夏姫の忍

きぬがやあきら

文字の大きさ
上 下
24 / 44
姫と忍

しおりを挟む
「さあ、下らぬ問答はこれくらいに致しましょう。夜が明けるまではまだ間がありまする。夏姫様は昨晩もろくに眠っておられぬ。十分には寛げませぬが、横になって、少しはお体をお休めください」

 花月が夏を筵へ誘うと、夏はふっと笑みを零した。

「そなたらは仲が良いの。良き友であるな。これから一月、よろしく頼むぞ」

 夏は花月と安芸、二人に目をやって、大人しく筵の上に横になった。

 待つまでもなく、一息ついた後に夏は寝息を立て始める。

 よほど疲れていたのだろう。

 筵は、三国の主の姫君が眠るのにはとても不相応な臥床だったが、夏自らが城を逃れたのだから、やむをえまい。

 上品な寝姿と筵は激しい違和を放っていた。

 さて、この生来に上品が身に着いた姫君の素性を、どう欺いて近隣を旅したものか。

 旅芸人の一味として、銭拾いまでしていたのに、郎党に嗅ぎつけられた。

 何故奴には「夏姫」だとわかったのか。

 城の奥にいる姫君の顔を知る者は、そう多くない。

 まして姫が単身で城外に出るなどは前代未聞の珍事件だ。

 偶然に見かけて、何か不審に思う点があったとしても、氏康の二女だと気づくはずがない。

 夏に危害が及んではならぬと、即座に首を刎ねた。だが捉えて吐かせるが得策であったか。

(それにしても……)

 城を単身で抜け出す気概があるだけある。癖の強い性分は安芸と互角やもしれぬ。

 無事に城へ帰すまでは、あらゆる意味で気が抜けない。

 夏が寝息を立てるや否や、安芸は叢に腰を下ろした。

 ちゃっかり者の同胞と、仲が良いと肯定はできぬ。

 しかし此度の役務は一月、束の間の自由を安全に、愉しんでもらう目的がある。

 油断はならぬが、いつもの殺伐とした役務とは違う。

 姫君と必要以上に慣れあうのはいかがな物かと思うが、気分は悪くない。

 変わり者だが、可憐な姫を守り、楽しく旅をする。

 安芸ほどの余裕は持てそうにないが、夢のある役割に花月の心は僅かに綻んだ。



 ***



 一夜を明かして、九月七日(九月二十二日)。

 空が白み始める少し前に、花月は町へ戻った。

 事前に話をつけてあった古着屋に入り込み、入用の品を拝借する。

 その足で水を汲んで、安芸の待つ窪地へ引き返した。

 安芸は入れ替わりに町へ入る。

 やがて完全に周囲は闇を抜け出した。

 だが、夏は目を閉じたまま動かなかった。

 陽光の下で改めて見ると、頭や顔のあちこちに血糊がこびりついている。

 花月は自分の腕の未熟さを恥じながら、水を沸かした温ま湯に、布を浸す。

 触れたら起こしてしまうだろうと、一度ためらう。

 だが、清廉な面をいつまでも穢れたままに抛擲しておくほうが罪深い気がした。

 できるだけ優しく、気遣いながらぬぐう。

「む、誰じゃ。……花月か。儂は寝過ごしたのか。その手拭は?」

 しかし僅かにひと撫でしただけで、眼をこすりながら夏が体を起こした。

 眠りを妨げたくはなかったのに。

「お起こしして、申し訳ございませぬ」

「そういえば血を浴びたのだったな。儂はそんなに汚れておるか」

「すぐに綺麗になりまする。じっとしていてくだされ」

 夏はまだ気怠そうな瞳を伏せ、花月のするに任せた。

 額、頬、髪に、湯を含ませた布を押し当てて、擦り過ぎぬよう拭う。

 やがて、唐から渡った陶磁器のごとく、珠の肌は元通りの艶を取り戻した。

 頭にも、目立つところに血の跡は見当たらない。

 衣を着替えた。

 足首まである桃色の小袖に被衣を被り、良家の子女らしいいで立ちにした。

 育ちの良さが隠せないのなら、むしろ隠さず、眼をずらす策を取る手筈にした。

 間もなく卯の刻(午前六時頃)に差し掛かる頃、安芸が木曽馬を引いて戻って来た。

「おお、馬じゃ! かように大きな供を連れて旅立つのか」

 夏がパッと、弾かれたように安芸の元へ駆け寄る。

「お夏様のお供に男二人では物足りないと思いまして。私も花を添えておるつもりですが。……馬がお好きですか?」

 安芸が女姿を示して冗談めかしても、夏は応答をしなかった。

 馬から目を離さない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

吉宗のさくら ~八代将軍へと至る道~

裏耕記
歴史・時代
破天荒な将軍 吉宗。民を導く将軍となれるのか ――― 将軍?捨て子? 貴公子として生まれ、捨て子として道に捨てられた。 その暮らしは長く続かない。兄の不審死。 呼び戻された吉宗は陰謀に巻き込まれ将軍位争いの旗頭に担ぎ上げられていく。 次第に明らかになる不審死の謎。 運命に導かれるようになりあがる吉宗。 将軍となった吉宗が隅田川にさくらを植えたのはなぜだろうか。 ※※ 暴れん坊将軍として有名な徳川吉宗。 低迷していた徳川幕府に再び力を持たせた。 民の味方とも呼ばれ人気を博した将軍でもある。 徳川家の序列でいくと、徳川宗家、尾張家、紀州家と三番目の家柄で四男坊。 本来ならば将軍どころか実家の家督も継げないはずの人生。 数奇な運命に付きまとわれ将軍になってしまった吉宗は何を思う。 本人の意思とはかけ離れた人生、権力の頂点に立つのは幸運か不運なのか…… 突拍子もない政策や独創的な人事制度。かの有名なお庭番衆も彼が作った役職だ。 そして御三家を模倣した御三卿を作る。 決して旧来の物を破壊するだけではなかった。その効用を充分理解して変化させるのだ。 彼は前例主義に凝り固まった重臣や役人たちを相手取り、旧来の慣習を打ち破った。 そして独自の政策や改革を断行した。 いきなり有能な人間にはなれない。彼は失敗も多く完全無欠ではなかったのは歴史が証明している。 破天荒でありながら有能な将軍である徳川吉宗が、どうしてそのような将軍になったのか。 おそらく将軍に至るまでの若き日々の経験が彼を育てたのだろう。 その辺りを深堀して、将軍になる前の半生にスポットを当てたのがこの作品です。 本作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。 投票やお気に入り追加をして頂けますと幸いです。

東洲斎写楽の懊悩

橋本洋一
歴史・時代
時は寛政五年。長崎奉行に呼ばれ出島までやってきた江戸の版元、蔦屋重三郎は囚われの身の異国人、シャーロック・カーライルと出会う。奉行からシャーロックを江戸で世話をするように脅されて、渋々従う重三郎。その道中、シャーロックは非凡な絵の才能を明らかにしていく。そして江戸の手前、箱根の関所で詮議を受けることになった彼ら。シャーロックの名を訊ねられ、咄嗟に出たのは『写楽』という名だった――江戸を熱狂した写楽の絵。描かれた理由とは? そして金髪碧眼の写楽が江戸にやってきた目的とは?

忠義の方法

春想亭 桜木春緒
歴史・時代
冬木丈次郎は二十歳。うらなりと評判の頼りないひよっこ与力。ある日、旗本の屋敷で娘が死んだが、屋敷のほうで理由も言わないから調べてくれという訴えがあった。短編。完結済。

保健室の秘密...

とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。 吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。 吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。 僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。 そんな吉田さんには、ある噂があった。 「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」 それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。

色は変わらず花は咲きけり〜平城太上天皇の変

Tempp
歴史・時代
奈良の都には梅が咲き誇っていた。 藤原薬子は小さい頃、兄に会いに遊びに来る安殿親王のことが好きだった。当時の安殿親王は皇族と言えども身分は低く、薬子にとっても兄の友人という身近な存在で。けれども安殿親王が太子となり、薬子の父が暗殺されてその後ろ盾を失った時、2人の間には身分の差が大きく隔たっていた。 血筋こそが物を言う貴族の世、権謀術数と怨念が渦巻き血で血を洗う都の内で薬子と安殿親王(後の平城天皇)が再び出会い、乱を起こすまでの話。 注:権謀術数と祟りと政治とちょっと禁断の恋的配分で、壬申の乱から平安京遷都が落ち着くまでの歴史群像劇です。 // 故里となりにし奈良の都にも色はかはらず花は咲きけり (小さな頃、故郷の平城の都で見た花は今も変わらず美しく咲いているのですね) 『古今和歌集』奈良のみかど

徳川家基、不本意!

克全
歴史・時代
幻の11代将軍、徳川家基が生き残っていたらどのような世の中になっていたのか?田沼意次に取立てられて、徳川家基の住む西之丸御納戸役となっていた長谷川平蔵が、田沼意次ではなく徳川家基に取り入って出世しようとしていたらどうなっていたのか?徳川家治が、次々と死んでいく自分の子供の死因に疑念を持っていたらどうなっていたのか、そのような事を考えて創作してみました。

後悔と快感の中で

なつき
エッセイ・ノンフィクション
後悔してる私 快感に溺れてしまってる私 なつきの体験談かも知れないです もしもあの人達がこれを読んだらどうしよう もっと後悔して もっと溺れてしまうかも ※感想を聞かせてもらえたらうれしいです

我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。 一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。 二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。 三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。 四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。 六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。 そして、1907年7月30日のことである。

処理中です...