夏姫の忍

きぬがやあきら

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種火

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 駒も微動だにしない姿を見ると、本当に夏が乗るのを望んでいたのか。

 駒の上に乗るのが嫌だったのではない。ただ、花月や安芸の真似をしたかっただけだ。

 二人は容易く駒を引いていたし、大人しい馬だから夏にもできると思っていた。

 刀研ぎで奮闘できなかったから余計だ。

 夏が抗衡せず、大人しく座っていると、安芸が手綱を引き、駒は素直に動き出した。

 安芸が引くと、綱を張るまで、のびのびせず、かといって決して追いつきはしない。

 ただ引いているだけにしか見えないのだが、夏と安芸で何が違う。

「まあ、そう肩を落とされないで。動物に好かれるのは良い御仁と相場が決まっております。私も花月も幼い頃より馬術の鍛錬を積んでおります。駒にも、それがわかるのでしょう」

「儂は、和歌と書は手習い致した。琴の腕前には自信がある。じゃが、外ではあまり役に立たぬな」

「お夏様には必要のない能力でございましょう。お夏様はそこ、駒の上で凛とされているのが相応しいのです」

「人には、向き不向きがございます。お夏様には守り、育む力が備わっていらっしゃる。ご自身をお軽んじなさいますな」

 笑いを納めた二人が順に声を掛けてくれる。

「その通りだと思うが、たまにもどかしくなるのじゃ」

 もどかしく思う自体も滑稽である。忍二人がこの時ばかりは笑わずに聞いてくれて、心強かった。

 駒の穏やかな足並みに揺られながら、随分、進んだ。

 山毛欅ぶな林の木々から漏れる優しい光を浴びて、三人の足音だけが響く獣道を。

 また、河原に近づけば残暑の日差しが小袖の上から肌を焼いた。

 途中で出会った行商から、笠を買ってもらう。

 ごく自然の工程なのに、夏には飛びきり別格だった。

 別格を知らずとも、夏は時を重ね、子を産み育てるかもしれない。

 やがては年を取り土と化す。それが当然の身の上で、今の喜びは身に余る。

 今日は、駒に乗ったままの川越だ。人足は控えておらず、川の浅瀬を歩いて渡る。

 日光が正午を示し、森の静寂に再びせせらぎが混じり始めた。

 瞼を閉じ、耳を澄ませて音を楽しんでいると、急に駒の歩みが止まる。

 不審がって目を開くと、目の前には川の畔一面に、茜色の敷物を敷き詰めた光景が広がっていた。

「曼殊沙華じゃ……! 花月が申しておったのは、これか」

「左様にございます。ちょうど花見でございましょう」

 花月が傍らに立って、何故か得意そうに腕を組む。

「別にお前の手柄ではないだろう。花は勝手に咲いたのだ」

「誰も俺の手柄だとは申しておらぬ。どうしてそう一々突っかかる」

「どうも得意に見えたから……」

「降ろしておくれ。もっと近くで見たい」

 夏がせがむと、花月が手を貸してくれる。

 降下(おりくだる)や否や、早足で駆け出した夏を追って来た。

 川上から川下まで河川敷一面に、細面の曼殊沙華がびっしりと咲きそろう。

 紅蓮の絨毯は、出立前に想像していた以上の光景だ。

 幻影を見ている心地にさせられて、夏は立ちすくんだ。

「この川を越えれば、じき鎌倉です。ここだけでなく、あちこちに咲いていますよ」

 花月の横顔は、いつになく綻んでいた。よほど、この花が好きなのだ。

「どうして花月はそんなに曼殊沙華が好きなのじゃ?」

「曼殊沙華は葉の前に、密やかに、前兆なく赤い花を咲かせます。私たち忍は後にも先にも跡形を残さぬ技を学びました。似て非なるものだから、憧れでしょうか……」

 花月の眼は花にあるようで、この世の何も見ていない。花月にも、手の届かぬ憧れがあるのか。
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