夏姫の忍

きぬがやあきら

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脱走

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 だが、肩を落としたのも束の間、夏は気を取り直して問い直した。

「ならば、改めて頼もうぞ。衣を貸してくれる当てを、ご存じないか?  このままの姿では動きが取れぬ」

 女は頭を押さえて呻く。

「あのねえ、だから、簡単に……。あんた、私の話を聞いていた?」

「そなたは、儂をうつけだと思うておろうが、儂はわかったぞ。自分を信じよとそそのかす者こそ悪党じゃ。そなたは悪事を働かぬ」

「それは、私が女だから?  女だとて、あんたを手籠めにして、身包み剥いで売り飛ばすくらい、できるのよ」

 夏は諸手を挙げて降参した。その上での懇願なのに、女は何が気に入らないのだろう。

 挑戦するような目で、詰め寄って来た。

 身包み剥いで売り飛ばす、は一連の意味がわかる。しかし……手籠めは?

「手籠めと言うと、そなたが、儂を犯すと申すか?  女子が女子を犯すとは、どうするのじゃ?」

 単純に、興味が湧いて質問する。

 だが、問われて今度は逆に、女が惑乱した。

 怯んだのを見て取って、夏は急に嬉しくなる。

「ふふっ、やはり、儂は間違っておらぬ。そなたは悪党ではないな。そなたの口振り、衣を貸してくれる当てを存じておるのじゃろう?  連れて行っておくれ。儂は連れ戻されれば、いかなる処罰も受ける覚悟で出奔したのじゃ。毒を食らわば皿までと申す。如何にするかは知らぬが、そなたほどの美女相手なら、犯されるのも一興じゃ」

「はあ、ほんっとうに、変な子!」

 女は、感心したのか呆れたのか、どちらとも取れる嘆息を漏らした。

「わかった。覚悟が本心なら、その袴を穿いて、ついておいで。小袖も貸してあげる。けど、貸した後、どうなっても知らないからね」

「左様か!  そう言うてくれると思っておった。かたじけない」

 呆れている点はさて置いて、女が了承してくれたので安堵した。

 夏は早速、言われた通りに袴を穿こうとする。だが、袴の穿き方を知らない。

「これを?  どのように穿くのじゃ?  寝間着は?」

「寝間着?  そのままでいいよ。ちょっと長いけど、白い小袖に見えるでしょ。えっ、まさか穿き方を知らないの?」

 多少気まずくなりながらも頷くと、女は黙って側へ寄って手伝ってくれた。

「手間の掛かるお嬢さんね。助けるんじゃなかった」

「初めて穿くものでな、かたじけない。そなたは名前をなんと申す?  儂は、訳あって姓を明かせぬが、名を小夏と申す」

 万に一つも、この女が夏の逃亡を幇助した疑いを掛けられてはならない。

 そんな思いから、夏は咄嗟に名を偽っていた。しかも、とても半端に。

 けれど、女は気に留めない。半端が功を奏した。

「小夏?  ならお揃いね。私は小雪」

「小雪か。愛らしい名じゃ。雪の降る日に生まれたのか」

「いいえ。雪の降る日に〝拾われた〟の。お揃いじゃなかったわね」

「……すまぬ。だが、愛らしい名じゃ。そなたに相応しいと思う」

 今度は、小雪は何も応えなかった。黙って袴の紐を結い合わせ、静かに立ち上がった。

 夏には父も、帰るべき城もある。

 それなのに勝手に飛び出して来た自分を、少し恥ずかしく思った。

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