らしている者が佑太である。と、花月は掌で紹介する。
「今ので聞き取るとは流石じゃのう、花月。なるほど、そなたは三郎で、負ぶうておる子は何と申すか」
うっかり口出しをして、不満を抱くやもと憂慮した。だが、夏は感嘆するに留まった。
「この子は四郎だよ。もうすぐ二つになるんだ」
「男子であったか。愛らしいのう。頬がまんまるじゃ。触れても良いか?」
三郎は返答より早く、背を向けて夏に四郎の顔が向くようにしてくれる。
四郎は人見知りもせず、くるくると忙しく周囲を見回して、貪欲に知識を吸収していた。
二歳にしては小柄だが、全身がふっくらとして肉付きが良い。
人差し指でつつくと、四郎の豊かな頬が指の形にぷよんと凹む。
「ふふ、柔らかい。大人しいが聡明な顔立ちじゃ。良い子じゃの」
夏が眩しそうに目元を緩めた。兄弟は多くとも、夏が赤子に触れる機会は多くなかっただろう。
「ねえ、お姉さんのお名前は?」
「儂は夏じゃ。この者は花月と申す」
花月に目を移した静に、夏が併せて答える。
「お夏様に花月さんね。お夏様、あっちへ行きましょう。早く蟹を見せたいの」
「そうであった。では案内しておくれ」
静が夏の手を引いて、六人は後をぞろぞろとついて行った。静は随分、夏にご執心な様子だ。
引き潮時だから、あちこちで岩が剥き出しになっていた。
けれど蟹も心得たもので、人が容易く近づく場所で安穏としているほど、お気楽ではない。
近場の岩を見向きもせず進む子供らに、どこまで行くのかと花月は不思議がる。
三郎が〝とっておきの場所だ〟と小声で豪語した。
浜辺を大きく回って、松林に入る。さしもの花月も蟹の隠れ場所にまで精通していない。
林の中には獣道ながら、人が幾人か通った微かな足跡がある。
とっておきの場所は、一部の子供衆に周知されているらしい。
木々の合間を縫った先に、再び海面が現れる。
着いた先は、海に突き出した岩山だった。
岩山の頂上へ渡るには、この道筋が都合良いようだ。
だが、未知の世界へ描く夢の芽を、摘みたくはない。
「俺は薬種問屋の手代をしている。この方は店のお嬢様だ。鎌倉の親類に薬を届けに来たのだ。途中でお嬢様がお前たちの貝取りに関心を示されて、道草を食っている」
「道草を食って良いの? 旦那様に叱られないの?」
赤い小袖の女児が不安そうに尋ねる。
道草を食って、両親に譴責された体験があるのだろう。
「俺だけなら叱られるが、お嬢様がおる故な。大目に見てくださるさ」
花月が微笑すると、女児は、ほっと胸を撫で下ろした。
「ねえ、もうちょっと道草をしてもいい? あっちの岩場には、蟹がいるの。見に行こうよ」
女児は控え目に、夏の袖を引いた。女子故、夏の持つ佇まいに鋭敏なのだ。
仕草は幼くとも、品位のあふれる夏に、自然と憧れの眼差しを向けている。
「蟹とな? 花月、行っても良いか?」
「どうぞ。陽はまだ充分高うございます。安芸も町へ出たばかりですから」
「では、連れて行っておくれ。そなた、名は何と申す?」
「私? 私は静だよ。こっちは三郎と」
静が右隣の、子を負った少年の名を紹介すると、残りの三名が次々に自らの名を捲し立てた。
「ちょっと待て、一人ずつ頼みたい」
一斉に声を上げたので、夏は一度に聞き取れなかった。
「この者がお鈴、こちらが太右衛門に、佑太、でございます」
山吹色に縦縞の小袖姿に丸顔の女子が鈴、束ね髪に草色の単姿が太右衛門、洟水を垂らしている者が佑太である。と、花月は掌で紹介する。
「今ので聞き取るとは流石じゃのう、花月。なるほど、そなたは三郎で、負ぶうておる子は何と申すか」
うっかり口出しをして、不満を抱くやもと憂慮した。だが、夏は感嘆するに留まった。
「この子は四郎だよ。もうすぐ二つになるんだ」
「男子であったか。愛らしいのう。頬がまんまるじゃ。触れても良いか?」
三郎は返答より早く、背を向けて夏に四郎の顔が向くようにしてくれる。
四郎は人見知りもせず、くるくると忙しく周囲を見回して、貪欲に知識を吸収していた。
二歳にしては小柄だが、全身がふっくらとして肉付きが良い。
人差し指でつつくと、四郎の豊かな頬が指の形にぷよんと凹む。
「ふふ、柔らかい。大人しいが聡明な顔立ちじゃ。良い子じゃの」
夏が眩しそうに目元を緩めた。兄弟は多くとも、夏が赤子に触れる機会は多くなかっただろう。
「ねえ、お姉さんのお名前は?」
「儂は夏じゃ。この者は花月と申す」
花月に目を移した静に、夏が併せて答える。
「お夏様に花月さんね。お夏様、あっちへ行きましょう。早く蟹を見せたいの」
「そうであった。では案内しておくれ」
静が夏の手を引いて、六人は後をぞろぞろとついて行った。静は随分、夏にご執心な様子だ。
引き潮時だから、あちこちで岩が剥き出しになっていた。
けれど蟹も心得たもので、人が容易く近づく場所で安穏としているほど、お気楽ではない。
近場の岩を見向きもせず進む子供らに、どこまで行くのかと花月は不思議がる。
三郎が〝とっておきの場所だ〟と小声で豪語した。
浜辺を大きく回って、松林に入る。さしもの花月も蟹の隠れ場所にまで精通していない。
林の中には獣道ながら、人が幾人か通った微かな足跡がある。
とっておきの場所は、一部の子供衆に周知されているらしい。
木々の合間を縫った先に、再び海面が現れる。
着いた先は、海に突き出した岩山だった。
岩山の頂上へ渡るには、この道筋が都合良いようだ。
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