夏姫の忍

きぬがやあきら

文字の大きさ
上 下
4 / 44
脱走

しおりを挟む
 町外れで、夏は城下が目覚める時を待った。

 早く着替えをしたい気持ちもある。

 だが、目覚めたばかりの町人たちは、まだ、ぽつり、ぽつりと姿を見せるだけで、竃から煙の上がる様子もない。

 城門から正面に当たる大通りには、看板を掲げた店が何軒も、並んでいた。

 夏は単純に持ち出した簪などと引き換えに、路銀を調達すれば良いと考えていた。

 町人の拵えを手に入れる時がなかったし、城の脱出を最上位にしたため着の身着のままだ。

 長きに亘って練った計画ではないので、衣服を手に入れる段取りまで、定めていなかった。

 掲げた看板から、質屋と古着屋に目星をつけた。

 如何にすれば怪しまれずに駆け引きできるだろうか。

(どうしたものか。かような形で質草など持ち込むのは、不審であろうか)

  夏は寝間着姿だ。しかも純白の絹製ときている。

  往来の様子見に、町家の隅から顔だけ覗かせて辺りを見回した。

 町は至っていつも通り、昨日と変わらぬ朝を迎えている。

(うーむ。追い剥ぎに遭ったとでも言い訳しようか。しかし追い剥ぎならば、身包み剥がされねばおかしかろう。裸になるのは、いくらなんでも嫌じゃ。いや、そもそも、儂は女子じゃ。裸にした女子をそのまま逃す追い剥ぎもおるまい)

  では、伴の者と旅の途中で野盗に襲撃された筋書は、どうだろう。

  皆散り散りになり、命からがら逃げ延びてやって来た。

(……命からがら逃れて来た良家の子女が、質屋へ簪を持って、金に換えてくれと縋るであろうか……?)

 それも妙な話かと、夏は首を捻った。あまり大仰な話にして、人の口に登りたくない。

 ええい、何か妙案はないものか!

「もし、お嬢さん。かようなお姿で、どうなさった」

 良い策が思いつかず頭を悩ませていると、背後から唐突に声が掛かった。

 驚き振り返ると、千駄櫃を背負った商人風の男が立っている。年は氏康よりやや上か。

「やんごとなき身の上のお方と、お見受けします。いったい、どのようなご事情で、ここにいらっしゃるので?  お困り事でしたら、お力になりますよ」

 男の身なりを頭から爪先まで眺めて、夏は思案した。
 
 城へ出入りしている商人たちに比べると、見劣りする。

 だが、襤褸ぼろを纏うほどでもない。

其方そなたは何を商うていらっしゃる。千駄櫃の中身は何じゃ?」

「私は塩汲みをしております。そこ、小田原の海で採った塩を、こちらの城下や近隣の町へ売りに出ております」

 男は千駄櫃を下ろして、蓋を開けた。包みの布がいくつか見える。

 外見に不審な点は見当たらない。だが、信用して話して良いものか。

 夏の身分が露見すれば、氏康の麾下はいかに連れ戻される危険は高い。

 しかし、この姿のまま遠くへは行けない。夏が逃亡した事件も、そろそろ明るみに出る。

 どちらにしても、あまり悠長にしていられない。

「事情があり、手頃な小袖を手に入れたいと思うておりまする。どうにか手に入りませぬか。お礼は後ほど必ず致します」

 放っておいても捕まるならば運に任せるのも一興、と、夏は思い切って口にした。

「はあ、ご事情が……。では、我が家の女房の衣では、いかがでしょう。お気に召すか、わかりませんが、まずご覧頂いてからでも」

「ご内儀の!  それは、願ってもない」

 夏は思い掛けない、男の申し出に口元を綻ばせた。

 この商人が直に着物を譲ってくれるなら、あとは万事、上手く行く。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~

佐倉伸哉
歴史・時代
 その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。  父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。  稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。  明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。  ◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇

処理中です...