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脱走
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「はい、手拭い。使いな」
投げて寄越された手拭いを受け止めて、膝下の水滴を取る。
やはり足裏は、そっとだ。
「ご主人、有難うございまする」
主人に礼を述べて板間へ上がると、小雪が立って待っていた。
何やら興有り気な眼差しだ。
「何じゃ、小雪。何を見ておる」
「中々健気だわね。〝子猫ちゃん〟」
「小雪にまで子猫呼ばわりされると、こそばゆいの」
「言ってくれるね。あんた、姉さんと私にじゃあ、随分と態度が違うわね?」
「そうじゃな。小雪のほうが気安いの。気を悪くしたか」
「その程度で気を悪くしていたら連れて来てないよ。おいで、膏薬があるから」
裸足で足が痛いなどと、気取られないように振舞っていたのに、小雪にはすっかりお見通しだった。
「よう気がついたの。大したものじゃ」
懸命に隠していたのだから、内心かなり面白くない。なのについ、大人しく従ってしまう。
「はい、膏薬。……足を投げ出して、どうするの」
「小雪に塗ってもらおうと思うてな」
「まあ、驚いた。お里じゃ至れり尽くせりだったのだろうけど、私はあんたの付き人じゃないよ」
「違う。儂は、懸命に隠しておった足の痛みを、見抜かれたのが悔しいのでな。これは報復なのじゃ」
何かしてもらわぬと悔しくてたまらぬ。と夏は足裏を更に突き出した。
「とんでもない我儘娘だこと。そんな理屈が通ると思っているのだから」
小雪は悪態をつきながら、しかし貝の上辺を開き指先に膏薬を取った。
足の裏にべとっとした、固い心地が塗り広げられる。
「痛い、もそっと優しく扱ってくれぬか」
「塗ってもらっているのだから、我慢なさい」
小雪が見抜かねば、大人しく我慢していたものを。と胸中で夏は、ぼやく。
だが、傷んだのは直接、指が傷に触れた最初だけで、膏薬に覆われた部分は、じんわりと温かさで満たされたようになる。
「良く効く薬じゃな。もう痛うなくなった」
完全に痛みが消えたわけではない。
だが、湯で洗った直後より大分ましになった。
「そりゃあ良かった。こうして布を巻いておけば、床も傷も汚れないわ。明日は草履を用意してあげるから、安心しな」
「草履もか! かたじけない。儂は後先を考えず裸足で飛び出して来たのだ。思慮が浅かった」
「草履など、支度していては抜け出せない情態だったのでしょう。あんた我儘で無法だけど、なかなか気骨があるわね」
小雪は黄ばんだ襤褸布を結びながら、想像以上に夏を褒めた。
攻め込まれれば、弾き返すだけの気の強さを持つ夏である。
だが、擁護する言葉には存外、脆い。
「どうして、そこまでして、出奔しなければならなかったの? そこまでの仔細があるのなら、ぜひ聞きたいわ。たった七日で帰るのに、何の意味があるの」
膏薬の入った貝片に蓋をしてから、顔を上げた小雪は、驚いて言葉を止めた。
夏は母を失ってこの方、誰かに優しい言葉を掛けられた記憶がない。
どうしてか、頬を温かな雫が滑り落ちる。
投げて寄越された手拭いを受け止めて、膝下の水滴を取る。
やはり足裏は、そっとだ。
「ご主人、有難うございまする」
主人に礼を述べて板間へ上がると、小雪が立って待っていた。
何やら興有り気な眼差しだ。
「何じゃ、小雪。何を見ておる」
「中々健気だわね。〝子猫ちゃん〟」
「小雪にまで子猫呼ばわりされると、こそばゆいの」
「言ってくれるね。あんた、姉さんと私にじゃあ、随分と態度が違うわね?」
「そうじゃな。小雪のほうが気安いの。気を悪くしたか」
「その程度で気を悪くしていたら連れて来てないよ。おいで、膏薬があるから」
裸足で足が痛いなどと、気取られないように振舞っていたのに、小雪にはすっかりお見通しだった。
「よう気がついたの。大したものじゃ」
懸命に隠していたのだから、内心かなり面白くない。なのについ、大人しく従ってしまう。
「はい、膏薬。……足を投げ出して、どうするの」
「小雪に塗ってもらおうと思うてな」
「まあ、驚いた。お里じゃ至れり尽くせりだったのだろうけど、私はあんたの付き人じゃないよ」
「違う。儂は、懸命に隠しておった足の痛みを、見抜かれたのが悔しいのでな。これは報復なのじゃ」
何かしてもらわぬと悔しくてたまらぬ。と夏は足裏を更に突き出した。
「とんでもない我儘娘だこと。そんな理屈が通ると思っているのだから」
小雪は悪態をつきながら、しかし貝の上辺を開き指先に膏薬を取った。
足の裏にべとっとした、固い心地が塗り広げられる。
「痛い、もそっと優しく扱ってくれぬか」
「塗ってもらっているのだから、我慢なさい」
小雪が見抜かねば、大人しく我慢していたものを。と胸中で夏は、ぼやく。
だが、傷んだのは直接、指が傷に触れた最初だけで、膏薬に覆われた部分は、じんわりと温かさで満たされたようになる。
「良く効く薬じゃな。もう痛うなくなった」
完全に痛みが消えたわけではない。
だが、湯で洗った直後より大分ましになった。
「そりゃあ良かった。こうして布を巻いておけば、床も傷も汚れないわ。明日は草履を用意してあげるから、安心しな」
「草履もか! かたじけない。儂は後先を考えず裸足で飛び出して来たのだ。思慮が浅かった」
「草履など、支度していては抜け出せない情態だったのでしょう。あんた我儘で無法だけど、なかなか気骨があるわね」
小雪は黄ばんだ襤褸布を結びながら、想像以上に夏を褒めた。
攻め込まれれば、弾き返すだけの気の強さを持つ夏である。
だが、擁護する言葉には存外、脆い。
「どうして、そこまでして、出奔しなければならなかったの? そこまでの仔細があるのなら、ぜひ聞きたいわ。たった七日で帰るのに、何の意味があるの」
膏薬の入った貝片に蓋をしてから、顔を上げた小雪は、驚いて言葉を止めた。
夏は母を失ってこの方、誰かに優しい言葉を掛けられた記憶がない。
どうしてか、頬を温かな雫が滑り落ちる。
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